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52 須堂怜良の気持ち

「あ、公開されたよ」

「どれどれ。あら、よく映ってるじゃない」

「すごく綺麗な映像ね」

「お兄ちゃん、かっこいい」


 土曜日の朝。優と怜良は咲坂家で朝食をとっていた。

 そして時間になり、優のホームページで収録のビデオが公開された。

 咲坂家で家族みんなで見ている。


「音声の録音状態もいいみたいだね」

「ええ。歌詞のイメージがよく映像化されていて、いい作品になっていると思うわ」


 優と怜良は自分たちの作品の仕上がりをチェックする。


「公演の時とは随分と違う感じにしたんだな」

「あのときは優の歌は上手すぎてびっくりしたけど、ビデオでは落ち着いた仕上がりに聴こえるわね」

「家で聴くなら、公演の時よりこっちの方が聴きやすいんじゃないかしら」

「お兄ちゃんの姿がしっかり見えて、とても見やすいよ」


 一曲目を再生しながら、桜たちは感想を言い合う。


「優の歌は心に染み入るわね」

「ああ、声や演奏もだけど、何か他とは違うな」

「多分だけど、歌詞に感情移入しちゃうのよ」

「うんうん」


 桜たちは映像と音声に聴き惚れた。


「おーい! おはよう、すごいじゃないか」

「お邪魔するわよー」


 村人たちがやってきた。


「おはよう、みんな。朝からどうしたの」

「どうしたのって、優くんの歌を聴きに来たんじゃないか」

「そうよ。やっと聴けるんだから。ここで聴いた方が楽しいじゃない」


 続々と村人がやってくる。

 桜たちはしょうがないので大広間を解放し、みんなで観覧することにした。

 大広間に映像を大きく映写し、音声を再生する。

 村人がつまみを沢山持ち込んで食べている。


「おおー、優くんが男前だよ。あんなに小っちゃかったのに」

「すごく綺麗な歌声だね。発声練習の甲斐があったね」

「あー、なんか心に染み渡るねえ。上手だねえ」

「他の歌手とは全然ちがうわ。わが村の自慢よね」

「こんなに綺麗な演奏なんて聴いたことないね。自分で演奏してるらしいじゃないか」


 村人には好評だ。


「どうですか、皆さん」

「優くん、すごいね。すごくいいよ。陛下が御覧になるわけだよ」

「ああ、歌声も演奏もすごくいい。ちょっと聴いただけで大ヒットするのがわかるよ」

「ええ、他の歌手とは比較にならないわね」

「学校のみんなと作ったっていうけど、すごい出来じゃないか」


 公演を聴かなかった村人からの感想は、世間の人の感想に近いものとなった。

 その後も上映が続き、村人たちは恋の歌にも反応する。


「優くんの歌を聴いていると、何だか少し心がドキドキしてくる気がするのは、私だけかしら」

「いや、私もだよ。非現実的な歌詞なんだけど、つい自分の気持ちに感じてしまうね」

「なんか不思議だねえ。恋だとか恋愛だとか、今まではそういう歌を聴いても特に感慨はなかったけど」

「映像のせいもあるかしら。なんかうっとりする感じがあるわ。これを家で流しているのも素敵ね」


 村人たちは思い思いに感想を言い合って過ごした。




「優くん、ちょっと席を外すわね」

「うん、わかったよ」


 怜良は間宮美幸からの回線呼び出しのために、別室に行き、携帯型のパネルを開く。

 すると六勝と間宮美幸との同時接続となった。


「怜良。いま間宮からの報告が入ったんだが、外国で不審な反応があったそうだ」


 六勝が言う。


「不審とは、どんな内容ですか」

「はい。エルス国で異常な再生が検出されたので調べたところ、政府の矯正施設でした。現在も調査中ですが、そこは狂暴化人間が多数収監されているようです」

「そういうことだ。どうやら狂暴化人間への影響を調査したと思われる」

「狂暴化人間……」


 怜良にとって、今まで関心を持ったことがない存在だ。男性保護局の管轄ではなく、保健省の管轄だ。


「怜良は狂暴化について知っているか」

「知識として発生防止の社会政策や歴史的事件としては知っていますが、症状などを実際に見たことはありません。現在のこの国には患者がいないと言う話ですが」

「そうだな。わが国は完全に封じている。だが間宮は症状を見たことがあるだろう」

「はい。海外にはそれなりに患者がいますから。確認され次第収監されるのが普通ですが、未確認や野放しの患者もいます」


 海外経験のある特等男性保護官は、狂暴化についてよく知っている。海外では国家の隅々まで効率化が行きわたっているわけではなく、男性が少ない地域が生じるために女性が狂暴化してしまうことが珍しくない。その襲撃に備えるのも必要だ。


 狂暴化というのは五段階のステージに分類される。

 第一ステージは、精神異常の症状だ。呼吸の異常などの身体症状も現れる。全く落ち着きがなくなり、睡眠時間が極端に減る。無意味に周囲に対する攻撃性が強くなるので、通常の精神異常と区別がつく。


 第二ステージは、人格の狂暴化が発生する。攻撃的人格が露出し、家族であっても暴力などの攻撃を繰り返す。これは本人の意思と関係なく反射的反応であるのが特徴だ。精神の拒絶と関係なく攻撃性が生じる。泣きながら攻撃を繰り返す者もいる。

 第二ステージまでは、回復するには適切な措置をしたうえで十年ほどかかる。


 第三ステージは、記憶の混濁と妄想の発生だ。この段階は意思が狂暴化に支配されているが時折正常な人格が現われたり、記憶もある程度残存している。

 第三ステージ以降は回復も軽減も例がない。


 第四ステージは、記憶の喪失だ。狂暴化前の記憶も人格も消失している。会話や意思疎通は不可能だ。狂暴化した動物と思えばいい。

 第五ステージは、身体能力の異常な上昇だ。発症前の三倍ほどに上昇している。通常はこの状態になると身体が耐えられず、長くても三年ほどで死亡する。


 曙国では撲滅に成功して百年以上が経つ。

 これは神の罰の一部とされているが精神面における罰の対処は難しい。


「公開から三十分で海外からのアクセスは遮断したそうだ。すぐには動きはないと思われるが、警戒を強化しておいてくれ」

「わかりました」


 回線は切れ、怜良は考え込んだ。

 いま六勝が詳細の議論をしなかったのは間宮美幸が同時に接続していたからだろう。恐らくすぐに悠翔天皇に報告するに違いない。

 外交が関係することから、怜良は近日中に首脳部で何か大きな動きがあるだろうと感じた。





 優の歌の公開は、その日のうちにあらゆるヒットチャートの上位を独占することとなった。発表された八曲全てがそのまま上位となり、各局ニュースでも優の歌がさかんに取り上げられ、優自身の情報も注目されるようになった。突如登場した次元の違う歌手には「奇跡の歌い手」としての評価がたったの一日で定着した。


 そして何より、優の歌は歌詞がそのまま視聴者に感銘を与え、広く国民に、忘れられていた感情を呼び起こさせた。ビデオ視聴ではその程度は僅かであったが、人々は繰り返し視聴することにより、心に恋情が芽生えていくのを感じた。


 人々は、それまで無意識のうちに心の奥底に封じていた異性への感情が、少しずつ自覚されるようになるのを感じていた。

 しかし男性には全く恋情が戻らず、女性ばかりが情緒を刺激されることになった。そのため優は子供でありながら、すでに国民のアイドルとなりつつあった。


 この週末にはすでに、人々は家庭でも店でも優の歌やビデオをいつも流し、街は優の歌がいつも聴こえるようになった。

 たった数日で優の歌は社会現象となっていた。





 優の歌が公開された翌日、日曜日の昼過ぎ。怜良は皇宮を訪れた。

 怜良と六勝は土曜日の夜に突然皇宮への出頭要請を受けたのだ。正装を着用するよう指示されたため、怜良はフォーマルスーツを着用してきた。特務隊の飛行機で皇宮敷地外に到着し、待っていた六勝とともに皇宮警護隊の迎えの車に乗り込んだ。


「今日の用件はわかりますか」

「いや、わからない。侍従長は何も言わなかった。先日怜良に話したように、特一級要人の指定とその理由について、陛下は国の中枢担当者にはすでに御話しになった。それに関連することだとしか考えられないな」


 車が皇宮に到着すると、侍従が最敬礼をもって出迎え、かなり歩いたあとに来賓室に通される。

 二人はなぜ来賓室に案内されたかわからない。


「侍従。ここは来賓室ではないか。我々が通される部屋ではないのではないか」

「いいえ。間違いではございません」


 侍従が慇懃に答える。

 侍従は余計なことを言わないものなので、二人は顔を見合わせて、よくわからないまま来賓室で待つことにした。


「用件はビデオの海外アクセスの件と関係があるのでは」

「そうかもしれないが、我々はほとんど調査が進んでいない。そもそも狂暴化に何らかの効果があるかもわからないからな。こちらの調査が出来ていなのに皇宮に呼び出すのは、その件とは関係がないと考えた方がいいだろう」

「そうすると国立音楽館の公演しか考えられませんが、優くんを呼ばないのはおかしいですね」

「そうだ。この呼び出しは意味がわからない。正装を要求するからには儀礼的な内容なのだろうが、何か名誉的な訓示か表彰でもあるのかもしれんな。ただその場合は内示があるのが普通だが。緊急に表彰というのもおかしな話だ」

「来賓室への案内なら、表彰以外にはない気がしますが、予告もなく優くん抜きで表彰されるのはおかしいですよね」


 結構な時間を待っていると、四礼侍従長が侍従を連れてやってきた。


「御待たせ致しました。御案内申し上げます」


 四礼侍従長が深々と頭を下げる。

 怜良も六勝も四礼侍従長の態度がおかしいことに気づいた。

 しかし宮中であるため、何も言うことなく案内を受けることにした。


 四礼侍従長が先導し、三人の前後を侍従たちがゆっくりと歩く。

 しかし歩みを進めるに連れ、六勝は慌て出した。

 そしてたまらず四礼侍従長に声をかける。


「ちょっと待ってほしい。四礼侍従長、まさかこれから我々を謁見室に案内するのではなかろうな」


 怜良は宮中には詳しくないので、六勝が何故慌てているのかわからない。しかしどうやら謁見室に向かっているようだ。

 

「六勝殿。お言葉をお控え願いたい」


 四礼侍従長は六勝の言葉に立ち止まったが、振り返らずに重々しい口調で言った。

 宮中では侍従長はただの使用人ではなく最高実務権限者であり、天皇直属の代行者であるため、形式上は相手の貴族の身分に関係なく言葉を発したり行動を制限することができる。

 六勝は四礼侍従長がいつもとは全く態度が違うので、何か考えつかないことが待っているのだと思い、そのまま付き従って進むことにした。


 やがて侍従が扉に控える謁見室の前に到着した。

 そして四礼侍従長が振り返り、深々と頭を下げる。


「須堂怜良様。これより御案内致します。六勝殿は侍従が案内します」


 そう言うと、四礼侍従長はまた前を向いた。そして侍従が「須堂怜良さま。御到着」と大きな声を発すると、扉が開かれた。





「喜んでくれるかな」


 怜良が作り置きしてくれていた昼ご飯を食べたあと、家の片付けをしてから、夕方になったので優は夜ご飯の用意をすることにした。怜良は皇宮に行ってしまい、こういうときには代わりの特等男性保護官が世話をしに来るが、優は怜良にそれを断った。怜良は渋ったが、言うことを聞いてもらった。


「最近は通学を始めてお世話をしてもらってばかりだし、この一週間は修学旅行で本当に沢山手間をとってもらったからね。それに小さい頃からの歌の夢を叶えてもらったから、お礼をしなきゃ」


 怜良は夜には帰って来ると言っていたので、お礼に夜ご飯を作ってあげる。

 歌のプレゼントは最近は沢山したので、料理をプレゼントすることにした。


「カレーライスと、サラダだね。もっと凄い料理を作りたいけど、いまはこれが精一杯だからしょうがない」


 優は怜良が好きな牛肉を冷蔵庫から取り出し、サイコロに切り分けていく。

 玉ねぎ、人参、じゃがいもを下ごしらえしていく。

 それが終わったら、鍋で炒めて煮込み始めた。


「次はサラダの準備。怜良さんは温野菜とかをよく用意するから、今日はお浸しにしていいかな。変かな?」


 優は湯を沸かし、ほうれん草をあっさりと茹でる。ざるに上げてから緩めにしぼる。

 出汁醤油を薄めにつくり、火にかけて味をなじませる。

 それを冷まして準備ができた。


 時々煮込みのアクをすくう。


「やっぱりこれがうちには欠かせないよね」


 優はゆで卵を作る。半熟でなければ感動が半減するので、しっかり時間を計る。

 自信がないので早めに火から降ろし、水にさらす。


 煮込みは時間をかけるので、優は食卓の準備をする。

 食事のマットを敷き、花壇から花を摘んで、小さな花瓶に生ける。

 それから怜良の好きそうな曲を、前世界の音楽から選ぶ。

 あとは怜良が帰ってくるのを待つだけだ。


「あ、もういいかな」


 煮込み時間が終わったので、カレールウを溶かす。

 うまく溶けたみたいだ。

 そこからとろ火で、木べらを使い焦げないように煮込む。


「早く帰ってこないかな」


 優は怜良がいつも淹れてくれるお茶を淹れて飲み、煮込みを続けながら怜良が元気に帰ってくるのを楽しみに待っていた。





 扉が開かれると、広めの部屋に、奥にやや高さと広さのある中央壇上に悠翔天皇が椅子の前に立ち、両脇に皇女が三人立っている。その壇の横からハの字に椅子が並べられ、女性たちが立っている。年齢層が高い。部屋全部で二十名近い。

 そして部屋の中央に豪華な椅子が一脚だけ置かれている。


 気付くと六勝は部屋の隅にある椅子に案内されていた。


 四礼侍従長が中央の椅子まで怜良をゆっくりと先導する。

 怜良が椅子の横に立つと、四礼侍従長は怜良に向き直り、深々と頭を下げ、悠翔天皇の背後に移動した。


 沈黙が訪れる。


「須堂怜良よ。よく来てくれた。座ってほしい」


 悠翔天皇が怜良に声をかける。怜良はよくわからないまま、一礼して豪華な椅子に座った。

 すると全員が着席した。


 怜良は何がなんだかわからない。


「須堂怜良よ。咲坂優の保護と世話、よくやってくれている。感謝する」


 そう言って悠翔天皇が怜良に頭を下げた。

 怜良も頭を下げた。しかし何だかわからない。


「本題に入る前に、少し聞きたいことがあるのだ。どうか答えてもらえないだろうか」


 悠翔天皇が怜良に穏やかに聞く。


「はい。何なりと」


 怜良は図太いので、落ち着いて答える。


「咲坂優との暮らしはどうだね」

「はい。優くんとの生活は楽しいものです」

「どう楽しいのだ」

「はい。優くんの楽しく幸せそうな顔を見ると、仕事を忘れて私も楽しく幸せを感じます」

「そうか」


 悠翔天皇は穏やかな表情を崩さない。


「咲坂優はどのような時に幸せを感じているか、わかるかね」

「はい。一緒に食事をしているとき、一緒に料理をしているとき、一緒に散歩をしているとき、一緒に花見にいくとき、一緒に部屋でゆっくり過ごすとき。

 歌を歌ってくれるとき、歌を褒めてあげたとき。

 小さいときには一緒にお風呂に入るとき、一緒に寝るとき。

 そしていまでも、一緒に手をつないで歩くときです」


 怜良は懐かしそうに答える。


「そなたは咲坂優が幸せを感じているとき、どう思うのだね」

「はい。私も幸せを感じています」

「それは咲坂優と同じ気持ちなのかね」

「はい。そう感じます」

「そうか」


 悠翔天皇は穏やかに微笑む。


「そなたは咲坂優にとって、どうありたいと思うのだね」

「はい。私は優くんを守る盾になりたいと思っています」

「それは力尽きる盾かね」

「最後にはそうなることも覚悟していますが、そうなるまでは優くんの人生の盾でありたいと思っています」


 怜良は視線を迷わせず、答える。


「人生の盾とはどういうことだね」

「はい。それは優くんが幸福な人生を送ることができるように、あるべき全てを用意し、あるべき経験、あるべき愛情を受けさせてあげることです」


 悠翔天皇は穏やかな表情を崩さない。


「それは親の役割ではないかね」

「はい」

「そなたは咲坂優の親になりたいのかね」

「いいえ」

「ではどうしたいのかね」

「はい。私は、優くんの礎となります」


 怜良は視線を揺らさずに答える。


「その言葉には報われない響きがあるが」

「はい」

「それでいいのかね」

「はい」

「どうしてかね」

「はい。それは私の願いは優くんの幸せだけだからです」

「そなたの人生はどうなっても良いのかね」

「はい」

「そなたの家族はどうなる」

「はい。私には娘がおります。娘も子を産みました。家族はすでに幸せです」

「それでもそなたの家族はそなたの幸せを願うのではないかね」

「はい。それでも優くんの幸せのために人生を捧げます」

「そこまでの気持ちは何故なのだね」


 悠翔天皇は寂しそうな表情で聞いた。


「はい。優くんには幸せがないからです」


 怜良は視線を揺らさずに答えた。


「咲坂優は幸せを感じているのではないのかね」

「はい。それはいまだけです」

「将来は幸せではないのかね」

「はい」

「何故それがわかるのだね」

「はい。それは優くんはいつも諦めているからです」


 怜良は悲しい色を目に宿らせた。


「何を諦めているのだね」

「はい。幸せになることをです」


 悠翔天皇は言葉に詰まった。


「何故咲坂優は幸せになることを諦めているのだね」

「はい。それは優くんには失う人生しかなかったからです」

「咲坂優は何を失ったのだね」

「はい。全てです」


 悠翔天皇は真面目な表情になった。


「咲坂優はまだ何も失っていないのではないかね」

「いいえ」

「何を失ったのだね」

「はい。失ったのではなく、何も手に入れていないのです」

「咲坂優はそなたとの幸せな時間を手に入れ、家族も手に入れているのではないかね」

「はい。それは優くんにとっては仮初かりそめです」

「やがて失うということかね」

「いいえ」

「どういうことだね」

「すでに失っています」


 悠翔天皇は迷いを見せた。


「どういうことか説明してもらえまいか」


 悠翔天皇が迷いの言葉を口にする。

 その言葉を聞き、怜良は厳しい表情で悠翔天皇の目を見据えて答えた。


「陛下は。」


 怜良は悠翔天皇に冷たい視線を向けた。


「優くんがどこからやってきたのか、御存知のはずです」


 怜良の言葉を聞いて、悠翔天皇は心臓を鷲掴みにされたような気持ちになった。


 今までは問題視していなかったこと。それよりも神の手がかりとしての価値が大事だった。

 この国のため、世界のため。だから優がどこからやってきたのか、考える必要がなかった。


 優は生まれてすぐに大人のような反応を示し、歌を口ずさみ、異常に頭が良く、分別があり、大人のような会話をし、誰も知らない歌を歌う。そして歴史も政治も世界の関係も、全て達観している。


 これらの結論は一つ。

 彼には前世の記憶がある。それも高度な教養のある大人の。


 その彼は「幸せを始めから失っている」と怜良は言う。

 つまり彼の前世には幸せがなかったということ。

 あるいはそう言えるほどの痛みがあったということ。

 怜良はそう言っている。


 あなたにも分かっているはず。

 それなのに優の心に重きを置かず、自分や国の都合を優先している。


 あなたは優のやりたいようにさせている。

 しかしそれは優のためではなく、自分や国のため。


 優の幸せは二の次で、「幸せ」と「楽しみ」の区別さえしていない。

 まるで子供の望むままに玩具を与えるように。

 言いなりにさせるために。


 悠翔天皇は怜良にそう言われている気がした。


 悠翔天皇は何も言えず、沈黙が続く。

 怜良が言葉を続ける。


「私は、優くんがまだ三歳の頃から、あの子が諦め、甘えることに遠慮をし、褒められると寂しい顔をし、子供が当たり前に要求することを何も求めず、僅かで小さくて当たり前のことをまるで宝物をもらったように喜び、大人が当然に子供に向ける優しさを怖がる姿をいつも見てきました。

 思いつめたような表情をしてからぎこちなく子供らしい振舞をし、私の手を握るときにはいつも一瞬ためらい、夜寝ているときには眠っているはずなのに私の寝間着の端に小さな手で必死にしがみつき続ける。

 優くんは何かを手に入れても、人から褒められても、いつもそれを失う覚悟が一番先に現れるのです。失う覚悟の上に手に入れるのです。それは始めから失っているのです。あの子はそうやって生きるしかない人生だったのです。

 あの子にとって、この世界で手に入れるものは、全て失う覚悟の上にあるもの、始めから失っているものなのです。

 だから今の幸せが終わったら、あの子が積み上げた幸せは、あの子にとってはたちまちに消えてしまうのでしょう。

 あの子は積み上げた幸せが消えてしまうその日を毎日こころに刻みつけながら、いつも生きているのです。

 だからせめてあの子の幸せが消えてしまわないように、私が命の続く限りあの子の礎となって、幸せな人生を続けさせてあげるのです」


 怜良は涙を流しながら、拭うことなく視線を落とした。


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