41 ユリおばあさんの死
女子生徒たちが優邸を訪れた翌日、優は写真クラブでもらった写真データを持って、咲坂家を訪れた。
「おはよう。ユリおばあさんの様子はどう?」
「おはよう。今朝は落ち着いているわ」
桜が答える。
ユリばあさんはここ数年体調を崩し、伏せがちになっている。すでに九十五歳になり、健康ではいられない年齢だ。
「ユリおばあさん。おはよう」
「おや、優かい。おはよう。よく来たね」
ユリばあさんの寝室に行くと、すでに目を覚ましていたようだ。
「学校はどうだった」
「とてもいいところだと思ったよ。出席してみてよかった。勉強になったよ」
「そうかい。それは良かった」
ユリばあさんは穏やかな表情で答える。
窓が開け放たれており、春の暖かい風が流れ込んでくる。
レースのカーテンがゆらゆらと揺れ、静かな時間が流れている。
「あのね、学校の写真クラブに見学に行ったらね、写真を撮ってくれたんだ」
「そうなのかい。よかったね」
「ほら、これだよ。ちゃんとしたカメラで撮ってくれたから、写りがいいんだ」
優は小さな台座をポケットから取り出し、ユリばあさんに見せる。
優の立体映像が映し出され、様々な角度から見ることができる。
「本当だね。きれいに写っている」
ユリばあさんの手に持たせると、ゆっくりと台座を動かし、優の写真を見ている。
「身体の調子はどう?」
「優が来てくれたから、元気だよ」
ユリばあさんは写真から目を離し、優を見て答えた。
「ちゃんと元気になってね」
「ああ。まだまだ元気だよ」
そう言って穏やかに笑うユリばあさんを見て、優は学校での出来事を話し始めた。
……
「それでね、昨日は友達がうちに来てくれて、僕の歌を聴いてもらったんだ」
「そうなのかい。それは良かったね。みんな褒めていただろう」
「うん。上手だって言ってくれたよ」
優の話を聞いて、ユリばあさんは微笑んでいる。
「優の歌を聴かせておくれ」
ユリばあさんがそう言うので、優は歌うことにした。
「じゃあ、僕の好きな歌を歌うね」
優はそう言うと立ち上がり、歌い出した。
始めに選んだ曲は、子供が歌う歌。普段の感謝を表す歌だ。
伴奏も必要なく、声だけで歌う。
ユリばあさんは病気なので、うるさくないように声を張らずに丁寧に音をたどる。
のどかな曲調は、春のゆったりとした雰囲気によく合っている。
家の外には花が咲く。
咲原の名の通り、どこも花が色とりどりに咲いている。
優は風を感じるように、流れる歌を歌いあげた。
ユリばあさんが優しく微笑んで喜ぶ。
「とても上手だね。一生懸命練習していた頃の優を思い出すよ」
ユリばあさんはそう言って目を拭った。
「次は春の歌だよ」
優は独唱曲を選び、静かに歌い出した。
桜を題材にした曲。
日本人だった優には心に響く歌だ。
高原のため五月が桜の季節となる咲原は、今はまだ咲き始め。
だから優は桜の満開が早く訪れるようにと、木々に呼び掛けるように歌った。
少し長めの曲を歌い終わる。
ユリばあさんは優に目を向け、微笑んでいる。
「いい歌だったね。桜が満開になる時の歌だったね。咲原によく似合う歌だよ」
ユリばあさんが優の歌を褒める。
優はそうして歌を歌い続けた。
「ありがとう。とても楽しかったよ」
「楽しんでもらえてよかったよ。少し寝る?」
「そうだね。いい気分だから、いい夢がみれそうだよ」
「それじゃあ、おやすみなさい」
「カーテンはそのままにしておいておくれ」
「わかったよ。風が気持ちいいもんね」
「ああ。また後でね」
優は写真の台座を枕元に置き、ユリばあさんの手をゆっくりと握ってから傍を離れた。
「ユリさんに歌ってあげたのね」
リビングでソファーに座ると、桜が優に話しかける。
「うん。学校でもらった僕の写真を見せてあげたんだ。学校の話や昨日友達がきてくれて歌を聴いてもらった話をしたら、ユリおばあさんが聴かせてほしいって言ったから、歌っていたの」
「そうなのね。ユリさんは喜んでいたでしょう」
「うん。今は眠っているよ」
「今日は穏やかな天気だから、ユリさんも過ごしやすいわね」
今日は土曜日なので、咲坂家は全員在宅している。
「今日はユリおばあさんの調子は良さそうだね」
「そうね。天気がいい日は調子がいいから、安心よ」
「昔はあんなに元気だったのにね」
「年をとったからね。今でも年齢の割には健康ではあるけど、元気がなくなったわね」
この世界の女性は七十歳代から老化が早く進む。寿命は前世と変わらない。
医療技術が発達し、生活も安定しているため、病気は少ない。死亡原因は老衰が多い。
「ちゃんと食べてるの?」
「もう余り食べられないわ。だからどうしても身体が弱ってしまうわよね」
「食べられないから、余り動けなくなったしね」
ここ数年、この村でも高齢者が亡くなってきたので、優はユリばあさんも長くはないことを理解している。咲坂家もそれは同じだ。
「少しでも長く生きられるように、お世話してあげなきゃね」
「あの年になると楽しみがあるといいから、優が中学校に通うようになったのはいいことだわ」
「優の制服姿にすごく喜んでいたな」
そんな会話を交わしていると、八弥が優に聞いた。
「お兄ちゃん、中学校はどうだったの」
八弥は身長が伸びて、優よりも高い。
「初めて学校に行ったけど、とてもいいところだったよ。友達もできたしね」
「お兄ちゃんには初めての学校の友達だね。中学校には来年私も通うから、楽しみだよ」
「寮生がいたりクラブ活動があったり、色んな話を聞いて勉強になったよ」
「お兄ちゃんはクラブ活動をするの?」
「どうしようか考えているところだよ。通学は続けるつもりなんだ」
「お兄ちゃんはこれから中学生になるんだね」
「そうだよ。毎日通えるかわかんないけど、みんなと同じ生活になるね」
そんな会話を続ける。
「これから優はどんな生活にしていくんだ?」
巴が聞く。
「まずは中学校に通って、クラブ活動は余裕ができてから考えるよ。その他には歌を色んな人に聴いてもらおうと思っているから、週末に何かの形でやっていこうと思っているんだ」
「優は歌うのが好きだから、そうするのがいいな。今まであんまり聴いたこと無いから、村でも歌ってくれると皆喜ぶぞ」
「そうよ。優くんは練習ばかりで、ちゃんと聴かせてくれたことないわよね。これからは優くんの歌を聴きたいわ」
優が披露してくれるのを、みんな楽しみにしてきていた。
「そうだね。交流会でも歌えたらいいと思っているよ。それから音楽堂でのイベントに参加するのも考えているんだ」
「音楽堂ならいいよね。毎週色んなことやってるから、観客もたくさんいるしね」
「八弥はよく知っているね」
「だって、みんな時々家族で遊びにいってるから学校で話題になるんだよ」
「へえ、そうなんだ。どんなことやってるの」
「演劇とかバレエとかもやってるんだって。舞台が広くて、楽しいらしいよ」
怜良が言うように、本格的な運用がなされているようだ。
「大きなところだとは聞いているから、いつか舞台で歌う時がくるかもね」
「お兄ちゃんの歌声はきれいだから、きっとすぐにそうなるよ」
八弥がにっこり笑う。小学六年生の八弥はとても可愛くなった。
そんな会話を交わして優と怜良は咲坂家で時間を過ごし、夜になった。
「ユリおばあさんの容態がよくないわ」
ユリばあさんの様子を見てきた彩が言う。
「苦しそうにしてるの?」
「いいえ、そうではないけど、データの診断でお医者さんがそう伝えてきているわ」
ユリばあさんの身体の状況はリモートで管理されており、AIと医師による診断が行われている。
「内蔵機能が急速に低下しているらしいから、今夜は付き添っているように指示されたわ」
「そんなに悪いのか……」
家族に沈黙が流れる。
「今は意識はあるんだよね」
「ええ。目を閉じているけど、起きているわ」
「じゃあ、皆で行こうよ」
優がそう提案し、家族で傍にいることにした。
「ユリおばあさん、皆で会いにきたわ」
ベッドを囲み、彩がそう言うと、ユリばあさんは目を開けた。
「おや、みんなして会いに来てくれたのかい」
か細い声で答える。
「元気がないみたいだから、ちょっと話し相手になりに来たんだよ」
「ええそうよ。ユリさんが静かだから、お話ししに来たわ」
巴と桜が声をかける。
「お話かい。なんだか昔のことを思い出していたよ。桜が生まれた時、巴が生まれた時、彩が生まれた時。懐かしいね。
そして優が生まれた時は大騒ぎだったね。昨日のことのように感じるよ。
その後すぐに八弥が生まれて、みんな元気で育ってよかったよ」
ユリばあさんは空中を見ながら静かに話す。
桜がベッド脇に座り、手を握った。
「そうね。あの頃はユリさんは若かったわね。元気すぎてよく村の人たちを困らせていたわね」
「そうだったかね。若かったからね。それなのに桜は静かな子だったから、ちょうどよかったんだよ」
「そうかもしれないわね」
ゆっくりと二人は昔を懐かしむ。
ユリばあさんが呼吸を深くする。
「お前たちが家族でいてくれて、幸せな人生だったよ。ありがとう。これからもみんな仲良くすごしておくれ」
そう言うと、ユリばあさんは顔を少し動かした。
「優」
「なあに」
ユリばあさんが優の名を呼ぶ。
「優は男の子に生まれただけでなく、どうやら特別らしいね。私も傍で見ていて、そう思っていたよ。
これから優には人とは違う人生があるかもしれないが、家族はいつも優の傍にいるから、それを忘れないでいておくれ」
ユリばあさんがゆっくりとかすかな声で話した。
「うん。わかったよ。ユリおばあさん、僕の面倒をみてくれてありがとう」
優がそう言ったあと、家族に囲まれながらやがてユリばあさんは息を引き取った。
「桜がきれいよ、優くん」
「うん。満開だね。ここに来たころを思い出すよ。もう四年が経つんだね。怜良さんと車に乗ってやってきたのが懐かしいよ」
「そうね。あの時までは二人暮らしだったわね。優くんがここの環境になじめてよかったわ」
優は怜良と二人だけで花見にやってきた。
葬儀も終わり、咲坂家も落ち着いた。
この国では死後の法要は少なく、年中行事に取り込まれていく。
だから二週間もすれば、元の生活リズムに戻るのが普通だ。
「あの頃までは、いつも怜良さんと二人で一緒にいて、毎日楽しかったよ」
優は思い出しながらそう言う。
「優くんが楽しい生活を送れてよかったわ」
怜良も懐かしんでそう言う。
「怜良さんと一緒にいられるのも、あと六年間だね」
「ええ、そうなるわね」
優は沢山の記憶を思い出す。
「怜良さんは、その後はどうするの?」
「一等男性保護官としての職務を続けるなら、他の男の子の専属保護官になることが多いかしらね」
「そうだよね」
怜良の未来の姿を想像して、優は悲しい気持ちになった。
「いつも一緒にいてくれて、ありがとう」
優は前世では孤独に生き、近親や他人の死を経験することがなかった。今世においても近親の死は経験してこなかった。
人との別れは、ユリばあさんが初めてだった。
優が初めての人の死から感じたものは、悲しみよりも喪失感だった。
怜良を失うことは、想像したくなかった。
「優くんが幸せになってくれることが、私には一番嬉しいわ。これからもよろしくね」
そう答える怜良の姿が、とても儚いものに見えた。




