44 皇宮での歌
「天凛よ。ここに座るがいい。怜良よ。そなたも座れ」
悠翔天皇が声をかけ、全員を座らせる。
「怜良よ。いつも優の世話、よくやっておる。そなたの献身のおかげで、優はいい子に育っておる。感謝しておるぞ」
悠翔天皇の言葉を聞いて、怜良は頭を下げた。
「そなたには多大な負担をかけておるが、いずれその功に報いよう。これからもよろしく頼む」
怜良は再び頭を下げた。
「さて優よ。そなたをこうして呼んだ理由だが、今日はそなたに歌を聴かせて欲しいのだ。前にも聴かせてもらったが、最近、歌詞もつけるようになったと聞いておる。天凛にも聴かせてやりたくてな。ここで歌ってはくれまいか」
歌詞を歌い出したのは先月のことなので、優はこんなに早く悠翔天皇に聴かせることになるとは思っていなかった。しかしこれから多くの人に聴かせる予定だし、歌を人に聴いてもらうのは楽しいので、すぐに応じることにした。
「はい。僕の歌でよろしければ、お聴きください」
「うむ。そなたの好きに歌って構わぬ。何曲か頼めるか」
「はい。それでは僕が楽譜を作った曲を歌います。伴奏はありませんが」
「よろしく頼む」
――何にしようかな。悠翔さんに聴かせるのも初めてだし、天凛さまに聴かせるのも初めてだよね。こういうときはドタバタしたイメージの曲は受けがよくないから、素直な曲調の歌がいいかな。せっかく庭園がきれいだから、季節に従って選曲しよう。
優は席を立ち、庭園を背にして立った。
「失礼します」と言って首の詰襟のボタンを外し、声を出してみて、調子を整える。
最近は少し食べても、声を出すのに慣れてきた。
「では初めの曲は、桜が咲き誇る情景を歌詞にした歌です。僕が春になるといつも思い出す曲です」
優は息を吸い込み、呼吸を声に変え、声を音に変換する。
声を出すのではなく、言葉が声を引き出していく。
心に描く情景が声になり、メロディーを作り出していく。
身体を使った声の張りが音情を増幅していく。
人間の能力を最大限に引き出し、それを超えることを目指した能力至上主義であった前世界の音楽教育カリキュラムは、発声法において優に全ての声域、全ての声質の使用を可能にし、さらに連続した音階の変化を途切れなく可能とさせ、前世では人間に不可能であった発声を可能にした。
明るくゆったりとした春の歌は、聴く者に背景の庭園に満開の桜を思い出させる。
舞い散る花びらが、風と共に降りつもる。
桜の木は、徐々にその枝から桜の姿を景色に移してゆく。
人はその姿を見て、春の始まりを想う。
優が歌い終わると、悠翔天皇たちが口を開けたまま、信じられないものを見るような顔をしている。
「……どうでしたか?」
優が聞いてみると、悠翔天皇が立ち上がって声を出した。
「何だ今のは! あれが歌なのか!」
優は悠翔天皇が何を言っているのか分からない。
「ええと、そのつもりですが……」
ちょっと自信なさげに優が答える。
「素晴らしいですわ、優さま。わたくし、感動致しました」
天凛皇女が立ち上がって手を組んで答える。
怜良は悠翔天皇たちがいるので、微笑んだまま何も言わない。
「優よ、これほどに歌が上達しておったのか。前と違い過ぎるではないか」
「ええと、褒めて頂いて恐縮です」
とりあえず受けが良かったようなので、優は安心した。
「では次の歌に参ります。次は友情をテーマにした歌です。夏を思わせる明るい歌です。これも僕が好きな歌です。本当は伴奏があるのですが、曲調は複雑ではないので、独唱でも曲として成り立ちます」
一曲歌って声が落ち着いているので、始めから声を鳴らすことができる。
優は高音が主体のメロディーを、滑らかに難なく歌い続ける。
水の流れを思わせるような速く途切れのない音のつながりを、リズムよく歌う。
声の高さの変化を利用して、言葉に応じて声を響かせる。
メリハリを丁寧にたどり、歌い終えた。
「素晴らしいですわ! こんなにも心に響く歌は聴いたことがありません」
天凛皇女が立ち上がって拍手をする。
優はにこりと笑いかけて一礼する。
「優よ。そなたの歌は素晴らしいな。わたしも感動したぞ」
悠翔天皇が笑みを湛えて言う。
「ありがとうございます。では次は秋を連想させる歌です。秋の静かな夜に、過去の片想いの恋心を懐かしむ、大人の男性の心を描いた歌です」
優は静かに歌い出す。
男性らしい低音が中心のメロディーを、ゆっくりと音を途切らせないように呼吸を調整しながら、丁寧に歌う。
静かに恋心を歌う曲は言葉に重みを持たせるために、時には音よりも声を強調し、言葉を明瞭に歌にする。
そうすると語りかけるような歌い方になる。
過去の思い出の人を回想するときの歌い方だ。
男性の恋心を歌詞にした歌を聴いたことのない天凛皇女は、感動のあまり涙を流した。
その姿を悠翔天皇が見つめる。
やがて歌い終わった。
「どうでしたでしょうか。男性の恋心は理解しにくいと思いますが、気に入ってもらえると嬉しいです」
優はステージに立つ者のように一礼をした。
「この曲も素晴らしかったな。男性の恋心を歌う曲を聴いたのは、前世界書庫で子供のころに聴いたとき以来だ。それを目の前で男性の歌声で聴くときが来ようとは、人生わからぬものだな」
悠翔天皇は感慨深げにしみじみと言う。
「優さま。わたくし、感動いたしました。前世界の大人の男性の恋心とは、このようなものだったのですね。聴きながら心の中で自分の感情が抑えられませんでした」
天凛皇女が立ち上がって手を組み、潤んだ瞳を向けて、そう言った。
――前世界じゃなくて前世なんだけどね。
「僕は大人でもなく恋もしたことがないので、歌詞が本当なのかはわかりません。ですが、気に入ってもらえたようなので良かったです」
優は笑顔で身も蓋もないことを言いながら、一礼をした。
「では、最後の曲は冬の歌です。降り積もる雪を見ながら、離れて暮らす夫を想う妻の歌です。夫と妻とは、前世界で男女が共に思い合って暮らしていた時代の男女の呼び名です」
今度は優は淡々と歌い出した。
冬の雪は人の気持ちを静かにする。だから歌声も表情をつけず、言葉を連ねてゆく。
メロディー性の低い歌は言葉の意味による影響を大きく受けるため、歌詞の内容に応じて声質を変える。
メロディーは静かに動き、声のトーンが単調に変化していく。
その単調さが、一途な心情を強調する。
恋心とは違う、深い愛情。健康と無事の願い、感謝を言葉にしてゆく。
帰郷を待ち続ける大人の思いを歌い続けた。
「どうでしたでしょうか。前世界を知らないと理解しづらいと思いますが、いい曲なので歌ってみました」
優はそう言って一礼をした。
「うむ。素晴らしい歌であった。心に染み入るような、深い歌であったな。現世界にはない歌だ」
悠翔天皇は笑みを深くして、そう言った。
「いままで聴いたことのない歌詞でした。それでも優さまの歌声も素晴らしくて、歌詞に聴き入ってしまいました。素晴らしい歌でしたわ」
天凛皇女が穏やかな笑顔を見せ、そう言った。
「気に入ってもらえたようで、嬉しいです。春、夏、秋、冬と歌ってみました。この庭園にふさわしいかと思い、曲を選びました。とりあえずになりますが、僕の歌はこのようになります」
優はそう言って再び一礼をする。
悠翔天皇たちは立ち上がり、拍手を送った。
「優よ。素晴らしかった。簡単に歌ってもらうつもりが、これほどに良い歌と歌声だとは思わなかった。今日は本当に良い時間を過ごせた。感謝するぞ」
「優さま。初めてお会いしたばかりだと言うのに、このように素晴らしい歌を聴かせてくださって、ありがとうございます。わたくし、心から感動いたしました」
二人に褒められて、優は嬉しくなった。
「お褒めいただき、ありがとうございます。伴奏がないので本来の姿ではありませんが、喜んでいただけたなら嬉しく思います。また機会がありましたら、ぜひお聴きかせできたらと思います」
そう言って優は一礼をした。
全員が椅子に座る。
「怜良よ。そなたは優のこのような歌を、普段から聴いているのか」
「はい。時々ですが、優くんが歌って聴かせてくれます」
「そうか。それは羨ましいな。その時は演奏もつけているのか」
「はい。先月四月からですが、優くんは楽譜を完成させたので、演奏と共に聴かせてくれます。演奏があると、さらに良い歌になります」
「なに、それは本当か」
悠翔天皇が身を乗り出す。
「はい。優くんは楽譜を自分で作り上げているので、演奏を歌と自在に合わせることができるのです。歌に応じて演奏を変えるので、とてもいい曲になります」
怜良の言葉を聞いて、悠翔天皇が眉間に皺を寄せて「むむむ」と唸る。
「優よ。ずるいのではないか。天凛もそう思うであろう」
「はい、陛下。ずるいと思います」
「そうであろう」
なにやら悠翔天皇たちが不穏な空気を醸し出す。
「優よ。演奏があると歌い方が変わるのか」
悠翔天皇が優を見て問い質す。
「……はい。全く違うものになります。独唱は技術の一つに過ぎません」
「あれで歌い方の一つに過ぎんのか」
悠翔天皇は驚いた顔で優に聞いた。
「はい。少し詳しくご説明します。
歌は一つの作品です。演奏を別として、その要素は、声、メロディー、曲調、展開があります。そして声は声域、声質、変化技術、響き、声量があります。
演奏がない場合、これを声だけで管理しなければなりません。そうすると多くの部分で制限が加わり、妥協が必要になります。曲にもよりますが、本来の姿の一部しか表現できません」
優は落ち着いて説明する。
「演奏があると、この要素を独立に管理することができます。そのうえで演奏の存在が要素を結び付け、声と一体となって、相乗効果を生み出して本来の作品となります。
これがハーモニーです。ハーモニーを上手に作り出すことが、通常は歌の一つの完成点です」
悠翔天皇たちが理解できるように、例をあげて説明する。
「料理に例えれば、演奏がない場合は、材料を一度に合わせ、単一の調理方法で調理して完成させることになります。
演奏があれば、材料を一つ一つ別に扱うことができ、あるいは下ごしらえし、調理も様々な方法を使うことができます。
ですから料理の仕上がりも味も異なることは当然です」
悠翔天皇たちが頷いて理解した顔をしている。
「そして同じ料理でも、調理の方法や調理人により千差万別です。材料の下ごしらえでも同じことが言えます。歌も演奏があれば、無数のバリエーションができることになります。歌が一つの作品である以上、演奏の方法によって歌い方も変わり、作品の仕上がりも全く異なったものになります。これを編曲、特にアレンジといいます」
優は続ける。
「さらに僕の場合は楽譜を自分で作っているので、一つ一つの楽器の演奏を個別にコントロールすることができます。AIは周波数を管理して仕上がりを調整していますが、僕はもともとの音源である楽器の演奏そのものを管理できます。つまり演奏の指揮者も兼ねています。
だから演奏に歌声を乗せてからつじつま合わせの調整をするAIの歌と違い、歌声に演奏を合わせることができます。
その結果、僕の歌は楽器の再生技術を使って歌声の中に演奏の音を取り込むことができ、それぞれの楽器と歌声を個別に共鳴させることができます。これはハーモニーを個別の楽器と作り上げ、それと同時にそれぞれを調整して全体のハーモニーを作り出す技術です。
これを一曲の歌が終わるまで、歌詞に従って内容や展開に応じて変化させ続けます。
これが前世界の音楽技術の集大成です。現世界には存在しない技術体系です」
優は前世の地球には存在しない前世界の技術を交えて、自分の歌の性質を説明した。
「なるほどな。よくわかったぞ。歌と言っても、優は想像よりもはるかに多くの技術を使っておるのだな。しかも前世界の技術であるか。それは現世界の歌と違って当然だな」
悠翔天皇たちは納得した顔をした。
「それで、いつ聴けるのだ」
「はい?」
悠翔天皇がぼそりと言うので、優は素で返してしまった。
「演奏のついた歌はいつ聴けるのだと言ったのだ」
悠翔天皇が問い詰める。
「ええと、音響設備を揃えて、陛下をご案内できる状況を整える必要があるので……」
「怜良よ。いつなら出来るのだ」
優がしどろもどろに答えていると、悠翔天皇が怜良に聞いた。
「明日です」
怜良が真面目な顔をして冷静に答えた。
――え、怜良さん、何を言ってるの?
「明日? どうやって聴けるのだ」
「明日、優くんの中学校は修学旅行の最終日として、午前中に国立音楽館を訪れ、二時間にわたりオペラを観劇することになっています。
平日午前中なので、国立音楽館では全国の修学旅行の学生向けと一般人向けに、作品の上演を新人ソリストと上級練習生を中心に組んで格安で提供しています。
その上演を縮小して優くんの歌の公演を追加で行えば、陛下のご要望にお応えするのに適していると思われます」
――ちょっと怜良さん、何を言い出すの? 確か国立音楽館って、全国の音楽関係の最高峰だったよね。誰もが目指す到達点だよね? オペラ、バレエ団が所属する大劇場だよね?
さすがに話が大きすぎるので、優が止めようとするが。
「国立音楽館か。……そういうことか、怜良よ」
「はい。そろそろかと、想定はしておりました」
悠翔天皇が元首の態度と顔つきで怜良に聞くと、怜良は背筋を伸ばしたまま真剣な表情で答えた。
「観衆の数はどれほどだ」
「修学旅行の中学生が全国から二万人。高校生、大学生を含めた一般人が一万人。合計三万人の予定です。これに当日券での入場五千人が加算されるものと予想されます」
「そうか」
厳しい表情をした悠翔天皇が、低い声で言う。
さっきまでのふざけたような雰囲気とは違う。
優が言い出せる雰囲気ではなくなってしまった。
悠翔天皇が庭園を見やり、考え込む。
場は沈黙したままだ。
やがて視線を落とし息をつくと、何かを決断したように表情を引き締め、怜良を見て言った。
「……よし。それでよい。取り計らい、頼めるか」
「お任せください。ただちに手配致します」
怜良が承諾した。
「優の歌の公開自体については、対応は大丈夫か」
「はい。すでに優くんの歌の公開については、男性保護局で担当部署を立ち上げ済みであり、全て担当させる手配が済んでいます。優くんの歌の公開、公演、取材などは全て男性保護局担当部署が一括窓口となっておりますので、その点でトラブルが発生することはありません。
優くんの保護に関しては、歌の公開に応じて対応する以外にありません。状況を見ながらの対応になりますが、もし不都合やお考えがおありでしたら、侯爵にご指示願います」
怜良が淀みなく答える。
「そうか。報告は聞いていたが、歌の公開自体は準備が整っているのだな。よくやった。
優の保護については、やむを得まい。こういう時が来ることは避けられぬからな。今後は一層怜良を頼ることになるが、任せられるか」
「はい。我々はこのような状況を想定して準備して参りました。一同、油断はありません」
「うむ。わかった。今後は不測の事態が起こるだろうが、その都度乗り越えて欲しい。頼んだぞ。最終的には余の名を使おう」
「恐れ入ります。お計らい感謝申し上げます」
優を置き去りにしたまま、優の歌の初公演が決まった。
――いつの間に僕の歌は男性保護局が管理することになっていたんだろう。しかも何だか不穏なやり取りだよね。ただ歌うだけだよね? 命のやり取りみたいな会話だけど、気のせいだよね。怜良さんの表情が思い詰めたような感じだけど、僕のことじゃないよね? 歌うだけだよね?
重苦しい空気に優は目をぱちくりさせている。
「優よ。聞いての通りだ。明日、国立音楽館での公演をしてくれるな。時間はどれほどあれば良いのだ」
――何が「聞いての通り」なのかわかんないよ。歌うだけだよね? それでいいんだよね?
「……では三十分、六曲か七曲でよろしいでしょうか」
「うむ。それで十分だ。修学旅行が忙しくなってしまって済まぬな。そなたには何か取り計らおう。明日は頼んだぞ。恋愛の歌、男性の恋心の歌を多めにしてもらえるか」
「……はい。そのように致します。ご期待に沿えるよう、がんばります」
「うむ。期待しておるぞ。存分にそなたの力量を見せてくれ」
「優さま。わたくしも見に参ります。楽しみにしております」
優は重荷を背負わされた気持ちのまま、怜良に連れられて退出した。
「天凛よ。どうだったか」
「優さまは良い方ですね」
優たちが帰ったあと、侍従たちが新たに茶を用意し、庭園を眺めながら悠翔天皇と天凛皇女が話している。
「そうだろう。少しとぼけたところがあるが、優しい男だ」
「いままでお会いした男性とは違いますね」
「そうだな。子供ではなく、もう大人と言ってもいいだろう」
「大人の男性とも違いました」
「うむ。あれはどの人間とも違う。そなたには荷が重いか」
紅茶を口に運び、悠翔天皇が尋ねる。
「いいえ。わたくし、優さまが大変気に入りました。お人柄が好ましく思います」
「そうか。良い友人になるだろう」
「はい。もっと仲良くなりたく思います」
「男性としてはどう思う」
「男性として、素晴らしい方だと思います」
天凛皇女が男性をこのように言うは初めてのことだった。
「……そうか。そなたは少し変わったな」
「そうでしょうか。でも優さまの歌をお聴きしてからずっと、何か心が温かく感じています」
「……そうか。明日はいい思い出になるといいな」
「はい。とても楽しみです。陛下、ありがとうございます」
穏やかな庭園を眺め、悠翔天皇と天凛皇女は静かな時間を過ごした。




