36 十三歳
小学三年生の年度で咲原に移住してから四年が過ぎ、優は中学一年生の年齢になった。
これまでに襲撃を受けることもなく、村で平凡な日常を繰り返し、それぞれの季節を楽しみ、普通の幼少期を過ごした。人間関係の面では、学校には通わず、地域社会や家族との交流で生活を豊かに彩ってきた。周囲の人々は優の成長を愛情を持って見守っていた。
優自身は前世の歌の復元を終え、ようやく少し早めの声変わりを果たし、歌の歌詞を人前で歌う準備が整いつつあった。優は今世で十三歳、前世を通じて三十三歳、怜良は四十歳になろうとしていた。
「優くん、中学生おめでとう」
「ありがとう、怜良さん。怜良さんのおかげでここまで大きくなれたよ。いつも一緒にいてくれてありがとう。千景おばちゃんにもいっぱいお世話してもらって、無事に過ごしてこれたよ。ありがとう」
新年度の四月始め。
優は中学校には通わないが、年齢上は中学生なので、怜良と六勝は優にお祝いの言葉をかけた。当然のことながら優は通学を希望すればいつでも通学ができる。それは教育課程の修了とは関係ない。
「優はこれからどんな生活を送るつもりだね」
六勝が聞く。今日は六勝が優邸を訪れ、今後の生活方針を話し合うことになっていた。
小学生の間は結局、優の特殊行動がなかったため、優に関しては何も研究調査が進展していなかった。今後の特一級要人としての取り扱い方の方針も検討する必要があるため、優自身と話し合うことになった。
「僕は音楽の知識も沢山増えて、これまでで好きな曲も沢山作ることができたよ。前世界の音楽教育プログラムを使ったおかげで、発声についても声変わりにもうまく対処できて歌える水準になってきたと思う。だからこれからは歌をたくさん歌っていきたいと思うよ」
六勝のお土産の首都タワー饅頭を食べながら、優は答えた。六勝はこの日に先立って悠翔天皇と面会し、優の今後の取り扱い方針について意見を交わしていた。六勝は滅亡世界の話を聞いて以来、「神の手がかり」としての優の能力の分析把握に焦りを持っていたが、悠翔天皇は優の人間としての人格の成長を重視しており、今後の優の取り扱いについて意見のすり合わせが必要であった。
「歌っていくというのは、怜良に聴かせるだけではないということかい」
「はい。怜良さんには一番聴いて欲しいけど、咲原の村の人や色んな人にも聴いてもらいたいな」
優にとっては、幼少から発声練習までして基礎を身に着けてきたのは、前世の歌をこの世界の人々に聴いてもらうためであり、そのために前世界の音楽教育プログラムを発掘してまで楽譜の再現をしてきた。
だから声の音域が楽譜の音域をカバーできるようになった今、ようやく優は前世で自分が好きだった歌を人々に聴いてもうことができると思って楽しみにしていた。
「そうか。優の希望は尊重したい。しかし今まで君には明らかにしてこなかったことだが、君をここに保護している理由は、君のその歌にこそ理由の一部がある。だから優のやりたいようにとはいかないんだ」
六勝はここで初めて第四市出張所の建設理由の一つを優に話した。
「え、そうだったの? 初めて知ったよ。何で僕の歌が保護の理由になっているの?」
優は全く予想外の六勝の発言を聞いて、きょとんとした。
「優、君が中学生になったから明かすが、君には我々の計り知れないものがあるんだよ」
六勝が深刻な顔で言う。怜良はその横で吞気に首都タワー饅頭を食べている。
「何ですか、その計り知れないものって」
「君は覚えていないと思うが、君は出生後間もなく歌を歌ったのだ。我々はそれを聴いて、大変驚いたんだよ」
六勝の言葉を聞いて、覚えていないどころか優は心当たりがあり過ぎた。
「それで、その後我々は保護局で色々と議論を重ねてきた。しかも怜良が君の歌を聴いたとき、よくわからない不思議な現象が発生している。そういったことがあって、様々な事情もあって君を保護している」
真剣な表情を崩さない六勝を見ながら、優は「これはまずいよね」と冷や汗を流した。
出生後、優は身体が健康であることを理解してから、ハイテンションな気分のままに鼻歌や歌を歌って過ごしていたことを覚えていた。ろくに声が出せない赤ちゃんが異世界の言葉でぶつぶつ歌っていたら、それは宇宙人か呪われた子供としか思わないだろう、と優は今になって気づいた。
優が特別扱いなのは年齢に比べて知能が優れているからだと思っていたが、実は赤ちゃんのころの奇行が理由だったとは。前世の虐待のせいで人の心情を正しく理解できない優は、前世のことを言えば怜良に変な目で見られると思っているので、どう説明しようかと焦りを募らせた。
「何ですか、その不思議な現象って」
「怜良が言うには、自分が自分でなくなるような気分がしたということだ」
「そんなことがあったの?」
優は六勝と怜良の顔を見比べた。相変わらず怜良は首都タワー饅頭をもぐもぐ食べている。怜良さんはいつも通りの姿だよね、と優は思った。
「ああ、怜良は立場上私に色々と報告をする必要があるのだが、君の歌を聴いたときにそういうことがあったらしい。それで我々は君に何か不思議なものがあるのではないか、それが歌と関係があるものではないかと考えて議論してきたんだよ」
話を聞くほど何かとんでもないことになっている気がする。ただ歌っただけなのに。優はそう思った。それに今饅頭を頬張っている怜良はいつも通りだ。「自分でなくなるような気分」とは何のことなのだろうか。怜良の姿を思い返しても心当たりがない。呆けている時のことだろうか。あれが「自分ではない」姿なのだろうか。優は混乱した。
「そういうわけで、優が他の人に歌ったとき、同じように何か不思議な現象が起きると、騒ぎになったり問題になったりしないか、危惧しているのだ」
自分の知らないところで知らない話が独り歩きしていることを知って、優は冷や汗が止まらない。まさかこの施設や厳重な警備が、あの奇行のせいだとは。別世界からやってきたことが、自分の知らないうちに他の人には思いがけない姿に映っていたとは。大それた話になっていることを知って、頭の中で優には謎現象のことよりも前世の詮索を回避して奇行をごまかすことが最優先事項となっていた。
「ええっと、生まれた時のことはよく分からないけど、その不思議な現象っていうのは、何か問題になるんでございましょうか」
やたらと丁寧な変な言葉遣いで、優が目を泳がせながら六勝に聞いた。
「問題になるかどうかが分からないから問題なんだ。つまりまだ優の歌が引き起こす現象の情報が足りなすぎるんだ。我々は現象の分析ができていない。だから対策や判断ができずにいる」
六勝が真剣な声で答える。
その言葉を聞いて、優はちょっと真面目に考えてみた。
不思議な現象って、自分にも分からないけど、でも特に害があるようにも聞こえないし、知らない曲を聴いて不思議な気分になっただけだよね、きっと。違う世界の歌なんだし、そんなことがあっても不思議じゃないよね。と優は思った。
となりで吞気に饅頭をもぐもぐ食べ続ける怜良を見ていて、何か深刻な事態が生じているとは思えない。
怜良はこの拠点に来て優の保護を開始して以来四年が過ぎるが、地域社会との解放路線をとっているせいか落ち着いており、余裕がある。それは生来の図太さと楽観的な呑気さと、優の精神的成長を重視しているからであり、六勝とは見方が違った。
「それじゃあ、千景おばちゃんたちの前でたくさん歌ってあげるよ。それで保護局の人たちの分析とかに役立つんじゃない?」
優がそう答えると、六勝はしばらく考えてから答えた。
「そうだな。やはりそれしかないだろう」
六勝がやたらと深刻な表情で答えるので、優は思わず言った。
「もしかしてそんな事でずっと悩んできたの?」
「そんな事とはなんだ。大人は色々と大変なんだぞ」
「そうなんだね。ごめんなさい、なんか色々と心配をかけてきたみたいで」
「そうだ、その通りだ。怜良が吞気すぎるから私がいつもやきもきしているんだ。怜良に聞いても「大したことじゃありませんよ」などと気の抜けたことばかりいいおる。私だけバカみたいじゃないか、全く」
ちらりと横に座る怜良を見て、千景おばちゃんも大変なんだな、と優は思った。
「じゃあ、今歌ってみるよ。それで千景おばちゃんがまず判断してみたらいいんじゃないかな」
そう言って優は立ち上がり、準備を始めた。
怜良は「あら、歌を聴かせてくれるの?」と言ってお茶を入れなおしてスタンバイし始めた。
六勝は一人真剣な表情を崩さない。
「それじゃあ、いろいろ歌うからね。今日は新年度だから、今まで歌わなかった新曲だよ」
優は元気にそう言うと、コンピューターを操作して伴奏を流し始めた。
春の明るい季節らしく、元気で明るい曲。
優は声域が広くなった喉を使いこなし、呼吸を音声に変換する。
十年間にわたる地に足のついた発声練習で鍛えてきた身体は、非常にスムーズに声を音に変換し、言葉を音楽に齟齬なく乗せる。優は幼少からの訓練と前世界の音楽教育プログラムの修練によって、音楽の感性が大きく発達しており、即座にメロディーとハーモニーを的確につかむことができるようになっていた。
優は自分の予想よりもずっと上手に歌い上げていた。
「優くんすごいわ! すごく上手になってるわよ!」
怜良が拍手をする。
六勝は真剣な、というよりも渋い顔をしている。
「ありがとう! じゃあ、次だよ!」
怜良たち観客がいるせいか、練習よりも思いのほか声が出るので、優も調子に乗って歌い始めた。
次も春らしい明るい曲。明るい曲は沢山あるから、次々に再生できる。
明るい曲を歌うと気分も上がってくる。
優は前世と違って自由に動く身体で少しずつ動きをつけながら歌う。
その動きが発声法とは違う抑揚を声につけ、歌の印象が盛り上がる。
「優くん、かっこいいわよ!」
優の透き通っていて伸びのある歌声を聴いて、怜良が立ち上がって声援を送る。
近所迷惑だが近所には誰も住んでいないから問題とならない。
六勝は渋い顔をしたままだ。
「声援ありがとう怜良さん! 次はちょっとしっとりした曲だよ!」
優が素早くコンピューターを操作して伴奏を流す。
表情と声を落として、優しく語りかけるように歌い出す。
大人の男性が過去の恋心の傷を思い出して黄昏れるような歌だ。
怜良は優しく微笑みながら聴いている。
その横で六勝は渋い顔をしたままだ。
「それじゃあ、」
「いや、もういいぞ」
六勝が声を上げた。
「優、その歌の歌詞は自分で考えたのか?」
六勝が聞いた。優はドキリとして目を泳がせる。
「うん、まあそういうことになるかな」
「……そうか」
六勝が黙り込む。
現世界の歌は恋愛の歌が少なく、あっても控え目な女性の恋情を歌うだけ。男性に恋情が欠落しているため、女性からの恋情は自己完結している。そのためほとんどの歌は家族愛などを内容としており、男女の恋愛感情をストレートに歌う優の歌詞はこの世界では一般的ではなかった。
「怜良、今の歌を聴いていて、前のように何か変化はあったか?」
「いいえ、何もありません」
六勝の問いに対して怜良は躊躇なく答える。
「そうか。私も何もなかった。前に悠翔天皇の前で優が歌ったときも何もなかった」
優は四歳のときに悠翔天皇と面会したが、その後社会科目の勉強をしているときに面会相手が天皇であったことを知った。それでも「そうなんだー」で終わったが。
「今の歌を聴く限り、優の歌に何かの不可思議な効果があるとは思えない。前回の陛下の時も合わせて、これを分析したところで何かあるとも思えない。一応分析はするが、あまり歌の影響を考える必要はないかもしれんな」
六勝は真面目な顔でそう言った。
「優、今のところはまだ保留するが、優が希望するような歌の披露もできるように検討してみよう。歌自体の影響よりも、その歌詞の内容の方が影響がありそうだな。別にそれはかまわんが」
六勝は優にそう言った。
「こういう歌詞はあまりないよね」
「そうだな。それを社会が受け入れるかは別の話だな。私が聴いた限り、いい曲、いい歌だと思ったぞ。今まであまり聴いたことがないものだった」
「千景おばちゃんも気に入ってくれたようで嬉しいよ。前世界の歌も歌いたいんだけど、それは大丈夫?」
優は気になっていたことを聞いた。なぜ前世界の歌が現世界に残っていないのか分からなかったからだ。
「ああ、それは問題ない。何か歌詞について規制があるわけではないからな。あくまで社会が受け入れるかどうかの問題だ。今までは優の歌のような歌詞は、要するに売れなかった。社会が受け入れないと言えばいいか」
「そうなんだね。それは好みの問題だからしょうがないよ。僕は好きな歌を歌っていたいから」
「そうだな。私は歌のことはよくわからないから、優がいいと思うものを歌えばいい」
「わかったよ、千景おばちゃん」
「それで、どうだったのだ」
悠翔天皇が六勝に聞いた。
「今後は歌を歌っていきたいとのことです」
「ほう。それで許可したのか」
「許可できるか判断するために、今日歌ってもらいました」
「怜良が前に反応したというやつか」
「はい。違う曲でしたが何かの影響が現われるかと思ったのですが」
「何もなかったか」
「はい。陛下がお聴きになったときと同じかと」
「そうか。歌には何もないか」
悠翔天皇は少し残念そうな様子を見せる。
「ただ、一つだけ普通ではないことがありました」
「ほう、何があったのだ」
「歌詞について、おかしなものを感じます」
「どういうことだ」
「我々が今まで聴いても良いと思わなかったような歌詞の曲が、今日はいい曲だと思いました」
「それはどんな曲なのだ」
「はい、男女の恋愛感情を内容とする歌です。今まではそのような曲を聴いても、非現実的なこともあって興味をひかれませんでしたが、今日優の歌を聴いたときには、なぜかいい曲だと思いました」
「……それは本当か」
「はい。私はなぜ優の歌をそう感じるのか、歌を聴いている間に考えていたのですが、結局わかりませんでした。
それが怜良が経験した現象と関係あるのかと考えましたが、わかりませんでした。
それが今日の出来事です。それ以外には何も問題はなく、何か不可思議な現象が起こるとは思えませんでしたので、今後は優の歌の公表を許可しようかと思っています。一通りの分析をしてからになりますが」
「そうか。……わかった」
六勝からの報告が終わり、回線が切れた。
「優には神の罰が及ばぬ。そして現世界と前世界の歌が違うと言い、今回は歌詞の感じ方に違いをもたらしたか。怜良には影響をもたらし、我々には不安定な影響しかもたらさない。
まだ情報が足りぬ。子宮欠損症の正体を見抜けても、何もできぬな」
悠翔天皇は未だ何も解決が見いだせない現状を一人憂いていた。




