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12 三歳の日常

 最近暑くなってきた。

 この世界でも季節は前世と似ていて、7月が終わるこのごろは半袖でも汗がでてくる。

 梅雨が明け、日がすっかり長くなって、朝は明るいし、夕方もいつまでも明るい。


 前世では寝たきりだったから夏の暑さは大変だったけど、この世界では身体が自由に動くから汗をかいてもイヤじゃない。喉を傷めやすくなるからエアコンをなるべくつけないように怜良さんにお願いしているから、怜良さんには申し訳ないんだけど。


「ごめんなしゃい、れーらさん」

「いいのよ、優くんの好きなようにしましょう」


 優は怜良に申し訳ない気持ちでいっぱいだが、怜良にとっては夏の暑さなどなんでもないことだった。


 一等男性保護官試験の夏山無補給要人保護訓練試験では、蒸し暑い夏山に虚弱な男性を保護対象として想定し、人家のない状態でナイフ一本で二人きりのサバイバルを行うのだ。蛇や虫に加え猪などを撃退しつつ、水や食料、燃料を手に入れて保護対象を助けながら七日間を生き抜き、目的地を目指す。

 雨と泥と汗にまみれながら保護対象を守り元気づけなければならないが、監視官からランダムで「保護対象滑落により右足首骨折」「原因不明の高熱と脱水症状」「被害妄想の悪化によりヒステリー状態」などの突発的事故状況が追加され、その対処が要求される。場合によっては保護対象を背負って訓練を続行しなければならないのだ。


 そのような過酷な訓練を経てきた怜良にとって、日常の暑さなど何でもない。温暖化もヒートアイランド現象も存在しないこの世界で、夏と言っても大して気温は上がらず、また脱水症状や熱中症に気を付けていればよく、その予防措置を常に取り続けるだけのことだった。




 やっぱりこんな暑い日はプールに限るよね。というわけで今日も週三回の水泳練習にやってきた。


「今日もクロールの練習にするの?」

「あい、れーらさん」


 成長と発声練習のおかげか滑舌のよくなってきた優は、怜良と手をつないで小さなプールで水泳練習に取り組んだ。

 怜良が優のお腹に片手を添えてを後方から支えてやり、水面に浮いた状態でクロールの身体の動きをさせる。クロールは身体の軸回転運動を中心にする泳法なので、やりやすいようにお腹を支えてやるのだ。


「足と手がバラバラになってるわ。交互に肩をしっかり水中に潜らせてごらんなさい」

「あい」じゃぶじゃぶ

「息継ぎで力を入れないように我慢して」

「あい」じゃぶじゃぶ

「急がないで胸を張ってごらんなさい」

「あい」じゃぶじゃぶ


 筋力が十分でない優は身体を自在にコントロールできないので、怜良がゆっくりと少しずつ矯正してやる。やがて「ばしゃばしゃ」とした動きは少なくなり、水をつかみ足先で水を蹴ることができるようになっている。次回はできなくなっているので、再び練習する。その繰り返しだ。


「手を離すわよ」

「あい」


 形が整ってきたので怜良がお腹に添えた手を離すと、優は「すぃー」と水面をきれいに進んだ。優はこの瞬間が好きだった。水中で目を開けているから、スムーズに進んでいるのがわかる。水を蹴る動作も、腕を水面に入れ水をつかむ動作もしっかりとして穏やかなので、水中がうるさくない。


 小さなプールなのであまり距離を泳げないので、すぐに立ち上がる。


「上手にできたわね」

「あい!」


 優は上機嫌で同じようにクロールで怜良のもとに帰ってくると、怜良が受け止めてやる。

 そうして行ったり来たり、優はとても楽しそうだ。


 レーンがないプールは一時間おきに三十分の「自由時間」となる。その間は遊び道具を持ち込んでいいことになっている。優のお気に入りはビーチボールだ。

 怜良が用意していた中くらいのカラフルなビーチボールを優に放り投げてやると、優は飛びついて喜んだ。


「きゃはは!」

「こっちに投げてごらんなさい」

「あい!」


 二人でビーチボールでばしゃばしゃ遊ぶ。優は前世のことなど忘れて、三歳児相応の無邪気な気持ちになって夢中で遊んだ。


「楽しかった?」

「あい! ありがとう」


 車の中でそんな会話を交わす。何気ない日常でも、優にとってはかけがえのない時間だ。この一般的な高機能電気自動車の室内は広く静かで、全く揺れない。プールの帰り道に怜良と過ごすこの静かな時間が優は好きだった。




 家に帰ると、怜良さんがスイカを用意してくれた。種飛ばし? 怜良さんが掃除するのが申し訳ないので、お行儀よく食べます。まだ身体の小さな僕はたくさん食べられないので、三日月ではなく小さく切ったスイカをもぐもぐ食べます。

 今は午後だけどエアコンをつけなくても風が通り抜ける。窓を広く開けて食べるスイカは夏らしい味がする気がしておいしかった。



「花火をするわよー」


 怜良さんがこんなことを言い出した。夕飯後にのんびりしていると、怜良さんが満面の笑みでがさごそと派手な花火セットを出してきた。すごい! 花火なんてしたことないよ。前世では写真で見ただけ。


 二人でバルコニーから出て、家の前でバケツやろうそくを準備する。ここは一階なので庭のようになっている。

 

「はい、これを持ってごらんなさい。自分や人に向けちゃだめよ」

「あい」


 怜良さんは細い棒にカラフルな紙が巻き付いたものを僕に持たせた。そしてその先端をろうそくに近づけると、勢いよく火花が飛び出してきた。


「わぁ!」


 色々な色の火花がたくさん出てきて、とてもきれいだ。始めはちょっと怖かったけど、すぐに慣れてきた。火花を見つめていると、やがて火花が出なくなった。


「楽しい?」

「あい!」

「じゃあ、次はこれよ」


 そう言って怜良さんは次の花火を持たせてくれた。

 それに火をつけて、また火花を眺めた。

 そうしていると怜良さんも花火を始めた。

 二人できゃあきゃあ言いながら花火をして、とても楽しかった。


「最後はこれをやるのが掟なのよ!」


 怜良さんは何故かやたらと気合いの入った様子で小さな花火を出してきた。

 線香花火と言うんだって。前世でも聞いたことあるけど、線香なの? 花火なの?


「いい、これはこの先のところに火の玉ができるけど、揺らすとすぐに落ちちゃうの。だから集中して揺らさないようにがんばるのよ」


 なんか苦行のような言い回しだけど、楽しいんだよね?

 怜良さんが真剣なので、僕も気を引き締めてやってみることにした。


 ジジジ……


 線香花火は先端が丸くなって少し経つと、火花が飛び出してきた。

 暗いオレンジ色の火花は、小さな花が咲き乱れるように見えてとても綺麗。

 今までの強い光もよかったけど、この花火はとても落ち着く。


「あっ……」


 怜良さんが隣で声を上げた。ちらりと見ると、どうやら火の玉を落としてしまったみたい。

 少しうなだれている。大丈夫かな?

 僕は無事に火の玉を落とすことなく終えることができた。


「きれいでしゅ」


 僕が怜良さんに言うと、怜良さんは「次よ!」と何故か力を入れて、また線香花火を二人で始めた。

 怜良さんが用意してくれた花火は、怜良さんの思いやりが詰まっている気がして、とても綺麗で楽しかった。





 木々の葉が色を変え、黄色や赤に染まりだした。

 公園や街路樹の多いこの男性居住区画は、秋の季節を迎えて色とりどりにその落ち着いた彩りを増した。

 今日は午前の勉強と発声練習を終え、水泳練習の谷日なので、二人で公園に散歩に来ている。


「咲坂家の面会が始まって半年が過ぎたけど、何かあるかしら?」

「ううん、何もないよ。みんな楽しい話をしてくれるし、八弥はかわいいし。生活の様子がだんだんよくわかってきたから、話しやすくなったよ」

「そう、よかったわね。優くんが咲坂家の人たちとうまくいっていて嬉しいわ」


 いつものように手をつないで、午後の西日を浴びて長く伸び出した影を眺めながら歩く。

 大きな影と小さな影が二人の関係を表している気がして、優は幼児の自分を改めて認識した。


「千景おばちゃんともうまくいってるよ」

「ふふふ、それはよかったわ。あの人も優くんに会えるのを楽しみにしているのよ」

「できればフードコートで大きな声を出さないでくれるといいな」

「それは難しいわね。私も予想してなかったけど、ああいう人らしいから」


 二人で笑う。優は滑舌がよくなり、ゆっくりならもう普通の大人と同様に話せるようになっていた。


「帰省はいいの? もっと長く帰っていた方がいいんじゃないの?」

「うちは大丈夫よ。娘も大きくなったし、みんな自分のことがあるわ。娘はね、私のように男性保護官を目指しているのよ。だからむしろ仕事に触れることができて勉強になっているわ」

「……いつもありがとう」


 怜良さんの家族はどんな人たちなんだろう。僕はまだ家族っていうのは咲坂家しか見たことがないから、よくわからない。みんなおんなじ感じなのかな。

 怜良さんが家族と離れ離れで、申し訳ないよ。


 池には茶色の鳥が何羽も浮いている。ときどきすぅーっと滑るように水面を移動するのを見ながら、秋の花で彩られた池の淵を散策した。

 穏やかな時間が流れる中を、怜良に手をつながれて小さな足で歩く。

 二人は池の周りをぐるりと一周し、家路についた。


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