30 悠翔皇女
朝日を浴びて目を覚ました。
ここに移住して、一人で起きる朝。
レースのカーテン越しに、顔に日が差す。
春の爽やかな朝。
移住前の生活を思い出す。
「おはよう、怜良さん」
「おはよう、今朝もちゃんと起きられたわね。新しい生活に慣れてきたかしら」
今朝も怜良は朝食を作ってくれている。
ここに来て和食が増えた。
咲原でとれた野菜が食卓に並ぶ。
今朝は鮭の切り身と目玉焼き、味噌汁。
根菜類の煮付けも一緒。
「いつもありがとう。いただきます」
「たくさん食べてね」
今日もいつもと同じ朝。
男性居住区画とは家も環境も変わったが、怜良との生活は基本的に変わらない。
怜良はいつも優と一緒にいてくれて、家事もしてくれる。
「今日は予定通り?」
「うん。森下さん家に行くよ」
「お昼ご飯をお呼ばれしているのよね」
「うん。初めて呼んでくれたんだ。楽しみ」
「村の人と仲良くなってよかったわ」
「怜良さんも一緒に来てくれるよね」
「ええ、もちろんよ」
村人たちと交流をたくさん持つようにしている。
これはこの村に移住する前から、怜良たちと村民との間で話し合われたこと。
村人にとっては始めから当たり前のことであったが、六勝たちにとっては優と村民との交流は必要不可欠であった。
悠翔天皇は、優に人らしい生活をさせ、人らしい人生を送らせるために、そのように指示していた。
一方で六勝たちは優が怜良以外の人間にどのような影響を及ぼすのか、そのデータを必要としていた。
この村は、優が国民に与える影響のテストケースとして位置付けられていた。
「神の手がかり」の実態を突き止めることは、優の取扱いの要であった。
そのためもあり、優に同行して様々な調査をすることが、怜良の主要な任務の一つだった。
建前上は。
実際には怜良にとって、そのような調査はどうでもよかった。
怜良は単に優に子供らしい生活を送らせてやりたいと思っているだけだった。
朝食を終え、出発する。
車でもいいが、怜良は優に、なるべく歩くように言っている。
男性居住区画では舗装された道路や整備された公園ばかりで、自然な環境がなかったからだ。怜良は優にとって、自然とのふれあいがとても大事だと思っている。
だから天候にかかわらず、外出して自然を感じさせるようにしている。
ついでに特務隊の訓練にもさせている。怜良はもともと仕事に厳しい人間なので、特務隊を休ませることはしない。
「今日もいい天気ね。午後も晴れているかしら」
「うん。ここは山が多いせいか、毎日天気がよく変わるよね。結構楽しいよ」
優はもう小学三年生、身長も百二十センチ位になったので、一人で歩いていいのだが、未だに怜良と手をつないで歩く。
この世界の人間は、地球の人間とは成長状況が異なる。優や八弥の身長は地球の子供より小さい。
子供の頃は成長が遅く、その分三十歳くらいまで成長を続ける。そして身体的全盛期は四十~六十歳だ。一等・特等男性保護官はこの年齢層が多いが、これが理由となっている。これは若年至上主義が排除されている理由ともなっている。
この違いは、現世界の人間が前世界に作られたクローン強化人間の末裔だからである。前世界において、人体能力の発揮期間の長期化が目指され、交配と肉体改造が繰り返された。皮肉にもその成果は神の罰の後になってようやく現われ、現在に至っている。
キャベツ畑を八弥と散歩したときは、八弥の体力がないのですぐに休んでいたが、優自身は運動をしてきて今もトレーニングをしているので、長く歩くことができる。
森下家は遠いので、一人で訪れるために八弥の登校の日を選んだ。
「木本さん、おはようございます」
「おはよう。朝からお出かけかい」
「はい、森下さん家に行ってきます」
「そうかい。お呼ばれだね。行っといで」
「はーい」
優は農作業をしている木本家の人に声をかけ、手を振る。木本家は隣に住む人参農家だ。今朝もその野菜が食卓に並んでいる。
この村の村人はだいたい、一番下の子供が就学、その上の二人が農業、その上の二人が事務関係の仕事をしている。この世界では身体の全盛期が過ぎた六十歳代で事務関係のリモートの仕事に転職する。
この世界の標準的な労働形態だ。六十歳以下の肉体労働世代は工場に出たり、警護官や男性保護官になったりもする。国際ハッカーの半座みこは肉体労働者ではないが、都会に出てきた人間となる。
労働世代が皆農業をしない家族は、村内や村外での配置転換が行われることが多い。
「わあ、きれい!」
小さな川が流れ、橋が架かっている。
農業用の川だ。こういう用水路・排水路が多く流れている。
川の両脇には野の花が咲き乱れている。
水が流れる様子は、光が水面に反射してキラキラしている。
川魚もちらちら泳いでいるのが見える。
「こういう小川は男性居住区画にはなかったけど、とても気に入ってるんだ」
「そうなのね。水田地帯にはもっとたくさんあるけど、山あいの高原だからか畑でも結構必要ね」
優はしばらく水面を見つめ、満足すると歩き出した。
土の道を歩くのは楽しい。
いろいろな花が咲いている。もちろん桜が満開に近づいている。
蝶やミツバチもたくさん飛んでいる。
鳥が鳴き声を時々あげながら飛んでいる。
優は生き物や景色を眺めながら、怜良とのんびり歩き続けた。
「あら、見えてきたわね」
「あ、ほんとだ。牛がたくさんいるよ!」
結構な時間を歩き、ようやく森下家に到着した。
森下家は牛の飼育農家である。畜舎に牛がいるのが見える。もうすぐ牧草地に出してやる時間のようだ。
この世界では肉牛も乳牛も同じ農家が育てる。支援機械が発達しているので、困難はない。妊娠出産など、人間は時々手を加えるだけだ。肉牛を含めた屠殺解体は、市が他の村に設置した共同の専用作業場の機械が行う。
「森下さーん、こんにちは! 遊びに来ました!」
優が大きな声で挨拶する。
田舎でよくあることだが、住人がどこにいるか全くわからないことがある。
今も見渡しても誰もいない。
「おや、来たかい。怜良さんもこんにちは」
畜舎から人が出てきた。
森下美里、百八十センチの身長で、四十五歳の静かな性格の女性だ。
「こんにちは。遊びに来ました」
「よく来たね。遠くて大変だっただろう」
「怜良さんと散歩しながら来たから、楽しかったよ」
「そうかい、それはよかったね。いい天気だからね。いま機械のチェックしてるから、ちょっとだけ待っててね」
「一緒に見ていい?」
「いいよ。見たことないだろう」
そう言って畜舎に案内された。
「うわあ、すごいね。牛がいっぱい」
「ここにいるのは大人の乳牛だけだね。いつも飲んでる牛乳はこの牛から採ってるんだよ」
「へえ、そうなんだ」
優はつながれた牛の間を歩いていく。
優には牛は巨大に見える。
「すごく大きいんだねー」
「優には大きく見えるだろうね。でも気性は穏やかだから、驚かせなければ何もされないよ」
「触ってみていい?」
「ああ、大丈夫だ。口の近くに手を出しちゃだめだよ。急に動かないようにね」
優は恐る恐る、触ってみた。
「わー、すごい」
優はペタペタ触る。牛は気にせず餌を食べている。
「あったかいよ。なんかすごいんだねー」
「健康な証拠だね。人間も牛も健康が第一さ」
そうして畜舎から出た。
「チーズとヨーグルトの工場はあとで見せてあげるよ。とりあえず家に入ろうか」
そう言って美里は優たちを家に案内した。
「こんにちは。よく来たね」
家の中には森下家の家族がすでに戻ってきており、挨拶をした。一番下の紅葉は八弥と同じ歳で、学校だ。
「遊びに来ました。今日はいろいろ見せてもらっていい?」
「ああ、もちろんいいよ。初めて見るものばかりだろう」
「うん。ずっと楽しみだったんだ」
「あとで子牛も見たらいいよ」
森下家は優と怜良を快く迎える。
「優はアイスクリームが好きだろう。食べてごらん」
そう言って皿にソフトクリームが出てきた。
「ソフトクリーム、大好きだよ。ありがとう」
「怜良さんもどうぞ。ここの牛乳で作ってるから、濃いと思うよ」
「いただきます。ここのソフトクリームを食べるのは初めてですね」
「おいしーい」
「お昼ご飯は牛肉で焼肉をしようね」
「わあ、おいしそう。ありがとう」
そんな会話をしながら、優と森下家の交流は続いていった。
「皇女さまー。どこですかー」
侍女が呼んで歩く。
「どうしたのですか、そんな大きな声を出して」
「あ、侍従長。それが、悠翔皇女さまが見当たらないんです」
「それならいつもの場所ですよ」
「いつもの場所って?」
「前世界書庫ですよ。いつもあそこにおられます」
「そうだったんですか。まだ着任したばかりで、知りませんでした」
新米侍女が答える。
「あのお方は一日中あそこで読書をしておられるから、あまり邪魔しないようにね。ご本人からも教師からもそう言われています」
「そうなんですね。昼の食事はどうしますか」
「食事は書庫にお持ちしなさい。行けばわかります」
「はい、そうします。前世界に興味があるなんて、珍しい方ですね」
「あのお方は聡明な方ですからね。何か思うところがおありなんでしょう。教師も容認していて、学業その他の教育状況には問題ありません。皇女さまのお好きになさるようにとのことです」
「わかりました。そうします」
悠翔天皇が即位する前。年齢は十五。勉学と皇女教育は早々に修了し、前世界書庫で朝から晩まで過ごしていた。
曙国では、皇位は「天皇が死亡したときに、成人している子孫の中で最も年少の者」に継承される。これは天皇の在位年数を長くすることにより、国内及び国外での活動と評価を安定化させるための方策である。この規定により悠翔天皇は二十歳の時に即位した。なお悠翔天皇は直後の二十二歳で出産している。
曙国では皇女・天皇の呼び名は生涯変わらず、一般国民と同じであるため、即位前は悠翔皇女とよばれていた。また天皇の子孫は皆皇女と呼ばれる。暦年は元号ではなく世界共通の機構歴を用いている。
悠翔皇女は小さな頃から前世界に興味を持ち、皇宮に付属する前世界書庫に頻繫に出入りしていた。前世界の絵本や小説を読み、写真集や映像を見る。前世界時代は現世界と比較して人々の感情表現が豊かで、男女の恋愛感情も数多く描かれていた。
悠翔皇女はそんな前世界の情緒的な文化に惹かれ、暇を見つけては書庫に通った。
現世界では、男性人格の希薄化により、男性が女性に対して愛を語るなどということはなく、男女の性交渉はなくなり、女性も男性に遠慮して愛を語るようなことはしない。百人に一人の男性は社会の共有存在であり、個人的な感情を抱くのは憚られるものとなっている。
しかも一般国民の間では、前世界の文化は神の罰との論理的関係でのみ話され、純粋な人間文化としては興味を持たれず、学者の間でも文化的考察の対象として扱われていなかった。
そのため、前世界の人間社会に広く存在した恋愛感情、情熱的行動というものは、現世界の人々には関心が持たれず、過去の遺物として忘れ去られていった。
そんな社会環境の中で、前世界に登場する、感情の赴くままの情熱表現は、悠翔皇女にとってとても人間らしい文化に見えた。
そんな中、事の起こりは十歳の時。
「何だ、今のは」
「どうなさいましたか」
悠翔皇女は思わず声を上げた。
「いや、目が疲れただけだ。何でもない」
悠翔皇女はそう答えた。
その時はそう思った。
しかし数か月後。
「まただ。あの時と同じ」
悠翔皇女は同じ現象を目にした。
今度は目の疲れではないと思った。
「お主らは何も見えなかったか」
「何のことでしょうか」
周囲の誰も反応していない。
悠翔皇女は、これが自分だけに起こっている現象だとわかった。
悠翔皇女は、目の前の世界が、一瞬ズレて見えた。
めまいではない。
瞬きでもない。
はっきりと、世界が「ズレて」見えた。一瞬だけだが。
その後も、数か月に一度の割合で、同じ現象が起こった。
悠翔皇女は、この現象が自分の体調のせいでも気のせいでもなく、純然たる現実の現象だと理解した。
しかしそれが一体何なのか、全くわからなかった。
その後、悠翔皇女は二十歳になって即位した。
「陛下。本日の報告が届きました」
侍従からの通知。
曙国の最高統括権限を持ち、国家代表の権限を持つ元首である悠翔天皇の元には、内閣から毎日、報告が入る。何か通常と異なる事実が発生したり、注目すべき事項があると、重要度のグレードに分けて電子データとして報告される。
そしてその日も変わらず報告書を閲覧していた時、それは起こった。
「何だ。今のは……」
また視界のズレが起こった。
すでに慣れていた悠翔天皇は、ズレ自体には動じなかった。
しかしその時、一瞬だが、表示していた女性の写真には、男性が写っているように見えた。
「見間違いか? 今までこんなことはなかったはずだ」
気のせいとして無視してもよかった。
しかし悠翔天皇はズレが発生する現象の解明に役立つのではと思い、閲覧していた資料を紙媒体で取り寄せ、いつも手元に置いておくようにした。
そして数か月後、再びズレが起こったとき、一瞬ではあるが今度こそはっきりと男性の写真であることが見えた。
この時、その資料の内容から、悠翔天皇には「現世界」「神の罰」「再発動」が頭の中で結びつき、自分に見えている現象は神の罰の再発動を意味しているのではないかと思うようになった。
「これは……」
悠翔天皇は三十七歳になっていた。
そして一つの報告に目を止め、詳細表示にして読み込んだ。
それは優の出生後の特殊行動をまとめた報告。
そこにはこう記してあった。
「……生後六か月を過ぎるころには歌詞とおもわれる言葉をも口ずさむようになった。……その内容は男女の恋愛感情を表しており、特筆すべきものとして男性から女性への強い恋愛感情を表すものが含まれていた。咲坂優はいくつもの曲を口ずさんでいたが、そのどれもが我が国内外の記録にないものだった。」
この報告を読み、悠翔天皇は優がこの現世界とは異質な存在として生まれてきたことを理解した。優の言動のあり方から、自分が見た現世界の異常を、ゆくゆくは再発動の内容を解明する手がかりになるのではないかと直感した。そして優の育成に介入し観察することに決めた。
そして優に面会したとき、ついに決定的な瞬間がやってきた。
「優よ、そなたが男性と思う写真はどれだ」
「右上に赤い印がついている写真十枚が、全て男性です」
これを聞いて、悠翔天皇はそれまで自分に起こっていた現象の意味を全て理解した。
自分に見えていたものは、やはり神の罰の再発動の証拠。神は人類を絶滅させるのだと。




