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11 楽しい水泳

「あー!」「あー!」「ああー!」

「おー!」「おー!」「おおおー!」


 六月に入り数日が過ぎました。

 今日も今日とて発声練習です。毎日欠かさず真面目に練習。

 最初のころのようにすぐにバテることはなくなったけど、まだまだ苦しい。

 もちろんそんなに頑張る必要もないんだけど、怜良さんに早く聴かせてあげたくて、つい頑張ってしまう。早くといっても何年もかかることだけどね。

 ただ、喉を傷めてしまわないように注意しているから、結局ほどほど具合で練習を切り上げることになる。

 そんな感じで発声練習を続けていた日のお昼ご飯のとき。


「今日から水泳よ!」


 また怜良さんの突然宣言です。

 どうやら水泳の練習にプールに通うようです。

 この男性居住区には当然のことながら水泳施設があり、水泳の練習ができるのです。


「発声の先生がね、優くんには少し体力が足りないから、全身運動をさせるようにおっしゃっていたの。だからちょうどいい機会だから、水泳の練習に通うことにしたわ」


 はい、そうですか。ご指示のままに。

 よくわからないまま話が進んでいくけど、怜良さんはいつも僕のことを思って手配してくれているので、素直に従う。

 ちゃんと水着も用意されている。小さな名札に怜良さんの字で「優」と書いてある。なんかうれしい。黄色い水泳帽もちゃんとある。


「それじゃ行きましょう」


 昼食後に怜良さんの運転する車に乗せられて、男性居住区のスポーツ施設のある区画に向かう。

 スポーツはそれなりに盛んなようで、結構な数の車があちこちに停まっている。

 段々と芝生の区画が見えてきて、サッカーをしている男の子たちも見える。

 年齢にバラツキがあるからか、体格もそれぞれ。

 みんなちゃんと運動を頑張ってるんだね。

 それを過ぎると、ガラス張りの建物が見えてきた。

 

「もうすぐよ」


 怜良さんの言葉で、あれが水泳施設であることがわかる。

 かなり大きい。ぴかぴかして目立つ建物だね。

 施設前の駐車場に停め、怜良さんと手をつないで施設の中に入っていった。


「予約している須堂怜良です。よろしくお願いします」


 怜良さんが受付にそう言うと、更衣室に案内されて、僕は怜良さんに手伝ってもらって水着に着替えた。

 他にもちらほらいる男の子は男性保護官の付き添いで着替えている。

 こうして他の男の子がお世話されているのを見るのは、乳幼児施設以来で久しぶりだ。

 そうしていると怜良さんも着替え始めた。怜良さんは紺色のワンピースの水着。どうやら怜良さんも泳ぐようだね。


「かわいいわね。それじゃ、行きましょう」


 怜良さんと手をつないで、足の洗い場やシャワーを通過し、プールサイドにでた。

 そこは天井がガラス張りで日光がさんさんと射し込んだ、広々とした室内プール。

 大きなプール、中くらいのプールのほか、小さなプールがいくつもある。

 結構たくさんの男の子が、水着の男性保護官と一緒に泳いでいるのが見えた。

 声がたくさん聞こえて活気がある。


「まずは体操しましょう」


 ほとんど誰もいない小さめのプールを選び、怜良さんと二人で体操。急がずにゆっくりと。

 前世を含めて初めてのプールだ。というより泳ぐのが初めて。不安もあるけど、怜良さんがいてくれるので大丈夫。


「それじゃあ、いらっしゃい」


 怜良さんが先に入って手を伸ばしてくれる。

 僕はまずはプールの淵に腰かけてから、その手をとってゆっくり水の中に入った。

 温水プールだから冷たくはない。

 

「わぁ!」


 プールの深さはそれなりにあり、水底に足がつくころには肩まで水につかってしまった。

 お風呂とは感覚が違って、思わず感嘆の声がでた。


「ふふっ。水は怖くない?」

「だいじょーぶでしゅ。たのちいでしゅ」


 僕は前世で水泳の経験はないけど、別に水に恐怖はない。

 前世では風呂桶につかることはなかったけど、今世でお風呂につかるのは怖くなかったしね。

 身体がお風呂のときより軽く感じる。


「それじゃあ、まずは水の中に顔をつけてごらんなさい」


 怜良さんの指示で顔を水面につける。

 お風呂で湯船につけているから大丈夫。

 そして顔を再び水面からあげた。


「よくできたわね。今度は頑張って私にたどり着いてみて」

「あい」


 怜良さんがゆっくりするすると離れていくので、僕は言われた通りに追い付こうとするんだけど、水のせいで前に進めない。

 意外と水のかたまりって抵抗を感じるもんだね。いろいろ試行錯誤したけど、なかなか進まない。


「ほら、おいで~」


 怜良さんがにこにこしながら声をかけてきて、つかず離れずの距離を維持している。頑張って追いつきたいんだけど。

 立ったままだと前に進めないので、ぴょんぴょん飛び上がって、水面に飛び込むようにして怜良さんを追いかけた。


「きゃきゃっ!」


 しばらく追いかけまわしていると怜良さんが立ち止まってくれたので、やっと追い付けた。


「よく頑張ったわね。それじゃあ泳いでみましょうか。手をつないでいるから、まずは顔を水面につけたまま足を離して浮いてごらんなさい。できれば力を抜いてみてね」


 怜良さんと手をつないで顔を水面につけて、うつ伏せになって足を水底から離して力を抜いてみる。

 するとゆっくりと不格好だけど「ぷかー」と浮き上がって、ふわふわしてなんだか初めての不思議な感覚。

 つないでいた怜良さんの手を少し握ると、怜良さんは手を持ち上げて立たせてくれた。


「どうかしら? 苦しくない?」

「だいじょーぶでしゅ」

「無理しちゃだめよ?」

「あい」

「できる範囲でゆっくりやっていきましょうね」


 怜良さんは優しく微笑みながらゆっくりと、僕のペースに合わせて練習させてくれる。

 だから僕は安心して練習に取り組めた。

 しばらく怜良さんに手を引かれて、ぷかりと浮いたまま息の続く範囲で水面を移動して遊んでいた。いつの間にか目を開けられるようになったから、水の中が見れて楽しい。


「だいぶ水に慣れたようね。それじゃあ次は、同じようにして今度は足をばたばたしてごらんなさい。好きなように足を動かしていいからね」

「あい」


 僕は水にうつ伏せに浮くと、足をばたばたさせた。

 水中でバタつく音が聞こえ、足の方で泡がたくさん出て不思議な感覚。

 前世で海で人が泳いでいる写真を見たけど、こういう感じなのかな。

 しばらくして、怜良さんはつないだ手を引っ張って立たせてくれた。


「とても上手よ。今日はこれを繰り返しましょう。私が立たせるまで頑張ってみましょうね」


 そう言ってバタ足を続けることにした。少し不格好な気がするけど、怜良さんはにこにこしてくれている。

 そうしてバタ足をしていると、怜良さんが僕の手を引いて、ゆっくりと前に進み始めた。バタ足の力で進んでいるわけではないけど楽しい。手を引いてもらっていると、いつの間にか身体が水面の近くまで浮いて、身体が伸びている。少し進むと怜良さんが起こしてくれて、そのたびに息をして、またバタ足をする。

 少しずつ距離を伸ばして、息が続く時間を長くしていった。始めは両手を持ってもらっていたのが、いつの間にか片手だけになっていた。


「今日はよく頑張ったわね。上手になったわよ。そろそろ上がりましょう」


 プールから上がると身体が一気に重くなる。

 急に感覚が変わってびっくりする。

 よろめきそうになるのを、怜良さんが手を引いて支えてくれた。

 三十分くらい泳いでいただろうか。結構疲れたので水泳は意外と体力を使うんだね。


 水抜きっていうのをして、耳から水がでてびっくりしたりしながら、シャワーを浴びて着替えた。怜良さんが全身を拭いてくれたよ。お風呂のときとは違う感じ。


「どうだったかしら。楽しかった?」

「あい。たのしかったでしゅ」 

 

 発声練習のせいか、少し滑舌がよくなった気がする。

 今日は初めての水泳だったけど、楽しかったな。

 怜良さんと泳ぐのは楽しい。


「せっかくだからお散歩していきましょう」


 建物から出るとまだ午後三時ころだったので、怜良さんに連れられて少し離れた広場に散歩に行った。

 怜良さんとの散歩は大好きなのでうれしい。


「もうすぐ梅雨になるから、日差しがある日は貴重なのよ」


 そんなことを話しながら手をつないで芝生の広場をのんびり散歩した。

 芝生の広場の周りには植え込みが広く廻らされており、花と緑がいっぱいだった。

 所々に男の子と保護官がいる。みんな仲がよさそうだ。どんな生活をしているのかな。


「あそこに行って休みましょう」


 大きな木にたどり着いて、その下で穏やかな午後の日差しを浴びながら暖かい芝生に寝転んだ。

 すると怜良さんが上着を布団がわりにかけてくれて、そばに座って優しくぽんぽんしてくれたので、疲れていた僕はすぐに眠ってしまった。



「目が覚めた?」

「あい」


 もぞもぞ動いていると、怜良さんが声をかけてきた。

 起き上がってみると、だいぶ日が傾いている。

 目をこすりながら手をつないで、怜良さんと車に歩き出した。

 そう言えば、前に千景さんと散歩したときは着ぐるみごと抱えて運ばれたっけ。


「今日はよく頑張ったわね。帰ったらゆっくり夕飯を食べましょう。明日は咲坂家の皆さんが来る日よ。また準備しなきゃね。きっと楽しみにしてらっしゃるわ」


 怜良さんがそんなことを言った。一か月が過ぎるのが早いね。

 手紙のやり取りをすることはないので、月に一度の面会だけ。

 血のつながった家族っていうのはまだよくわからないけど、悪い人たちではなさそうだからよかったよ。とても喜んでいるみたいだったけど、ほとんど面識がなくてもああいうものなのかな。

 八弥はいい子にしてるかな。明日は遊んであげよう。絵本とかぬいぐるみを用意しておこうか。


 今日も楽しい一日だった。怜良さんと暮らし始めて、いろんなことがあるね。





「そうか、水泳は抵抗なく始められたか」

「はい、楽しそうでしたのでよかったです」

 

 今日も六勝と怜良はモニターで話をする。


「それは何よりだ。何か変わったことはなかったか」

「いえ、全く普通です」

「そうか。発声の教師と水泳施設の職員からの報告でも同様だ。今のところ特殊行動は歌だけだな」

「はい。身体面では特に優れているとか器用だとかはないので、特殊なのは精神面だけではないでしょうか」

「そのようだな。そうだとすると変化が現れるのは成長してからか。歌を口ずさむことはないんだろう?」

「はい、今のところ同居生活で聴いたことはありません」

「うむ。私が交代で行ったときもそんな様子はなかった。あの様子では歌の練習が進まないと歌わないのではないかな」

「そうかもしれません。それでも注目はしておきます」


 怜良と優の生活は、保護官としては順調に推移している。


「うむ。気長に待つことにしよう。ところで以前の彼の歌のメロディーの話の分析について、中間報告がきているんだが、やはり何もわからないそうだ」

「つまり優くんの感覚だけということでしょうか」

「そうだな、今のところはな。現段階でわかることは、我々の通常の分析方法では彼の言うことが解析できないと言うことだ。この事実自体に価値がある。我々にはわからない何かがあるということだ。だから彼の言動については、固定観念を持たずに観察を継続してくれ。我々にとって何気ないこと、当たり前のことであっても、彼にとっては何か別の意味があるかもしれん」

「そうですね。難しいですが注意しておきます」


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