5 八弥とお昼寝
「当たり前でしょうけど、優の教育状況の詳細については保護局は把握しているのよね。」
彩さんがそう言う。特例許可なんて、なんか仰々しいもんね。
「はい。特に通常と異なることが観察された場合には、最終的に本部に通知されます。優くんのように成熟度合いや教育習得の進展が早いと、教育方針や受け入れ機関の変更が必要になる可能性があるので、なるべく早い段階で把握する必要があります。
特に一般居住区での生活の準備には、きちんと優くんの状況が把握できていないと混乱が生じ、優くんの心身の成長に悪い影響が生じる可能性があります。少なくとも成人するまでは周囲のサポートが欠かせません」
怜良さんがそう言うとみんな納得したようだ。
「優の教育や保護のことは保護局に頼りっきりになるんだ。どうかよろしく頼みます」
ユリおばあさんが怜良さんに頭を下げた。
「ええ、お任せください。許可があるので皆さんは優くんに情報開示ができるようになりましたが、父親のことも含め男性のことや社会状況については、今後私から優くんに教えていきます。今日は皆さんと優くんの最初の顔合わせですから、気楽な話題の方がいいでしょう」
怜良さんがそう言ってまとめるので、僕は気を利かせて子供らしく質問してみた。
「みんながしゅんでいるとこは、どんなとこなの?」
頑張って発音すると、巴さんが元気に答えた。
「さっき言われたとおり、こっから二時間くらい走った高原だよ。川が流れて広々していて、綺麗なところだ。うちはキャベツ畑だけど、村には牛を飼ってる家もある。
天気のいい昼間はたくさんの牛が日向ぼっこしてるようなところだ。周りはみんな農家だよ。
のんびりしていいところだ。早く優に見せてやりたいなあ」
景色が綺麗なところっていいな。前世でも施設でも、景色なんてなかったからね。
「いちゅか、みにいける?」
僕が怜良さんに聞いてみると、怜良さんが意外なことを言った。
「ええ、小学三年生からは咲坂家の近くに住むかもしれないから、そうしたら毎日見れるわよ」
おお、そんな予定があったのか。ここを出て行ったらみんなの近所に住むかもしれないんだね。あと五年くらいかな。そんな広いところに住んだら、毎日走り回っちゃうよ。
「そうね、そうなる日が来るといいわね。待ち遠しいわ。きっと気に入ってくれると思うわ」
桜さんが目をキラキラさせて答える。すると「そういえば」とユリおばあさんが怜良さんに質問した。
「男性数の調整はどうなりますか」
「それは優くんの成人までに決定されますので、当面は予定に変更はありません。優くんの成人後の生活形態が定まるまでは現状のままとお考えください」
調整? なんかあるのかな。
「なんのことでしゅか?」
僕が怜良さんに問いかけると、怜良さんは「いずれまとめて説明してあげるわ」と笑ってごまかした。
まあいいけど。
「優くん、皆さんと仲良くやっていけそう?」
怜良さんが聞いてくるので、僕は「もちろんでしゅ!」と笑顔で答えた。それを聞いてみんなが「よかったわ」と嬉しそうに頷きあっていた。
それからは農家の様子などを聞いていたが、だんだん目の前の状況が気になってきた。
それは桜さんの膝に乗せられている八弥のことだ。
さっきからうつらうつらしている。
みんながここに来てだいぶ時間が経過しているから、すっかりおねむだ。
八弥はえんじ色のワンピースを着ている。
明るい茶色の髪、濃い茶色の目で、彩さんによく似たかわいらしい女の子。
髪の毛は頭の上のほうに左右ふたつ束ねてゴムで結んである。
早く寝かせてやらなければ。
初めての妹だもんね。
怜良さんと過ごしているせいか咲坂家には未だ愛着がわかないけど、妹は別だ。
僕よりもちっちゃい!
「ねえ、ややをねかせてきていい?」
僕がみんなに聞くと、
「あら、すっかりお昼寝の時間ね。お願いしていいかしら」
桜さんが微笑んでそう答えてくれた。
さっそく僕は立ち上がり八弥を抱えようとしたが、自分も小さくて無理だった。
そこで桜さんが八弥を抱きかかえたまま、ベッドまで一緒に運んで寝かせてくれた。
「ぼくはここでいっちょにいるね」
そう言うと、桜さんが「よろしくね」と言って頭をなでてくれた。
桜さんが部屋を出て行ったあと、僕は布団に潜り込んで、八弥をよく観察してみた。
小さな手を顔のところで握って、スース―寝息を立てている。
口が少し開いていて、きっとよだれがでてきちゃうよ。
ほっぺがぷっくりしていて、とてもかわいい。
僕は八弥と向い合わせに横になって顔を見ていたら、いつの間にか寝てしまっていた。
じー
うん?
何やら視線を感じる。
じー
やっぱり感じる。
僕は自分が眠っていたことに気づいて、目を開いてみた。
すると目の前の八弥のまんまるな目と目が合った。
「もうおきたの?」
八弥に聞くと、「うん」と答えた。
「おきよっか。おかあしゃんたちがまってるよ」
そう言うと八弥が頷いたので、起きることにした。
僕はずりずりとベッドから床に降り、八弥に手を差し伸べる。
八弥は小さくて、床まで結構高さがあるな。
そこで頑張って抱きかかえて降ろすことにした。
「よいちょお!」
気合いを入れて八弥を正面から抱きかかえると、よろよろと倒れそうになる。
だけど渾身の力を振り絞り、何とか床に立たせることに成功した。
最初は床に座らせようと思ったけど、逆に高さがあって落下しそうだったから、立たせることにした。
「ふう。いこっか」
八弥と手をつなぎ、応接間に向かった。
八弥は何も話さなかったけど、とことこ二人で歩いた。
「おきまちた」
そう言って部屋に入ると、みんながこちらを見てきた。
「よく寝ていたわね」
彩さんがニコリと笑ってそう言うと、みんなが微笑んでくれた。
ガラス窓の向こうは日が傾き、もう夕方。
そろそろみんなが帰る時間だ。
「もう帰る時間ね。今日は初めて顔を見れたけど、今度からはもっとお話しましょうね」
僕と怜良さんが外に見送ると、彩さんやみんなはそう言って帰っていった。車で来ていたんだね。八弥が「ばいばい」と手を振ってくれたことが今日一番うれしかった気がするよ。
「おつかれさまでした。よく頑張ったわね」
僕と怜良さんは部屋着に着替えて、怜良さんがつくってくれたうどんを食べていた。鶏肉とちくわ、ネギがたくさん入っていておいしい。
僕の味覚は大人と同じだ。
少し気疲れしていたから、暖かいうどんはほっとするよ。
そうして、怜良さんは僕に声をかけてきた。大人のような物分かりのいい今日の僕の態度をみていて、咲坂家に対する少し褪めたような僕の気持ちに気づいていたのかもね。普通の子供なら、もっと感情的になって騒いだり、逆に咲坂家のみんなが感激したりするんだろうけど。
応接間にみんなが入ってきたとき、僕に近寄ってこなかったのは僕の態度や雰囲気が子供らしくなくて、心を許していないように見えたからなんだろうね。
怜良さんはきっと始めから予想していたんだと思う。
「びっくりちたけど、れーらたんがいたからだいじょーぶ」
そう、やはり僕には怜良さんがいれば十分なのだ。
咲坂家の人達と会ってみても、血がつながっていると言われても、僕にとっては怜良さんがお母さん。彩さんをお母さんと呼ぶのは抵抗があるんだ。
きっと彩さんたちも僕のそういう気持ちを感じとっていたと思う。
前世と合わせて、怜良さんが初めてのお母さん。前世と合わせて二十三歳になるけど、僕にとっては怜良さんが初めての家族なんだ。
血のつながった家族というものが未だよくわからないし、本来のお母さんというものもよくわからない。家族との付き合い方もわからないけど、それでも今のままで十分。
大人になるまでの残り十五年間しかないけど、一緒に過ごせたらそれでいいのです。
「話にでてきたけど、優くんに話すことができる内容には色々と制限があったの。それは優くんを守るために仕方ないことなんだけど、これからは少しずつ話していくからね」
怜良さんは申し訳なさそうに話すが、僕にとっては情報の制限なんて全く気にならない。
だって前世と合わせて、今の僕はとても恵まれているからね。
健康な身体、十分な衣食住。そして何より怜良さんがいてくれる。
これ以上望むものはないよ。
「れーらたんにまかしぇましゅ。ぼくはいま、ちあわせでしゅ」
たどたどしく気持ちを素直に伝えると、怜良さんは鼻を赤くした。
「お風呂にはいって、早めに寝ましょうね」
怜良さんはそう言ってうどんを食べた。