49 初公演
「なんですって!」
三葉聡里国立音楽館館長は、思わず声を上げた。
天皇と皇族が臨席する貴賓席では、あるまじき言動だ。
しかし館長はそれどころではなかった。
アルタモードが起動しているのを見るのは、人生で初めてだった。
音源再生システムが開発されて以来、公の場で起動させた者は誰もいなかった。
音源再生システムはAIと連携することにより、人類が楽器の保存と演奏の負担から解放され、誰もが本物の楽器の音を手に入れることができる理想のプログラムだった。
文化の変化により、消滅していく運命だった楽器製造方法や人間の演奏方法がプログラムに記録保存され、音楽文化の保存と発展に多大な貢献をしてきた。
AIによる作曲と、AIによる補正は、誰でも素晴らしい歌手になることを可能にし、男性を歌手にすれば、なおの事、女性社会に大きく貢献することができた。
AIと音源再生システムは、不可分のシステムだったはずだ。
だからマニュアルモードのようなAIの自動化を邪魔するような操作は、音源再生システムでは否定されるはずものであるはずだ。アルタモードはただの開発者の郷愁、アルタ・リージェンスの亡霊に過ぎないはずだ。
それなのに。
いま、目の前でアルタモードが起動している。
見たことのない情景が繰り広げられている。
AIと接続してこそ性能を発揮するはずの音源再生システムを、どうして完全マニュアルモードで使用するのか。
アルタモードの存在意義は、音源再生システムの利用者や後継の開発者たちにとって、長らく謎とされてきた。
いまアルタモードの存在意義が明らかにされようとしているのか。
私はさらに歴史的な瞬間に立ち会っているのだろうか。
音楽において人間がAIを超えることなど、音源再生システムが誕生してから有り得なかったはずだ。
咲坂優はそれを成し遂げようとしているのか。
「第一システム設定、ナンバー二八六、ダウンロード、セット」
言葉が響き渡ると、リングが激しく色を変える。
こんな情景、見たことがない。
モードの存在は知っていても、誰も起動を見たことがない。
こんな風に操作し、こんな風に作動するとは。
咲坂優とは、一体何者なのか。
天皇と皇族が臨席することは間違いではなかった。
公の場でアルタモードの起動と操作を見ることができたのは、世界で初めて。
それだけで天皇皇族の臨席の価値がある。
今日この日の出来事は、世界の音楽史に刻まれることになる。
「第二システム設定、ナンバー五四、ダウンロード、セット」
今度は光の円柱が上部から紐がほどかれるように、するすると咲坂優の前に集まっていく。
そしてそれを見ていると、金色の三十のリングが浮かび上がる。
一体何をしているのだろうか。
やがて咲坂優の両手にリングが装着された。
両手が光っている。
なんだこれは。何をしているの。
咲坂優が手を動かすと、音が再生される。
なるほど、両手の動きでコントロールをするらしい。
これがアルタモードなのか。
これが、AIと連携させる演奏と何が違うのか。
AIの演奏は、無数のパターンから最適解が選択された理想的な演奏のはずだ。
だから前世界の楽器音源でありながら、前世界の音楽は廃れたのだ。
咲坂優は何をしようとしているのか。
完全マニュアルモードの演奏など、果たしてまともな演奏になるのか。
長い歴史を持つ国立音楽館でも経験のない状況に、館長は舞台から目が離せないでいた。
「準備が整いました。始めます」
――最初の曲は、ゆったりとした曲調で、歌声を響かせる曲で行くよ。聴いたことのない演奏は受け入れにくいだろうから、まずは恋愛じゃない曲で、声で聴かせる歌で前世の曲調に馴染んでもらうよ。
空中には様々な角度から優の映像が映し出される。
他の男性にはない碧銀色の目が輝いて見える。
映像はAI任せにしてある。
優の姿を、状況に応じて上手に投影する。
静かなピアノ演奏が始まる。
なめらかな流れるような曲が、大ホールに響き渡る。
優の視界には音の響きが映像化されている。
ホールの隅々まで音が行きわたっている。
どの座席でも、音が変質していないようだ。
臨場感を大きくするため、今回の立体再生は音の波及に変化をつけるモードにしている。
呼吸をコントロールし、丁寧に声を出す。
いつもと同じように。声を音に変えていく。
身体を十分に使い、全身で音を出していく。
いつも通り、声が共鳴し、波に乗っていく。
さらに演奏の楽器が増え、歌が展開していく。
腕と手を使い、声に合わせて楽器の音を展開する。
歌詞と共に演奏が分厚くなっていく。
増加した和音が濁らないよう、両手を操作して繊細にコントロールしていく。
予めセットしていた演奏を、声とホールに合わせてコントロールしなおす。
演奏が出過ぎず、声も出過ぎず。
ぴったりと一致したハーモニーが曲を綴っていく。
大ホールに響き渡る大音響でありながら、聴いている観客には繊細な曲に聴こえた。
音のひとつひとつが聴こえてくる。それなのに一体となっている。
歌声だけでなく演奏が一体となった曲が流れる。
聴衆は今まで聴いたことのないハーモニーに、脳内が揺さぶられるような感覚を覚えた。
館長は人生がひっくり返るような衝撃を受けていた。
――この演奏は何? これが完全マニュアルモードなの?
そんなはずはない。マニュアルモードがAIを超えるはずがない。
AIの演奏は完成されているはず。せいぜいがアレンジする程度の工夫しかできないはず。
それなのに、いま聴こえている演奏は、AIと比べ物にならないくらい良く出来ている。
アレンジじゃない。オリジナルだ。
この歌声は何? こんなの聴いたことがない。
マニュアルモードだから、補正しているはずがない。オリジナルの声なのね。
それなのに、この上手さはどういうことなの。
誰も、世界でも誰も、こんな歌声を出せない。
限界のない声域。自在の声質。途切れのない発声。
楽器のような共鳴。そして演奏とのハーモニー。
渾然一体とは、まさにこのこと。
演奏を繊細にコントロールして、歌声も繊細にコントロールして、ハーモニーを作り出していることが良くわかる。どの声域でも、どのように声を響かせても、常にハーモニーが維持されている。声を張っている時も、演奏が声と一体となって曲を維持している。
歌っているはずなのに、楽器の演奏を聴いているよう。
そんなこと可能なはずがない。AIを使う以外に、可能なはずがない。
そんなこと、人間がマニュアルモードで出来るはずがない。
アルタ・リージェンスが、アルタモードにこんなことを想定していたはずがない。
館長は曲が進むにつれ混乱を増していった。
――これほどとは。
悠翔天皇は舞台を見つめ、優の真の実力に目が離せなかった。
観客席は静まっているが、悠翔天皇にはすでに優の歌の影響力がよくわかった。
このまま曲数が重ねられれば、ここにいる観客は正常な感情ではいられないだろう。
いや、本当はむしろそれが正常なのかもしれぬ。
優が現世界の歌がおかしいというのは、神の罰の影響のことかもしれないのだから。
優には神の罰の力が及ばないのだから。
優がおかしいのではない。この世界がおかしいのだ。
世界がズレて見えるのは、そういうことなのだ。
優が当たり前に完全マニュアルモードを選択するのは、そういうことなのだ。
観客が優の歌のままに感情を揺さぶられるなら、それは神の罰からの解放かもしれぬ。
アルタ・リージェンスはそのためにアルタモードを残したのか。
アルタ・リージェンスは我々と同じように、目に見えているこの世界がおかしいことを知っていたのではないか。
優が人に影響を与えるというのは、本当は解放をしているのではないか。
怜良が優に親のように振る舞うのは、優の願いではなく、本当は怜良の願いなのではないか。
優の力の正体を見極めるために、悠翔天皇は優の舞台と観客の反応を観察し続けた。
一曲目が終わった。
拍手はない。静寂が支配する。
――予想通りだね。前にみんなに聴いてもらっていてよかったよ。この反応にも慣れたからね。さあ、次の曲だ。観客が騒ぎ出す前に、前世の曲調に慣れさせてしまおう。次は明るくて軽いポップスだ。軽いリズムにつられて戸惑いは消え去っていくはずだよ。
優は視界の操作で、二曲目を再生させた。
一曲目とは一転して軽快なドラムとギターのリズムがホールを支配する。
観客は目を覚ましたように周囲を見回し、口々に声を上げている。
信じられないものを体験した感動を、隣人と分かち合おうとする。
しかし二曲目の大音量のリズムが、息をつかさず観客の意識を誘う。
前奏の段階で、観客は二曲目に引き込まれていった。
優は曲調に合わせ、繊細さよりも大胆さを強調して歌い出す。
その一方で、ややもすれば歌声だけが先走る曲に聴こえるところを、演奏とのバランスを取りながら歌声を出していく。
軽快なリズムに乗って、濁りのない演奏と歌が聴き心地のいい和音となって展開していく。
元気な女の子が飛び跳ねるような曲は、観客の気分を盛り上げる。
明るい生活を素直に歌った歌詞は、明るく軽快な歌声により観客を笑顔にする。
隣り合う観客が笑顔で感想を言い合って聴いている。
暗い観客席でも、優には視界モニターに観客の表情が映し出され、観客の感情が手に取るように分かっていた。
一曲目の戸惑いや感動、余韻をあっという間に押し流し、曲を振り返る間もなく観客は目の前の優の歌に引き込まれていった。
――よしよし。狙い通り、これで前世の曲調に慣れたはず。もう本格的な曲に移って大丈夫みたいだね。それじゃあ、いよいよ恋愛の派手な歌でドカンと行こう。予定通り三曲目だ。休ませないよ!
優は観客の状況に応じるため百曲以上の曲をセットしていたが、ここまでは予定通りに進んでいる。
二曲目が終わると大歓声が起き、拍手が巻き起こる。しかし優は間髪入れずに三曲目を再生する。
三曲目はさらにリズム感の強い曲だ。
腹に響く重低音のドラムとギターが鳴り響く。
長時間は観客は耐えられないはずなので、スピード感を出したまま一気に歌を演奏に乗せる。
観客はスピードと重低音に圧倒される。
二曲目の盛り上がりを引きずったまま、さらに重ねられたリズムに、観客の気分は最高潮に達する。
派手な曲の楽譜に合わせて、立体映像AIが眩い光のスパークを何度も空間に飛び散らせる。ホールで派手な花火が炸裂したように感じるほどだ。
その盛り上がりに乗せたまま、優は若い女性の情熱的な恋心を歌い切った。
ホールが五万人の拍手と大歓声に包まれる。前世のライブを上回る盛り上がりだ。
「「「「「優くん、すごいよ!!」」」」」
塚原ひよりたちは、絶叫していた。
優の家で聴いたものよりも遥かにすごい。比べ物にならない。あれでさえ凄かったのに、今度はもう、言葉にできない。「まだ数段上になる」と言っていたのは本当だった。
国立音楽館の大ホールの音響がすごい。今まで聴いたことのない迫力。曲調に合わせて空中にAIが作り出す優と光の映像。そして次元の違う演奏と歌声。音が身体に吸収され、身体が熱くなる。
一組の生徒は、手を握りしめてこの気持ちを叫び続けた。
そして歌詞に引きずられ、いつの間にか女性の恋心を自分の気持ちのように錯覚してしまう。
そんな感情を抱いたことはないのに。まるで自分ではないかのように。
大音響で激しいビートなのに、歌詞が純度の高いアルコールのように、身体に沁みこんでいった。
――さて、ここで一休みだね。観客は気持ちが先行しているから、少し頭を冷やしてあげよう。
そうしないと倒れる人がでるからね。
鳴り止まない拍手のなか、曲が終わると優は静かにお辞儀をし、そのまま動かない。
その姿を見て、やがて観衆は落ち着きを取り戻し、ホールが静かになった。
優は顔を上げ、ホールを見回して静かに語り掛ける。
「皆さん。僕の曲は、どうだったでしょうか。聴いたことのない曲調で、聴いたことのない歌詞で、聴いたことのない歌声で、始めは戸惑ったのではないですか。
始めの三曲で、皆さんには僕の曲に慣れてもらいました。
ここからが本番です。今日のテーマは男女の恋愛、男性の恋心です。
こんな歌詞には慣れていないと思います。でも僕の曲はきっと皆さんの心に響いてくれるはずです。
だから一生懸命歌います。聴いてください」
優はお辞儀をして、四曲目を再生した。
今度は静かなバラードだ。恋愛にはぴったりの曲調。
声で聴かせるにはもってこいの曲。
派手な曲のあとのバラードは定番だ。
優は特に丁寧に声を出していく。
言葉でメロディーを作り、独唱に近い発声をしていく。
言葉の合間に演奏が映えるように、演奏をコントロールしていく。
高音の伸びと、低音の広がりを十分に使い、ホールに響かせる。
未だ声に深みがない優は、技術で物語を作り上げる。
恋愛のバラードは、完成度に占める歌声の割合が非常に高い。
だからまずは歌声で引き込む必要がある。
そして歌声で引き込むことに成功したら、今度は内容だ。
溢れる想い、片思い。秘めた女性の恋心。
悲しみとともに想い人をただ想い続ける女性の恋の心の動きが、丁寧に歌詞にされる。
歌詞の言葉を紡げば、物語が展開していく。
観客の心には、それまで封印されていた恋心が灯る。
女性社会故に無意識に禁じられてきた、恋愛の感情が目を覚ます。
曲が終わる頃には、切ない気持ちが観客の心を支配し出した。
――これが優さまの本当の歌なのですね。
天凛皇女は胸で手を組み、舞台を見つめる。
一曲目から歌声と演奏が一体となって身を包む。
皇宮で聴いた歌とは全く違う。音響のせいだけではない。
曲が作品となって身に届く。一曲ごとに心が揺さぶられる。
聴いたことのない歌詞なのに、すんなりと受け入れてしまう。
自分が歌詞の主人公になったように。
天凛皇女は、今まで波立つことのなかった心が、色づいていくのを感じた。
――観客の反応は予定通りだね。次は男性から女性への恋の歌だ。聴いたことのない歌詞でも、今なら共感できるはず。
拍手が鳴り響くなか、優は五曲目をスタートさせた。
今度の曲はバラードではなく、軽い曲調の曲。
歌詞は若い男性の恋心の歌だ。
前曲の実らない恋のバラードで沈んだ気持ちを、軽い曲調が引き上げる。
観客は肩の荷が少し降りたような気持ちになった。
前奏が済んで歌が始まる。
若者の男性の恋心の歌詞は、単純で分かりやすい。
素直な恋心の発露は、聴く者に悩みを持たせず、聴く者の心の中に軽い応援、軽い慰めが繰り返される。
失敗してもやり直せる若い頃の恋。失敗が人生の糧になる若い頃の恋。
観客は現世界には有り得ない男性の恋心を、いつの間にか受け入れていた。
観客は曲の展開に合わせて、表情が変わっていく。
観客が悲しい表情から優しい表情になった。
優は舞台からそれを見て、狙い通りの展開であることを確認した。
――それじゃあ、ここで恋愛はやめにして、観客の心を休ませよう。現世界にはない歌詞だから無意識にストレスがあっただろうからね。
曲が終わって拍手が鳴り響く中、六曲目を再生した。
今度の曲は、疲れた人生を送る人を思いやり、包み込む歌だ。
歌声を響かせて聴かせる曲。
優の得意とする歌だ。声量があれば完璧だが、今でも十分な水準にはある。
五曲が終わって余裕の出てきた優は、手と腕をゆったりと振り、アルタモードの演奏を自在にコントロールし、自らの歌声を引き上げる。
観客は現世界にも存在する歌詞に安心し、心落ち着く曲調と、透き通った優の歌声に酔いしれた。
五万人の大観衆が、優の歌に合わせて、歌の展開に合わせて、心に歌詞を染み渡らせる。
恋愛ではない歌詞に、緊張が外れて素直に受け入れる。
大勢の観客が、優の歌に涙を流した。
六曲目が終わり、優は胸に手を当てて深くお辞儀をした。
観衆が声援を送り、拍手に包まれる。
優は四方に向かってゆっくりとお辞儀を繰り返した。
「皆さん」
優が発言すると、やがて拍手が止み、ホールが静かになった。
アルタモードの起動もあったので、すでに三十分が過ぎている。
「終わりの時間がやって参りました。
今日の僕の公演はいかがでしたか。気に入らなかったものもあったと思います。
でも、もし一曲でも皆さんの心に響いたなら、一曲でも気に入ってもらえたなら、僕はここでこうして歌った意味があったと思います。
歌は心のメッセージだと思っています。僕の歌のメッセージが皆さんの心に届いたなら、僕が歌手として頑張ってきたことが報われる気がします。
今日は素敵な時間をありがとうございました。改めて、陛下を始めこの機会をくださった方々と、歌を聴いてくださった皆さんに、感謝の気持ちを捧げます。ありがとうございました」
優は貴賓席に向かって深くお辞儀をした。
万雷の拍手がホールを包む。
満員の大観衆が総立ちで優に声援を送る。
「「「凄かったよー!」」」「「「感動したー!」」」
一組の女子生徒たちは大声で叫ぶ。
「凄かったですわ!」
天凛皇女が立ち上がって拍手をする。
貴賓席の誰もが立ち上がり拍手をしている。
優は舞台の中心に立ち、手を振って全方面の観客の声援に応えた。
上空の映像にも優の晴れやかな表情が映し出される。
しかしいつまでも歓声と拍手が鳴り止まない。
どうやらアンコールのようだ。
副館長の方を見ると、何やら優に指示を出しているようだが、良くわからない。
そうこうしていると、優の視界に「二曲のアンコール演奏をしてください」と表示が出た。
優は笑って、アンコールに応えることにした。
「皆さん」
優が声を出すと、拍手と歓声が止む。
「ただいま、音楽館から、アンコールに二曲演奏せよとの指示がありました」
優がそう言うと、大歓声と拍手が沸き起こった。
「えー、それでは予定外なので、僕の好きな曲で行かせてもらいます。ここは伝統ある国立音楽館なので選曲ではいろいろ遠慮していたのですが、アンコールではそういうのは気にしません。皆さんの好き嫌いも気にしません。熱い男心の曲と、かっ飛ばす曲なので、その二曲を聴いて、今日は満足してください。少し派手な歌い方をしますので、歌っている間、皆さんも騒いで結構です」
観衆から笑い声が沸き起こった。
「それでいいわよー」などと、言葉が沢山飛んでくる。
一組の女子生徒たちも「全力で声援を送るよー」などと叫ぶ。
優は貴賓席に向かってお辞儀をする。
そして曲を選び、再生した。
アンコール一曲目は大人の男性が恋の情熱を女性に語り掛ける歌。バラードだ。
現世界には絶対に存在しない歌詞。しかし前世では名曲だったので、優の大好きな歌だった。
ピアノの演奏が始まる。
鍵盤の音が一つ一つ大ホールに響き渡る。
前奏だけで、静かな情熱が籠った曲調がわかる。
声で聴かせるだけでなく、ゴージャスな歌なので、抑揚を大きく強調して歌う。
大人の恋愛の歌はメリハリが大きいので、歌声の派手な歌い方を選択した。
それに合わせて腕を大きく振り、観客に語り掛けるように、まるで歌詞の愛情を振りまくように歌う。
大ホールに優の伸びやかな歌声が響く。
抑える時には抑え、盛り上げる時には遠慮なく声を響かせる。
情感を増すため、楽器をそれぞれ数を増やし、盛り上がりには重厚な演奏をする。
恋の情熱のままに展開する歌は、その演奏と相俟って、観客の感情を波立たせる。
立体映像AIが、沢山の真っ赤な光の薔薇の花をホールに上から絶え間なく降らせる。
その薔薇が天井からのライトに照らされ、さらに美しく輝く。
上空には優のアップ画面がいくつも映し出され、観客を見つめて愛を語り掛ける。優の顔は大人に補正されている。
ちなみに優は映像を知らない。
観客は顔の前で手を組み、目を潤ませ、最後の頃には大歓声となった。
「優くん! それはダメだよ!」「どうなっても知らないよ!」
一組の女子生徒たちが叫ぶ。
「優さま! もう離れられません!」
天凛皇女が叫ぶ。それを聞いて悠翔天皇が眉間に皺を寄せる。
――なんか色々聞こえた気がするな。次が初公演の最後だね。最後はホントの僕のわがままで選曲するよ。最後はロックンロールだ!
優は次の曲を選曲し再生した。
前世アメリカのロックンロールだ。
寝ていることしかできなかった優は、パワーのあるアメリカのロック音楽が大好きだった。ロックはエネルギーの塊だった。
六十年代、七十年代、八十年代、九十年代は名曲が溢れていた。
優は年代に関係なく、古くてもヒットした曲をいつも聴いていた。
「みんな! 行くよ! これが最後だ!」
派手なビートで重低音のリズム音が再生される。最後だから大音量だ。
軽快なリズム。腹に響く重低音。
これぞロックンロールだ。
優にとってロックもロックンロールも区別はない。
「みんな、立ち上がれ! ロックだ!」
優は観客に叫ぶ。腕を頭上に振り上げてジャンプする。
優は外国語で歌いながら、アルタモードに合わせて舞台の上を身振りをつけて大きく歩き、ときに歌詞を叫んで走り回る。
それはまるで曲に合わせたダンスのように見える。
立体映像AIが巨大なアバターをステージに四体作り出す。
白銀と黄金の精悍な狼男を二体。青銀と赤銀の精緻なサイボーグを二体。
それが優と同じ動きをし、時には違う動きをする。
四体のアバターが同じ動きで広いステージ上を踊る。
その上空には大人モードの優のアップ画面が映し出される。
立体映像AIがリズムに合わせて光のスパークを派手に飛び散らせる。
優は音源再生システムのウェイブモードも起動させ、観客席に音の波を作り出す。
優が振り向く方向に、腕を振る方向に、音が圧力の波となって押し寄せる。
ホールの中を優に合わせて音の波が蹂躙する。
優の視界には嵐の大海原のように光の粒子が舞い踊る。
舞台の近くにいる観客に手を振り、笑顔を振りまく。
壁の観客を見上げ、指を差し、叫び声を上げる。
演奏が少しぐらい乱れても気にしない。
天凛皇女は目を輝かせる。
一組の女子生徒たちは両手を振り上げ飛びあがって優の名を叫んでいる。
観客は総立ちになり、腕を振り回す。
優のパフォーマンスに声援で応える。
ビートに合わせて大歓声が沸き起こる。
歌詞などわからなくていい。感情の爆発。
ロックの原点。それが優にとってのロックンロールだ。
舞台と観客席は、スパークと優の絶叫と音圧の嵐が吹き荒れた。
優は間奏では「みんなありがとう! またいつか聴きに来てね!」などと声を飛ばす。
すっかり優は大ホールを支配していた。
悠翔天皇はじっと舞台を見続ける。
アンコール最後の曲になり、満員の大観衆は立ち上がり、優の歌に合わせて両手を振り上げ叫んでいる。大ホールは熱狂の渦に包まれている。こんな大ホールは見たことがない。
どんな歌詞であっても優が公演の始めから観客の精神を支配し続ける様子を見ながら、悠翔天皇はひとり冷静に物思いに耽っていた。
――神よ。この光景を見ているのだろう。
間違いない。優は人類救済のための、神の手がかりだ。
この五百年間、人類は神の罰を恐れながら、必死に生きながらえてきた。
極端な人口変動に負けず、世界が団結して、いくつもの困難を乗り越えて来た。
それでも神は我々を絶滅させようとしている。
これまでもそうだったのだろう。
今、新たな方法で、再び絶滅させようとしている。
だが我々には優がいる。きっと彼が我々人類の存続する道を切り開く。
この五百年間、人類は神にひれ伏してきた。
だが同時に、運命に抗い続けてきた我々は、今度もまた抗い続ける。
優がもたらす人類の変化を、我々は存続の力に変えてみせよう。
この五百年間にわたり、そうしてきたように。
優は人々の心、精神を変化させる。それは解放なのかもしれない。
それが何をもたらすか、分からない。世界はどう変わってしまうのか、分からない。
何のために優が送り込まれたのか。
何のために優に力を授けたのか。
神は全て知っているのだろう。
神は、我々には手がかりの謎を解けないと、高を括っているのだろう。
我々は試練を乗り越えてみせる。
いま目の前のこの光景でさえ、かすかな手がかりでしかない。
しかし全てが手遅れになる前に、必ず謎を解いてみせる。
神よ、見ているがいい。
我々人類は必ず生き残ってみせる。
悠翔天皇は大歓声に包まれる優を見ながら、やがて訪れる世界の混沌と波乱を見据えていた。




