Side 騎士 1
魔法士と賢者、神官たちの唱える呪文が祭壇のある大広間の中、朗々と響き渡っている。
その音が反響して今やうわんうわんと大広間が鳴き声とも悲鳴ともつかない音を上げているようにも感じられる。
神殿騎士としてこの奇跡の場に居合わせられるその幸運に身の内が震える。
今は召喚の儀の真っ只中。
前回召喚が行われた形跡があるのが今から5800年ほど前だというのだから成功するかは未知数だと言われている。
召喚そのものが今では伝説のような扱いで、召喚されるモノは莫大な聖なる力を秘めているとも伝わっている。
瘴気があちこちから吹き出し人の住める地が少しずつ削られている我が国において、浄化の源になる聖なる力は喉から手が出るほどほしい。そして、他国よりも強い力を今持たなければこの国に未来は見えない。
そう力説し、このために魔力を多く集め、失われつつあった魔方陣を復活させ、人を集め資金を使って、反対勢力の第2王子派を抑え、今日のこの日のために王太子殿下は尽力してきた。
神殿は中立と言いつつもやはり改革の意識の強い第2王子殿下よりも王太子の派閥に近い。そして、今の神官長はどうも王太子殿下に逆らうということをしようとはしない。神殿としても聖なる力の召喚に成功すれば浄化の力の強化ができ瘴気を抑える力も増す。旨味は大きい。
大広間は今や呪文の大音響に支配され、音の圧力で立っているのも辛くなりはじめていた。
不意に今まで響き渡っていた呪文が終わり一瞬静寂に包まれたと同時に魔方陣の中心に太陽が生まれたかのような光が発生し、ゆっくりとその光が終息していく。
突然の光の奔流が終わり、目のチカチカとした感覚が遠退くと、魔方陣の中心には見たことのない服を纏った黒髪の少女が呆然とした様子で立っていた。
その出来事に誰一人として声を出せずに立ち尽くす。
「ちっ、まだ子どもじゃないか。仕方ない」
誰よりも早く正気に戻ったのは一番後ろでこの様子を見ていた王太子殿下だったのだろう。そのすぐ近くで控えていた俺にしかこの声は聞こえなかったかもしれない。
王太子殿下は誰も動こうとしない中、魔方陣の中心に向かって歩きはじめる。慌ててその後をついていく。神殿騎士として今は殿下の護衛中だ。魔方陣の中心にいるのは戸惑いばかりを浮かべる少女1人だが伝承の通りなら彼女こそが聖なる力だ。何が起こるのか分からない。
殿下は少女の前に辿り着くと片膝を付いて左手を胸に当て右手を少女へと伸ばす。それは男性から女性へ向けての正式な求婚の作法。
「ようこそ、いらっしゃってくださいました、聖女様」
声をかけられた少女の瞳が大きく見開かれ、そのままゆっくりと周囲を見渡し数歩後ずさると唐突に意識を手放すように倒れた。
殿下はそんな少女を一瞥して神官長を呼ぶ。
「神官長、どういうことだ?」
「恐らく、召喚による負担で意識を失ったのだと思われます。ゆっくりと休ませれば時期に目を覚ますと思われます」
「そうか。おい、おまえ聖女を部屋まで運んでやれ」
近くにいたためか殿下から命が下された。俺は殿下に一礼すると、少女を運ぶべく抱きかかえ予め用意されていたらしい部屋へ城の者の案内で急ぐ。
少女はあまりにも軽く心配になるほどだった。ほどなくして部屋へ着くと、部屋付きの侍女が慌てたように扉を開く。その部屋にあるベットへとそっと少女を横たえさせ一息つく。
「ルドヴィク、おまえはこのまま聖女様の護衛に付け」
一緒に来ていた神殿騎士団長のキールッシュに言われ頷く。
「何もないとは思うが目を離すなよ」
「それは部屋の中で護衛しろということでしょうか?」
護衛対象が眠っているような場合は扉の外で控えるのが常だ。
「今回は、事情が事情だ。何か起こってからでは遅いからな。侍女の方もくれぐれと頼んだぞ」
それだけ言いおくとキールッシュは慌ただしく部屋から出ていった。
部屋に残された侍女は不安そうな顔を浮かべながらも少女の世話をするべく動き始めた。
俺は部屋の端、少女が見える位置で護衛をすることにした。
それにしても、まさかこんな年端のいかない少女を召喚するとは思ってもいなかった。これは推測だが、少女は恐らく13か15まではいかないくらいではないだろうか。
神秘的な黒髪の少女。驚きで大きく見開かれた瞳も黒だった。そんな色合いを持つ者はこの世界に恐らくいないだろう。持ち得る力が強ければ強いほど髪色と瞳の色は濃くなる。髪だけであれば一部だけ黒髪の者はいたこともあるらしいが、瞳まで黒の者は聞いたことがない。
つまり、召喚は成功し、彼女こそが聖なる力を持つ者で間違いない。
しかし、自分は召喚すると聞いた時から、自分達と変わらない姿の者が来るなんて考えてはいなかった。もっと神々しい、聖なる力を秘めた何かしらの、獣のようなものを想像していた。自分達とは全く異なる、異種族のようなモノが来る、と何故か勝手に思っていた。
これは、どう捉えればいいのだろう。今回の召喚は本当に行わなければならないものだったのだろうか。
この部屋は、そういえば女性の部屋という雰囲気に纏められている気がする。それに、殿下のあの態度と求婚の作法。そして、すぐに聖女様と呼び掛けた。
それらを繋ぎ合わせれば、知っていたのだ。少なくても上層部、いや王太子は、女性が来ると知っていた。
「あ、あの、騎士様」
1人の侍女に声をかけられ意識をそちらに向けた。
「その、お召し変えいたしますので、あの」
彼女が言いたいことは分かったが、部屋から出るわけにはいかない。目も離すなと言われているのだが、着替えを見るわけにもいかない。
「申し訳ありませんが俺は今部屋から出るわけにはいきません。俺は目を逸らしていますので、なるべく負担をかけないよう手早くお願いします」
無茶なことを言っている自覚はあるが、これ以上はこちらも譲れない。
「……分かりました」
侍女は渋い顔をしながらも了承して少女の方へ向かう。
しばらくすると先程の侍女が再び声をかけてきた。
「終わりました」
俺はそれに頷き、再び少女へと目線を向ける。意識はないが、顔色はそれほど悪くはない。呼吸も安定している。一先ずは大丈夫そうだと一息つく。
そうこうしている内に日も暮れ、侍女がランプに灯りを灯した頃、部屋の外が騒がしくなり唐突に部屋の扉が開けられた。身構えたが入ってきた人を見て一礼をした。侍女たちも一斉に頭を下げる。
「まだ、目を覚ましていないのか」
王太子殿下はベットで眠る少女を見てため息をつく。
「殿下、ですからまだ無理はさせない方が...…」
一緒にやって来ていたキールッシュが意見を述べようとするのを目線だけで黙らせる。
「それで? 力を示さなければ聖女自身の立場が悪くなるだけだ。おい、おまえ聖女を連れて付いてこい」
言われた意味を理解はできるが少女はまだ目も覚ましていない。それなのに、一体どこに連れ出す気なのか。しかし、王太子殿下に逆らうのがよくないことなのは分かる。
心配そうな表情を浮かべる侍女を横目に言われた通り少女をそっと抱え上げる。部屋を出ていこうとしている王太子殿下の後ろを少女の負担にならないようになるべくそっと歩きながら付いていく。
王太子殿下の行き先は神殿にある祈りの間だった。辿り着いた場所が場所だけに嫌な予感がした。
「祈りの泉に聖女を連れて入れ」
告げられた命令に目眩を起こしそうになる。
祈りの泉は浸かるだけで聖なる力を引き出し、そして泉の上に浮かぶ水晶球にその聖なる力を貯めていく。
泉に入れるのは神殿で祝福を受けた者だけだ。一応神殿騎士になった時に祝福は受けたため、自分が泉に入ることに問題はない。
けれど、泉に入れば力がごっそりと抜ける感覚を味わうことになる。勿論意識がない者を泉に入れるなど言語道断だ。
「で、殿下さすがにそれは無謀です」
神官長が慌てた声をあげるが、王太子殿下は聞く気はないようだ。
「仕方がないだろう。聖女を召喚するためにどれだけの力を失ったと思っているんだ。早く補充しなければ不味いことは分かっているだろう。伝承の通りならこれくらいで潰れることはないはずだ」
「し、しかし、聖女様は祝福を受けてはおりませぬ」
「それも問題はないだろう。神がこの国に授けてくれたお方だ。この地に来た時に既に誰よりも強い祝福を受けていることだろう。早くしろ」
あまりの言い分にどうしていいのか分からなくなる。いずれ泉に入るにしても、今でなくてもいいのではないだろうか。
「アレの謹慎が解ける前に聖女に手出しできないほど立場を固めておく必要がある。分かるだろう? アレが暴走すれば何をしでかすか分からない。最悪、聖女は生きていられないだろう」
息が止まりそうになる。何を言っているのだろう、少女を召喚したのはこちらの都合だったはずだ。それなのに、命が脅かされるなどあってはならないはずだ。
「勿論、私はそんなことさせる気はないが、アレは周りが見えなくなることがあるからな、何が起こるか分からないぞ。だから、聖女が自分の有用性を早急に示す必要がある。それがいずれは聖女自身のためだ」
詭弁だ。そう思うのに王太子殿下に逆らう術は俺にない。救いを求めるように見た神官長は顔を青ざめさせたまま俺から目を逸らした。
「分かったら、言われた通りにしろ」
何もできない無力な自分に唇を噛む。それを見られないように深く頭を下げ、少女を抱えたまま泉の中へと進む。途端に体から力が抜けはじめる。
「すまない」
謝って許されることではない。けれど、泉の中では立ち上がることすら困難なことになる。なるべく、少女が触れる泉の水を僅かにするために少女の足先だけを水に触れさせる。
途端に少女が泉に触れた場所が発光し、その光は瞬く間に水晶球へと吸い上げられる。
慌てて、力を振り絞って立ち上がり泉から出る。少女の様子を確認すれば、顔色が悪くなり呼吸も浅く早くなっている。
「は、ははっ、はははははっ」
王太子殿下の笑い声がそのまましばらく響く。
「これは、最早疑いようもなくその者は聖女だな。これで不足は無くなった。おまえは今日から聖女専属の騎士になれ。死なせるなよ」
それだけ言うと王太子殿下は満足したように祈りの間から出ていってしまう。神官長も慌ててそれに付いていく。残されたのは俺と少女とキールッシュだ。
「ルドヴィク、大丈夫か?」
「な、ぜですか? なぜ、こんなこと」
絞り出すように問いかけると、キールッシュも表情を曇らせた。
「俺もまさかこんなことになるとは思っていなかった。しかし、あの様子を見るにこれは想定内のことだったんだろう」
「こんなことが、許されていいはずが、ない」
「気持ちは分かる。だが、聖女様のお力は本物だった。まさか、これほどとは」
キールッシュが見上げた水晶球は今までに見たことがないほどに輝いていた。それは召喚に使った力を上回り、このところ不足していた聖なる力をも満たした証でもある。
それが、何を犠牲にしたものなのかを考えれば素直に喜べることではなかった。