8 咲坂家の人々~初めての面会
「八弥は仲良くなれたのね」
「うん! いっちょにねたの」
彩が声をかけると、先ほどまでの人見知りな態度と打って変わって、早熟な八弥は元気に答えた。
咲坂家一行は面会からの帰り道、巴が運転するワゴンタイプの車の中で今日の感想を話し合っていた。
「それにしても綺麗な男の子に育っていたな」
「ほんと、びっくりしちゃったわ。写真よりもずっと綺麗だったもの」
巴と桜はいつも姉妹のように会話する。しかし巴と桜は親子だ。咲坂家は皆それぞれ親子であり、親子5世代が同居している。この国ではそれが一般だ。
「健康に育ってくれていて、それが一番うれしかったわ」
「そうさ、それが一番大事だ。健康でいれば大抵のことはなんとかなるもんだ。今日はそれが確認できただけで十分だ」
彩とユリばあさんは肉親らしい感想を言った。
健康状態や成長具合は資料や写真ではわからず、実際に会って観察しないとわからない。
三年もの間の成長を見定めるには、今日は非常に大事な面会だった。
優と会話し実物を見て、保護局の養育にようやく安心できたのだった。
「やっぱり優は緊張していたのかな。人見知りって感じじゃなかったけど、何か考え込みながら話していたな」
「そりゃそうよ。あの子にとっては私たちは突然押しかけた他人にしか見えないんだから」
助手席に座る桜がわかったようなことを言う。
単純でわかりやすい愛情をもつ咲坂家の面々は、優の内心の葛藤に思い至るはずがなかった。
前世の希薄な人間関係の記憶を持つ優の思考とは裏腹に、咲坂家の面々は優に全面的で無条件の愛情を持っていたが、それは優にはまだ理解の及ばないものだった。
「初日の対面としては上出来だったんじゃないかな。うちの畑のことも興味を持ってくれたようだしさ」
「ええ、そこは大事よね。「将来は同居するのイヤー」とか言われたら立ち直れないわ」
ケラケラ笑いながら巴と桜は話している。
「それにしても情報解禁といい、優は頭が良いんだね。うちらとは大違いだ!」
「まだ三歳なんだから、もっとゆっくり育って欲しいわ。私たちがおバカ過ぎて相手にされなくなったらイヤよ」
「村のみんなにはなんて言おうか。間違いなく大騒ぎするぞ」
「大丈夫よ。説明してもみんなよくわからないわよ、きっと」
優の賢さは咲坂家には理解可能範囲外だった。
初回面会では咲坂家に目の前の状況を先入観なく観察してもらうため、あえて怜良は咲坂家への定期報告書では情報を伏せていたのだ。
「まだ気が早いが、優が気兼ねなく過ごせるように手を入れていかなきゃならんな」
「ユリ母さんは優が成人するまで長生きしないといけませんね」
「大丈夫、まだまだ頑固ばあさんだからさ!」
ユリばあさんが真面目に話しているのに、巴と桜は元気づけようと、からかいまじりに笑い飛ばした。
「きたよー!」
「何が来たの?」
昼ご飯の時に、突然巴が食卓で声を上げた。
みんなが食事しているのに、巴は食事しながら電子パネルをいじっていたのだ。
この国は基本的に在宅勤務のため、医師、市役所職員、農家の咲坂家はたいていは全員在宅していた。
巴の素っ頓狂な声に、桜が聞き返した。
「何って、優だよ! 初めての報告書だ!」
「ええっ、私にも見せてよ!」
「もうそんなに時間が経ったのね」
「食事中だが、さっさと見せなさい」
タッチパネル式のA四サイズの電子パネルを食卓の中央に置くと、みんなで覗き込んだ。
そこには「咲坂家の皆様へ」と題して、男性保護局第三十八支部名義で定期報告書が受信されていた。
「本日、咲坂優くんの男性乳幼児施設への入所から一か月が経過しましたので、ご家族の皆様に経過状況をご報告いたします。
優くんは毎日問題なく授乳、睡眠がなされ、夜泣きがひどくなったり「むずかったり」することもなく、また人見知りすることなどもなく健やかに成長しています。身長体重などのデータを添付しましたが、我が国の男性乳幼児データと比較しても問題はないものとの医師の診断がなされています。これまでのところ何らかの病気、アレルギー反応などは確認されておらず、現状では心身ともに健康と言って差し支えないとの判断をしております。
音声、光、動きへの反応も安定しており、四肢の反応や動きも正常との判断に至っております。
以上の結果から、保護局としては今後も予定通りの養育を継続していくことになっております。
健康状態の確認と本人や皆様の思い出のために、写真を添付致します。
引き続き優くんの養育に力を尽くして参りますので、皆様におかれましてはご安心いただくとともに、次回のご報告をお待ちください。」
そして成長データとともに優の写真が十枚添付されていた。
「かわいい! 顔のアップだわ!」
「随分大きくなったわね」
「他の赤ちゃんも写ってるけど、優が一番かわいいな!」
「お前たちが赤ん坊のころによく似ているよ」
食事そっちのけで、みんなできゃいきゃいと騒いでいた。まだ生後一か月だが、咲坂家にとっては自慢の子供だった。それは男児であることとは関係のないことだった。
当然のごとく食後に村人に写真をメール送信すると、村人たちのお気に入りとなった。
この世界では子供は村人たちの共有財産であり、どの子にも村人の愛情が注がれていたのだった。優が生まれたとき村人が押しかけたのも、名前を考えたのも、それが理由だった。
優を生んだあと、彩は身体が安定すると再び人工受精を申請し、翌年八弥を産んだ。
この世界では妊娠は人工受精によって行われる。精子の割り当ては国が管理しており、作為による父親の選択は固く禁じられている。
彩は優を出産したとき二十歳であり、通常は若年時に生涯に一人だけ出産するが、男子だったためもう一人出産した。
この国の出産技術は安定しており、ほとんどが母子の危険なく出産に成功する。
五世代同居で在宅勤務であるため、養育は容易であった。
これがこの国の一般家庭の姿となっている。
「来月新年度から、優くんの専属担当となった一等男性保護官の須堂怜良と申します。
優くんの養育は私が引き継ぐことになりましたので、ご報告とご挨拶に参りました。
どうぞよろしくお願い致します」
優の乳幼児施設退所を控えた三月始め、咲坂家を怜良が訪れた。
特務を受けていることは咲坂家にも優本人にも知らされず、また乳幼児施設での特殊行動も知らされないまま、怜良は自然な態度で挨拶をした。
「わざわざご挨拶に来ていただき感謝申し上げます。
優のことをどうぞよろしくお願い致します。
これまでの保護局の皆さんのご尽力に感謝申し上げていることを、どうぞ皆様にお伝えください。」
「はい、ご家族皆さんの感謝のお気持ちは関係機関の職員にお伝えいたします。
我々一同、今後も変わりなく職責を果たす所存です。
それでは本日は今後の優くんとの予定をご説明いたします。」
怜良と咲坂家の家族は、怜良自身の出身や趣味特技なども話して打ち解けていった。
怜良は比較的暖かい地域である第二十行政区出身であり、水稲農家であったため、農作業の話題で盛り上がった。
専属一等男性保護官が家族との関係を正しく構築できないと、それが保護対象との関係に影響を与え、人格成長や成人後の家族との同居に問題を引き起こすことがあるため、家族との関係構築は一等男性保護官にとって重要な対処項目となっていた。
「五月始めには優くんとご家族との面会が行われますが、本人が家族という存在を認識できないことがあります。
ご家族にとってはショックなことですが、やがて本人が受け入れることができるようになるので、あわてず落ち込まず、気長に接していただくようお願い致します。
男性としての人格が身に付き、安定して思考や態度に反映されるようになるまでには長い時間がかかります。女性にはなかなか理解できないことですが、本人にとって非常に重要なことですのでご協力をお願い致します。今一度、保護局からの注意事項書をお読みになっておいてください。」
この指示を受け、一般市民区画での居住が始まるまで咲坂家にできることは面会しかないので、みんな一生懸命に注意資料を読み込むのだった。
咲坂家にとって男児との接し方は全く未知の世界であるため、誰もが新入社員のように緊張して準備を整えた。
「これで大丈夫だよね! かっこいいだろ!」
「私はどうかしら。上品に見えるようにしたんだけど、うまくいってる?」
「みんな大丈夫よ。似合ってるわ。八弥もかわいいわよ。ユリおばあさんは貫禄がありますね」
「うむ、それがいいんだ。頼りがいがあるところを見せるのが大事だからな」
今日はいよいよ初面会の日。
咲坂家の面々はこの一週間、まるで受験生のように落ち着かなかった。
村人たちも毎日咲坂家を訪れ、どんな話をするべきかで騒いだり予行練習をしたりしていた。
やはり彩だけは母親であるからか、実際に会うまでは服装よりも優の成長状態が気になっていた。
「こんにちは、面会設定のご配慮にお礼申し上げます。今日はよろしくお願いします。」
「ようこそおいでくださいました。優くんの準備はできています。皆さんお揃いのようですから、早速ご案内します。
優くんは緊張していると思うので、優しく声をかけてあげてください。今日は私はあまり発言しないので、皆さんで優くんの相手をしてあげてください」
そう言って怜良は全員を案内した。
「はじめまちて。しゅぐるといいましゅ。さんしゃいです。ようこしょおいでくだちゃいまちた」
彩たちが部屋に入った時、艶やかな銀髪を肩の高さで切り揃えた小さくて綺麗な男の子がソファーに座っていた。
その子は薄碧の目でこちらをちらりと一瞥すると、表情を変えずに背筋を伸ばして正面を見つめた。
自分たちの育ちと明らかに違う洗練された雰囲気を見て、彩たちは声が出なかった。
するとその子は立ち上がり、挨拶をしてみせたのだ。
その態度から、すでに高い教育が施されていることが容易に知れた。
ようやく彩たちは我に返り、先ほど玄関で怜良に言われたことを思い出し、近づいて声をかけた。
思わず事前の予行練習を忘れ前のめりに接してしまったためか、始めは面食らっていた様子だったが、巴たちがはしゃいでいると、その子は落ち着いた態度をみせ、時々きょろきょろしながらも微笑みつづけた。その様子を見てみんなどちらが大人かわからないと思った。
その後、話をしているとその子の賢さが際立った。そして怜良さんによると稀に見る秀才だとか。
そういうことは大抵親バカなのだが、この子の場合はどうやら本当のようだ。
「あい、ちゃんとわかっていましゅ。いろいろおちえてくだしゃい」
言葉はたどたどしいが、態度もその内容も大人そのもの。
怜良さんの言うことは本当のようだ。
「これは驚いた。まさか咲坂家から男子が生まれただけでなく、神童が出るとはね。こりゃあ、村のみんなが知ったら大騒ぎだねえ」
「ええ、わが子ながら私からこんな子が生まれるなんて、誰も信じないわね」
そんな言葉が思わず口をついて出た。
本当に、村のみんなの反応がこわいわ。
優には情報開示の特別措置がとられているって。
聞けば聞くほど、特別な扱いを受けているのね。
これはちょっと私たちもしっかりしないと。
帰ったら緊急家族会議が必要ね。
「いかがですか? 優くんは緊張して気を遣っていたようですね。優くんは自分の感情を押し殺す傾向が見られますが、面会を重ねていけば、いずれ心を開いて無邪気な姿を見せてくれるようになると思います」
「ええ、そうだといいと思いますが、今日は私たちの方が優の賢さと躾の良さに驚いてしまい、逆に優に不安を与えていないか心配です。今後の面会で挽回しないといけませんね」
優が八弥と昼寝している間、こうやって最初の印象について話し合った。
彩は優が健康そうであることが確認できて、ようやく心から安心できた。だから優の態度が不自然であることなど気にならなかった。
それよりも予想外に優が優秀であるので、咲坂家の面々は、三歳だからとのほほんと構えていたことに焦りを感じ、村人たちも含めて対策(?)をしなきゃならないと考えを新たにしたのだった。
この日の彩や咲坂家の面々の気持ちは、優には考えの及ばないことだった。