50 枢密会議
優が大ホールから出てくると、先に退場した怜良が待っていた。
「ただいま、怜良さん」
「お帰りなさい、優くん」
優は笑顔で怜良に声をかけた。
怜良はいつもと同じ、優しい笑顔で優を迎えた。
「怜良さんのおかげで、夢がひとつ、叶ったよ。ありがとう」
そう言うと優は怜良の手を握り、子供の頃のように歩き出した。
怜良も小さかった頃の優を思い出し、二人で並んで通路を歩いた。
二人にとって、それは出会って以来、変わらない関係だった。
優が退場すると、ホールが少し明るくなり、貴賓席に拍手が向けられる。
悠翔天皇たちは立ち上がり、手を振る。
歓声と拍手が大きくなり、貴賓席のカーテンがゆっくりと閉じられた。
ホールの照明が点灯し、公演終了の合図となった。
カーテンが閉じられた貴賓席は静かだった。
水碧皇女が立ち上がる。他の皇族、天皇も立ち上がった。
水碧皇女はゆっくりと歩いて桜たちの近くにやってくる。
桜たちは全員立ち上がり、一塊に並んだ。
すると突然、水碧皇女が頭を下げた。
皆が驚く。
そして水碧皇女は顔を上げ、言った。
「咲坂家の皆さん。よくぞ優くんを産んでくれました。そしてよくぞここまで育ててくれました。礼を言います」
水碧皇女の言葉を聞いて、桜たちは驚いて声が出ない。
男性は国の共有財産なので、このような言い方自体にはおかしさを感じていない。
「皇族、天皇にとって、その言動は公の意味を持ちます。意図がどうあれ、国の内外に客観的な意味が生じます。それが貴族の世界です」
水碧皇女は重々しく言う。
「わたしは皇女である前に母親です。悠翔が間違ったことをすれば、諫めなければなりません」
水碧皇女は悠翔天皇を見る。
「昨日、悠翔がわたしのところにやってきて、今回の公演を共に観覧するようにと、言ってきたのです」
水碧皇女は厳しい表情をする。
「皇族、天皇が公演に出席すれば、それは公演に天皇家の公認を与えることになり、逆に天皇家には品位と判断が問われます」
水碧皇女は視線を落とす。
「だからわたしは、今回の出席に反対しました。評価が確定していない人物の公演に天皇家が揃って出席すれば、失敗した場合に取り返しのつかない傷を天皇家に負わせることになるからです。しかし悠翔は引きませんでした」
水碧皇女は小さく笑う。
「今まで、悠翔がこのように頑なであるときは、後から見ると、その判断は必ず正しいものでした。ですからわたしは公演に出席することにしました」
水碧皇女は桜たちを見回す。
「しかしさらに咲坂家のご家族を同席させると聞いて、それを受け入れることはできませんでした。
それは天皇家による公認を意味するだけでなく、演者とその家族に後ろ盾を与えることになるからです。それは前例がありません。
だから当日に、同席を止め別室で観覧してもらうよう、咲坂家のご家族にお願いするつもりでした」
桜たちは下を向く。
「しかし来賓室で咲坂家のご家族に悠翔が会い、話す様子を見ていて、わたしは皆さんと同席することを決めました。
悠翔があのように親しく、安心した様子でわたしたち家族以外に話す姿を見たことがありません。初対面の皆さんにあのように話すということは、優くんに余程の信頼を持っているのだとわかりました。
だからわたしは悠翔の好きにさせようと、あの時に思いました」
桜たちは顔を上げる。
「いま、優くんの公演を見ていて、悠翔の判断は正しかったことが、良くわかりました。
昨日、天凛を紹介し、友誼を結ばせた意味もわかりました。
やはり悠翔は、天皇としてこの国の未来を考えているのだと、改めてよくわかりました」
水碧皇女は桜たちに微笑みかける。
「われらは、優くんと、咲坂家の皆さんと、友誼を結ぶべきだとわかりました。
咲坂家の皆さん、われらと友人として、今後お付き合いしてもらえますか」
水碧皇女の思いがけない言葉に、桜たちは冷静ではいられない。
「恐れ多いことでございます」
桜は目を伏せながら答える。
「何も気負うことはありません。身分や社会的立場のことは、皆さんが考える必要はありません。優くんと天凛も友人となっています。その家族としての交流だけでも構いません。どうかお願いできませんか」
水碧皇女は遠慮する桜たちに、畳み掛ける。
逃げ場を失い、断るわけにもいかず、桜たちは意識を奮い立たせて答えた。
「光栄でございます」
そう言って頭を下げる。
水碧皇女は「頭を上げてください」と声をかけた。
「申出を受け入れてもらい、感謝します。それでは友人の証に、これを」
そう言って、水碧皇女は胸元につけている大きな宝石のブローチを外し、桜の手をとり握らせた。
桜は固まっている。
「そういうことなら、わたくしもこれを」
続いて、やり取りを見ていた翠曄皇女が巴に近づき、同じく胸元につけている宝石のブローチを外し、巴の手をとり握らせた。
巴も固まっている。
「わたくしも、ですわ」
天凛皇女が八弥に歩み寄り、同じく胸元のブローチを外し、八弥の手をとり握らせた。
八弥はにっこりとしている。
「それでは、わたしからは彩さんにこれを」
悠翔天皇が彩に歩み寄り、同じく胸元のブローチを外し、彩の手をとり握らせた。
彩も固まっている。
「今日は記念すべき、大変良き日となった。いまから昼食をとりながら交流を深めよう。貴賓室に料理を運ばせるとしよう」
悠翔天皇がそう言うと、ようやく桜たちは起動した。
「そ、そ、そんな、受け取れません! 恐れ多いことでございます」
必死になって桜たちは頭を下げる。
手に持ったブローチをどうしていいかわからず、あたふたしている。
そんな桜たちに悠翔天皇は微笑みかけ、言葉をかけた。
「どうか受け取ってほしい。ただの記念だ。何より、そのブローチには天皇家の紋が入っている。もし優くんに何かあれば、われらの後ろ盾の証として使ってほしい。友人の証として、どうかお持ちください」
桜たちは悠翔天皇に恐ろしいことを言われ、余計に持っているわけにはいかなくなったが、そこに侍従長が「咲坂優さまがいらっしゃいました」と伝えたので、悠翔天皇は優たちを招き入れた。
「皆さんこんにちは。公演はどうでしたか」
いつもと変わらず呑気に優がそう言うと、天凛皇女が走り寄り、優の両手を握った。
「優さま! わたくし、感動いたしました!」
天凛皇女の行動に優が固まる。
侍従長たちも予想外の行動に驚いていて、誰も止めない。
天凛皇女がこのように感情を表すのを見るのは、みんな初めてだった。
「天凛さま、ありがとうございます。喜んでいただけたようで、何よりです」
優は侍従長の視線を感じながら、にこりと笑って天凛皇女の手をゆっくりと引きはがした。
「今日は僕の公演に来ていただき、みなさんありがとうございました。僕なりに満足のいく公演でしたが、みなさんにも気に入っていただけたら嬉しく思います。
そして陛下、僕の家族を呼んでくれて、ありがとうございました」
優は悠翔天皇に頭を下げた。
「優よ。今回の公演は大変素晴らしいものだった。想像以上だったぞ。そのたの実力、しっかりと見せてもらった。よくやった」
悠翔天皇は笑顔で優を褒めた。
「優くんですね。皇女の水碧といいます。本日の公演、とてもよいものでした。観覧できて嬉しく思います」
水碧皇女が優に言葉をかける。
「御目にかかれて光栄です。咲坂優といいます。観覧していただき光栄です。気に入ってもらえて嬉しいです」
優は水碧皇女に向き直り、頭を下げた。
「わたくしは皇女の翠曄といいます。優くん、わたくしも大変感動しました。素晴らしい歌声ですね」
翠曄皇女が声をかけるので、優は同じく頭を下げた。
「ありがとうございます。御目にかかれて光栄です。観覧していただき感謝申し上げます。本日の成功は陛下の御配慮の賜物です」
優が挨拶を述べていると、悠翔天皇が再び声をかけた。
「優よ、ご家族が何よりお喜びだ」
悠翔天皇が優を手で招いて桜たちに引き合わせる。
悠翔天皇の言葉を聞いて、桜たちが優に声をかけた。
「優、あなたの歌は、とても良かったわ。初めての公演ね。成功おめでとう」
「最高だったぞ」
「本当によかったわね。おめでとう」
「お兄ちゃん、かっこよかったよ」
桜たちに抱きしめられる。優はみんなに褒められて、公演をしてよかったなと思った。
「優くん! すごかったよ!」
「あんなの初めて聴いたよ!」
「あのね、あのね、感動したよ」
優は制服に着替え、一組のいるところに戻ると、女子生徒たちにもみくちゃにされた。
泣いている子もいる。
「舞台に登場すること、なんで黙ってたのよ!」
「やっぱり普通の中学生じゃいられないわね」
「これから大変だよ、優くん」
「かっこよかったよ」
「あとでサインちょうだいね」
班員は落ち着いている。塚原ひよりたちに色々聞いたようだ。
「みんな、黙っててごめんね。陛下や皇族の出席で色々と制約があってね。でも公演が成功して、ほっとしているよ」
「歴史に残る公演だったね。最初は驚いたけど、優くんの歌も曲も、どれもとてもよかったよ」
「一気に頂点に行っちゃったね。昨日は男性保護局であんなこと言ってたけど、全部実現しちゃうなんて思わなかったよ。おめでとう、優くん」
「優くんの公演があんなにすごいなんて、思わなかったわ。今でもまだドキドキが止まらないの」
「男の子の歌って、あんなにすごいんだね。女の子じゃとてもかなわないよ」
「大人の優くんは、とってもかっこよかったわ」
「ありがとう。でも大人の僕……?」
最後におかしな言葉があったが、優は班員に祝福されて素直に喜んだ。
「私たちはもうすっかり優くんのファンよ。これからも歌うときには呼んでね。見に行くわ」
「そうだよ。こんなの見せられたら、もう他の男の人の歌は聴けないよ」
「今日の観客はみんな優くんのファンになっちゃったよきっと。特にアンコールのあれは、メロメロだよね」
「そうだよ優くん。あんなことしたらダメなんだからね。反省して!」
「あんなこと……? 何のこと……?」
またおかしな言葉があったが、優はクラスの生徒たちに褒められて素直に喜んだ。
「昨日の皇宮の出来事も、優くんのおかげだったんだって、今日わかったよ」
「優くんが会っていたのって、陛下たちだったんだね」
「陛下と知り合いなんて、さすがに想像できなかったわ」
「今回の修学旅行は優くんのおかげで沢山のすごい思い出ができたよ。ありがとう」
「寮に帰ったら先輩たちに何て話していいかわかんないよね」
優はみんなに隠れて色々しなければならなかったので、今こうしてわかってもらえて嬉しかった。
優は前世を含めて初めての修学旅行が、こうして楽しい思い出でいっぱいになって、幸せを感じた。
そうしていると黒須綾香担任先生がやってきて声をかけた。
「すごかったわね、優くん。公演成功おめでとう。陛下も皇女さま方も、お喜びだったわね。すごいことだわ」
「はい。上手くいきました。先生方にもご協力いただき、ありがとうございました」
「私も面白い経験になったわ。歴史の一ページに関わることができて、楽しかったわ。でもこれからも色々ありそうね。そのときはまた頑張りましょうね」
「ははは。ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします」
優は頭を下げ、さらに女子生徒たちに質問攻めにされた後、自由行動になった班員と昼食を食べに行き、お土産を買いに行った。
「優くん、寝ちゃったわね」
帰りのバスで、優の隣の座席になった苅橋希は優と話すのを楽しみにしていたが、優が疲れてうたた寝をしてしまっていたので、先生に毛布を出してもらってかけてやり、まだ幼さの残る寝顔を見つめてから、そっとしておいた。
公演のあとの午後三時。皇宮には国の中枢を担う者が集められた。
元老、三権の長、十大貴族の長。
枢密会議の開催である。枢密会議とはこの国の天皇の諮問会議である。天皇が重大な判断をするときに招集される。
この国では地方行政も国家の管轄であり、行政区の長を始め、国家機関の要職は貴族が務めている。土地は国有であり、貴族も土地を保有しない。貴族は名誉を最も尊重し、公正であることを特に重んじている。そのため汚職などは貴族会議により厳しく処断され、貴族は国民の厚い信頼を得てきた。
貴族は十の血筋に大別される。貴族は複数の子を出産していた時期があり、また貴族は赤系統の目の色をしているのが特徴である。
そして貴族の姓には数字が含まれる。壱条、三葉、四礼、五雷、六勝、七星、八凱、九皐、百敷、千堂の十家である。三権の長も侍従も元老も、全てこの十家に属する。そして十大貴族の長は役職には就かない慣例であり、一族の取りまとめをしている。
この国の議会は貴族院のみであり、選挙はない。議題提出権が様々な団体や役職員に認められている。
裁判所は監察裁判制度による統一裁判所のみである。監察裁判とは、裁判官の不正不当裁判を封じるために監察組織が一元的に裁判手続き全てを法令に従い監督し、裁判の公正を維持するこの世界独自の制度である。
この十四人がドーナツ型の円卓に着席し、あとは悠翔天皇、皇族、侍従長の到着を待つだけである。
部屋には重苦しい空気が流れていた。
ここにいる誰もが優の公演のこと、天皇家の出席のこと、平民である咲坂家の貴賓席での観覧を知っているからである。
当然、誰もが問題視していたが、何より悠翔天皇の提案に皇族が全員応じていることから、口を差し挟む余地がなかった。
この国では陰謀は基本的に存在しない。神の罰に対処するのに精一杯で、人間同士で足の引っ張り合いをする余裕はないからである。従ってお互いに情報は極力開示し、協力をするようになっているし、きちんと説明や議論をする。
今回の招集も昨日に伝えられ、悠翔天皇からの今回の説明がなされるためのものとわかっていた。貴族たちも悠翔天皇を糾弾するつもりはなく、事情を知りたかったのだ。
こうして昨日からあらましは伝えられていたが、さきほどもたらされた報告はさらに信じられないものだった。
「アルタモードの起動」「男女の恋愛の歌」「類まれな歌手」「中学一年生男児」。
そしてそれが「大歓声」で受け入れられたこと。まだ僅かの時間しか経っていないにもかかわらず、すでに世間ではこの話題で持ちきりだ。
その直後のこの招集。世間話をするようにこの少年の話をするはずがない。この出来事の異常性が際立つ。
予想のつかない重大な話があるのは分かりきったことだった。
「御到着」
侍従がそう言うと、全員が起立し、頭を下げた。
侍従長を先頭に悠翔天皇、皇族が入室し、礼を終えて着席した。
重大会議であるので、人払いがされる。四礼侍従長だけが今回は残された。
「今日は忙しい中、集まってくれて感謝する」
悠翔天皇が前置きなく話を進める。
「みな聞いていると思うが、先ほど、国立音楽館で公演が行われた。そこにわれら天皇家全員が出席した。公演は大成功だった。
それに関連し、今日はそなたらに重大なことを伝える。そのために集まってもらった」
悠翔天皇がそう言うと、緊張が走った。聞きたいことは皆たくさんあるが、きっとその「重大なこと」に基づくものだと気づき、口をつぐんだ。この場には揚げ足取りをしようとする者や貶めようとする者はいない。
「余は、特一級要人を指定した」
悠翔天皇の言葉を聞き、皇族も含め、その場の誰もが息を飲んだ。
皆言葉が出ない。
「特一級要人の名は、咲坂優という。今日の公演で歌った、中学一年生男児だ」
水碧皇女は、この言葉を聞いてようやく今回の出来事の真の理由を理解した。
天凛皇女は表情が固まっている。
「特一級要人の指定は、九年前に、余の独断で緊急権限の発動として勅令により行った。それに伴い、余の直属として六勝千景を対象保護の責任者とし、対象の専属男性保護官の須堂怜良を現場責任者とした。保護対象を守るため、指定の事実は極秘とした。
今回、対象が公に活動を始めたことから、今後の不測の事態の発生に備え、そなたら曙国の中枢にだけ開示することとした。国民への開示は時機をみて行う」
悠翔天皇は一気に話した。
誰も言葉を発することが出来ない中、一息ついてから、表情を引き締めてさらに続けた。
「指定の理由であるが、対象が今後の人類存続の唯一の鍵だからだ」
悠翔天皇はその時、天凛皇女を見つめた。
そして全員を見回し、言った。
「突然だが、この時代の名称が決まったのだ。それは滅亡世界だ。
……神の罰の再発動が確認された」
誰もが信じたくない事実。全ての希望を打ち砕く事実。
若い天凛皇女を不憫に思い、悠翔天皇は心が痛んだ。
「再発動の内容は、男児出生数の減少だ。いまは顕在化していないが、今後拡大することが予想される。やがて社会を正常に維持できなくなるだろう。
五百年前の男性人口の減少が、再び動き出したのだ。そして恐らく、今後減少が止まることはないものと考えている。
再発動の事実を知るのは、我らのみだ」
あまりに重大すぎて誰も発言することができない。
悠翔天皇は続ける。
「このままでは人類は絶滅する。
だが、一つだけ手がかりがあるのだ。それが咲坂優だ。
だから特一級要人に指定し、守ることにした。
彼の存在にはわが国と、人類全ての存亡がかかっておる」
誰もが全く理解できない。
「今後、咲坂優を奪おうとする動きが世界中で起こるであろう。それを見越してすでに手はうってある。しかしそれでも十分ではない。だから今後、あらゆる方法を以て保護を行う必要がある。だからそなたらには協力してもらいたい。
以上だ。質問を聞こう」
次から次へと、時代を揺るがす事実の開示。
あまりに唐突過ぎて、あまりに重大過ぎて、質問さえまとまらない。
重苦しい沈黙が続く中、元老の九皐出流が落ち着いた声で言葉を発した。
「陛下。人類の絶滅は、間違いありませんか」
「うむ。おそらく間違いない。再発動は五十年以上前から起こっておる。クローン人間が突如絶滅してから、ちょうど五百年だ。それ以来、拡大を続けておる。今後、拡大が止まる理由がない。あとは時間の問題だ」
「冷凍精子を拡充するなどの対処では止められませんか」
「恐らく無理だろう。五百年前と同じだ。小細工は封じられるだろう」
子宮欠損症の拡大は人工授精をも阻害してくる可能性もある。もし精子の備蓄を増やしたとしても、男児出生数が零になれば、どのみち人類は途絶えるしかない。クローン人間が絶滅したとき、あらゆるクローン技術が封じられたことを考えれば当然の結論だ。神の罰は必ず目的を果たす。
元老は厳しい表情を崩さず、言葉を継いだ。
「わかりました。今後、あらゆる事態に備えましょう」
元老は端的に悠翔天皇の言葉に同意した。
「陛下。御発言がいずれも重大に過ぎます。さすがに何らの証拠もなく、賛同するわけには参りません。何か我々の納得できる証拠はございますか」
壱条柚葉が静かに、落ち着いて言う。
「そなたらが納得できる証拠はない。せいぜいが、今後男児出生数の減少が顕在化したときのデータくらいだ」
悠翔天皇は、子宮欠損症の写真のように、自らに起こる現象も優の能力も、話しても意味はないので言わないことにしていた。
「現段階では何もないのですか」
壱条柚葉は真剣な表情で聞くが、悠翔天皇の返答は変わらない。
「この神の罰の再発動は、そなたらには認識出来ぬのだ。だから余を信じてもらうしかない。
すぐには信じられぬだろうが、男児出生数の減少が顕在化してからでは手遅れなのだ。顕在化すれば混乱はすぐに拡大して、社会を正常に維持できなくなる。時を置かず女性の狂暴化も発生しだすだろう。
しかもその時には咲坂優は外国に奪われるか殺害されるかしておる。そうなれば人類の絶滅は避けられぬ」
沈黙が訪れる。
「咲坂優が人類存続の鍵であるとは、どういう事なのですか」
八凱馨が問いを発する。
「五百年の昔から、神の罰というものは、現世界の人々にかけられた呪いのようなものなのだ。咲坂優はその呪いを解く手がかりとなる者だ。彼と関わることにより、人々は精神や心が変化する。それがどのような影響をもたらすか、まだわからぬ。
だが神の罰の呪いに干渉できる存在は、彼をおいて他におらぬ
彼が今後どのような力を発揮するかはわからぬ。だが我々は待つ以外にできることはない」
「彼は神の罰の再発動に対抗できる者ということなのですか」
「それは今はまだ分からぬ。今わかるのは、彼が神の罰の再発動に対抗する手がかりであるということだけだ」
再び沈黙が訪れる。
「余は彼が生まれた時から、十二年間にわたり観察を続けてきた。そして彼がこの世で唯一の神の手がかりであるとの確信に至ったのだ。
今は神の罰に対抗する方法は分からぬ。だから彼と共に生き、彼を手がかりとして対抗方法を見出すしかないのだ。
彼から何がもたらされるかは分からぬ。だから彼の心の赴くままに、行動させておるのだ」
決定的な証拠もなく、結局は悠翔天皇の主観しかないことに、貴族たちは判断を決めかねていた。
すると水碧皇女が立ち上がった。
「わたしから、皆に頼みます。陛下を信じてはくれまいか」
水碧皇女はそう言って頭を下げた。
誰もが驚いた。
「どうぞ御顔をお上げください。そこまで仰る理由を御聞かせ願えませんか」
八凱馨がそう言った。
「わたしは今日、咲坂優の公演を聞いて、陛下の仰ることが正しいのだと分かったのです。
今日の公演の前まで、皆と同様に、わたしには迷いがありました。しかし咲坂家との同席も、天皇家全員の出席も、間違いではありませんでした。公演が終わる頃には、陛下がこの国のことを真に御考えであることがよくわかりました。
今、わたしたちは神の罰の再発動や、咲坂優の存在について議論していますが、これも陛下がわたしたちに御話になるまでは、誰も知らなかったことです。
いまの話によれば陛下は十年以上にわたり、一人この問題に取り組んでこられたことになります。
その間の孤独、悩み、責任を想えば、陛下の御言葉を信じるのが正しいのだと思うのです」
水碧皇女はそう言った。
誰もが押し黙る。
百敷彌栄が言葉を発した。
「殿下、どうか御座りください。殿下の御気持ちは十分に分かりました。我々は臣下としての覚悟を決めねばなりません。事が重大でありますので、今少しの時間を頂きたい。
四礼侍従長。そなたは陛下の御話をどう思う。個人として率直に申せ」
悠翔天皇の後ろに控えていた四礼侍従長は、悠翔天皇を見た。
悠翔天皇は振り向かずに頷き、発言が許された。
四礼侍従長は深く一礼し、言葉を発した。
「わたくしは、陛下の御言葉に間違いはないと、思います」
侍従長は落ち着いた声でそう言った。
「それは何故だ」
百敷彌栄が聞く。
「わたくしは、副侍従であったころから、陛下が咲坂優を御気にかけ、いつも配慮なさっている姿を御傍で拝見してきました。今まで何故そこまで気を御かけになるのか分かりませんでしたが、ようやく納得致しました。
今までの陛下の態度、行動を拝見していれば、陛下の御言葉が真実であると思わざるを得ません。
何より、陛下は常にこの国、この国の民のことを第一に考えて来られたと思います。わたくしは、今の御話を御聞きしても、その考えに変わりはありません」
侍従長はそう言って頭を下げた。
百敷彌栄は視線を落とし、考え込んだ。
神の罰の再発動のことも、神の手がかりのことも問題であるが、貴族の長たちにとって今は特一級要人の指定が大きな問題だった。悠翔天皇よりも上位の保護順位であるため、自らの一族はもちろん、悠翔天皇さえ咲坂優のために犠牲にする可能性があるからだ。ここで安易に指定に同意すれば、悠翔天皇や皇族を犠牲にする可能性がある。
だからたとえ悠翔天皇の願いであっても、頷くわけにはいかないのだ。今回の指定は、咲坂優のために悠翔天皇の命を差し出すと言っているのと同じだ。
もちろんすでに緊急権限により指定がなされているから、貴族の長の同意は手続き上は不要である。しかし悠翔天皇は貴族の長の意思を安易に無視することはしないと皆わかっている。この場は合意を作り出す場なのだ。
沈黙が続く中、千堂焔が発言した。
「わたくしは、陛下の御話を信じるも信じないも、今は何も申せません。しかし陛下御自身を信じるかどうかと言えば、いつも信じております。ですから陛下の願いであれば、それに従います。
ですが、特一級要人の指定は陛下も皇族の方々も犠牲にする可能性を持ちます。ですからわたくしにとって今一番の問題は、咲坂優を天皇家を犠牲にしてでも守るべきかどうかにあります。
陛下。我々は陛下や皇族の方々を犠牲にしてでも、咲坂優を守らねばなりませんか。
万が一にも陛下や皇族の方々が失われた場合、それでもなおわが国の国民は咲坂優を守り、生きてゆかねばなりませんか」
千堂焔の静かな、深い眼差しをした表情からは、天皇家に対する慈愛と悲しみが感じられた。
「五百年前、人類は神の罰にただひれ伏すだけだった。だが今回は手がかりがある。彼は神が我々に与えた救済の糸口なのだ。だから今回の再発動は罰であるだけでなく、神による人類への試練なのだ。試練に打ち勝つには、咲坂優に頼る以外に方法はない」
悠翔天皇は迷わずに、千堂焔を見据えてはっきりと断言した。
「天皇家が途絶えようとも、咲坂優がいればこの国も人類も生き残る可能性がある。咲坂優が失われれば、この国も人類も生き残る可能性はない。
皇族も、その運命に従ってもらう。皇女たちよ、それで良いな」
悠翔天皇が三人の皇女に目を向けると、三人とも穏やかな微笑みを浮かべて頷いた。
それを見て、皆大きくため息をついた。
十大貴族の長、三権の長、元老は、全員が次々と起立し、頭を下げた。
そして顔を上げると、千堂焔が代表するかのように言った。
「我々は陛下の御判断に従いましょう。陛下の御指示に従います。力を合わせてこの困難を乗り越えて行きましょう」
その言葉を聞くと、悠翔天皇と皇族は立ち上がり、「感謝する」と言って頭を下げた。
その後、内密に関係各所が優の保護、神の罰の再発動の調査、予想される危険の発生へ対応することがそれぞれ確認され、優自身に対しては従来通り天皇家と男性保護局のみが関わることが決まった。




