9 千景おばちゃん
「それじゃあ、行ってくるわね。すぐに交代の六勝千景保護官が来るから、安心してね」
そう言って怜良さんは、朝食後に出掛けて行った。
怜良さんには中学生になったばかりの娘さんがいるので、月に一度、週末に一泊の帰省をするのだ。
咲坂家と初めての面会をしてからこの二週間、小学二年生までの範囲の勉強をしたけどやっぱりすぐに終わりそうなので、時間に余裕のあるうちに怜良さんは一度帰省することにした。
新年度からひと月半が過ぎてしまっているから本当はもっと早く帰省したかったんだろうけど、僕の都合に合わせてくれていたんだと思う。
ゆっくりしてきて欲しいな。
さて、小学二年生までの学習範囲はあと少し。
交代の人がくるまで勉強していよう。一人で勉強なんて、なんだか前世を思い出して懐かしい。
ジュースをコップについで、いつも通りリビングのソファーに座って本を読んでいると、玄関でカギが開く音がして人が入ってくるのがわかった。
交代の人が来たんだな。
何やらガサガサ音がしているけど、荷物が多いのかな? お出迎えに行こうか。
「わるい子は、いねがー!」
突然リビングのドアが、バーン!と開いて、赤色の怖そうなお面と蓑をかぶった人が入ってきた。その人は両手を挙げて「がおーっ」という感じのポーズをとっている。
……この人、交代の人だよね?
怜良さんに言われたとおり、挨拶しなきゃ。
「ふちゅかかん、おしぇわになりましゅ。さきしゃかしゅぐるでしゅ。よろちくおねがいちましゅ。おなまえをおちえてくだしゃい」
優は全く動じることなく、そう言ってぺこりと頭をさげたが、反応が無い。
しばらくしてちらりと顔を上げて見ると、その人は綺麗な所作でお面と蓑をとって床に置き、キラキラした笑顔で右手を差し出した。
「やあ、はじめまして。私は六勝千景という。君が咲坂優くんだね。明日まで君の面倒をみることになっているよ。楽しく過ごそうじゃないか。私のことは千景おばちゃんとよんでくれ!」
そう言って僕とぶんぶんと握手した。
この人はすごく背が高くて、声が大きくて元気がいい。目が赤いんだね。
楽しくって言うけど、何するんだろう?
「まずは掃除洗濯か? まあ、それはいいか。そうだ、天気がいいから外に行こう! この近所はどんなところなのかな!」
そう言って千景さんは有無を言わさず僕をクローゼットに連れて行き、外出着を見繕って着せ、帽子をかぶせて連れ出した。
まだ午前中だから五月の明るい太陽の光が降り注ぎ、新緑に包まれた木々がキラキラと光をまとっている。
「おお、きれいだな! どれ、高いところで見せてやろう」
そう言うや否や、千景さんは僕をひょいと抱え上げ、肩車をした。
「ひゃあ!」
僕はびっくりして千景さんの頭にしがみついた。
「はっはっは! 景色はどうだ。目が見えないから、おでこに手を回してくれ」
千景さんに言われて、千景さんの目のところにしがみついているのに気付いた。
急いでおでこに手をまわして、あたりを見回してみた。
長身の千景さんの肩に乗せられて、いつもよりずっと高いところから見てる。
木の葉っぱに手が届きそう。
風に吹かれて、透き通った緑の葉っぱが、さわさわと揺れている。
すごくきれいだ。
「あそこに鳥がいるぞ。見えるか?」
千景さんが木の上の方を指さした。
そこをよく見ると、茶色に真っ白な線が入った小鳥が枝に留まっているのが見えた。
枝が風に揺られるのに合わせて鳥も揺れている。
前世には見ることができなかった景色がそこにはあった。
僕は思わず感嘆の声を漏らした。
千景さんはあっちへふらふら、こっちへふらふら、しばらく木の下を歩き回り、僕を地面に降ろした。
「どうだ、今の季節は若葉がきれいだろう。そうだ、花を見に池に行ってみよう」
「ぐえっ」
千景さんは僕をまた遠慮なく抱え上げ、脇に抱えてずんずん歩き出した。
なんか小荷物っぽい持ち方なんだよね。
周りに人がいないからいいけど。
僕はぶらーんとした感じで小脇に抱えて運ばれ、やがて池に到着したところで地面に降ろされた。
「ほら、花が咲いているぞ。あそこには水鳥がきている」
そこは大きな池があって、花壇で囲まれている。きれいに花が咲いていて、散歩にいいところだね。真っ白な鳥が水面に浮いている。
僕は花壇の花を見ながら、とことこ歩き出した。
色とりどりの花。ちゃんと区画分けされて手入れされている。
よく見ると黄色い蝶が飛んでいるね。
花の匂いがして、日差しが温かい。
前世でもこんな景色だったのかな。
一度でも見てみたかったな。
そういえば長嶋さんは元気だろうか。
突然死んでしまって、悲しませたかな。
こんな自分をお世話してくれてありがとう。
今は幸せにすごしてますよ。
そんなことを考えながらゆっくり歩く。
千景さんはついてきてくれているようだ。
やがて池から水が流れ出す小さな川のようになっているところに出た。
川を覗き込んでみると小さな魚が泳いでる。
しゃがみ込んで手を入れてみると、魚がみんな素早く逃げた。
水が冷たい。
両手を入れると楽しい。
転げ落ちないようにバランスをとりながら、水でぱちゃぱちゃ遊んでみた。
それからまたとことこ歩き出した。
千景さんは何も言わずについて来てくれる。
こんどは広い芝生の広場にでた。
芝生のなかに進んでいくと、野草の小さな小さな黄色い花が群れて咲いていた。
それがとてもかわいらしかったので、風に揺れる様子をしゃがんでしばらく見つめていた。
少し歩き疲れたので、そこにぺたんと座っていると千景さんが声をかけてきた。
「疲れたようだな。少し眠るといい。」
そう言って千景さんは自分の上着をぬいで、僕をくるくると包んで地面に寝かせた。
日差しを遮るために顔に帽子を載せられると、日差しがぽかぽかして僕は眠ってしまった。
ふと目を覚ますと、太陽は中天にあった。
眩しい日差しにごそごそすると、千景さんが声をかけてきた。
「目が覚めたか。ちょうど昼になった。昼ご飯に行くぞ!」
そう言うと、寝ぼけまなこな僕をひょいと抱えあげ、着ぐるみのまま荷物のように肩にかついでずんずん進んでいった。
僕は千景さんの肩越しに景色を見渡していたが、広い公園がどこもかしこも花と新緑できらきらしていて、とてもきれいだった。
そして家の近くに来ると、家の前に停めてあった車の助手席に僕を載せ、運転席に乗り込んで勢いよく発進した。
男性居住区だからか、車はあまり走っていない。
すいすいと渋滞もなくショッピングモールに到着した。
広い駐車場に車を停めると、勢いよくドアを開けて千景さんは僕を降ろして、再び肩にかついだ。
なんか千景さんは何をするにも勢いがあって、気圧されっぱなしだよ。
それにさすがに人がいて恥ずかしいから、そろそろ降ろしてほしいな。
そんな僕の自尊心の叫びなど聞こえるはずもなく、千景さんはずんずんと人ごみのなかに突き進んでいった。
昼時だからか、さすがに人が多い。
しかも男の子がいっぱい!
乳幼児施設を出て以来、家にいることが多くてあまり他の男の子を見かけないから、久しぶりに沢山の男の子をみると少しびっくりする。そして一人一人に男性保護官らしき女性がついている。保護官が一堂に会しているのを見るのはあまりないけど、どの女性も身体が引き締まった感じで、ボディーガードのような雰囲気がある。実際にそうなんだろうけど。
そうやって周囲を観察していると、おかしなことに気づいた。
保護官たちがこちらを見て目を見開くのだ。僕が小荷物になっているからだよね。
口を開けている人もいる。ちゃんと男の子を見てあげて?
ちらちらとそんな妙な視線の集中にさらされながら、僕は千景さんに抱えられたままフードコーナーらしき場所に突き進んだ。すると千景さんが立ち止まって
「さあ、優よ! 何が食べたい! 好きなものを言え!」
大声でそんなことを言うものだから、周囲は一斉にみんなこちらを見た。男の子も保護官も。
恥ずかしいよ!
「おろちてくらしゃい! はじゅかちいでしゅ!」
いたいけな僕がそう叫ぶと
「何を言う! 降ろしたらお前は小さくて何も見えないだろう! さあ、好きなものを言え!」
千景さんは僕の主張を却下してしまったので、早くこの羞恥ショーを終わらせたくて、仕方なく目の前の店のメニューを言った。
「はんばーがーでしゅ! おれんじじゅーしゅでしゅ!」
僕がやけくそ気味に叫ぶと、
「よしわかった! 任せておけ!」
と大声で答えてハンバーガーのカウンターに僕を抱えたまま突撃し、「ハンバーガーセットを二つだ! オレンジジュースもだ!」と叫んで注文した。え、並ばなくていいの? 他の男の子たちは並んでるよね?
するとカウンターの女性が「……顧問ですよね?」と小声で答えて、並んでいる人がいるのに僕らのハンバーガーセットをすぐに出してくれた。
解せぬ。コモン?
二人分のハンバーガーセットが載ったトレーを千景さんが持って、僕らはオープンテラスに座った。
「優よ、腹が減っているだろう。沢山食べるといい。足りないなら追加して買ってきてやる」
「ありあとうごじゃいましゅ。だいじょうぶでしゅ。いただきましゅ」
これ以上追撃されないよう、僕はすぐに食べ始めた。
ハンバーグをパンにはさんだ感じではなく、ちゃんとジャンクな感じのハンバーガーだ。
大人の味覚でも子供の舌にはこの方がおいしい。この世界にもちゃんとジャンクなハンバーガーがあってうれしい。あれ、栄養バランスは大丈夫かな? まあいいか。
色々な感想を思い巡らせながらもぐもぐ小さな口で食べているのを、千景さんはニコニコ笑いながら見ていた。
……あれ、いつの間にか千景さんのハンバーガーが無くなってるぞ。いつの間に食べたんだろう? マジックかな?
すると「優は好き嫌いはないのか?」と千景さんは僕に聞いてきた。
「なんでもたべましゅ。いちゅもれーらたんがちゅくってくれましゅ」
そう答えると「そうか、よかったな」と千景さんは答えて、またニコニコしていた。
小さな口なので時間がかかったが、残さず食事を済ませた。そして先手をうって「あるくからだいじょうぶでしゅ」と千景さんに宣言して歩き出した。
「たしかここには噴水があったろう。見にいこう」
千景さんがそう言うので、二人で手をつないで歩いて行った。
案内表示に従って十分ほど歩くと、立派な噴水が見えてきた。
大きな水のアーチが出来ている。噴水の近くに行くと、風に煽られて少しこちらに水がかかってきた。
水しぶきに驚いて見上げてみると虹がかかっている。
「きれいだろう?」
口をあけて見上げていた僕に千景さんは声をかけた。
霧になった噴水の先端がさらさら流れて、午後の太陽の光を散乱させて虹がみえる。
前世でも今世でもみたことのない光景に、僕はこころを奪われていた。
前世では目が悪くて、色や文字は近づいてやっと見ることができる程度だったから、写真を拡大して見たことはあったけど、こんな風に自分の目でそのまま景色をみたことはなかった。
今世では怜良さんが時々連れ出してくれたけど、まだ春の始めで肌寒かったから新緑や噴水をじっくり見たことはなかった。
こうして景色を自分の目で見ていると、自分は生まれ変わったんだとしみじみ感じる。
これからの人生でどれほどの体験ができるのだろう。前世ではできなかったことが沢山できるといいな。
……あれ、千景さんは何してるのかな?
僕が周りを見回すと、離れたところにあるベンチにどっかりと腰かけ、胸をそらして足を組んでいる千景さんが目に入った。
……なんかの親分なんですか?
どうしてそんなに堂々としているんだろう。身体が大きいからか、周りに誰も近づかない。
僕も近づきたくない。いや、ちょっと気後れする程度かな。別に悪い人じゃないみたいだし。
そういえば千景さんは交代の保護官なはずだけど、普段からあんな感じなのかな。
他の保護官との交代のときには、男の子は怖がるんじゃないでしょうか。僕は内面は大人だから大丈夫だけどさ。怜良さんとは大違いだよね。でもフードコートの他の保護官とも雰囲気が全然違うし、やっぱりこの人だけ何か違うんじゃないかな。
しばらく噴水を楽しんでから、千景さんと車で家に帰った。
帰宅後は千景さんが意外と真面目に家事をしてくれて、僕が本を読んでいる間に夕飯をつくってくれた。
夕飯は鳥のつみれの鍋だった。おいしかったのが意外だった。千景さんもちゃんと家事ができるんだね。
それから一緒にお風呂に入ったよ。ちょっと遠慮したんだけど、千景さんに有無を言わせず連れて行かれ、頭からじゃぶじゃぶ洗われてしまった。
そして「優と怜良は一緒に寝ているそうだな! 私もやってみよう!」と言って布団に引きずり込まれて、抱き枕にされて朝を迎えました。いつもは僕が怜良さんに抱き着いてるんだよ? それに千景さん、ちょっと寝相が……。
なんか千景さんが来てからすっかり振り回されている気がする。
それでも二日目になると慣れてきたから不思議なもんだね。
千景さんが専属保護官だったらどんな生活になるんだろう。
「楽しかったぞ、優! またな!」
そう言って千景さんは二日目の夕方に帰っていった。お面と蓑を持って。
ちゃんと「ありあとーごじゃいまちた」とお礼をいいました。
豪快な人だったな。これからも千景さんが交代で来るのかな。そうすると次は来月だね。
なんだかんだ楽しい人だったから、ひと月に一度くらいならいいかも。
「おかえりなしゃい!」
「ただいま、いい子にしてた?」
怜良さんが夜に帰ってきた。なんかすごく久しぶりに感じるよ。
怜良さーん! 思わず抱き着いて甘えてしまった。
怜良さんもぎゅっとしてくれたよ。ああ、なんか安心する。嵐が過ぎ去ったあとだし。
その日はいつも通り怜良さんとお風呂に入って、いっぱいお話して、一緒に寝ました。
「六勝だ。陛下に取り次ぎを頼む」
「お待ちください。……どうぞ」
優の住居から帰った翌日の夕方、六勝は専用回線で悠翔天皇に連絡を入れた。
「待っていたぞ。どうだった」
「ご報告いたします。咲坂優に関してですが、」
「いや、そっちはいい。あとで報告書を読む」
「……では須堂怜良に関してですが、私はさきほど第二十行政区の彼女の実家への定期訪問を終えました。家族からの話の様子では、ほとんど変化は感じられないようです」
「何もないのか?」
「……強いて言えば全般に性格が丸くなったと感じたということです」
「幼児を預かっていれば、その程度の変化が現れるのは当然だろう。他には?」
六勝はしばらく考え込み、一応報告することにした。
「娘が言うには、怜良に言われて夜一緒に寝たということです。それは小学低学年以来久しぶりだったとか」
「ふむ。……どう思う」
「今まで他の一等保護官の行動として特に報告されたことはありません。報告するまでもないとされていたとも考えられますが、一件も報告が無いのは不自然かもしれません」
「そうだな。見過ごすべきではなかろう」
「怜良からは咲坂優と一緒に寝ているとの報告を受けています。もしかすると何らかの影響が生じているのかもしれません。しばらく他の一等保護官の行動観察の報告事項に入れ、調査させることにしましょう」
「うむ。先入観なく事にあたれ。手がかりを見逃してはならぬ。たのむぞ」
「はい。承知しております」
六勝は会話を終えた。




