62 鎮魂歌
アルタモードの通常起動と異なり、ホールには大きな黄金色の光のリングが浮いている。
リングの表面には見たことのない文字のようなものがびっしりと埋めており激しく流れている。
リングはドーナツのように円柱を輪の形につないだ形状をしており、ゆっくりと回転している。
誰もがその光景に呆然としている。
一人優だけが落ち着いており、コンピューターの操作盤を離れリングに歩いて近づく。
優が近寄ってみると全体が明るさを波立たせる。
リングを伝う光の波の様子が、まるで意識をもっているかのように見える。
優は手を伸ばして触ろうとするが、手は光のリングを通り抜け、触れることができない。
光のリングの中に足を踏み入れると、優の視界にはモニター画面が現われた。
そこに映し出される映像は立体再生の光の粒子ではなく、真っ赤な暗い光の粒子。
リングの動きに合わせていることから、音の広がりを表しているわけではないことが分かる。
通常のアルタモードと違い、チェック項目はない。
優は怜良たちを見る。
怜良が心配そうに見つめている。
怜良の姿を見て、優は静かに微笑んだ。
優は視界モニターの曲の再生を指示する。
バイオリンの演奏が始まった。
アルタモードにもかかわらず、再生後は一切操作がない。
楽譜と優の設定の通りに演奏されていく。
光のリングがゆっくりと回転を続ける。
優は歌うことなく、そのゆっくりとした演奏を聴き続ける。
名演でもなく物悲しいその旋律は、いままで優が聴いてきた前世界のどの曲調とも全く異なるものだった。
曲が流れるにつれ、悲しい感情が流れ込んでくる。
寂しい感情が流れ込んでくる。
絶望する気持ちが流れ込んでくる。
そんな感情に包まれる中で、優はリングの中で物思いに耽る。
――ああ、そういうことなんだね。わかったよ。
僕は今まで見落としていたんだね。
これが前世界の本当の姿だったんだね。
神が罰を与えた理由がこれなんだね。
アルタ・リージェンスは知っていたんだね。
やがて演奏が終わった。
誰もが沈黙している。
優はホール中央から降りて来た。
「どうでしたか」
優がレベッカ所長に聞く。所長は言葉が出ない。
「いまの曲は鎮魂歌です。それも、クローン人間廃棄処理施設の」
レベッカ所長が驚いた表情をする。優は落ち着いた声で全員に対して話す。
「アルタ・リージェンスが残した楽譜、バイオリン、歌詞は、この国の一番大きなクローン人間廃棄処理施設で、死にゆくクローン人間たちが、先に死んだクローン人間たちの魂のために歌っていたものです。それを代々の死にゆくクローン人間たちが受け継いで、長い間、使用されていたものです。
誰が作った歌詞なのか、誰が作った曲なのかはわかりません。きっと「失敗作」とされたクローン人間が、廃棄処理施設で作ったのでしょう」
優の言葉に、誰もが厳しい表情をする。
「アルタ・リージェンスはこのことを知っていました。しかしそれを記録に残そうとしても、全て消えてしまう。違う姿になってしまう。それが神の罰の影響の一部。
皆さんが楽譜を見ても読めず、楽器を解析してもそのデータが理解できず、歌詞が書いてある絵がただの風景画としか見えない。
それが神の罰の影響の一部です」
優は絵画を手で撫でながら続ける。
「この絵画は、展示室に付けられていた解説によれば、皆さんには風景画に見えているのでしょう。
しかし僕にはこれはまるで血だらけの絵のような、苦しみが描かれている絵に見えます。絵というよりも赤黒く絵の具が飛び散ったものと言った方が正確かもしれません」
そこにいる全員が驚いて絵画を見つめる。
「この絵には歌詞の他に、アルタ・リージェンスの書き込みが書かれています。僕がいま話したこと、そして所長に話した解放者のことも」
優は絵画を見つめる。
「皆さんには、この世界が真実とは違う姿に認識されているのですね。僕はそのことを知りませんでした。僕が見ている世界の姿、聴こえている世界の姿、感じている世界の姿、そのどれもが皆さんとは違う。
そういうことなんですね。そのことが今日わかりました」
優は寂しそうな顔をして、誰とも目を合わせずに話を続ける。
「僕の歌がなぜ狂暴化症状を改善するのか、確信が持てました。そしてこの鎮魂歌は皆さんから神の罰の影響を取り除くことに役立つのでしょう。影響力がどのくらいかは、わかりませんが」
優はコンピューターのモニター画面を見る。
「ゼロ設定にはマニュアル操作項目がほとんどありません。そして歌詞の入力が必要です。
これは通常のアルタモードとは異なります。
つまりゼロ設定を起動するには、曲、歌詞、楽器の三点が必要だと言うことです」
優は寂しい表情のまま、ゆっくりと全員を見回す。
「皆さん。僕が入力していたデータは、もう忘れてしまっていませんか」
レベッカ所長たちは目を見開き、お互いに顔を合わせる。
「保存データも読めないでしょう。コンピューターの記録も読めず、再生もできないのではありませんか」
「そんなまさか!」
レベッカ所長が操作盤に駆け寄り、データを見るが、読むことができない。
「そんな……せっかくのデータが……」
「ゼロ設定で起動してみてください」
レベッカ所長が起動の声を出すが、ゼロ設定で起動しても空白のモニター画面が出てくるだけ。
さっきの光のリングは現れない。
「それが神の罰の影響です。アルタ・リージェンスもその問題に直面しました。
しかし彼女は時々、その影響から逃れることができたそうです。そこで晩年になって、その影響から逃れているときに、事情をこの絵画に書き残しました。後世になって神の罰の影響を受けない者の目に触れやすいように。この絵画は同じ廃棄処理施設で入手したそうです」
打ちひしがれるレベッカ所長を見ながら、優は続ける。
「アルタ・リージェンスは神の罰の影響を受けない時に、クローン人間廃棄処理施設に存在する楽器や楽譜を手に入れました。しかしそれをデータ化して音源再生システムに組み込もうとしても、出来なかったそうです。
廃棄処理施設で手に入れたことさえ、鎮魂歌であることさえ、記録に残すことが出来なかったそうです。
しかし神の罰の影響を逃れているときにこの絵画に書き込むことにより、情報を残すことができると気づいたそうです」
優は静かに言葉を続ける。
「神の罰がこの鎮魂歌を隠そうとする事実を見て、アルタ・リージェンスはこの鎮魂歌が何か大事な役割を持っているのではないか、そう考えて、楽譜、歌詞、楽器の全てのデータを入力して起動できるゼロ設定を用意したそうです。
先ほど見たように、ゼロ設定は完全マニュアルモードではありません。それなのにアルタモードの一部として存在しているのは、後世に誰かにこのプログラムが消去されないように、アルタモードに隠したそうです。」
優は話を終え、怜良を見て微笑んだ。怜良は優しく見つめている。
優の話を聞いて、誰もが黙っている。
レベッカ所長が口を開いた。
「あなたの話は、どの資料にも記録されていないわ。アルタ・リージェンスが後世への指示として残したのは、要約すれば、アルタモードを保存すること、後世にアルタモードを使いこなす者が神の罰からの影響を軽減除去できる可能性がある者であり、その者に三点の資料を見せろということだけよ。しかも歌詞の所在は不明だったわ。
アルタ・リージェンスが記録を残せなかったのは、神の罰の影響のせいだったのね」
レベッカ所長は絵画を見つめて呆然とつぶやくと、表情を引き締め、優に近づいた。
怜良たちが間に入ろうとする。
「あなたは本当に解放者だったのね。会えて光栄だわ」
そう言って微笑みながら、レベッカ所長が手を差し出す。
優はその手を取って、穏やかな笑顔で握手をした。
「解放者殿。私も会えて光栄です」
レベッカ所長に続き、そこにいる研究員たちが次々と優と握手をしていく。
年老いた研究員も多く、涙を拭いている。
「解放者殿。どうか、先ほどの演奏で、歌詞を歌ってもらえませんか。アルタ・リージェンスが半生をかけて残した歌を聴いてみたい」
研究員たちが頭を下げて、優に言う。
優は怜良たちを見わたしてから、答えた。
「はい。それでは、前世界で亡くなったクローン人間たちの冥福を祈り、歌います」
優はホールの中心に歩いてゆき、ゼロ設定で起動させた。
大きな黄金色のリングが優の周りに浮かび上がる。
優は演奏を再生する。
そして歌詞を歌い始めた。
――五百年以上の時の隔たりがあるけれど、歌わせてもらうよ。
目的のために生み出され、最後まで人としての生涯を送ることが許されなかった人たち。
数えきれない魂を鎮めるために、この現世から君たちが大事にしていた鎮魂の歌を贈ります。
いつか君たちの存在をこの現世界の人々が大事に思う時が来て、そして現世界の人々が君たちのことをこの鎮魂歌とともに慰霊できる日が来ることを祈ります。
優の歌がホールに響き渡る。
黄金色の光のリングが、ゆっくりと回りながら穏やかに明滅する。
表面の文字が目にも止まらない速さで流れる。
研究員たちが優の歌に聴き入っている。
クローン人間たちの無念が響き渡る。
悲しい演奏と優の歌が、そこにいる者の精神と心に共鳴する。
そこにいる者の曇りを取り除く。
「ああ、これがそうなのね」
レベッカ所長や研究員たちが絵画に気づく。
昼下がりの風景を描いた絵画は、赤黒く絵の具をまき散らしたような絵にその姿をかえ、表面には白い文字や黒い文字が書かれているのが見えるようになった。
「彼が言う通りなんだね。ここにアルタ・リージェンスが残したメッセージが書かれている」
「こんなに悲しい歌詞なんだね」
絵画を見て、みな悲しい表情をする。
涙を流す研究員も多い。
やがて歌が終わると、絵画はゆっくりと元に戻った。
「今の歌詞も曲も絵画も記憶から消えていくわ」
レベッカ所長が空中に目を向けて、残念そうにそうつぶやく。
研究員たちも、中森弥生たちも同じだ。
「これがゼロ設定です。いかがですか」
ホール中央から降りて来た優は、レベッカ所長たちに声をかけた。
「本当に不思議な体験だったわ。今日一日でこれまでの研究が全て吹き飛んでしまったわ」
レベッカ所長が情けないような、嬉しいような、微妙な表情で言う。
「でも記録に残せないでしょう?」
優がそう言う。
「内容の記録が残せなくても、あなたがゼロ設定の起動を解決したことは記録できるわ。そしておそらくこれでアルタモードの研究が終結することも。ここから先は、あなたが生き証人となるしかないわ。だからあなたの行動と成果を記録していく必要があるわね。
そしてアルタモードもゼロ設定も、起動の問題は解決したから、今後はその効果が研究の中心になるわね。これまでは手をつけていなかった分野よ。
どうやらあなた以外はアルタモードもゼロ設定も起動できないようだから、これからは益々あなたの重要性が高まったわ。あなたが気にする危険性もね。大統領に交渉するのも当然のことね」
そう言ってレベッカ所長は力なく笑う。
「効果はまだ確定していません。大統領が条件にする成果は、まだ示せていません」
「ゼロ設定の起動の成功そのものが成果と言えるわ。だから解放者であることも間違いないわ。でもその内容が記録できないから、大統領も救世主の認定を公表するには困るわね。
この国にいる間に何かの成果が出せないかしら。解放者をみすみす他国に渡すわけにはいかないわ」
レベッカ所長は腕を組み、深刻な表情をする。
しかし優にはもうほとんど確信があった。
「明日の首都公演で、狂暴化症状の改善を成果として出せるはずです」
「そんなに決定的な効果を出せるかしら。救世主の認定をして条約の締結となると、単なる症状軽減では足りないわ」
「はい。そこは何とかなると思います。明日は狂暴化症状の実験に参加してみたらどうですか」
優の自信を見て何か起こるのかもしれないと思い、レベッカ所長は優の提案を興味深いものと考えた。
「そうね。専門外だけど、何とか理由をつけて参加してみようかしら。これからはあなたの記録を残していくことも、この研究所にとって大事だわ」
「今日は緊張が続いて、久しぶりに疲れたな」
「ええ。しかも色々ありすぎよ」
中森弥生と金城みずきがぼやく。
怜良たちはアルタ・リージェンス研究所を出発し、東に向かっている。
明日は夕方からエルス国首都での最終公演。
その翌日に大統領官邸で大統領との面会・懇親会に出席し、エルス国を旅立つことになる。
三週間にわたるこの大陸の日程も終わりだ。
「記憶が無くなっていくあの経験は、今でも不思議な感じだよ」
「なんかちょっと気持ち悪い感じがしたわ」
運転しながら二人は元気に会話している。
「カルラ、ありがとう。よくサポートしてくれたわ」
「緊張しっぱなしだったからちょっと疲れたわ。待機組も大変だったわね」
「今日はみんな頑張ったわ。おかげで外交交渉も進展があったし、収穫の多い一日だったわ」
怜良が全員を労う。カルラが言う。
「音源再生システムは凄い代物だったのね。ただの演奏道具かと思ってたわ。記憶に残っているだけでも凄いことだらけだわ」
ゼロ設定での歌のあと、研究員たちも中森弥生たちも、音源データに関する資料の内容以外は記憶に残っている。だからアルタ・リージェンスの遺産がクローン人間廃棄処理施設からの収集品であることも、鎮魂歌であることも、優の話として記憶に残っている。曲や歌、楽譜や絵画の内容、楽器データの中身の記憶が消失しただけである。
アルタ・リージェンス自身が生きていた時とは、すでに状態が変化していた。
「同盟の芽が出てきたのは大きいな。さすがに協定を超えて同盟なら破棄は難しいし、各国も簡単には手出しできない。五大会議でも威力が違うからな」
「まあでも、追い込まれればどうなるかわからないけどね。油断は禁物よ」
車も多くなってきて、都市が近いことが分かる。
優は楽しそうに外を見ている。
「優くん、お疲れ様。よく頑張ったわね。無事でよかったわ」
怜良が外をみる優の頭を優しく撫でる。優は嬉しそうに頭を揺らす。
「怜良さんたちがしっかり守ってくれたから、安心できてうまく行ったよ」
優が振り返って言う。
「後は明日の公演だな。暴動の心配はないと思うが、狂暴化症状の成果が心配になったな」
「ええ。単なる成果じゃなくて大きな成果が必要なのよね。私たちは何もできないけど、優くん、頑張ってね」
「あはは。なるようにしかならないけど、頑張るよ」
金城みずきの発破に、優は笑って答える。
「成果が出なくても、出発のときの予定からはもう十分よ」
怜良がそう言って優の頭を撫でた。
最大収容人員数二十万人。この国最大のアリーナスタジアム。
いよいよ首都に到着し、総仕上げの公演となった。
これまでに四度の中継がなされ、この国での優の人気は留まるところを知らない。
その人気は他の芸能人の追随を全く許さないほどに、揺るぎ無く確定していた。
この最後の首都公演は全エルス国民の注目の的であった。
「それじゃあ、頑張ってくるよ。みんなよろしくね」
「ああ、しっかりやってこい」
「警備は任せてね」
「頑張ってね」
優はステージに向かう。
怜良たちはフィールドに展開する。
他のスタジアムの二倍の収容人員、国立音楽館の四倍の収容人員は、見渡す限りの人の壁となって見える。
それでも優にはもう、慣れたものだった。
「皆さん。今夜はこうして見に来てくれてありがとう。この国にやってきて、三週間が経ち、公演も五回目を迎えました。
この大陸での旅は、本当に楽しいものでした。自分の国とは何もかもが違っていて、とても勉強になりました。
振り返ればあっという間で、こうして最後の公演となって、名残惜しい気持ちです。
今夜はこれまでの集大成として、頑張ります。最後まで楽しんでください」
優はそう言って、一曲目をスタートさせた。
「始まりました。今までと同じ反応です」
地下の狂暴化症状の実験場所。レベッカ所長も来て見学している。
首都だけあって、大勢の研究者や医師が来ている。
今回は多数の患者が連れてこられている。
実験場はさながら品評会会場のような活気がある。
「センサーからのデータも変わりません。過去四回と同じです」
「観客席被験者からのデータも同じです」
コニー・モス狂暴化研究主任が全体をじっと観察している。
今日はいつもと曲が違う。アンコールはない。最後に歌うのはゼロ設定の鎮魂歌だ。今日の注目はその鎮魂歌の影響である。
「今回も意識を取り戻しています」
演奏が続き、これまでと同じようにステージ四、五の患者に一時的にわずかな意識回復が見られる。
患者が発する言葉もあまり変わらない。
「どれもこれまでと変わりありません」
スタッフからの報告も変わらない。
コニー・モス主任はじっと待っていた。鎮魂歌が歌われるのを。コニー・モスには昨日の鎮魂歌の発見が伝えられている。そして記憶消失現象のことも。
だからコニー・モスはその時をじっと待っていた。
「みんな、ありがとう。もうこの公演も終わり。この国でのツアーも終わりだね。とても楽しかったよ。またいつか来たいと思っているから、また聴きに来てね。
それでは、今夜は、アンコールは無くて、これまでと違う歌で終わりにするよ。とても大事な歌だから、みんな静かに聴いてほしい。この歌は多くの魂を鎮める歌だから、この国での最後にふさわしいと思う。それじゃあ、歌うね」
優はそう言うと、声を発した。
「アルタモード、ゼロ設定、起動!」
その声が響き渡ると、フィールドいっぱいの巨大な黄金色の光のリングが現れた。
これまで見たことのない演出に、観客がどよめく。
巨大なリングの表面には見たことのない文字がびっしりと浮かび、目にも止まらない速度で流れる。
揺らめきながら浮いているリングは、ゆっくりと回転している。
黄金色の光は眩しくもなく暗くもなく、不思議な落ち着きのある光を放っている。
優の視界には通常のアルタモードの視界パネルは消失し、真っ赤な暗い光の粒子が視界パネルに現われる。
両手からはアルタモードの操作リングは消失している。
これまでと違い、立体映像AIは自動で遮断される。
フィールド上には中央でスポットライトに照らされる小さな優と、巨大なリングが存在するだけだ。
その不思議な光景に、観客は静かになり、満天の星空の下で静寂が訪れる。
「始まります」
地下実験場でスタッフが声を上げる。地上の映像も沢山映し出されている。
コニー・モス主任も、レベッカ所長も、緊張を高めた。
優は視界モニターで再生を指示する。
ゆったりとしたバイオリンの演奏が始まった。
演奏は長く、六分間以上にわたる。
優は天を見上げ、両手を大きく広げる。
そして歌詞を歌い始めた。
前世界の発声法。
スタジアムには優の歌が、鎮魂歌が響き渡り始めた。
「覚醒していきます!」
スタッフが声を上げる。
「どの患者!?」
コニー・モス主任が聞く。
「全ての患者です!」
「脱力ではないの?」
「覚醒です!」
患者たち全てが攻撃的人格が沈静化し、意識がはっきりし出している。
それを見てスタッフや参加研究員たちが患者に群がる。
「分かるか? 気分はどうだ!」
スタッフがステージ一、二、三の患者たちに声をかけると、患者は少し朦朧としながらも目を合わせ、ゆっくりと受け答えをするようになった。
コニー・モスはステージ四の患者のところに駆け寄る。
患者はステージ一、二、三と同じく意識が戻りつつある。
「私は医師よ。言葉が分かる?」
コニー・モスが声をかけると、ステージ四の患者は意識を少しずつ回復させているのが分かる。
患者はやがて表情がはっきりし出した。
観客席は静まっている。
アリーナスタジアムには優の澄んだ美しい歌声が響き渡る。
黄金色のリングが穏やかに明滅し、ゆっくりと揺らぎながら回転している。
観客はその幻想的な光景に見とれる。
バイオリンの物悲しい演奏が響き渡る。
優の透き通った歌声がアリーナの満天の星空に渡ってゆく。
――前世界のクローン人間たち。尊厳のない世界のクローン人間たち。
いま、時を経て人々に聴かせているよ。
世界が変わり、人が変わり、地上も変わったけど、この夜空は同じ。
この同じ夜空に君たちの鎮魂の歌を響かせるよ。
君たちが見上げたこの夜空に響かせるよ。
少しでもその苦しみが、悲しみが、寂しさが、風に流れて薄まっていくように祈るよ。
安らかに眠ることができるように。
観客は涙を流す。
声を上げずにすすり泣く。
誰の心にも悲しみ、苦しみ、寂しさが流れ込んでくる。
廃棄処理施設で命を失ってゆくクローン人間たちの心の痛みが流れ込んでくる。
優の視界モニターには、真っ赤な粒子が池の波紋のように周囲に広がる様子が映し出されていた。
「何か話してみて」
コニー・モスが患者に言葉をかける。
しかし患者は怯えている。
「どうしたの? 話してみて」
コニー・モスが声をかける。
患者は視線を忙しく動かし、震えながら話す。
「怖い。怖い。助けて。怖い。怖い」
患者はぶつぶつと独り言を繰り返す。
唇が震え、身体も震えている。
「何が怖いの?」
コニー・モスが声をかける。
「怖い。怖い。いなくなった。また死んだ。怖い。怖い」
患者は独り言を続ける。
「怖い。寂しい。離れていく。寂しい。悲しい。離れていく」
患者は独り言を続ける。
コニー・モスは患者が怯え続けるその様子を見て、それ以上声をかけることができなかった。
鎮魂歌が終わった。
静寂が訪れている。
演奏が終わると、二十万人の観客は、鎮魂歌の内容も曲も記憶が消失し、みな悲しい気持ち、寂しい気持ち、苦しい気持ちだけが残った。
「ステージ四、五の患者の状態が戻ります」
「ステージ一、二、三の患者は状態が戻りません! 回復状態が継続しています!」
スタッフが声を上げる。
ステージ一、二、三の患者は表情が落ち着き、正常な状態であることが見てわかる。
周囲のスタッフと会話を普通にしている。攻撃的人格は感じられない。
その一方でステージ四、五の患者は元に戻っている。
再び狂暴性が発症している。
コニー・モスは実験場を見渡し、ステージ一、二、三の患者の完全治癒の瞬間を見届けることになった。
そしてレベッカ所長は、解放者の力をまざまざと見せつけられ、大統領が救世主の認定を公表するに十分な成果であることを確信した。




