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48 アルタモード

「ようこそ国立音楽館へ。皆様にはお部屋をご用意しております。陛下がおいでになるまで、お寛ぎください」


 職員が咲坂家を案内する。

 咲坂家は金城みずきの指示どおり、朝に第四市出張所に到着すると、そのまま飛行機に乗せられ国立音楽館に連れてこられた。八弥はおおはしゃぎ。桜たちは目を白黒させている。一行には金城と警護官が付き添ってきた。

 絨毯の敷かれたフロアで来賓室に案内される。数名の警護官と世話係が待機する部屋には、軽食と飲み物が用意されていた。


「金城さん。やっと実感が湧いてきました」


 桜が金城に言う。


「長距離移動、お疲れ様でした。陛下がお越しになるまで時間がありますから、ゆっくりしてください」


 金城は桜たちに寛ぐように勧める。

 桜たちはソファーに座り、窓からの首都の景色を眺めた。


「この音楽館を訪れるのは、修学旅行以来です」

「私もそうだね。さっきまで咲原にいたのに、不思議な気分だ」


 彩と巴がそう言う。


「私は二度来たことがあるわよ。オペラとバレエを見に来たわ。村の人たちと来たのよ」

「そういえば桜さんはそうだったね。私はそういうのはあんまり興味なかったからな」


 そんな会話をしていると、金城が言った。


「いま、大ホールではオペラを上演しています。このあと十時半ころ陛下が御到着になり、こちらにおいでになります。その後陛下と皆様は大ホール貴賓席に行かれ、優くんの公演を御観覧になる運びとなります。終了時間は十二時頃と想定しています」

「本当に陛下がおいでになるんですね。そこは実感がわかないですね」

「陛下って、悠翔天皇でしょ?」

「そうよ。きちんと御挨拶しなきゃね」

「こんにちは、って言えばいい?」

「私もどう言っていいか、よくわからないのよ。貴族のルールも知らないし」


 八弥も彩も、天皇に対する挨拶のやり方など知らない。


「普通で大丈夫ですよ。陛下は優しい御方ですから、陛下の方から話しかけてくださいます。それに対して普通に言葉を返していれば大丈夫ですよ。優くんは飄々と会話しているらしいですから」


 金城がそう言って安心させようとする。


「優は、陛下と御話しできるんですか? しかも普通に」

「はい。私は立ち会ったことはありませんが、怜良さんや六勝顧問からはそう聞いています」

「あの子ったら……」


 知らない間に優が大物になっていて、また彩たちは驚き呆れた。

 しばらく首都自体が初めての八弥が窓に張り付いてはしゃいでいたり、軽食をつまんだりして時間を過ごしていると、連絡がきた。


「皆さん、陛下が御到着です。こちらにおいでになるので、御迎えの準備をしてください」


 そう言って、金城は世話係に一旦片付けさせた。

 本来は天皇や皇族は貴賓室に案内され、そこに来賓室から挨拶に向かう手順だが、悠翔天皇の指示で簡略に来賓室で挨拶、待機することになっていた。


「皆さんはこちらに並んでください。始めに侍従長が先導して入ってきます。入って来る前に合図がありますから、頭を下げて、そのままの姿勢で待っていてください。

 陛下が部屋に御入りになると、頭を上げるように御声がけがありますので、そうしたら頭を上げてください。

 その後は自己紹介などが続くと思いますので、言われたことに応じていれば大丈夫です。私がここで動作しますので、私の真似をすれば大丈夫です。何かおかしな時は、私がフォローに入るから安心してください。

 何より陛下は皆さんに楽しんでもらうためにお呼びしたので、畏まるよりも楽しさや嬉しさを素直に表してくだされば、それが一番陛下が御喜びになるはずです。優くんの晴れ舞台ですから、今日はご家族一緒に楽しんでください」


 金城がそう言って、桜たちを安心させた。


「おいでになります」


 職員が声をかけた。一同が頭を下げる。桜たちも頭を下げた。

 静かになった部屋に、しばらくすると館長、特務隊隊長、侍従、侍従長が順に入ってきて、それに続いて悠翔天皇、三人の皇女、侍従、六勝、間宮美幸が入ってきた。


 悠翔天皇は桜たちの前に歩み寄ると、声をかけた。


「面をあげよ」


 桜たちは頭を上げた。


「わたしは曙国天皇の、悠翔という。そなたたちが優くんのご家族でおられるか」

「お目にかかれて光栄でございます。優の母の咲坂彩と申します。横におりますのは桜、巴、八弥と申します。優の家族全員になります。

 優が御世話になっております。本日は御招きいただき、心より感謝申し上げます」


 そう言って、彩たちは全員で頭を下げた。


「よくぞ来てくれた。無理をさせることになってしまい、申し訳ない。道中不都合はなかったか」

「無理なことなど、何もございません。本日は家族一同、喜んで来させて頂きました。道中も快適でございました。御配慮感謝申し上げます」


 彩たちは慇懃に言葉をつなぐ。


「そう言ってもらえるとありがたい。すでに優くんには昨日伝えたが、おばあさんが亡くなったと聞いている。お悔やみ申し上げる」


 悠翔天皇が頭を下げる。


「御気遣い感謝申し上げます。葬儀も無事に終わり、今は故人を偲びつつ、日々を明るく過ごしております」


 彩たちはそう言って頭を下げた。


「優くんの様子からも、ご家族が元気でお過ごしであることが感ぜられた。皆さんの姿を見て、故人も安心なさっていることだろう。

 優くんにはこちらが世話になっている。そのお礼に、今日はご家族をお呼びしたのだ。畏まる必要などないから、どうか楽しんでほしい」

「御配慮感謝いたします。優が陛下に御世話頂いたようで、心より感謝申し上げます。今日は優の公演を楽しんで参りたいと思います」

「是非そうしてくれると嬉しい。それから、紹介しよう」


 悠翔天皇が少し脇にずれ、皇女に手を向ける。


「皇女の水碧すいへきだ。わたしの母だ」

「水碧といいます。今日は楽しんでください」

「御目にかかれて光栄でございます。御気遣い感謝申し上げます」


 彩たちは頭を下げた。

 この国では天皇の母親であっても皇女と呼ぶ。


「その隣が、皇女の翠曄すいようだ。わたしの娘だ」

「翠曄です。わたくしも今日は楽しみにしています」

「御目にかかれて光栄でございます。優の歌を御楽しみいただけると、嬉しく思います」


 彩たちは頭を下げた。


「最後が、皇女の天凛てんりんだ。孫になる」

「天凛です。優さまにはお友達になっていだだきました。これからよろしくお願いします」

「御目にかかれて光栄でございます。優の御友人になっていただいているとは、知りませんでした。光栄でございます。こちらこそよろしく御願い申し上げます」


 彩たちは頭を下げた。

 彩たちは存命の皇女全員が揃っていることを知って、倒れそうだった。

 しかも最後には優の友人になったと言っている。もう理解力を超えてしまっていた。


「まだ時間はあるようだ。まずは座ろうではないか」


 悠翔天皇が促し、全員がソファーに座った。

 茶が用意される。


「優くんとは、彼が四歳の時に初めて会ったのだ。そのとき、歌詞はないが歌を披露してくれてな。それがとても上手だったのだ。それが最初の彼との出会いだ」


 悠翔天皇が紅茶を飲む。


「それから昨日、修学旅行で皇宮に来たので、無理を言って宮中に呼び出し、今度は歌詞のついた歌を歌ってもらったのだ。天凛とともに聴いていたのだが、とても上手だったので、今日、この国立音楽館で演奏つきで歌ってもらうことになったのだ」

「そういうことでしたか」


 悠翔天皇が笑いながら、そう言った。


「天凛とは昨日初めて会わせたのだが、気が合ったようでな、優くんと友誼を結んだのだ。これから友人同士となるから、どうかご家族ともども、仲良くしてやってほしい。もちろん我々もだ」


 悠翔天皇が笑顔で言う。彩たちは冷や汗が止まらなかった。


「恐れ多いことでございます。優に何か粗相があれば、私どもも責任を取ります。そのときは仰って頂きたく御願い申し上げます」


 彩たちは深く、深く頭を下げた。

 悠翔天皇は「わっはっは」と笑った。


「ご家族の皆さんに責任を問うなど、あろうはずもない。身分ではなく普通の子供同士の友人として、そしてその親、家族として接していただきたい。お願い申し上げる」


 悠翔天皇が頭を下げた。

 彩たちは慌てて止める。


「どうか頭を御上げください。まことに恐れ多いことですので陛下の仰るようには参りませんが、こちらからもよろしく御願い申し上げます」


 彩たちは再び頭を下げた。


「いつまでも頭を下げあっていてもしょうがないな。これからよろしく頼む。昨日は修学旅行の皇宮見学中に呼び立てたのでな、お詫びと歌のお礼を兼ねて、ご家族をこうしてお呼びしたのだ。優くんも喜んでくれるだろう」

「御計らい感謝申し上げます。優がこんな立派な場所で公演をするなど、夢にも思いませんでした。今日は観覧することができて、家族一同心より嬉しく思います」

「それはよかった。ここは素晴らしい施設であるから、よい公演になるだろう。皆さんも存分に楽しんでほしい」


 そうしてしばし時間を過ごしていると、連絡がきた。


「御時間でございます」


 侍従長が声をかける。


「どうやら始まるようだな。では行こうか」


 悠翔天皇が立ち上がり、一行は貴賓席へと向かった。





「時間になりました。お願いします」


 控室で副館長の七星優紀ななほしゆうきが声をかける。

 優は立ち上がった。


「それじゃあ、行こうか。怜良さんも一緒に来てくれるのかな」

「ええ。舞台の傍から見ているわ」

「僕が今までこうして歌えるのは、怜良さんのおかげだよ。ありがとう」

「優くんの努力の成果よ。あの小さかった優くんがこうして晴れ舞台に立つのを見れて、私も嬉しいわ」


 怜良は、優が小さかった頃に手を組んで天使のように歌ってくれた姿を思い出し、涙を拭いた。


「今日はしっかり見ていてね。頑張ってくるよ」

「ええ。期待しているわ」


 首のボタンを外したゆるい白の長袖シャツ、余裕のあるやや細いラインのベージュのズボン、ベージュの靴。発声の邪魔にならないゆったりとした服装に身を包み、優と怜良は大ホールに向かった。





 短縮されたオペラが終わり、大ホールは休憩時間になっていた。


「プログラムにある次の公演ってさ、何も表示がないけど、何するんだろうね」

「それが事前の予告にはなかったんだよね。急遽変更になったんだって」

「ホームページでは昨日の夜になって演目内容が突然変更されたから、一般のお客さんもよく分かってないみたいだよ」

「でも警備が物々しいから、何か重要な公演だろうって、ネットでも噂になってるよ。だから一般当日券のお客さんがすごい入ってるんだって。ここはファンが多いから、反応が早いよね」

「ここの収容人員数は五万人くらいよね。チケット予約で三万人くらい埋まってるらしいから、あと二万人。見てる限りでは満席に近い感じがするんだけど」


 優の班員たちは、休憩で明るくなった大ホールでおしゃべりをしていた。


「優くんはどこで見てるんだろうね。昨日もだけど、一緒に見たかったな」

「そうよね。男の子は修学旅行でもスケジュールが違ってしまって、かわいそうね」

「男の子は通学が大変だっていうけど、こういうことなんだろうね。優くんには学校で気を遣ってあげなきゃ」


 塚原ひよりたちは激しく勘違いしていた。


「もう時間ね。始まるわよ」


 苅橋希かるはしのぞみがそう言うと、アナウンスが流れた。


「お時間になりました。皆さま。次の公演は特別公演となります。

 只今より陛下、皇族の皆さまの御入場となります。拍手をもって御迎えください」


 ホールに大きなどよめきが起こる。異例の予告なしの天覧公演であることがわかって、観客には只事ではないことが分かった。

 観客は総立ちになり、盛大な拍手を送る。この国では天皇や皇族は大人気だ。


 鳴りやまない拍手のなか、三階のカーテンが閉まる貴賓席に明かりが灯る。館長、特務隊隊長、侍従、侍従長、六勝、間宮、金城が入り、待機した。

 そして分厚いカーテンがゆっくりと左右に開けられる。そこに順次咲坂家、水碧皇女、翠曄皇女、天凛皇女が入場し、八脚並ぶ椅子の前に各々が立った。

 皇族が全員揃う様子を見て、観客はヒートアップした。


「皇女さまが全員御揃いだわ!」

「どういうことなの! 何年ぶりよ!?」

「これから何が始まるの!?」

「一緒に並ぶ人たちは誰だ?」


 拍手を続けながら観客が口々に騒ぐ。

 そして悠翔天皇が入場し、全員が揃った。


「すごいわ! 今日は本当に特別なのね!」

「国賓がいないのに陛下御臨席よ!」

「全員が御揃いになるなんて、こんなこと慰霊公演以来だわ!」


 五万人以上の満員の観客の拍手と驚きがうねりとなり、大ホールを埋め尽くす。

 悠翔天皇が手を挙げ、皇族も手を挙げて拍手に応える。

 大ホールには歓声が沸き起こる。


 悠翔天皇が着席し、皇族と咲坂家が着席すると、観客も着席し、やがて拍手と歓声が鳴りやんだ。

 公演開始を告げるブザーが鳴り響き、大ホールの明かりが徐々に落とされ、暗闇に包まれる。

 やがてうっすらと舞台と花道となる通路が照らされる。

 大ホールは静寂に包まれた。




「すごい歓声だね。みんな大人気なんだね」


 入場口に待機している優は、そんなことを呟いた。


「では扉が開きます」


 副館長が優に告げる。

 扉の前には特務隊警護官二十名が整列している。


 そして係員により両開きの扉が開けられると、警護官たちが整然と入場していく。

 大ホールに入ると警護官たちは通路と舞台を囲むように間隔をあけて整列し、待機した。

 そして通路と舞台が眩しいくらいに明るく照らし出された。



 優は開け放たれたままの入口に立ち、ホール内の光り輝く道を見つめる。

 深呼吸をすると、怜良に言った。


「それじゃあ、行ってくるね、怜良さん」

「行ってらっしゃい、優くん」


 優は入口をくぐり、ゆっくりと大ホールの舞台に歩みを進めた。



「ねえ、あれ優くんだよね」

「うん。見間違いじゃないと思う」

「優くんがどうして出てくるの」

「もしかして優くんの公演なの?」

「まさか優くん、歌うのかしら」


 塚原ひよりたち班員がコソコソと小声で話す。

 優に気づいたクラスの女子生徒たちも動揺が隠せない。



 静寂のなか、優は一人、舞台の中央に立った。

 怜良は舞台の傍に立っている。


 舞台の上空に優の顔が大きく映し出された。

 端正な顔立ち。碧銀色の瞳。煌めく艶のある銀色の髪。

 前世界のクローン技術が生み出し、本来は劣性遺伝ながら現世界で恒常的に出現した、男性の特徴を備えた外貌。


 普通の男児とは違う、自信と意志のこもった表情に、観客は息を飲む。


 眩い光に照らされて、優は目を細めた。

 やがて舞台の照明が少し弱められ、床の光に照らされる。


 観客席は暗闇であり、舞台からは何も見えない。

 しかし舞台の映像システムが優の視界に、優にだけ見えるようにホール内を映しだす。

 それにより暗闇でも観客席が見えるようになっている。


 優はホール内を見回した。


 ――こうして舞台に立ってみると、改めてすごいところだな。なんか観客席が埋まっているような気がするし、さっき見た時とはやっぱり違うよね。貴賓席には悠翔さんと天凛さまのほかに、あと二人は皇族かな。それに桜さんたちもいるよね。昨日のお礼かな。招待してくれたんだね。


 優は一人で感想を抱いてから、言葉を発した。


「ご来場のみなさん。僕の名は咲坂優といいます。第三十八行政区、第七十六中学校に通学する、一年生男子生徒です。

 今日は様々な方の御配慮とご協力により、こうして公演の場を設けていただく栄誉を授かりました。

 僕は幼少より歌の訓練を積んできた歌手になります。本日は僕が作り上げた曲をみなさんにご披露いたします。初めてお聴きかせする曲ばかりですが、気に入っていただけると嬉しく思います」


 優の言葉がホールに響き渡る。

 優の言葉が理解できず、観客席は静かなままだ。

 男児が中学校に通うことも、歌手であることも、こうして大観衆の前で歌うことも、明瞭に言葉を発することも、誰も理解できない。


「悠翔天皇陛下、皇族の方々。本日は御臨席いただき、光栄に存じます。僕の持てる全ての技術を用い、僕の歌を御披露いたします。

 本日の歌は、ここに御臨席の方々、ご観覧の方々、男性保護局の方々、警護官の方々、国立音楽館の方々、さらには初めての公演に駆けつけてくれた僕の家族、先日亡くなったおばあさん、そして僕を幼少から支えてくれた保護官に、感謝の気持ちとともに捧げます」


 優が話し終える。

 ホールは水を打ったように静かだ。



 優は照明が点在する天井を見上げ、光を浴びたまま目を閉じて精神を集中させる。

 そして目を開けて視線を正面に向け、深く呼吸をすると、言い放った。


「アルタモード、起動」


 その言葉が響き渡ると、大きなどよめきが起こった。


「なんですって!」


 貴賓席の端に立っていた三葉聡里みつばさとり館長が声を上げ前に踏み出した。

 本来は咎められる言動であるが、誰も咎めない。

 その場にいる誰もが同じ気持ちだったからだ。


「なんと……」


 水碧皇女が思わず言葉をもらす。



 アルタモード。

 音源再生システムの完全マニュアルモードのことである。

 アルタとは、エルス国で研究を積み上げてきていた研究開発チームが、世界戦略機構の全面支援を受けて音源再生システムを完成させたときの、チームの主任アルタ・リージェンスの名である。


 アルタは「人類文化の保存と発展」をスローガンに、前世界に存在したあらゆる楽器を分析し、AIによる自動作曲・自動補正のために音源再生システムを作り上げたが、将来に人類が再び人の手で音楽を作り出す日がくることを願い、マニュアルのみでシステムを作動させることができるモードを用意した。

 これは未だ世界で誰も使用したことがなく、公に起動さえしたことがない。AI全盛の現世界では、システムの整備点検で仮想空間で一部起動させる程度であった。


 アルタモードは一般の音源再生システムには装備されておらず、世界の大きなホールに、アルタに敬意を表して装備されているに過ぎない。

 しかし優は楽譜を作る時や一人で歌う時には完全マニュアルモードを使う必要があったので、怜良に装備してもらっていた。

 前世界は人間の能力を極限まで、さらに極限以上に引き上げた世界なので、前世界の音楽教育の教育カリキュラムはAIを使用せず、自力による演奏や発声を徹底的に鍛える内容だった。だから前世界の音楽教育で鍛えていた優にとって、幼少の頃からアルタモードを使うのが当たり前だった。

 もちろん世界で誰も使用したことがないことは知らない。


 今、世界で初めてアルタモードが公演において起動された。



 優の起動の声が発せられると、舞台には優を中心にして巨大な光の円柱が現われた。

 よく見ると円柱ではなく、円柱のように光のリングがびっしりと並んでいる。

 頭の大きさくらいのリングはきらきら輝き、全体として色相環のように色のグラデーションがついて揺らめいている。


 非常に美しい。

 観客の誰もがその美しさに釘付けとなった。


 ――ちゃんと起動したね。家でやるよりも派手だけど、それはホールが大きいから音源の種類が多いからだろうね。


 優は円柱の中心で、光のリングを見渡した。


「第一システム設定、ナンバー二八六、ダウンロード、セット」


 優が声を上げると、リングがさらに光輝き、目まぐるしく色を変える。

 円柱の表面が波打ち、激しくその色を変える姿は幻想的だった。



 第一システム設定。

 これはそれぞれの楽器について、音を決める要素を決める設定である。

 例えばピアノであれば、弦、支柱、響板、ダンパーなどの調整、保湿状況、材質などを決めるものであり、世界でこれまで生産されたあらゆるピアノの音が再現できる。そして生産されていないピアノの音まで再現できる。

 要するに、この場で楽器を製作したのと同じである。


 優は昨日の夜のうちに今日の公演で使用する楽器の設定をネットにプールしておき、今こうしてダウンロードしたのである。これでこのホールは優の設定した楽器の音が使用できるようになった。



 しばらくすると光の波打ちが落ち着いた。

 観客席はざわめいている。


 ――設定もうまくいっているみたいだね。さて、仕上げだね。


「第二システム設定、ナンバー五四、ダウンロード、セット」


 優が再び声を上げると、円柱のリングが上部から一列に降りてきて、優の目の前に重なっていく。

 しばらくすると優の目の前には、縦三、横十に並んだリングが三十浮かびあがった。

 そのリングはどれも金色に輝いている。



 第二システム設定。

 これは楽器の演奏の方法を定める設定である。タッチや響かせ方など、演奏の基本的なやり方を定める。

 要するに、楽器それぞれの演奏者を選択したのと同じである。


 この演奏をもとに、歌いながら優が演奏を変化させる。

 つまり優は指揮者の役割だ。


 優が修了した前世界の音楽教育プログラムは、人間の限界を超える内容であるため、楽器の設定は極めて細かく、しかも曲ごとに違う設定を使う。そして演奏設定も曲の最中にいくつもの設定に変える。この点でも前世を超えている。

 また優は前世の曲を再現したが、楽器や演奏は優が調整し直しており、さらに歌い方も変えているため、アレンジ以前に前世とは大きく異なるものとなっている。



 金色のリングが優の正面に静止すると、観客席は静かになった。


 第二システム設定が終わると、優の視界いっぱいにモニターが映し出される。

 そこにはこのホールでの音響の様子が綺麗な光の粒子で映像化されている。

 優が目で、隅に表示されているチェック項目を確認していく。次々にスクロールされ、チェックが終わる。


 そして優が手の平を広げ腕を伸ばして両手を正面に突き出すと、三十のリングが小さくなって、左右の手に飛び込んできた。

 手首に一つ。指の関節を挟んで各指に三つずつ。親指に二つ。左右で十五ずつ装着された。


 優の両手が光輝いている。

 しばらくするとその光が落ち着いたものになった。


 優は手を開いたり閉じたりする。

 その度にキンキンした音が再生される。


 優は右手を大きく振る。

 すると「シャララン」と金属の粒がこすれるような綺麗な音が鳴り響いた。

 左手を大きく振る。

 すると同じく「シャララララン」と綺麗な音が鳴り響いた。


 優は上下左右に腕を振り、手を開いたり閉じたりする。

 様々な音が再生され、不思議な空間が演出される。


 優の視界には、ホール内での音響の様子が光の粒子の動きとなって映像化され、立体再生が適正になされていることが確認できる。準備は整ったようだ。


 アルタモードでは様々な操作方法が用意されている。

 優が好んでいるのは、この両手の指にリンクさせて操作する方法だ。

 指や腕の向きや角度、動かす速度により、様々な楽器をコントロールできる。これと視界での操作を組み合わせる。

 知らない者が見ていると腕で踊っているみたいに見える。この動かし方がぎこちないと、演奏も悪いことが多い。だから人前で歌う時にはこの操作方法が見た目もいいのだ。


 世界で初めてアルタモードの起動の様子を見せつけられ、観客席は静まり返っている。




 ――システムの調子はいいみたいだね。では始めようか。


 怜良さん。いつの間にかこうして多くの人の前で歌うことになったよ。

 これってすごいことなんだよね。

 怜良さんは僕の努力だっていうけど、僕にとっては怜良さんのおかげだよ。


 僕はこの世界に転生して以来、怜良さんに前世の歌を聴いてもらいたかったんだ。

 僕に音楽があるとき、そこにはいつも怜良さんがいてくれた。

 ひとつ上手くいくたびに、怜良さんに聴いてもらって、褒めてもらった。

 僕の音楽の成長は怜良さんのおかげだよ。


 だから聴いていてね。

 この世界に、僕が前世に生きた証、前世の歌を披露するよ。


「準備が整いました。始めます」


 貴賓席に向かって、優は胸に手を当てて、深くお辞儀をした。

 そして顔を上げると、視界パネルに準備された一曲目をスタートさせた。


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― 新着の感想 ―
[良い点] いよいよタイトル回収ですね! 観客の反応と続きがとっても気になります!!
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