新入部員5
祢子は、仕方なく先輩と同じようにやってみた。
つばが飛ぶだけだ。
照れ隠しに笑ったが、中岡先輩はにこりともしないで、注意する。
「唇を横に薄く引いて。こう、にーって」
祢子はそうしかけて、中岡先輩の目が自分の口元に注がれていることに、急にいたたまれなくなった。
その時、別の男の先輩が現れた。
「有川先輩」
中岡先輩が、有川先輩に話しかけたのか、祢子に紹介したのかわからない、中途半端な感じに言った。
トランペットのファーストの先輩らしい。ひょろっと背が高くて、丸い頭に細い目をしている。
祢子は、あわてて会釈をした。
有川先輩は、祢子を見て「ああ」と言って、中岡先輩を見て、にやっとした。
嫌な感じの笑い方。
祢子は急に、いても立ってもいられないほど恥ずかしくなった。
いやらしい笑い方だった。
中岡先輩と二人でいることが、もう我慢ならなくなった。
「毛野さん?」
中岡先輩は、何もわかってはいないのだろう。練習を促してくる。
「あ…えーと、自分一人でやります」
「でも、わからないんじゃないかな」
「見られていたら、やりにくくて…」
中岡先輩は、たぶんそんなつもりは全くない。
純粋に後輩の練習を見ようとしている、善良な人なのだと思う。
しかし、その鈍感な善良さもいやだった。
祢子は、早口に適当なことを何か言って、中岡先輩から離れようと身を翻した。
その時目の前の渡り廊下を、誰かが通った。
祢子はびっくりして立ち止まった。
見上げると、英語の井下田先生だ。
目が合った。
祢子は、ぞうっとした。
なんて怖い目だろう。
ビー玉のように光る、表情のない、動かない目。