Side 私 3
フラウとレンナに体を洗ってもらうことは最初物凄く抵抗があったけれど、自分ではうまく体を動かせないので今はちょっと諦めはじめている。
多分、私1人をお風呂に入れるのって重労働だと思うんだけど今日だけは申し訳ないけどお風呂に浸かりたかった。
あの気持ち悪い変態王子が触ったところが本当に気持ち悪い。生理的に受け付けないっていうのを初めて体感している。顔がいいだけじゃダメなんだと思う。
フラウもレンナも手付きが優しくて何となくフワフワとして眠りそうになる。うとうとと気持ちよく微睡んでる間にすっかりと髪も乾かしてもらえた。
レンナが用意していたレモン風味の水で喉も潤せて、私は満足した。おかげで今日のいやなことが全部吹き飛んだ。
すっかり身だしなみも整うとフラウは私を運んでもらうために部屋の方へと向かった。まだちょっとルドヴィクと顔を合わせたくない気分だから、さっきと同じでジアルが来てくれると助かるんだけど、なんて考えていたのがいけなかったのか。やって来たのは誰でもなく、嘘の甘さを顔に張り付けた王子だった。
レンナは突然のことに顔を青くして下を向く。どうやらフラウとレンナの立場だと王子の顔を見るのはダメなことらしい。
「終わったか? 長すぎて夜が明けるかと思ったよ。あぁ、お前は下がれ」
レンナは何も言わないまま深く頭を下げた状態で部屋から出ていった。この様子だと、この王子は部屋からも皆を追い出したんじゃないだろうか。
「何故、と思っていそうな顔か? 夫が妻の部屋へ来るのはおかしなことじゃない、分かるか? まぁ、分かってはいないんだろうな」
面倒そうにそう言うとこちらに手を伸ばして来たのでできるだけ遠ざかろうとするけど、うまくいかない。そのまま王子に持ち上げられる。
「意外と軽いな。もっと食べた方がいいぞ」
耳元で喋られて鳥肌が立つ。けれど王子は気にした様子もなく私を運ぶ。そのまま部屋に着くと、ベットにボフッと落とされた。痛くはないけれど、こんな風にルドヴィクはしない。部屋を素早く確認するけれど、何度見てみても誰もいない。王子が感情の見えない目でこちらを見ているだけだ。
私は慌てて持てる限りの力を振り絞って王子から離れようと重たい体を引きずる。王子とは反対のベットサイドにたどり着き、そこから離れるために立とうとするけれど、やっぱりうまくいかなくて無様に転んでしまう。けれど、床は柔らかな絨毯が敷いてあるからそこまでは痛くない。
「はぁ、嫌われている気はしていたが、そこまで嫌か」
王子は我が物顔でベットに腰掛けながらこちらを見ていた。
「最初から何かをおまえにする気はない。だがこういうのは最初が肝心だ。妃に迎えたのに無視をすればおまえに変な虫が次から次にたかりに来る。牽制するためにはおまえにもある程度私の寵があると思われた方が都合がいいんだ。ま、おまえには通じないだろうがな」
王子はそう言うと悠然とベットへと横になる。私の方はどうにかたどり着いたテーブルの下でそれを見返していた。
「おまえには悪いことをしたとこれでも思ってるんだ。この道で良かったのかと思うこともある」
王子はこちらも見ずに独り言をはじめた。最初に垣間見た危険な感じはすっかりとなくなっている。
「私は欲しいもののためにおまえを遠くの異界から拐った犯人だ。おまえには恨まれても仕方がないと思う。帰す術もないのに、無責任だともっと喚かれるのも覚悟していたくらいだ」
いや、本当に喋れなくなってるから喚けないだけだから。許してないし、もちろん物凄く恨んでるからな。ここまでで王子と会ったのは3回くらい、か。そのどこに恨みをぶつけられる時間があったと思ってるんだ。
頭の中で思い付く限りの罵詈雑言を浴びせるが声が出ないので向こうにしてみれば大人しくしてるように見えるのだろう。
「ふっ、その様子を見るに相当恨まれているのは分かるな」
こちらを見て王子は自嘲の笑みを浮かべた。
「私はカレンナがどうしても欲しかった」
誰だ、それ。急に何を言い出すんだ。本人に言ってくれ。
「だが、カレンナは色彩が薄くてね。カレンナも想いは返してくれるが、私の隣には並べないと言うんだ。それは、よく分かる。私の妃は色彩が濃くなければならないからな。一貴族だったなら問題にはならなくても、この国の王太子だとそれは致命的だ。でも、私は結局カレンナを選んだ。カレンナも頷いてはくれたが、私はカレンナに棘の道を選ばせてしまった」
あぁ、カレンナってあれか、この王子の最初の妃のことか。そういえば金髪碧眼の美女があの変な泉のところにいたっけ。私は第2妃なんだっけ? 一夫多妻とか、それも受け付けないんだけど。
「だから、おまえを召喚したんだ。成功するとは本当は思ってもなかったよ」
意味が分からん。そんな勝手な理由で理を曲げてまで喚ぶんじゃない。本当にそれが理由だとしたら帰してくれないかな。勝手に棘の道を歩めよ。巻き込むな。帰してよ。
王子は起き上がるとベットから降りて私のところまで歩いてきた。こっちが必死の思いでここまで来たのに全部無駄だ。
王子の手が伸びてきて、私の髪を掬う。
「本当に黒いな。この半分でもカレンナに色彩があればと思ったよ」
知るか。よく分かった。この王子は悲劇のヒロインだな。あ、男だからヒーローなのか。呼び名が気に入らない。悲劇野郎でいいや。
不意に髪を触っていた手が伸びてきてテーブルの下から引っ張り出され、抱えあげられた。そしてそのままベットへボフッと落とされる。咄嗟に王子から距離を取ろうとすると、王子はベットから離れて部屋にあるソファーへと行きゴロリと横になる。
「おまえも寝ろ。どちらにしろ今は何もしない。おまえはもう大分この国を救ったよ。今日の祈りの泉での奇跡で瘴気を払う力は大分強くなった。今までと同じにしていれば各地の被害も大幅に減るだろう」
瘴気ってなんだよ。当たり前みたいに言わないでほしいんだけど。悲劇野郎がいて安心して眠れるわけないと思う。部屋に来ることか目的だったんならもう帰ってくれないかな。
「だが、このままおまえが城にいればさらなる混乱と思惑が動く。嘘の証拠は後で作るがそれもいずれはばれる可能性は高い。だから、おまえは陛下が戻る前に旅に出てもらう」
おい、勝手に喚んでおいて、邪魔だからポイ捨てとかどんな鬼畜だよ。
「護衛はしっかり付ける。おまえが気に入ってるあの侍女と懐いてる感じがするあの護衛も付けるさ。足りないだろうからあと何人かは選出させる。おまえが気に入ればそのままそれをおまえにやろう」
あ、やっぱり人の都合って考えられないんだな、コイツは。フラウもレンナもよくは知らないけど家族がいるでしょう。ルドヴィクだってそうだ。それなのにポイ捨てされる人に一緒に付けるとか、なんだと思ってるんだろう。選出される人たちもかわいそうじゃないか。しかも、やろうって何だよ。人は悲劇野郎のものじゃないだろうに。本人達にも意思はあるんだよ。
頭の中で再び罵詈雑言を浴びせている内に、ソファーのほうから規則正しい寝息が聞こえてきた。
どうやら、無神経変態悲劇野郎傲慢人間は眠ったらしい。
何かされるかもしれないという恐怖は完全にはなくなってはいないものの、脅威は一先ずは眠ってしまったらしい。暫くは緊張したままでいたが、いかんせん私の体は弱っている。なるべく体を小さくさせながらクッションを抱きしめている内にうつらうつらと夢の世界へと旅に出ていた。
『ねぇ、あなたは何?』
何か光るモノに呼び掛けられる。何だかフワフワした不思議空間だ。
『私は、倉凪笑華だよ』
『この世界の子じゃないわね』
『無神経変態悲劇野郎傲慢人間に拐われたんだよ』
『そう。申し訳ないわ。召喚なんてそんな業の深いことさせてしまったわ』
『帰りたいよ』
『ごめんなさい』
『勝手だよね、この世界を壊したくなる』
『それは困るわ。エミカには許せない場所でもこの世界がかけがえのない者達もたくさんいるの』
『それ、私に関係ない。いつかこの世界を壊してやる』
『それじゃ、これは提案なのだけど、あなたをこことは違う世界へ飛ばしてあげる』
『それ、帰れるの?』
『ごめんなさい、エミカの世界は遠すぎて私ではそこまで飛ばせないの』
『そう。でも、そっか、こことは違う世界へ自分で行けば恨まなくてすむ? あの無神経変態悲劇野郎傲慢人間と関わりもなくて、城とか王様とかそんな面倒なヤツと関わらなくてもいい場所』
『それは、エミカ次第だわ』
『でも、自分で選べる? 体も動くようになって喋れるようになる?』
『勿論その補助はするわ』
『それじゃ、今すぐお願い』
『ごめんなさい。少しだけ時間を貰える? 少しまだ力が足りないの』
『なんだ、そうか』
『でも、必ずエミカの希望は叶えられるようにするわ』
『うん。期待はしないで待ってるよ』
鎖骨あたりに感じる違和感で目を覚ます。同時に私は身の危険から本当の意味で逃れられなかったことを悟る。
あまり自由に動かない手で目の前にあった物を引っ張る。
「あぁ、流石に起きたか。もう朝だ、何もなかったというわけにはいかないんだ」
夜と言ってること違うだろ。ふざけるな、油断させる作戦か。気持ち悪いから離れろ。
夜着の前側のボタンが多分いくつか外されてしまっている。自分が今どんな状態に置かれているのかさっぱり分からない。
「悪いとは思ってるんだ。でも見えるところに付けておかなきゃ不自然だろう? 侍女はおまえの体も見るから何もなかったことが分かるのは不味いんだ、分かってくれ」
何の話だ。分かるわけない。とにかく離してほしい。必死に暴れてるつもりだけどそもそも殆ど力の入らない体じゃ抵抗なんてたかが知れてる。
大きなため息をつかれる。もうやだ。泣きたい。けど、コイツの前で泣くのは絶対に嫌だ。あぁ、そうだ舌を噛み切ろう。そうしよう。
「わっ、ばかっ!」
ぐっと力を入れようとした口をこじ開けられて指を突っ込まれる。苦しい。
「大人しくしてろ、すぐに終わる」
いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ
ぎゅっと目を瞑る。どうしてこんな目に合わなきゃいけないのか、腹の辺りにまたチリっと痛みを感じる続けてまた。数えるのも嫌になり、思考を放棄する。舌を噛みきらせてほしい。ギリギリと歯に力を入れれば血の味がしてきて気持ち悪くて慌てて力を抜く。
「っつ。はぁ、遠慮なく噛みやがって。そんなに血に飢えていたのか? ……まぁ、でも、正気は失くしてはいないか。いや、違うな。おまえ、まさか…… 」
糞無神経変態悲劇野郎傲慢下衆人間が離れたので私は慌てて距離を取るために離れようとする。
何故か王子は怪我をした手を暫く見てから、私の方へとその手を近付ける。意味が分からない。気持ち悪くて顔を思いっきり背けた。
王子は私を暫くじっと観察してから、小さな声で「まさか、な」と呟き、シーツで乱暴に自分の血を拭き取ると私に毛布をかぶせた。そして、自分の着ている服をわざとぐちゃぐちゃにすると、人を呼ぶためのベルを鳴らす。
こんな場面人に見られるのは勘弁して欲しかったが私はそれを止める気力がない。ベルの音を聞いて飛んで来たのはフラウとレンナだった。なんだか懐かしくなってしまう。夜に、会ったばかりなのに。
「後は頼んだよ。今日1日はこれ以上無理させないようにゆっくり休ませてやってくれ」
それだけ言うと王子はあっさりと帰っていった。
怖かった。でも思ってたよりもマシだった? いやいやいや、感覚絶対おかしくなってるって。
フラウが近くに来て、遠慮がちに頭を撫でられた。緊張の糸がそこでフツッと切れて私は意識を手放した。