Side 私 1
ぼんやりと開けた目に見えたのは見たこともない豪奢な布。目を横に向ければ広々とした部屋。どうやら天蓋付きベットというものに自分は寝ているらしいと気付く。
夢、であるはずだ。こんな、こと。もう一度目を閉じれば元の場所で、変な夢を見たとそう思うだけだ。
そう思って眠ったのに、次に目を開けてもまた同じ場所だった。
「お目覚めになりましたか?」
知らない濃い黄色の髪色をした女の人がメイドみたいな服を着てこちらを覗き込んでいた。
何も答える気力がおきず目を逸らす。
「聖女様、何かお食べになりますか?」
そう言われてお腹が急に働きだしたかのようにぐぅという音を立てた。でも、それすらもどうでもよく感じてしまう。何も答えずにいると気を回した他の女の人が食べ物らしき物が乗ったワゴンを押してきた。
ワゴンには緑色をしたドロリとしたお粥のような物が乗っていた。
それが何なのか分からなくて私は手を動かす気力もおきない。
見かねたのか、ワゴンを押してきたオレンジ色の髪色の女の人が「失礼します」と言いながら一匙すくってこちらの口にそっとあてがう。
こぼれて汚れるのもいやだったから仕方なくそれを受け入れる。美味しくも不味くもないそんな物を噛むのも面倒で飲み込む。
私のその様子に少しほっとした顔をしたオレンジ色の人はまたもう一匙同じようにしてきた。
私は赤ちゃんにでもなった気分になったけれど、だから、何、という気持ちの方が強い。
意思という感覚が欠如したようなまま私はただ与えられるままにお粥らしき何かを食べ終えた。
そのまま背中にたくさんのクッションを与えられ、私はベットの上で上半身だけを起こした形にされた。
ここはどこだろう。見たことない場所、見たことのない髪色の人、見たこともない食べ物。結局食べても何が入っているのか分からなかった。
ぼんやりとしていると水の入ったコップをそっと口元に当てられる。そういえば喉も渇いていた。私は素直にその水を飲んだ。水はちゃんと水だなって分かった。
おかしい、これ、本当に夢、だろうか。
うまく思考がまとまらないし、体もなんだかだるい。何も考えないで眠ってしまいたい。
「聖女様、少しよろしいですか?」
置物だと思っていた部屋の隅で動かなかったピシッとした騎士みたいな格好の男の人がいつの間にか近くに立っていた。左手は胸に当て右手は腰の後ろあたりに置いて綺麗にお辞儀しながら聞いてきた。
この人の髪は薄い茶色、でも、私の周りにもこれくらいの色にしている人は普通にいたから他の髪色の人よりかは落ち着く。
「俺は聖女様の護衛になります。ルドヴィク・ドゥ・ハイゼンです」
名前、外人みたい。いや、外人で間違いないのか。顔は、彫りが深くしっかりとした輪郭の人だ。目の色が茶色に緑が混ざってるみたいな色でなんだか綺麗。
しばらく間が開く。あ、私に名前言ってほしいのかも。でも、なんだか名乗るのも面倒。そういえばこの人たち私を聖女様とか呼んでた気がする。私、そんな名前でもそんな職に就いた覚えもない。
「……ここはバウゼルーグルという国です。我が国は召喚の儀を行い、聖女様を召喚いたしました」
召喚、って、異世界に行っちゃう、あれのこと?
大体のお話ではもう帰れないよ、ね。主人公が誘拐だなんだって、騒ぐの。帰してって泣いて、それで、そのうち諦めちゃう。それで、その世界で仕方ないかって恋愛とかして馴染んでいく。
それのこと? だから、聖女様?
私はフラフラする体をどうにか動かしてベットから降りようとした。やっぱり体はうまく動かせなくて足にも力が入らず結局体が傾いで立とうとしたのにふらっとしてしまう。
「聖女様っ」
慌てた声が聞こえて、倒れるより前に支えられる。よく知りもしない男の人に至近距離で支えられて体が強ばる。
「大丈夫ですか?」
支えてくれるルドヴィクと名乗った人の顔を見ずに私は辿り着けそうにない窓へと目を向ける。
「……外をご覧になりたいのですか?」
ルドヴィクに問いかけられたが何も言えずにただ、窓から見える空が、青ではなく、緑色なことに呆然としてしまう。
「……失礼します」
ルドヴィクはそう囁くように言うと、ひょいと私を抱きかかえてきた。
あまりのことに驚いて身を固くする。ルドヴィクはそんな私を気にすることなく窓へと私の代わりに近付いてくれた。
そこから見える風景に震えた。空は何度見ても雲は白くても空そのものが緑、窓から見える庭園の植物は青々としていた。緑の若葉だからそう言うのではなく、本当に、植物の葉の色が青系統の色なのだ。
ここは私の知ってる世界じゃない。
多分もう帰ることができない。何故かはっきりとそう分かってしまった。
並行世界がどれくらいあるのか分からない。でも多分近い世界なら違いが分からないくらいの変化しかないんじゃないかと私は勝手に考えていた。だから、ファンタジーみたいな異世界なんて夢物語か本当にとても遠くにしかないのだと、生涯でそこにたどり着くことも生まれ変わってそんな世界に行くなんてこともただの空想でアニメやマンガの設定くらいにしか考えてなかった。
そんな遠くに拐われて、都合よく元の世界に戻れるなんて、そんな単純に考えることはできない。こぼれた水は元に戻せない。私も元の世界からこぼれてしまった。
「寒いのですか?」
ルドヴィクに問いかけられて自分が震えているのだと気が付いた。けれど、何も答える気にはなれない。
ルドヴィクは私が何も言わないことを責めることもせず、窓から離れ再び私をそっとベットへと戻してくれた。それと同時に黄色の髪の人が私に毛布を掛けてくれる。
「まだ、お顔の色が優れません。今日もまだゆっくりと休まれた方がいいと思います」
ルドヴィクはそう言うと、ベットの側から離れ置物みたいにいたさっきの位置へと戻っていった。
「聖女様、私は聖女様のお世話を任されたフラウ・キィゼ・ツゥルスです」
黄色の髪の人がそう自己紹介をしてきた。そうするともう1人のオレンジの髪の人も頭を下げてくる。
「私も聖女様付きになりました。レンナ・バナ・オーラスです」
考えが纏まらないまま2人を見る。私への嫌悪はないようで少しだけほっとする。けれど、本当にここにいる人たちを信じていいのか分からない。
私は多分今は大事にされてる。それがいつまで続くものなのか、自分がどうなってしまうのか分からない。考えている内に頭がズキズキとしてきて、ベットに潜る。
私はずっと健康優良児だった。何にも物怖じしないタチだったし、思ったことは結構スパスパ言ってしまうタイプだったはずだ。なのに、起きてからずっと気だるい。体にうまく力を入れられないし、何をするのもとても億劫に感じる。
考えたり行動するなら体調が戻ってからだ。今の状態じゃとてもじゃないけど何かを考える気にもなれない。それに、これは夢で次に目を覚ませばきっと自分の部屋のベットにいるはず。
そう思って眠った。
けれど、現実はどうやらこっちらしい。何度か眠って起きてを繰り返したけれど、私は相変わらずどこだかよく分からないだだっ広い部屋の天蓋付きベットで目が覚める。
その度にフラウとレンナは親身にお世話してくれる。何も話さず、されるがままの状態の私に嫌な顔1つ浮かべない。仕事に対してきっとこの2人は優秀なんだと思う。
私の体調はゆっくりとだけど回復の傾向があるように思う。気だるさも何もしたくないという億劫さも消えはしないけれど、確実に起きていられる時間は増えた。その間ずっとぼんやりとしているけれど。
そうやって過ごしてどれくらいの時間が経ったのか分からない。単調で穏やかに過ぎる時間に自分の体調のこと以外は安心し始めていた。
けれど、そう、私を呼ぶときの称号のような役割は私をそんな甘い世界にいることを許さないのだろう。
唐突に部屋の扉が開く。
今日はいつもよりも幾分か体も楽になってきた。それでも自分で歩こうとするとまだまだふらついて、結局はルドヴィクの手を借りて部屋にあるソファーへ座っていた。
そんな時に合図もなく扉が開き、フラウとレンナ、ルドヴィクにも緊張が走ったのが分かった。けれど、入ってきた人物を見て、フラウとレンナは頭を下げ、ルドヴィクも左手を胸に当て3人揃って壁際へと下がってしまう。
ソファーに残された私はどうすることもできず諦めてそのままでいた。入ってきた人物は無遠慮に私の隣へと勝手に腰かけた。
ここにいる人たちはもれなく髪色が派手なようで、この人も濃い赤色の髪に濃い緑の瞳だった。
「聖女様、大分お元気になられたようで安心しました」
優しげな雰囲気でそう言ってくるが、なんだかすごく胡散臭い。フラウたちの態度から多分物凄く偉い人なんだろうけれど、私は好きになれそうにはない。
「私の名はガルゼンハイト・フィス・バウゼルーグル」
最後だけどこかで聞いたことがあるような音だ。けれど、なんだったか。
「この国の王太子だ」
それを聞いて物凄く気分が沈んだ。予想ができていなかった訳じゃない。
私を呼ぶときの称号は聖女様だ。それにこの部屋は立派すぎる。しかも召喚したと言っていた。そんなこと国が知らないはずがない。
多分、今までは起き上がるのもままならなかったから私が見知った人だけを配置していたに違いない。
「ふむ、報告の通りか。言葉が通じていないな」
名前、長くて覚えられなかったから、コイツは王子でいいや。
どこか甘やかさを残した表情を浮かべながらも言葉を飾る気はなくなったらしい王子が私のロングの黒髪を一房そっと手で掬う。
「今度、おまえのお披露目をする。多くの者の前で力を示してみせろ」
表情と言っている内容が一致しないという器用なことをやってのけるこの王子はやはり胡散臭いヤツで正解だ。私に何の力があるか知らないが、利用する気しかないのは今の一言と一致しない甘い表情で分かった。
大方ここまで私が何も話さなかったから言葉が分からないと勘違いしているらしい。
それならそれでいい。言葉が分からないと思ってもらった方が都合いいかもしれない。今まで本当に億劫で話すことをしなかったけれど、このまま話せない人という設定でいこう。
謎の体調不良でぼんやりしてしまうから、今まで話しかけられてもうまく反応できなかったのも私が言葉を理解していないという解釈に繋がったんだろう。
視界の端で何故かルドヴィクの体が一瞬揺れた気がした。壁際で立っている時は、本当に置物みたいに少しも動かないのに。
「それと、まだ歩けないんだったか。まぁ、それはどうとでも言い訳を付けられる、か。まだ幼くはありそうだが、まぁ、構わない。披露目の場で妃に迎える発表もする」
は? 勝手に決められてるし。逃げようにも今の状態じゃままならない。
聖女が召喚されて王子の婚約者になるってここまで完全にテンプレだ。どこの世界も考えることそれしかないのか。もっと違う展開用意してほしい。大体16で婚約とか、いない訳じゃないだろうけど、私の周りには1人もいなかった。あー、もう帰りたい。
思考はぐるぐる回るけれど、相変わらず体は億劫で表情も口も動かない。髪を触られるのも今や不快感でいっぱいだけれど振り払うだけの力すら出ない。
「ふっ、閨をするのはまだ無理かもしれぬが味見くらいは可能かもな? 異世界人で聖女様なら違う味かもしれないしな?」
キモチワル。本気でキモチワルイ。顔はいいんだろうけど人間性を受け付けないだけで最低最悪まで気持ち悪く感じる。しかもこの台詞吐いている間もさっきまでと同じで甘くて優しい雰囲気は崩さないんだから尚更だ。
「今日はここまでだ。では、また来る」
2度と来るな、変態。頭の中だけで悪態をつくけれど、それが表情にも態度にも反映されない。
最後に変態は弄ってた髪にちゅっとしやがった。
もう無理、気持ち悪い。本気で。
扉から変態野郎が出ていくと、今まで黙って壁際に控えていた3人が一斉に寄ってきた。
「聖女様、申し訳ありません、殿下の訪れがあるなど聞いておらず、突然のことに驚かれましたよね」
多分、驚いたのはフラウたちの方なのかもしれない。その証拠にいつも気遣わしげだけどテキパキ動くフラウもレンナも今や顔色が悪い。
「顔色が優れません。今日はもうベットへ戻りましょう。騎士様お願いしてもいいでしょうか」
フラウとレンナの気遣いは嬉しいけれど、出来ることならアレが触ってた髪を消毒して欲しい。
「失礼します」
近くに来ていたルドヴィクに優しく抱えられる。歩くことが何故かうまくいかないせいでこうやってルドヴィクに抱えられることに少し慣れてきてしまった。さっきの変態王子もルドヴィクを見習ってほしい。同じように触られるにしても下心を感じないルドヴィクの方が断然いい。ルドヴィクは乱暴にはしないし、いつもこちらへの気遣いに溢れてるのがよく分かる。それにちゃんと私に触る前は必ず一声かけてくれる。
そっとベットへ戻されながら、これからの未来を考えると絶望という言葉が浮かんできた。