43 天凛皇女
「おはよう。今日もよろしくね」
「うん。よろしくね。今日もみんな元気だね」
二日目の朝。宿泊施設のレストランで朝食をとる。
今日もよく晴れ、旅行日和だ。
「今日は午前中に皇宮、午後に国立博物館と男性保護局本部の見学だよ」
「うん。どれも大きな施設だから、見応えがあるね」
朝食を怜良や家族以外の人と食べるのは、乳幼児施設を除いて初めての経験だ。
優は旅行の特別感に浸っている。
「今日は移動距離が小さいけど、はぐれないようにね」
「ありがとう。ちゃんとついていくよ。はぐれたら連絡するからね」
「うん。こっちからも連絡するからね」
女子生徒たちが気を遣ってくれる。ちょっとお母さんみたいだなと優は思った。
「優くん、撮るわよ」
苅橋希がカメラを向ける。
「ありがとう。苅橋さんも朝食をちゃんと食べてね」
「ええ、ちゃんと食べているから大丈夫よ。思い出になるから沢山写真を撮っておきたいのよ」
「みんなが喜ぶよ。さすが写真クラブだね。すっかり慣れたものだね」
苅橋希は班員や怜良、料理などもどんどん撮影していく。迷わずシャッターを切る様子がプロっぽい感じがするなと優は思った。
生徒たちは朝食後にバスに乗り、皇宮に到着した。
ここでは全員で団体行動をする。
「すごい広いところだね。初めて見たよ」
「そうね。何か静かで緊張感があるわね」
「この国の最高統括権限のある場所だから、他の施設とは違うね」
「歴史のある場所だから、ちょっとしたものでも文化財になってるよ」
女子生徒たちがひそひそ話す。大声をだすのは憚られる雰囲気だ。
優は「ここに悠翔さんが住んでいるのかあ」などと悠長に構えている。
なぜかここでは始めから怜良がぴったりと優の傍にいる。
「それでは案内の方に従って、見学して回りますよ。クラスごとにまとまって行動してください。施設に手を触れたりしないように気をつけてください。写真を撮るのは禁止です。撮っていい場所はこちらから指示がありますから、それまでは撮影しないでください」
案内人と教師たちが生徒を連れて移動していく。
そして優が一組について行こうとすると、怜良が優に話しかけた。
「優くんはこっちよ」
そう言って近くにある警護官の立つ重いドアを開け、優を連れ出した。
ドアを閉め、通路の角を曲がって少し進むと、扉の前に懐かしい顔があった。
「久しぶりですね、咲坂優さん。四礼巳影です。覚えていますか」
侍従服を着た四礼が、侍従を数人従え、穏やかな笑顔で優を迎える。
「はい。お久しぶりです、四礼さん。もちろん覚えています。九年ぶりですね」
優は深くお辞儀をした。
「随分立派になりましたね。男の子が成長するのは早いものですね。制服がよく似合って、ご家族の皆さんはお喜びでしょう」
「はい。おかげさまで元気に過ごしてこれました。中学校に通うようになって、家族みんなが喜んでくれています。これも皆さんのお気遣いのおかげです。ありがとうございます」
優は再び深くお辞儀をした。
四礼が微笑んでいる。
「今日は陛下の御希望で、咲坂さんには少しお時間をいただきたく、このような形でお声がけしました。先触れもなく、お友達の皆さんとの見学中で申し訳ないのですが、陛下に御会いして頂けないでしょうか」
四礼が穏やかに話す。
「はい。もちろんです。身だしなみを整えていないので失礼とは思いますが、よろしければご案内ください」
優は慌てることなく、言葉を返す。
怜良は傍で佇むだけだ。
「ありがとうございます。今日の生徒さんの見学の時間は長く取っていますが、終わってしまわないよう、早速ご案内しましょう」
付き従う侍従を先に歩かせ、四礼が優をゆっくりと先導する。
扉を開けると絨毯の敷かれた廊下が続く。
渡り廊下や扉を幾度か通り抜け、靴を脱ぐと、前世日本風の広い庭園に沿って板張りの縁側を進む。
庭園は新緑に溢れ、池があり、とても綺麗だ。小鳥が囀っている。
やがて庭園の見える部屋の縁側が広く開け放たれ、その縁側に侍従の控える場所に到着した。
そのまま部屋に案内されると、椅子に悠翔天皇が座っていた。
「優か。久しいな。元気でいたか」
優を見ると、悠翔天皇はかつてと変わらない様子で、優しい笑顔で優に話しかけた。
優はその場で深くお辞儀をした。
「お久しぶりです。わたくしも家族も、元気で過ごしてこれました。これも陛下の御恩寵の賜物です。深く感謝申し上げます」
優がそう言うと、悠翔天皇はくすくす笑って言った。
「そのような堅苦しい言葉は必要ない。前に会ったときのようにしてくれ。そんなところに居らんで、そこへ座れ」
悠翔天皇の前には、天板がガラスで出来た、椅子の座面の高さの丸いテーブルが置かれ、対面して一脚だけ椅子がある。
その椅子に優は腰かけた。
怜良は部屋の隅に立ったままだ。
女性社会となってから正座の文化は少なくなり、床に座るのではなく、皇宮においても普段は椅子での面会が多用されている。
「突然このように呼び立てて済まぬな。せっかくの友人らとの時間を奪うことになって申し訳ない」
悠翔天皇が頭を下げる。
優は慌てて言葉を返した。
「陛下、頭をお上げください。わたくしのことなら大丈夫です。お気遣いのお気持ちだけで有難く存じます」
優がそう言うと、悠翔天皇は顔を上げて、またくすりと笑った。
「そなたはその年齢で、学者のような言葉を使うのだな。全くおかしな奴だ。そのような言葉を使うでない。前に会ったときのようにと言ったろう」
悠翔天皇が優しい表情で優に言う。
「……はい。ではそうします。あの時は陛下であるとは知らずあのような態度でしたが、今は陛下の御身分を知っていますので気持ちの上でためらいがありますが、ご指示の通りにします」
優は眉間に皺を寄せて回りくどく言った。
「はっはっは。表情を作るにはまだ年齢が足らんようだな。そなたの知らぬ事情があって、そなたはわたしに敬語など使わんでいいのだ。だから前と同じようにせよ。これからもな。他の者たちにも同じだぞ。侍従たちにも敬語は要らん。よいな」
優は特一級要人に指定されているので、権限は別として、貴族階級である身分と関係なく曙国で最も上位の立場にある。それは悠翔天皇をも上回るが、ややこしいので悠翔天皇は普通の態度でいる。
「……はい。わかりました」
優はやむなく、そう返事をした。
「先に咲坂家のおばあさんが亡くなったと聞いている。お悔やみ申し上げる」
悠翔天皇はそう言って頭を下げた。
言葉遣いが不自然であるので、侍従長の四礼が戸惑う。
「ありがとうございます。家族みんなで看取ることができました」
「そうか。何か言われたか」
「はい。いつも家族が傍にいることを覚えているようにと言われました」
「そうだな。おばあさんの言う通りだ。いい家族に恵まれてよかったな」
「はい。そう思います」
優がそう言うと、控えの侍従が菓子と茶を出した。
「まだ落ち込むこともあるだろうが、今日はいい天気だ。気持ちを明るく過ごすといい。
前回は和菓子であったから、今日は洋菓子にしてみたぞ。遠慮なく食べるといい」
綺麗なデコレーションのケーキが用意された。
優は「いただきます」と言って、供された紅茶のカップを手に取った。
「綺麗な庭ですね。若葉がささめいて落ち着きます」
「そうだろう。この季節の午前中は、この部屋が一番きれいに庭が見えるのだ。
子供の頃はよくここから庭を見ていたものだ」
悠翔天皇は庭を見やりながらそう言う。
「陛下の子供の頃というのは想像つきませんね」
「そうかな。今とあまり変わらぬとは、先の侍従長にはよく言われていたな」
それを聞いて、優は悠翔天皇がそのまま小さくなった姿を想像して、小さく笑った。
「何か良からぬ想像をしておるな」
「いえ、陛下がそのまま小さくなった姿を想像して、ちょっとおかしくて。小さいころからその言葉遣いなんですか」
「そうだとも。物心ついたころから変わらぬ」
「あはは」
優は小さな女の子が尊大な言葉を使う姿を想像して、声を出して笑った。
「とても可愛らしい子供だったんですね」
「褒められているように感じぬが、まあよい。変わった子供ではあったからな」
悠翔天皇はすまし顔で紅茶を飲む。
「何が変わっていたんですか」
「わたしは前世界の文化が好きで、いつも前世界の書物を読んだり、映像を見たりしていたのだ」
優は悠翔天皇の意外な行動を知って、驚いた。
「前世界の文化は人気がないと聞いていますが、陛下は興味があったんですね」
「ああ。前世界は人々が感情を素直に表現していて、生き生きとしているように感じたのだ。だから子供のころからそのような文化に親しみを感じて、読み耽っていたのだ」
優は悠翔天皇が自分と同じ感想を持っていることに、親しみを感じた。
「それは僕も同じです。僕も四歳で前世界の情報に接することが認められてから、ずっと前世界の音楽や文化に接してきました。僕も陛下と同じように感じてきました。そんな人には初めて出会いました」
「ほう、そうか。わたしも初めてだな。小難しいことを言う学者はおるが、純粋に前世界の文化が楽しいと言う者はおらぬ。それが小さい頃から不思議であった。ようやく話の通じる者に出会えたか。これは喜ばしい」
悠翔天皇が嬉しそうに笑う。
「はい。僕も嬉しいです。これからの中学生の生活では、前世界の文化を研究しようと思っていたところです」
「そうなのか。それならば丁度よい。この皇宮の前世界書庫の文物の閲覧や貸出を認めよう。いつでも利用して構わんぞ。私が小さい頃から過ごしてきた書庫だ。役に立つものがあろう」
悠翔天皇がそう言うと、侍従長が戸惑った。
「ええ、いいんですか。すごいものが沢山ありそうですね。
でも皇宮に出入りするのは恐れ多いので、いずれきちんとした形でお願いすることにします」
「そなたは遠慮などせんで良いのだ。いつでも立ち入って良いのだぞ。
まあ、今すぐでなくてよいから、いずれ見にくるといい」
「はい。そうさせてもらいます」
優は紅茶を飲んだ。
「ところで今日こうして僕を呼んだのは、何か用事があったんじゃないですか」
優がケーキを食べてから聞く。
「うむ。確かにそうだが、まずはそなたの成長した姿をこの目で見ておきたかったのだ。元気に育っておるようで安心したぞ」
「ありがとうございます。怜良さんや六勝さん、男性保護局や警護隊の人たちにお世話になり、陛下のお力添えでここまで育ってこれました。家族ともども皆さんに感謝しています。陛下もお変わりなくお元気そうで、嬉しいです」
「優が大事にされているようで良かった。わたしもこうして元気でいる。これからもこうしてまた元気に会いたいものだな」
「はい。是非に」
悠翔天皇は四礼に声をかける。
「四礼、人払いをせよ。それから天凛を呼べ。椅子を二つ用意せよ。」
四礼は指示の通り、控える侍従を全員別室に待機させた。
そして天凛皇女を呼びに行かせた。
程なくして四礼が天凛皇女を部屋に案内した。
「天凛、参りました」
軽やかな声が聞こえた。紺のワンピースを纏い、身長が優より低く、悠翔天皇と同じく艶やかな黒長髪で赤目の、静かな物腰の女性がゆっくりと入ってきた。
――あれ、なんか綺麗な顔をした子供が入ってきたけど、艶のある長い黒髪、赤い目。これってもしかして、皇族じゃないの?
「優よ。天凛だ。末の皇女になる。そなたに紹介しよう」
悠翔天皇が座ったまま優に紹介をした。
「天凛と申します」
天凛皇女は静かに優の椅子に近づくと、ゆっくりとした口調で名を口にし、お辞儀をした。
――やっぱり! この子皇族だよ! なにいきなり紹介してるのさ、悠翔さん!
優は慌てて立ち上がり、椅子の横に立って深くお辞儀をした。
「僕は咲坂優といいます。お目にかかることが出来て光栄です」
そう言うと、優は天凛皇女と目を見合わせた。
――すごい綺麗な子供だな。悠翔さんと同じ真っ赤な瞳。人形みたい。頭のてっぺんからつま先まで、しっかり手入れされてる雰囲気が溢れてる。近くにいると眩しいよ。
「優よ。天凛の歳は十になる。そなたと歳が近い。これから仲良くしてやってくれぬか」
悠翔天皇がそう言う。皇女を紹介されるとは、優は予想外だった。
「よろしくお願い致します。咲坂優さま」
天凛皇女が再び頭を下げる。優は慌てて頭を下げた。
――いや。いやいや。何を言っているの、悠翔さん。八弥を相手にするのとは訳が違うよ! 仲良くって、どうしたらいいのかわかんないよ!
「こちらこそよろしくお願いします。……いや、皇女さまとの交流は恐れ多いです」
「何を言っておるのだ優よ。わたしとこんな風に話しておるのに、今更恐れ多いも何もあるまい」
「……まあ、そうですが。そうですか」
優は皇宮であることも忘れ慌てふためいたが、悠翔天皇の言う通りだと思い、落ち着いて考え直した。
「……殿下とお呼びすればいいですか。皇女さまとお呼びすればいいですか」
優はどう呼んでいいかわからず、聞いてみた。
「天凛とお呼びください」
――何を言っているの、お嬢さん?
「……いえいえ。そんな」
「ご遠慮なさらず」
――ご遠慮したいんだけど。そんなに見つめられても困りますよ。
「……はい」
優は静かな迫力のある皇女に気圧され、仕方なく名を呼ぶことにした。
「では天凛さま。僕のことは優とお呼びください」
「はい、優さま。わたくしのことは、ただ天凛とお呼びください」
――どういう教育をなさっておいでですか、悠翔さん? 「ただ天凛」ていうのは、呼び捨てのことだよねきっと。そんな恐ろしいことできましぇん。
「……いえ。それは諸般の事情から……」
「………………」
「……いずれそのうち」
――無理無理無理! それ無理だから! いくら綺麗な顔で見つめても駄目ですよ! 四礼さんが優しい笑顔のまま僕を処刑しに来るよ! さっきから悠翔さんが変なこと言う度に笑顔が凍り付いてたの、気づいてるんだからね!
「…………わかりました」
天凛皇女が諦めたので、優は冷や汗をかきながら、何とかぎりぎりで踏みとどまった気がした。
「どうやら仲良くやっていけそうだな。まずは良かった」
笑顔で紅茶を飲む悠翔天皇を見て、優はいつか仕返しをしてやろうと思った。




