3 思いがけない知らせ
窓の明るさで目が覚めた。
隣には怜良さんはいない。
きっと朝食の用意をしてくれているはず。
「よいしょ、よいしょ」
小さな身体にはまだ高さがあるベッドから、ずり落ちながら床に立つ。
頭は当然ボサボサ。
四月から怜良さんと生活を始めて、今は五月。
もう随分と暖かい。
ペタペタと裸足で歩いて、洗面所で台に乗り、手を伸ばして水をすくって顔を洗う。
まだ身体が小さくて、何をするにも一苦労だよ。
「おあよ、れーらたん」
相変わらず舌っ足らずの言葉で挨拶をする。
心は大人でも、子供の身体は難しい。
「おはよう。今朝もちゃんと起きられたのね。席について」
怜良さんは白い清潔感のあるエプロン姿で、キッチンから振り向いてそう言った。
僕が子供用の椅子にのぼると、怜良さんはテーブルに寄せてくれた。
すでに卓上には可愛い花柄のマットが敷かれ、料理が並べられる。
今朝は丸パンと目玉焼き、ソーセージだね。ブロッコリーと人参も。
それから暖かいコーンスープ。あと牛乳。それからヨーグルト。
僕も怜良さんも食べ物の好き嫌いはないから、栄養のあるものが食卓には並ぶ。
怜良さんは栄養士の教育も受けているらしく、三食いつも気配りがされている。
「いたらきまーしゅ!」
「いただきます」
怜良さんの着席を合図に食べ始める。
二人だけの朝食。
幸せな時間。
前世では昼食以外は一人でヘルパーさんの作り置きを食べていたから、こうして自分を大事に思ってくれる人と食事をするのは特別な思いがするんだよね。
「おいしー。いつもありあと」
「ふふっ」
もぐもぐ食べながらお礼を言うと、怜良さんは優しく微笑んでくれた。
「好き嫌いなく食べるから、偉いわね」
怜良さんはそう言って褒めてくれた。
でも前世の生活の記憶がある自分にとって、好き嫌いとか、食事を残すとか、考えられない。
だからそう言われると、何が偉いのか分からなくてつい困った顔をしてしまう。
「相変わらず褒められ慣れていないのね」
怜良さんは少し眉をハの字にして悲しいような、寂しいような笑顔で僕を見る。
こんな時、僕は聞こえないふりして、もぐもぐ食べ続けるだけさ。
おいしいな。
食事の後は、いつもは怜良さんが家事をして、自分はおとなしく座っていたりする。
僕は自宅学習を選択したから、怜良さんの家事が終わったら、怜良さんが自宅学習の先生をしてくれる。
とは言っても前世の記憶があるから、どんどん修了してしまって怜良さんを驚かせているけどね。
多分もうすぐ小学生のカリキュラムに入ってしまうんじゃないかな。この一か月で文字も覚えてしまったからね。
だから僕には「読み聞かせ」は必要ないので、ソファーに座って子供向けの本を一人静かに読んでいたりする。
小さな身体には本がでっかくて大変だけど。
今日もそんな予定と思っていたら、食事が終わるころに思いがけないことを言われた。
「今日は午後から優くんのご家族がいらっしゃるからね」
「へっ?」
思わず子供であることを忘れてしまったよ。
三歳児向けとは思えない怜良さんの言葉遣いに、うっかり素で反応してしまった。
家族といいましたか?
家族とは怜良さんのことでは?
……いや、それはおかしいか。
僕を産んだ人がいるはずだよね。
きっと怜良さんが言う家族って、そういうことだよね。
ああ、つまり親か。
親って?
前世でのまともな家族の記憶も経験もない優は、当たり前のことを理解するのに苦労することになった。
優にとって家族とは文字情報でしかなく、経験も実感もないものだった。
怜良がいるこの生活では、家族とは怜良のことであり、それを疑うことなど全くなかった。
家族というものをこの三年間で思考したこともあったが、「血縁である」ということが何か意味のあることなのか全く理解できなかった。
前世と違い、今世では怜良が全てを満たしてくれていた。
怜良が現われる前は、家族など考えたこともなかった。
「お昼ご飯を早めに食べたら、身だしなみを整えましょうね。初めて会うんだから、きちんとしないと」
混乱して声が出ない僕を放置して、怜良さんは当たり前のように話を進めていく。
僕はハッと気を取り直して聞いてみた。
「あのね、かじょくってなあに?」
うう、舌が。
発達が遅いのかな。
「優くんのお母さんやおばあさん、妹さん達が来てくださるのよ」
また爆弾発言だ。
妹?
おばあさん?
言葉は知ってるよ。
でも自分の身に起こることが理解できないよ!
優はこの世界に転生して、前世と何も変わらない社会と思っていた。
施設での話でも違和感はなかった。
最近読んでいる子供向けの本にも特に違和感はなかった。
乳幼児が男子だけ集められていたことも、共同生活をしていたことも、三歳になって怜良と暮らすことになったことも、「男性保護官」という役職を聞いても、前世の体験からは何も疑問をもつものではなかった。
優は前世では親も血縁もいなかったし、三歳で保護され、一人暮らしで半ば寝たきり生活だったし、関わる人はヘルパーだけだし、弱視で世間のことは文字情報でしか知らなかった。
そんな優にとって、今世の自分の取り扱いは「そういうものなんだな」と言う程度の、ありきたりのことと思っていた。
前世では自分の身の回りのわずかな世界だけが全てだったから、「家族」「家庭」「一般人の暮らし」というものは外国のことのように、自分とは関係のないことと感じていただけだった。
「ぼくにも、かじょくっていたんだね」
きょとんとした顔でそう言うと、怜良は目をぱちくりさせて、
「当たり前よ。優くんはお母さんから産まれてきたんだから」
そう言って優しく微笑んだ。
早めの昼食をとり、おろしたての服を着させられる。
肩までで切り揃えられた艶のある白銀の髪を丁寧に櫛で梳かしてもらい、品よくお坊ちゃま然とした風情となった。
この家には部屋がたくさんあり、応接間に座って迎える準備を整えた。
やがて呼出音が玄関から鳴り、怜良が出迎えに行った。




