Side 私 8
食事を終えると、私とルドヴィクは簡単に行動方針を決めて泉から繋がる川を下ってみることにした。
古今東西、川沿いに文明は発達するものだ。多分、この世界もそうだろうということになった。
泉の周りは安全そうではあったけれど、文化的な暮らしは期待できない。まずはこの世界のことを知っている人に会うところからだ。
なるべく川に近くて歩きやすいところを選んでいるけれど、人が殆ど立ち入らないらしく、道らしきものはない。
ここに1人で放り出される予定だったかと思うと少しゾッとする。いくら鑑定や生活魔法があっても乗り切れなかった。
あの声はこの世界基準で考えてこれだけで生き延びられると考えたんだろうけど、あまり外で活動しない現代っ子はそんなに強くない。
「あ、ルドヴィク、あのキノコ食べられる」
私が指差すと、ルドヴィクは歩みを止めた。
「一見すると分かりませんが、その力は便利ですね。飢える心配はなさそうです」
そう言いながら2人でキノコを集めてから、私が浄化する。自然な物はいいけれど、雑菌とか虫とかがやっぱり怖い。
「なんか、カゴとか袋があるといいよね」
ルドヴィクがマントを風呂敷のようにして使えそうな物や食べらる物をまとめて持ってくれている。
「そうですね。一応ツタのような物も集めましょう」
「ルドヴィク、カバンとか作れたりするの?」
ルドヴィクならできそうだなと思ったけれど、当のルドヴィクは申し訳なさそうな顔になっていた。
「……すみません、不器用なもので、できるかは分からないんです」
「そうだよね、なんかルドヴィクってずっと落ち着いてるから何でもできちゃいそうだけどね」
その様子が少し面白くてクスクス笑ってしまう。
「エミカは笑っていた方がいいですね」
そういうルドヴィクの表情は柔らかくて一瞬だけ見惚れてしまった。
「え?」
「何でもありません。足下気をつけてください」
「えっ、わっ」
注意された時には遅くて、大きめの石に躓いて転びそうになったところを、ルドヴィクに軽々と支えられる。
「……大丈夫ですか? 怪我はしていませんね?」
「うん」
私を支えているルドヴィクからほっと息が吐き出されたけれど、その腕は緊張しているようでもあった。
「エミカ、気付いているかもしれませんが、俺の前で、俺の前以外も無理でしょうが、怪我だけはしないでください」
「……そ、それって」
私はゴクリと喉を鳴らしてしまう。
「俺はエミカを尊重したいし、守りたいと思っているのは本当です。ですが、エミカが怪我をしてしまった時に俺は自分をどこまで抑えられるか自信がありません」
それって、ルドヴィクの吸血鬼としての衝動のこと指してるよね?
私は未だに離してくれそうにないルドヴィクを恐々と見上げた。
その顔はルドヴィクの世界で何度か見たことのある苦悩しているような顔だった。
「ルドヴィク、気を付けるから」
なんだか、種族が違うというのを改めて感じた。そもそも生まれた世界も違うのだから、常識とか感覚も違うのだろう。
だけど、こうやって近くで見ている限り喜怒哀楽という感情は変わらないように思える。
「そうしてもらえると助かります」
そう言って、ルドヴィクは私を支えていた腕からは解放してくれたけれど、代わりに手を繋がれてしまった。
足下が悪いから転ばないように気を遣ってくれているんだろうけど、私とルドヴィクは背の高さが違いすぎる。頭2つ分はルドヴィクの方が大きい。
こうやって手を繋がれていると、自分が子どもみたいな感じがしてくる。ルドヴィクは完全に保護者っぽいし。年齢から考えてもルドヴィクにしてみれば私なんて赤子みたいなものじゃないだろうか。
過保護になる理由は分からなくもない。そもそも自分で何もできない私をずっと介護みたいに世話してた1人だ。その延長もあると思うし、それだけでなく、今は命の共有者だ。見捨てられるはずもない。
しかも、ルドヴィクにとってどうやらかなりの忌避感のある血を欲する衝動。私にしか感じない縛り付き。かすり傷1つ付けられない私は軽装で森の中。私、ルドヴィクにとって爆弾みたいじゃない?
とにかく、私のためにも怪我だけは気を付けよう。そう決意してしっかりと足下や周りに気を付けながら歩いていると、絶望的な景色に呆然とする。
「……川が、地下に落ちていますね」
私はルドヴィクの言葉に答える余裕がない。
とりあえず希望を持っていた川を下る作戦だけど、私もこんな風景は想像していなかった。
遠くから見ていた時は、川を遮るように岩がむき出しているなと思っていたけれど、近付くにつれ信じられないことになっていた。岩に小さな洞窟の入口があり、川の水はそこへ流れ落ちていっているのだ。
ちなみに洞窟の入口は高さがなく、背の低い私の半分ほどもない。
ルドヴィクが私を置いて見える範囲内を少し探索して戻ってきた。
「岩の向こう側が見えるかと思って見てきましたが、川は続いてはいませんてした。さすがに洞窟は危険なので入れません」
「私も洞窟に入ろうとは思わないよ。ここからどうしよう」
「岩の向こうまで回り込んで出られれば獣道らしきものが一応ありました」
「獣!」
野生の獣とか怖すぎる。異世界あるあるのモフモフ聖獣様の道とか、そういう優しい世界ならいいけれど、期待はできない。
しかも、今までの川の近くと違ってなんとなくその向こうはより一層森が鬱蒼としていて怖い感じがする。
「今日はこの辺りで野営にしましょう。陽のあるうちにもう少し食材集めや、体を休めるのに最適な場所を確保した方がいいですから」
ルドヴィクは私を気遣ってかそう提案してくれた。私も頷く。
「そうだね、そうしよう」
まずは体を休ませられそうな場所を探す。この辺りは大きな岩がゴロゴロとしていた。あまり高くない岩山がこの場所と向こうの森の境界線のようにすら感じた。
2人で見て回っていると、岩山に小さな洞穴が開いている所を見つけた。
ルドヴィクが中を確認している後ろから私もそっとその場所を覗き込む。
洞穴は入口は狭めだけど、中は人が4人くらいなら寝転がれそうな広さがあった。別の生き物が使っていた形跡もない。
「今日はここで休みましょう」
ルドヴィクがそう言うので私は頷いて、その場所に浄化をかけた。
ルドヴィクはそんな私を複雑そうな目で見てきた。
「どうかした?」
「……体は大丈夫なのかと思いまして」
心配される理由が分からずに首を傾げた。
「今日は無理して歩いたりしてないし、怪我もしてないよ」
「そうではなく、その力をだいぶ使っているように感じたので」
言われてから気付く。そういえばずっと鑑定は使っていたし、浄化もちょこちょこ使っていた。けれどこれくらいでは少しも疲れない。
「もしかして魔法使ってるから? それなら、なんだか呼吸をするのとそこまで変わらない感覚で使えるんだよね」
答えると、ルドヴィクは少し考えるような顔をした。
「何か気になるの?」
「いえ、エミカが大丈夫ならばいいのです。食べ物をもう少し確保しにいきましょう」
ルドヴィクに自然に手を取られて近くを回る。岩の多い場所から少し離れると森が広がっていたので、薪になりそうな枝や食べられそうな木の実を中心に集めた。途中で川にも寄り魚がいないかと2人で見てみたけれど魚影は見つけられなかった。そういえば森にも生き物の気配がなかったことを思い出した。
「ねぇ、ルドヴィク。私の勘違いかもしれないんだけど、穏やかな感じがするけど、この森って他に生き物いない気がしない?」
「そうですね。俺の予想になりますが、あの泉から川の周辺は聖域のようなものなのではないかと考えています」
「そうなの?」
「俺の世界での話になりますが、こういう聖域には殆ど生き物は立ち入れませんでした。俺たちもここを出たらもうこの場所には入れなくなると思っています」
ルドヴィクの言葉に驚くと同時に納得もしてしまう。
「この岩山ってもしかして境界線?」
そこまで高くはないけれど、こちら側とあちら側を明確に分けるかのように岩山はある。
「恐らくは。岩の向こうを少し見ましたが雰囲気が変わります。ずっとはここには留まれないとは思いますが、この場所から出るには準備が必要になると思います」
「そう。町とかが見えれば良かったんだけど。ルドヴィクはどうしてここにもう戻れないって思うの?」
「エミカはこの世界の神に受け入れられましたが、この先は関わらないと言われています。俺はそもそも歓迎されていません。そんな者たちを再びこの聖域は受け入れてはくれないと思うのです」
「ルドヴィクはここが聖域だって言うけど、どうしてそう思うの?」
「ここは俺の世界にあった祈りの泉に似た感じがあります。そもそも祈りの泉からここにあった泉へ出ました。きっと性質が近いのでこちらの世界に来れたのではないかと思っています。そうなると、この場所も聖なる地、聖域だろうと思いました」
ルドヴィクは色々と考えているし、置かれている状況も分析できている。私は質問や疑問ばかりを口にしているだけだ。やっぱり私1人でここに放り出されて無事で済んだとは思えない。
「ルドヴィクには悪いけど、私、1人じゃなくて良かったって思う」
「俺もエミカと離れなくて良かったと思います。エミカを1人にせずにすんでほっとしています」
ルドヴィクは優しい顔でそう返してくる。なんだか安心するんだよね、ルドヴィクの近くは。甘えちゃダメだとは思ってるんだけど、この世界に慣れるまでは多分、何度も頼ってしまう。
自分の不甲斐なさから目線を外した先に白くてふわふわした植物を見つけた。
『鑑定しますか』
いつも通り頭に音が流れてきたので、頭ではいと答えると、この植物はフワコトンという名前だと分かった。食べるのには向いていないそうだ。見れば分かるよ。
何かの役に立ちそうだなと見ていると、今までは流れてこなかった情報も出てきた。
「ルドヴィク、このフワコトン役に立つかも」
「この、綿のようなものですか?」
「うん。私の世界では多分、綿花って言うんだと思うんだよね。本物は見たことなかったけど、こんなには大きくなかったと思うし」
近付いて手に取ってみたフワコトンという名の綿花は1つで私の両手くらいの大きさがあった。
ここから糸や布が作れればカバンとかも作れるかもしれない。幸い、糸にするまでのざっくりとした工程は鑑定で聞いた。それだけでどうにかなるほど甘くはないと思うけれど、やれるだけやってみてもいいんじゃないかと思えた。
「本物は見たことないのに、分かるものなのですか?」
「写真とか動画では見たことあるんだよ」
「シャシン? ドウガ?」
「あぁ、そういえばルドヴィクの世界には無さそうだったね。写真っていうのは風景とか、人とかを私たちが見えてるまま絵にしたような感じね。動画はそれが動いてるの」
「はい?」
ルドヴィクは想像つかなかったのかキョトンとしたような顔になる。その表情が珍しくて思わず笑ってしまった。
「ふふっ」
思わず笑ってしまうとルドヴィクもつられたように笑顔になる。
「そんなにおかしな顔になっていましたか?」
「ルドヴィクのそういう顔見たことなかったもの。いつもしかめっ面か心配そうな顔ばかりだったし。笑ったのも油断したような顔もここに来るまでは見たことなかったもの」
私はルドヴィクの顔はそれしかできないのかもしれないとまで思っていた。でも、よく考えてみればルドヴィクはあの時仕事中だったのだ。そんな時にこんな顔にはきっとなれない。
「確かにそうだったかもしれませんね。俺もエミカがこんな風に笑えることを知りませんでしたから」
ルドヴィクはそう言いながら私の頬をふわりと撫でた。私はびっくりしてルドヴィクを見上げる。その顔が嬉しそうで、どうしていいのか分からなくなってしまう。
「……今日はこの綿をたくさん摘んで戻りましょうか」
ルドヴィクがそう言うので私は頷いて、それから黙々とフワコトンを集めた。なんでか分からないけれど、なんとなく気まずくてルドヴィクの方を見れなくなっていた。