Side 騎士 4
彼女の部屋から遠ざかり、ため息を吐き出した。何もしてやれなかった。多分、今彼女は混乱の境地にいる、声にならない声で助けを呼んでいる。そう分かるのに、自分は何もできない。
そうだ、廊下にはジアルとシャイゼルがいるが、外には誰も付いていないはずだ。窓からなら彼女を救い出せるかもしれない。そして、そのまま遠くへ逃げるのだ。
決心を固めて裏庭から回り込み彼女の部屋の下へたどり着いた時、後ろから声をかけられた。
「ルドヴィク、何をしようとしている」
そのよく知った声にこれが失敗に終わったことを悟る。
「もっとルドヴィクは冷静なヤツだと俺は思っていたよ」
声の方をゆっくりと振り返るとキールッシュが難しい顔で立っていた。
「団長、止めないでください」
「馬鹿を言うな。神殿騎士の中から反逆者を出すわけにはいかないんだ。大体、部屋から聖女様を連れ出して、どこに行く気だ」
やろうとしていたことを言い当てられ、言葉につまる。
「どこへでも、です」
「無理を言うな。聖女様の髪色を考えろ。どこにいても目立つぞ。しかも、聖女様は自分では自由に動けないだろう。見付かれば今よりも扱いは悪くなるだろう。勿論お前は死罪を免れない。聖女様にそんな思いをさせるのか?」
「しかし、彼女は今も苦しんでいます」
「ルドヴィク、聖女様、だ。殿下の第2妃であらせられる。呼称には気を付けなさい」
頭を殴られたような衝撃を受ける。それは、その通りではあった。けれど、彼女はいやがっていた。
「ルドヴィク、冷静になれ。聖女様は話をされないのだろう。本当に考えていることは誰にも分からない。例え、今本当に連れ出したとして、聖女様は逃亡生活を喜ぶと思うのか」
確かに計画性は何もない。捜索隊も組まれるだろう。そうした時に彼女を守りながら逃げ続けられるのかと問われてしまえば否だ。最悪な未来は簡単に思い描けるのに、彼女が笑う顔は想像ができない。
「分かったなら、神殿騎士詰所へ行くぞ。今晩、お前はそこで過ごしてもらう」
どうすることもできず団長に従うしかなく、心が引き裂かれるように悲鳴を上げるのを無視した。
詰所に来ると問答無用で反省室へと入れられた。今晩はここから出ることを禁じられた。
何も考えないようにしているのに、目を閉じても開いても、彼女の目を思い出す。決意を秘めた目、じっと観察をする目、怯えた時の目、虚ろになる目、今、彼女はどんな目をしているのか。
想像しそうになり、思考を止める。それなのに、まっすぐにこちらを見る目を思い出す。吸い込まれそうなほどに澄んだ無垢な黒い瞳。
守ると決めた。けれど俺の力では王太子からは守れない。
絵本の王子の絵を指先で弾いて、き、ら、い、と文字を辿った、その相手と部屋に閉じ込められどれだけ不安な思いをしているのか。御身は無事であるのか。いや、そんな訳はない。わざわざやって来たぐらいだ。せめて、心だけは無事であってほしい。
「何がダメなのか分かったか?」
キールッシュが夜中過ぎた頃に反省室へとやって来て開口一番でそう聞いてきた。
「聖女様のお言葉がないのにも関わらず勝手にこうだろうと決めつけました」
長い間のあとでキールッシュがため息と共に口を開く。
「……ルドヴィク、お前は今後も聖女様の護衛を続けられそうか?」
「続けさせて貰えるのですか?」
もう側へ行くことも、見ることすら叶わないと思っていた。
「但し完全な交代制だ。夜にルドヴィクが聖女様の護衛に回ることはなくなると思え。今日から聖女様が旅に出られる日まで夜になればルドヴィクはこの部屋で待機となる」
今日の自分の取り乱し方を考えればそういう判断がされるのは当然だろう。王太子を今、冷静に見れる自信はない。けれど、甘いだろう。自分は彼女を連れ去る気でいたのだ。
「……聖女様はまだこの世界に慣れてはおられない。それなのに身近にいた者が急に姿を見せなくなれば不安も覚えるだろう、とのことだ。それが必要以上の不信感に育つことを危惧されている。それがこの甘い判断の正体だ」
言い分はよく分かった。つまり、俺を罰した時に起こる彼女の反応が怖いのだろう。
「だから、俺を聖女様の護衛からは外せないと、上は考えたのですね」
「そうだ。あれだけの聖なる力だ。暴発でも起こされたらどうなるか分からない。あの力は我等にとっても毒に成り得るのだからな」
祈りの泉に浮かぶ水晶球は聖なる力を集め、そこから国全体に聖なる力を巡らせる装置だ。
祈りの泉にはその聖なる力が溶け込んでいる。聖なる力同士は引き合う性質があり、祈りの泉に祝福を受けた者が触れると体に僅かにあった聖なる力が泉へと移り、そして水晶球へと吸い込まれていく仕組みだ。
その聖なる力は国を瘴気から守るためには必要ではあるが、強すぎる聖なる力にさらされ続ければ人はごっそりと生命力を削られ消滅してしまう危険すらある取り扱いが危険なものでもある。
聖なる力が体の中に多くありすぎても体調を崩す原因になり得るし、だからといって1度に多く聖なる力を取っても体を壊しかねない。彼女のように。
「ルドヴィク、お前はまだ聖女様の護衛を続けられるか?」
「はい。俺はまだ聖女様をきちんと守れたことはありません。ですが、俺は聖女様の護衛でありたいと考えています」
キールッシュの目をまっすぐに捉えて宣言すると、キールッシュは苦笑いを浮かべた。
「分かった。ルドヴィク、あまり気負いすぎるな。お前は騎士団の若手の中でも桁違いに実力がある。外部からの脅威はお前さえいればいくらでもはねのけられる。だからこそ忘れるな。近くなりすぎれば守りたい者もろくに守れなくなる。それだけは肝に銘じといておけ」
「分かりました」
キールッシュが部屋から去り、一人残された部屋で彼女のことを考える。
彼女は意思表示が薄弱ではあるし、歩くことも今はままならない。どんなに苦しい状態の時もうめき声すら上げることもない。そう考えると、話すことそのものができない。文字はどうやら読めるようだが、自由に意思を示すにはあまりに不便だろう。だからこそ、僅かにおこる彼女の変化に過敏にもなるし、守りたいと心から思わせる。
守るためには近くにいなければならない。近くにいるために飲み込まなければいけないこともある。けれど、彼女が苦しいのなら、少しでもそれをわけて貰えるような存在にならなければいけない。
朝になり、キールッシュから彼女のところに戻ってもいいと許可が出たと同時に彼女の部屋へと急いだ。
彼女の部屋の前にはあまり見かけない文官が待機していて、丁度部屋からやはりあまり知らない顔の者が出てきた。
「確認できました。確かに初夜は行われました」
「分かりました。記録を付けておきます」
2人の短いやり取りに頭をまたガンと殴られた気分になる。それでも、この事でこちらが動揺していれば彼女は困るだろう。ますます遠ざけられかねない。今は昨日、祈りの泉に連れて行ったことを恨まれているのだから。
「お、戻ってきたか」
シャイゼルがこちらを見付けて声をかけてくる。
「戻ってくると知っていたのか?」
「まぁ、聖女様にとって信頼できていそうなヤツを離すわけにもいかないだろ」
「なるほど」
「だからってやり過ぎには気を付けろよ。昨日は許されたが、次は多分ない」
「分かっている」
「もう少し気楽にな。気負いすぎるとつぶれちまうからさ」
「聖女様は今どうしている?」
「フラウが落ち着かせるために眠らせたみたいだ。その間に湯浴みをさせて、部屋を整えておくらしい」
シャイゼルがこちらを観察しながらそう教えてくれた。
「……そうか」
「いいか、俺たちは護衛だ。踏み込みすぎるなよ?」
「反省している」
そう答えてから彼女の部屋へと入る。彼女とフラウとレンナの姿は部屋にはなかった。おそらく今は湯殿を使っているのだろう。今は代わりに部屋を掃除するためにきている者達が部屋を整えているところだった。
湯殿に通じる扉が開いてレンナが顔を出した。
「あ、騎士様、お願いしてもいいでしょうか?」
レンナは少し気落ちしたようにそう声をかけてきた。
「分かった」
扉の中に入ると簡易ベットの上で目を閉じている彼女とその頭をゆっくりと撫でるフラウがいた。フラウは他者を落ち着かせたり、必要なら眠らせることができる特性を他の人より強く持っている。おそらくそれがあるから聖女付きになることができた。今はその強い特性を彼女に対して使っているのだろう。
フラウは俺を確認し、黙礼をすると後ろに下がった。
レンナもそうだったがフラウも目元を赤くしている。それに気付かない振りをして彼女に近付く。昨日会っていたのにずいぶん久しぶりに感じた。
「失礼します」
眠る彼女へ声をかけてから抱き上げる。左の首の付け根に昨日まではなかった印が浮かび上がっていて、唇を噛む。
一番最初に付ける印は、付けた者の執着の強さを現す。そのため、付けた者の執着が無くなるまで印は残り続ける。だから、最初の印は周りへの牽制の意味も込めて見えやすいところに残されることが多い。お互いに印を残し合えば想いは強化されるとも言われている。
つまり、王太子はそれなりに彼女を気に入り執着しているということだ。しかも、ちゃんと牽制の意味も込められている。彼女は、印を返していないと信じたい。
彼女をベットへと戻そうとして、動けなくなる。彼女をここで寝かせたくない。
「聖女様は小柄でいらっしゃいます。今は、ソファーへ寝かせてはどうでしょうか」
フラウが遠慮がちにそう言うのでソファーへ目を向ければ、レンナがそうできるようにソファーを整え終えたところだった。
「そうだな」
彼女をソファーへそっとおろし、その横で跪く。
「お守りすることができず、申し訳ありません。ですが、まだ、お側にいることを、どうかお許しください」
眠る彼女へ懺悔をする。目を覚ました時に拒絶されないといいと願いながら。