1 前世
保護後の生活などの詳細や矛盾について、大目に見てほしく思います。
この話は虐待の様子が出てくるのでR15です。
瀬戸裕也。
明日で二十歳になる男性。
「お祝いしてもらえるよね。」
そんな言葉をつぶやく。
とてもかすかな、かすかな声で。
郊外の市営住宅で、一人で自宅のベッドに横たわり苦しそうに息をする。
外では雪が降る中、日が暮れてどれほど時間が過ぎたろうか。
部屋は真っ暗だ。
衰弱した身体のせいか、ここ一週間ほど体調を崩し数日前から熱が高い。
寒さが深まり、身体が動かない。
食事だけでもできればいいが、今夜は身体が受け付けない。
薬を飲むだけだ。
うとうとしながら、歩んできた人生を思い出していた。
裕也は三歳の頃に保護された虐待児童だ。
両親が夜逃げしていなくなったばかりの家に、強制取り立てにきた借金取りが大家とともに踏み込み発見された。
出生届が出されておらず、戸籍が無い。
だから名前はなく、市が名づけた。
年齢も不明であるため、身体状態と残された室内の文書などから推定された。
そのうえ身体に障害が現われていた。
そのため地域の事情もあり、児童保護施設ではなく例外的に公営住宅での在宅療養となった。
十五歳までは養護のため長時間の付き添いがいたが、その後は通常の身障者として毎日ヘルパーが昼間に世話にやってくる。
裕也の身体は出生後の栄養失調と虐待のため、下半身が麻痺し、左半身も不自由となっていた。
左目はほとんど見えず、右目は極端な弱視。
左耳もほとんど聞こえないが、右耳はよく聞こえる。
ヘルパーが身の回りの世話をしてくれ、時々車椅子で近所に連れ出してくれた。
寝たきりである必要はないが、ベッドに横になっているのが一番ラクだった。
「今日はいい天気ですよ。」
おばちゃんヘルパーの長嶋さんが言う。
今日も午前中にやってきて、洗濯や料理をしてくれている。
裕也の好きな天ぷらを作ってくれているようだ。
裕也は床擦れしないように身体の向きを変えた。
視力は不自由だが、耳はよく聞こえる。
鳥のさえずりが窓の外から聞こえてくる。
今日の午後は車椅子で外出できるだろうか。
保護されて以降も、裕也自身はわが身の不幸を嘆くことはなかった。
裕也にとって衣食住がそろうことは幸福でしかなかった。
裕也は自宅で教育を受けた。
本は文字を拡大する機械により、読書できるようになっていた。
景色を見ることができない裕也は、文字による学習が全てだった。
有り余る時間はひたすら読書に充て、義務教育や高校の学習内容は十分に習得されていた。
そんな裕也にとって楽しみなことがあった。
それは音楽を聴くこと。
右耳はよく聞こえるため、いつも音楽を流していた。
自由に動く右手でパソコンを器用に操作し、ネットから曲を探してくる。
そこだけでみれば普通の若者だった。
クラシックも好きだったが、ロックやポップスが大好きだった。
なぜなら、歌詞を聴いていると自分の知らない生活や感情を体験しているような気がしたからだ。
人生のことを友達と悩んだり、恋愛感情に振り回されたり、未来の希望を語ったり。
どれも自分には及びのつかないことで、憧れを抱くものばかりだった。
小説や論説などよりも歌やライブの音声から感じられる熱意は、裕也には「感情」そのものに感じられた。
そんな生活を毎日続けているため、気に入った曲は全て暗唱できるようになっていた。
外国の曲も分け隔てなく、英語の勉強にも力が入っていた。
裕也にとって、人々の生活は歌を通して語られていた。
動けない身体は体組織が脆弱化し、抵抗力も落ちてくる。
だからちょっとした病気でも重篤化することが出てくる。
ヘルパーの長嶋さんが、一週間後の二十歳の誕生日を祝ってくれると言う。
毎年お祝いしてくれるが、二十歳の誕生日は特別だと言って。
お酒を飲んだりするのかな。
けれどもその後、運悪く咳き込むようになってきて思いのほか体調が悪くなってしまった。
こういうことは今までもあったから、今回も大丈夫だろう。
そう思っていたけど。
今夜はやたらと息苦しい。
本当は緊急連絡先があるけど、今までもあったことだから我慢してきた。
長嶋さんは「あまりにひどい時には必ず連絡してくださいね。」と言い聞かせてくれたけど。
最近はこういうことが増えてきていたからね。
明日は誕生日のお祝いだし、心配かけたくないし、あまり負担かけるのは心苦しいし。
だましだましで、気が付けばこんな状態。
最後に薬をのんでからどの位の時間が経ったのかな。
今は音楽も流れていない。
朦朧としてうまく考えがまとまらない。
裕也は起きているのか寝ているのか、わからなくなっていた。
病状は急速に悪化していた。
いつの間にか衰弱が進行していた。
その夜、裕也は意識が混濁し自覚のないまま時間が経過し、やがて意識を失い、未明に静かに息を引き取った。