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Side 騎士 6


 

 不穏な気配の正体を探るべく辺りを見回した途端に、突風と共に彼女が急速に遠ざかる。

 

 瞬間的に追いかけるが彼女を連れ去った賊はどうやら風の能力が高いらしい。風使いは足だけは速い。ぐんぐんと距離が開いてしまう。

 

 奪われてなるものか、奪われてしまうぐらいなら……

 

 彼女の何が起きたのか分かっていない顔が遠ざかる。彼女はまだ回復しきっていない。そんなに乱暴に扱っていい方ではない。

 

 

 追いかけはするものの、とうとう目視できない距離まで離れてしまう。絶望と怒りと焦燥に駆られ気が狂いそうになった時、唐突にどんっという音と共に光の柱が立った。

 

 何かが起こったのは確実だ。それが、彼女にとっての危険なことでないことを祈りながら、その場所へと急ぐ。

 

 そして、たどり着いた場所には光る繭のような物とそれに下敷きにされて気を失っている風使いの賊がいた。

 

 繭に近付いてみると中がうっすらと透けて見え、その中心で彼女が丸くなって眠っていた。

 繭を持っていた剣で切ろうとしたが、その剣は繭に弾かれてしまう。手で引きちぎろうとしてもびくともしない。

 呼び掛けようとして……

 

「……っ」

 

 彼女の名前を知らない。彼女は俺たちの言葉を理解している。文字だって読めるし、それを通して意思の疎通さえできるはずなのだ。

 

 彼女のそばにはいつもそれとなく本を用意してある。フラウは何度か本を見ますか、と開いてまでいる。けれどいつも本を眺めはしても、指は文字を辿らない。見えるところにペンも紙も置いてみた。けれど、彼女はあれ以来1度も意思を示してはくれない。

 

 それは彼女の抵抗なのかもしれない。されるがまま、流されるままの彼女に唯一できる抵抗で、遠くの世界から彼女を連れ去ってしまった俺たちへの罰なのだ。

 

「聖女様っ!」

 

 結局は彼女にとって意味のない、この世界で唯一の彼女に呼び掛けられる、望まない彼女に与えられた役職で声をかけることしかできない。

 

 追い付いてきた他の騎士たちも幻想的な光る繭に呆然とする。そして、こうなってしまった原因の賊へと冷えきった目を誰もが向けた。

 

 

 

 光る繭は壊すことはできなかったが、馬車で運ぶことはできた。彼女が繭から出てくることはなく、次の目的地だったタガラルル神殿には予定よりも早く着いた。

 

 神殿に着いてからも彼女は繭からは出てこなかった。


 神殿の奥の間で彼女の繭は動かされることなくもうすぐ1年も経とうとしている。

 

 とっくに賊の後ろに誰がいるのかは突き止められている。その仕事をしたのは俺たちではないが、そこまで予想を外れた人物ではなかった。

 

 聖女に手を出そうと考える愚か者は、王しかいない。王は自分は何をしても許されると思っていた節がある。何人も悪食の犠牲にしようと今までは疑わしくも証拠が不十分だった。けれど、今回は王の失脚と断罪を望む王太子が巧みに張った罠にかかった。

 

 王太子は王が毛色の違う聖女の血を必ず欲すると考えていたのかもしれない。

 王は、王の代わりはいるが、聖女の代わりはいないという事実に気が付かなかった。己の欲のまま、手を出してはいけない逆鱗に触れた。

 今は貴族だけでなく民衆にも聖女への感謝と尊敬は広がっている。自分を犠牲にしながらもこの国のために尽くす聖女を崇める者までいるという。

 その聖女に危害を加えて何も起こらないはずがない。似たようなことを画策していたらしい第2王子もそれを暴かれ王と運命を共にした。

 

 2人はそれは念入りに無惨に処刑されたと聞く。

 

 これにより王太子は王となり、聖女は第2王妃となった。

 

 そんなことをしたところで彼女は繭からは出てこない。まるでこの世界を拒否するように。

 

 

 

「今、何と言いましたか?」

 

 目の前に座るタガラルル神殿長を睨み付ける。神殿長はそんな俺をあしらうかのように不敵に笑って見せた。

 

「ですから、聖女様の繭を祈りの泉へとお入れすればいいのではないかと言いました」

 

「それでもしも聖女様に何かあったらどうするおつもりだ?」

 

「私の見立てでは聖女様を覆うあの繭こそ聖なる力そのもの。祈りの泉へ入っていただけばあの繭から聖女様をお出しすることも可能ということです」

 

「しかし、聖女様が繭に籠られたのはこの世界を拒否されているからだ。それを無理矢理お出しすることがいいこととは思えない」

 

「公表は控えていますが、聖女様が繭をお作りになったのと同時に順調に循環しはじめていた聖なる力が弱くなりました。これは由々しき問題です」

 

「それと、聖女様は無関係なはずです」

 

「ルドヴィク殿と話していても埒があきませんな。隊長殿はどのようにお考えか」

 

 神殿長は同席していたジアルへと目を向けた。

 

「神殿長の仰ることも一理あるかと思いますが、我らとしては聖女様には今はゆっくりとお休みいただきたいと考えています。あまりにも聖女様には過酷な日々でしたから」

 

 彼女と共に旅をしてきた隊の意見は既に一致していた。つまり、彼女の意思を尊重する、と。

 おそらく、旅を始めた直後ならば意見は割れたはずだ。しかし、旅をはじめてもう大分経つ。その間彼女と直接話せずとも姿は見てきた。その状態で彼女が持つ、庇護しなければならないと思わせる性質の影響を受けないでいられた者はいない。

 

 隊の誰もが彼女が繭に閉じ籠ってしまった切っ掛けを悔いている。

 そして、隊の誰もが彼女に危害を加えるような者など存在しないと錯覚するほどに彼女の信奉者にいつの間にかなってしまっていた。

 

 彼女の特性とも言えるこの事に気が付いていたのに、このザマだ。守ると言ったところで実現できなければ意味がない。彼女に信頼されないのも当然だろう。

 

「隊長殿、よく考えてみてくだされ」

 

「よく考えた末での意見です。聖女様には休息が必要なのです」


「何を言っておられるか、あの繭こそ聖女様から生きるお力を奪っているとは考えないのか」

 

 あの繭は俺たちには彼女を守っているように見えていた。神殿長にはそう見えないということか、それとも単に強い聖なる力を泉に取り込ませたいだけなのか。

 もしも、神殿長の言っていることの方が合っていた場合、彼女は今、危険だということになる。

 

「1度下がらせてもらいます。今一度聖女様のご様子を確認し、隊の中でも協議を持たなければなりませんので」

 

 ジアルがそう言って席を立つ。俺もそれに続いた。

 

 

 

「どう思いますか?」

 

 彼女の元へと向かいながらジアルに訊ねた。

 

「神殿長は俺たちには感じられない聖なる力の流れを感じることができる。無碍にできる話ではない」

 

「ですが、早く聖なる力を得たいと考えての嘘かもしれません」

 

「それも、分かっている」

 

 ジアルが不意に立ち止まる。

 

「……聖女様は、俺たちに何かしていたと思うか?」

 

 ジアルの言うことはよく理解できる。彼女が召喚された直後と今では、彼女に対して抱える感情は違うはずだ。

 

「どうしてそう思うのですか?」

 

「お前が殿下に飛び掛かろうとした時の気持ちなど理解できないと思っていたが、今ではあの時のお前の心持ちが理解できてしまう」

 

「何を置いても聖女様をお守りしなければならない、あわよくば、聖女様の特別になり、お側から離れたくないという気持ちですか?」

 

「……そうだ。笑うか?」

 

「いいえ」

 

 笑えるはずがない。それは抗いようのないことだ。

 

「だが、同時におかしいとも感じてしまう。妻や子どもに対してこんな感情は持ったことがない。狂人になったのでは、と恐ろしくなることもある」

 

 ジアルは家族思いだ。隊の中では厳めしい顔つきをしているが、奥方の前では同一人物だとは思えないほどの全く違う甘ったるい空気を垂れ流す。

 

 彼女へ抱く感情はそれとは質が異なると言いたいのだろう。この国に限らず世界中が恐れる本能の奥底に沈めてあるはずの忌むべき感情を引き起こされそうになる、と言っている。前王はそれに負け溺れたからこそ断罪された。

 それは、何度も苦しいほどに感じてきた。

 

 確かにそれは狂人と言ってしまってもいいほどのことだろう。

 

「……狂人、ですか」

 

「……俺は、聖女様をあの繭からお出しするべきではないと思っている」

 

 ジアルの言葉に息が詰まりそうになる。

 

 よく理解できる。今はまだ見てとれる問題は隊の中では起こっていない。けれど、彼女を連れ去られかけた今の隊では繭から出てきた彼女に今まで通りではいられなくなる者も出るかもしれない。

 蛮行に及ぶ可能性は内側ほどある状態ともいえる。

 

「……それは、言いたいことは理解しますが、俺は」

 

 それでも、繭から出てきた彼女に会いたいと思ってしまう。

 

「聖女様は我らとは違う」

 

 ジアルの言葉に固まる。俺たち、ではなく、我ら。

 

「どういう意味ですか?」

 

「種族そのものが違うのではないかと、そう思うことがある」

 

「見た目は同じではありませんか」

 

 否定してみてもジアルは既に確信しているように顔を暗くさせた。

 

「そうだろうか。髪も目のお色も太古の昔に滅んだ者たちに近い。聖女様は、純粋な人族に近い存在ではないか?」

 

 ひゅっと喉が鳴った。考えないようにしていたのだ、彼女が何者なのか、など。

 

 信憑性の低い、存在していたかも怪しいとまでいわれている人族。あまりにも甘美すぎて、絶滅するまで捕食されてしまった存在。狂人の妄想で語られたとまで言われているのだ。

 

「それは、存在したかもしれないという話で、まさか、本当にいたとは誰も考えてはいないでしょう」

 

「聖女様は異なる世界よりお出でになられた方。我等のような忌むべき吸血種ではないのだろう。今は存在しない、我らに捕食されてしまう者だ」

 

「俺たちは、そんな蛮族のような悪食はしない」

 

「ならば、この異常な渇望をなんだと思う?」

 

 渇望、何をとは聞けなかった。自分も感じたことのあるそれを誰もが彼女に感じている。そうではないかと疑ってはいても誰もがそれを言葉にすることを忌み嫌い行動してはいない。けれど、ここではじめて恐ろしいと思った。箍の外れた獣は、理性でどこまで抑えられるものなのか。

 

「隊長殿、た、大変です!」

 

 先ほど話をしていた神殿長が真っ青な顔で走ってきた。さっきまでの落ち着き払いこちらを丸め込もうとまでしていた姿はない。ひどく取り乱していた。

 

「し、神託が、神の声が、おりたのですっ! 聖女様を一刻も早く祈りの泉へお入れするように、と!」

 

「まさかっ?!」

 

「し、真実です。神は見ておられたのだ!」

 

 神殿長は陶酔するように祈りの姿勢をとる。その様子は嘘を言っているようには全く見えない。これが演技ならたいしたものだ。

 

 そこからはあっという間だった。神託が降ったのが本当か否かは分からないが、神殿長だけでなく、神官や祈り女までもが同じことを聞いたと言い、彼女の繭を取り囲む護衛に口々に訴える。

 さすがに彼女を守ることを最優先に考える彼らにしてみても、神託通りにするのが彼女のためだと感じてしまえば、もうその流れにしかならない。

 

 静止を叫んだところでもう意味はなかった。彼女の繭は幾人もの手によって丁重に運ばれる。どうにか彼女の側に陣取るが、この人数を振り切るのはもはや不可能だった。ならば何が起こるのか分からないながらも一番側にいたい。

 

 祈りの泉には神殿の者だけでなく参拝に訪れていたであろう一般人までいて、人がひしめきあっていた。

 

 彼女の繭を目にすると誰ともなく神への祈りの祝詞を口にする。祈りの泉の縁へ辿り着く頃にはあの召喚の儀の時のように祝詞がうわんうわんと辺りに響き渡る。あの時と唱えられている祝詞の内容は違うとはいえ、あの時の再現のようで舌打ちしたくなる。

 

 その中で、彼女の繭がゆっくりと泉へと浸けられる。その瞬間、今までと比べようもないほどの光が辺りを包み、繭が溶けるように消えていく。

 

 彼女は守りを失いそのまま、泉へと落ちていく。それを寸前で抱き留めるが、今まで以上に彼女は泉の中へと浸かってしまう。そこからもまた再び光が溢れ、意識も視界も白一色に侵食された。


 

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