迷走3
祢子は、全体練習は好きだ。
切れ切れだった自分たちの音が、他のパートの音でつながり、曲の全貌が現れるのは感動的だ。
ピースが埋まって、パズルの絵がわかるような感じ。
旋律や和音の波、打楽器の音が、部屋中に響いて、その場を同じ気体で包み込み、人の心身を陶然と揺り動かしていく。
サスケ先生は、時々首をかしげて、指揮棒を横に振る。
すると、みんな演奏を止める。
入り方が遅い、もっと歯切れよく、ここは音量を押さえて。
あの声で淡々と注意をした後、また曲を再開させる。
音の渦中にいる祢子には全体のバランスも何もわからない。
サスケ先生はすごいと思う。
声を聞きたいので、もっと注意してくれないかなとも思う。
サスケ先生は忙しいらしくて、全体練習は三十分ほどで終わる。
その後は片づけをして、お弁当だ。
ほとんどはパートごとに輪をつくって、仲良く食べる。
祢子は、こずえちゃんのフルートパートに入れてもらう。
部外者なので、遠慮して黙って食べる。
有川先輩と中岡先輩は、一緒に食べるわけではなく、家に帰って食べる、と早々に帰宅する。
帰りもこずえちゃんと一緒だが、暑いし、くたびれているし、食後で眠いので、二人とも言葉少なだ。
コンクールの会場は、市の中心部にある市民会館だ。
部員たちは朝早くから中学校に集合し、楽器と譜面台を運び出して、貸し切りバスに乗り込んだ。
会場に着くと、楽器類は、会場の決められた場所に置く。
大ホールに入ると、暗い観客席に中学校ごとにまとまって座る。
他の中学校の演奏を聞いて、自分たちの番が近づくと、そっと外に出る。
別室でチューニングを済まして、舞台袖から舞台を眺めながら出番を待つ。
強烈な照明の中で、同じ中学生ががんばっているが、祢子には現実のこととは思えない。
前の学校が演奏を終えて舞台から向こう側に引っ込むと、入れ替わりにこっち側から祢子たちが舞台に上がる。
ステージに設えられた素木の段は、足音が響く。
あちこちに唾を抜いたシミが残っているのを、できるだけよけて行く。
先輩たちを見習って、中岡先輩の隣に譜面台を置くと、後ろ手に椅子を確かめて、楽器を持って座る。
まぶしくて、観客席に人がたくさんいるのはわかるが、顔まではわからない。
部員同士の間隔が広すぎて、急に心細くてたまらなくなる。
隣の中岡先輩の顔を盗み見ても、全く気休めにもならない。
自分の心臓の音がやたらに大きく聞こえる。
中学校名と曲名紹介のアナウンスが流れると、サスケ先生が舞台袖からゆっくり歩いて出てきて、観客席に向かって深々と礼をする。
いつもよりいい背広を着て、音符の柄のネクタイをして、髪をびしっと固めている。
広いおでこが、ライトに反射している。
本人は気にしているのかもしれないが、祢子はサスケ先生のはげは知的で好ましいと思う。
拍手。
サスケ先生は、こっちに向き直り、指揮棒を構える。
最初の音がはずれた。
有川先輩だ。
あああ。
やり直しはできない。もう、がむしゃらに進むしかない。
K中吹奏楽部の音が、こんなに貧弱に聞こえるとは。
音楽室では、大きすぎるほどの音量だったのに。