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10 発声練習

 千景さん来襲のあとすぐに、小学二年生までの勉強は終わってしまった。自分には簡単な内容だから、読むだけで終わり。歴史や地理は中学生で勉強するんだって。今後の勉強は引き続き小学六年生まで進めることになった。教科書のようなものをパラパラ見てみたら、ほとんどすぐに理解できたので、怜良さんが今までと同じように進めることにした。

 前に言ってた「男性のこと」については、いつまでという期間は決めずに少しずつ教えるんだって。ほんとは別に興味ないんだけどね。

 

 もちろん机上の勉強だけが学習範囲ではないから他に色々あるけれど、まだ三歳なので何もしなくてもいいのだとか。


 ちなみにわかりにくいけど、今は満三歳だけど今度四歳になるから、この年度は四歳の年度ということだね。僕は来年一月に四歳になるけど、驚いたことにこの世界は年齢の数え方がいい加減なのだ。誕生日を祝う習慣はないし気にする人もいないんだよね。数え年でいう人もいるし、年度ではなく年で区切る人もいたり。どうして?って怜良さんに聞いたら「女性にとって年齢は色々あるのよ」なんてよく分からないことを言われた。

 だから前世のような「二十歳になる日」なんてなくて、年度内なら好きに数えていいらしい。僕も四歳と言ってもいいんだね。身体がちっちゃいのは一月生まれだからかな。そんな感じなので年齢は少し誤差があって、学校とかもそれでいいんだって。まあ、三月生まれと四月生まれが「一歳差」とか「違う年度」とかいうのは、見方によってはやっぱりおかしいから、別にいいのかも。


 こんな調子なので、実は学校教育の範囲は結構自由に区切っていたりする。むしろ生徒の成長具合に合わせることを重視しているらしく、学習が早くても遅くてもかまわないらしい。まあ前世みたいに勉強しても使うことがなくて忘れてしまうことがよくあるようなら、結局同じなのかな。だから社会でも年齢はあまり重視されていないらしい。「今は四十台後半」「だいたい五十代」とか、そんな感じでいる人も結構いるのだとか。社会では能力で人を区分したり評価するのだ当たり前らしいから、年齢を判断の対象としないのは合理的と言えなくもない。


 前置きが長くなったけど、何を言いたいかというと。


「声の練習がしたいの?」

「あい」


 今日は怜良さんに、勉強以外の時間にやりたいことをお願いしてみたのです。

 つまり「お稽古ごと」です。


 僕は前世と同じように歌が好きなのです。

 この世界の歌はよく知らないけど、「前世の歌を歌いたい」とずっと思ってきたのです。


 でも前世では聴くばかりで歌えなかったから、声の出し方自体がよく分からないのです。

 前世ではカラオケというものがあったそうですが、僕は経験がない。

 音楽を聴いてもなんとなく鼻歌を歌う程度だったのです。


 転生してからしばらくいろいろ歌ってみたけど、どうも歌が下手なのです。

 音程というより、そもそも声の大きさが曲に合わせてコントロールできないのです。

 滑舌がよくなるのを待つのでは遅いと思い、今から練習することにしたのです。

 曲に合わせて高さ、テンポ、抑揚を声につけることから始めたいのです。


 でもいきなり歌の練習を考えてもイメージがわかないので、まずは「発声」からしっかり練習しようと思い立ったのです。

 いい歌はいい声から。いい声はいい発声から。

 僕がこの世界に転生して考え抜いてたどり着いた結論なのです。

 僕はきちんと歌えるようになるまで、前世の歌を封印したのです。

 だから怜良さんは僕の歌を、前世の歌を聴いたことがありません。


「いちゅかうたをうたいたいんでしゅ」

「そういうことね」


 怜良さんは何のことかわからなかったのだろう。

 補足説明をしてようやく理解してもらえたらしい。


「そうねえ。優くんのお願いだから聞いてあげたいけど、どういう方法があるか調べてみるわね」

「あい。ありあとう」


 僕はぺこりと頭を下げた。

 まあ、何かの教本があれば自分でやってもいいし。

 前世の歌は、すごい声量がある歌手とかいたんだよね。あれはすごいなー、って思ってた。

 だから声量のある歌声を目指したいの。腹筋とか鍛えるんでしょ。シックスパック?とかいうのを目指したらいいのかな! 知らないけど。




「今日から発声の授業があるからね」


 数日後、怜良さんは相変わらず前触れなく宣言した。怜良さんの「突然宣言」のクセはやめてほしい。

 授業といっても先生が来たりするのではなく、リモートで指示をしてくれる方式だそうだ。

 テキストとかもなく、幼児だから、鍛えるのではなく発声に適した姿勢とか口の開き方などの勉強らしい。


「ありあとう。がんばりましゅ!」


 怜良さんが探してきてくれたんだ。がんばるぞ!

 その日から発声の授業と練習が始まった。


「あー!」「あー!」「ああー!」

「おー!」「おー!」「おおおー!」


 これがね、意外なことに難しいのですよ。劇団員さんとかの「ことば」の発声とは、もちろん違うのです。

 言葉を発するのではなく、大きな声をだすことが目的でもなく、口の形と喉の形、そしておなかの呼吸法を組み合わせて、肺をポンプにして身体を楽器のようにするのです。すごくない? そんなこと考えたこともなかったよ!

 喉の周りの筋肉を意識して、首を上げたり下げたりしながら、呼吸を一定にしたり変化させたり。

 事前のイメージとは全然ちがいました。シックスパックとか言った人はだれ?

 よく考えたら呼吸は空気が通るんだから、人間の身体も楽器になるよね。


 こうやっていずれはいろいろな声の出し方ができるようになって、歌の表現ができるようになるんだってさ。楽しみだなー。



「うにゃああ~」

「大丈夫かしら?」


 首の筋肉を器用に使いすぎてダウンです。ソファーに突っ伏しています。いろいろな筋肉を使い分けさせられて、吐きそう。肺活量が少ないから息が続かない。

 それだけじゃなく、全身運動なのです。どこか一か所だけ使うんじゃないんです。

 だからへとへとです。

 そんな僕の練習を怜良さんはそばで見ていてくれる。そして暖かいおしぼりをくれた。

 僕はおしぼりを喉にあてて筋肉を休ませる。

 はああ~~。


「ありあとう」

「優くんの練習は見ていてかわいいから楽しいわ」


 怜良さんは時々ビデオを撮影している。今日ももちろん撮影。記念に撮っておくんだって。あと咲坂家にも送るかもしれないって。はずかしいんだけど。

 リモートの先生はあまり指図はせず、やるべきことを指示すると、その後は僕の自主練習が中心になるので、怜良さんと二人でがんばる形になる。時々先生にみてもらう。気づくと姿勢が悪くなっていたり口の形がおかしかったりするからね。

 そんな練習なので怜良さんと一緒でたのしい。

 

 ちなみに小学二年生の勉強が終わる頃、この世界の歌をいろいろ聴かせてもらったんだけど、あまりいい曲と思えなかったんだよね。なんかメロディーがずれている気がする。音程のことじゃなくて、変なメロディー。「ラララ~」っていう歌い方では音がたどれない。なんだろう? 音のつながりが変。そのせいで聴いてると少しイヤな気分になってくる。

 それなのに怜良さんは「これが普通」って言うから、どうも前世の歌とは感覚が違う。


 まあ、いつか前世の曲を聴かせてあげたいな。僕が好きだった曲を気に入ってくれるといいな。

 そんなわけで頑張って発声の練習です。怜良さんが言うには、僕が一生懸命に声を出している姿はちっちゃくてかわいいらしいし。時々胸の前で手を組んでいたりするから、天使のようだとか。

 そういえば聖歌隊とかあるのかな。そういうものに参加すればいい経験になりそう。時期をみて怜良さんに相談してみようかな。


「優くんは何か歌いたい曲があるの?」

「あい。れーらたんにきかちぇてあげたいでしゅ」

「そう。楽しみにしているわね」


 そんな会話が交わされる。怜良さんはそれ以上の詮索はしない。この家の新しい日常だ。こんな時間を過ごすのが幸せに感じる。ゆっくりとした時間が過ぎて、こういう日がずっと続くといいな。





「そうか。ついに音楽の練習を求めるようになったか」

「はい。発声の指導を要求していますので、手配をお願いします」

「どのような人物がいいか条件を指定してくれ」

「優くんの中にはすでにある程度の到達点が描かれているようです。ですのでそれを邪魔しないように、指導方法に固執しない人物でお願いします。年齢は指定しません」

「わかった。すぐに手配しよう。それからいくつか曲を聴かせたそうだな。反応はどうだった」

「報告書の通り、童謡を含む五曲を聴かせましたが、どれも気に入らなかったようです」

「気に入らない、とはどのような意味だったかわかるか?」

「本人が言うには、メロディーがおかしいということです」

「メロディーが?」

「はい。曲の良し悪しというより、少し気分が悪くなるような音の並びだと言っていました。私にはそう感じないのですが」

「私もその五曲を改めて聴いたが、べつにおかしいとは思わなかった。子供のころから聴いているからな。それでも彼にはおかしいと感じられるのか」

「はい、そのようです。メロディーのおかしさの原因はまだ言葉で説明できないようです」


 六勝はモニターの向こうで、少し考えごとをしているようだった。


「前に見せた乳幼児施設での特殊行動の概略報告書を覚えているだろう。当時に口ずさんでいた曲については、君はどう思った」

「昨日、確認をかねてまた聴いてみましたが、やはりどれもいい曲だと思いました」

「そうか。私も同じだ。しかしどうしてそう感じるのか、あの曲と今回聴かせた曲の何が違うのか、君にわかるか」

「いえ、全くわかりません」

「うむ。私も同じだ。君の報告をふまえて、分析に回すことにしよう。結果が判明しだい君に伝える」

「はい。お願いします」


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