第三話 学生生活を始める前に
伸ばした手の先が震える。時折、自分の胸元が気になって下を向くと、「目線は上に」と何度目かの声がかかった。
「はぁい、おしまいです。貴女ってとっても華奢なのねぇ!」
手早く採寸メジャーを巻きながら、声をかけられる。
アリアは返答に困って、曖昧に笑いながら元々着ていた上着を羽織った。
学院に着いた翌日の朝、身支度を整えていたところ部屋に声がかかった。制服の採寸に呼ばれたのである。慌てて案内されるがまま、北の塔にある仕立て室に来ていた。
「たくさん運動をしている子の身体だわ。筋肉もとっても綺麗についていて!肌は白いし、しなやかだし!腕も脚も長くて映えるわねぇ!」
「え、ええと、ありがとうございます」
ふくよかな女性教師は、嬉しそうに捲し立てると、アリアの両手をしっかり握った。
「任せておいてね!先生、貴女にぴったりの制服を仕立てるから!ボトムスは、スカートとスラックスとパンツスカートとハーフパンツから選べるけど、どれがお好みかしら?」
ぱっと手を離して、2回手を叩く。すると、可愛らしい小人たちが掛け声を合わせながら、4体のトルソーを運んできた。スカートは丈が長いものと短いものがあるようだ。選択肢が思いのほかあったせいで少し悩んだが、アリアは結局一番動きやすいスラックスを選んだのだった。
「じゃあ、これから製作に取り掛かるから、出来上がりはだいたい3週間くらいかかると思っておいてね。本格的な授業は水龍ノ月から始まるから、期間的には余裕があると思うわ!それとジャケットの下に着るお洋服は基本的に自由だけど、学園内の道具屋さんに既製品のシャツが置いてあるから、最初はそこで購入する生徒が多いわねぇ」
言いつつ既製品の制服のジャケットを差し出される。オーダーしたジャケットが届くまで貸し出してくれるそうだ。アリアはありがたく受け取って女性教師に尋ねた。
「わかりました。あ、そうだ、料金ってどれぐらいになりますか?」
女性教師は不思議そうに首を傾げた。何かおかしなことを聞いてしまっただろうか。
「貴女は多分、特待生枠としての入学になると思うから、お金はいらないわよ?」
「え?」
「あら?学院長先生から聞いてないの?入学試験の期日はとっくに過ぎてるし、それでも入学出来たのなら、そういうことだと思ってたのだけど……」
「な、なにも聞いてません」
昨日はやけにあっさりとした説明しかされなかった気がする、とアリアは必死で記憶を辿る。どう頑張っても今日の採寸と、適性検査、クラス分けのことしか聞いていない。
「失礼します」
噂をすればなんとやら、だ。ハルヴァが優雅に仕立て室の戸を開ける。
「あら、ハルヴァ先生。ちょうどいいところに。シュリンゲンジーフさんが特待生枠について知らなかったようだけど…もしかして説明されてらっしゃらないの?」
「はて……していなかったですか?」
「されてません…」
ただ渡されたメモに書かれた通りの場所に行っただけで、どうして特待生枠での入学になるのか。その点についてしっかりお話を伺いたいところである。ハルヴァは片手を頬に添えると嘆息した。
「失念していました…ごめんなさいね。でも、質問の受け答えもきちんとしていて、礼節もある。連合国語で書かれた都市文字を読むことができる。見たところ実力も申し分ないんですもの。特待生として迎えるに値します」
ハルヴァは持っていた羊皮紙の束を近くの机に広げた。何やら難しそうな書面で文が連なっている。女性教師はすっと紙の横にペンとインク壺を添えた。
「我がハルヴァ養成学院は、ドリアード協議会の世界樹攻略統括局より認定を受けた『冒険者養成機関』です。入学して最短二年で冒険者の資格を得ることができます。もちろん学びたい方の意向に沿えるように、末永くその道をサポートしていく体制があります。さて、アリア・シュリンゲンジーフさん。貴女に入学の意思があるのであれば、こちらの欄にご署名を」
アリアは差し出された一枚の羊皮紙に目を通した。
違和感のある箇所はない。羊皮紙自体に魔力は込められているようだが、書面やインク、ペンに細工されている様子もない。ペンを持つと、今度は読み間違えられないように名前を書いた。
「確認します。……パーヴィライネン先生も確認を」
「はぁい。確認しましたわ」
「ではこの時より、貴女はこのハルヴァ養成学院の生徒です。よろしくお願いしますね」
アリアはほっと息をついた。まだ学生生活は始まったばかりなのに、先が思いやられる。
「さあ、アリアさん。これから適正検査を行いますから、こちらに移ってくださいな」
ハルヴァが手招きする席へ移動する。先ほどと机や椅子に変わった様子はないが…。
「まずは都市文字の解読です。先日メモに書きつけたのは連合国語の無属性都市文字でしたので、貴女がどの系統の解読が得意なのか確認させていただきます。あ、それとそちらの机と椅子ですが」
アリアの座っている部分が急にぐにっとした感触に変わった。たとえて言うなら…スライムを圧縮して作った椅子?だろうか。机は軟らかくはならなかったものの、何故か青と黒が混ざったマーブル模様になってしまった。更に辺りが暗くなったと思うと、じわっと灯りがついた。
「えっ?な、なんですかこれ」
アリアは慌てて椅子を横に滑るように降りると、それを確認した。
それは先ほどの机と同じ、青と黒のマーブル模様のつるんとした球体で、半分ほどが抉れた形をしていた。音もなく浮遊している。アリアは開いた口が塞がらなかった。
「公転する星です。この学院に入った方がこの椅子に座ると、その方に合わせた形で生成されるんです。皆さんこれで移動教室されてますよ。学院の塔は教室が遠いので」
「な、なんで浮いているんですか」
訊くのはそこではないだろうと内心で思ったが、口をついて出てしまった。ハルヴァは変わらず微笑んで答えた。
「公転する星についてわかっていることは少ないんです。わかっていることは、ボディカラーが持ち主のイメージカラーってことだけですね」
そこからは公転する星から降りて雑談を挟みつつ、読める都市文字と読めない都市文字の確認、魔力値の計測、使用武器の登録と続いた。
「アリアさん、そちらの細剣ですが……何か、いますよね?」
「…!」
剣がかちゃ、と僅かに鳴いた。アリアは膝の上で軽く拳を握ったが、意を決したように細剣を取った。
「シュライさん」
「……存外早かったな。もう少ししのげると思ったが」
「ごめんなさい」
青年の声がアリアの手元からし始める。アリアはゆっくりと抜刀するとハルヴァとの間にある、ローテーブルの上に鞘と共に置いた。
刀身から黒く濃密な魔力の靄が立ち昇り、それは人の形をとり始めた。
「お初にお目にかかる。我が銘は煌血。魔剣である。訳あって真名は告げることができぬ」
「魔剣……!?」
魔剣と名乗る人物の揺らめく外套は景色が溶け込むような裾をしていた。頭には人外であると見せつけるような異形の角が生えており、目はアリアと逆の左目が赤、右目が青のオッドアイだ。血の気のない青白い肌と唇が人間でないと本能に訴えかけるが、それらを差し置いてあまりあるほど見目の造形が整いすぎている。線は細く通った鼻梁に切れ長の瞳、無造作に束ねられた黒髪も凄絶なほど美しい。外套が体のほとんどを覆っているせいで体格が良いことしかわからないが、肩幅が広く鍛えられた姿勢の取り方だ。
「……驚きました、まさか魔剣使いだったなんて。かなりの隠蔽術式をかけていたでしょう?」
「すみません…」
ハルヴァは細剣と、現れた人ならざる存在を交互に見て、まず何から話そうかを考えているようだった。
「ええと、そうですね、出来れば事前に教えていただけていたらよかったんですが…まあこの際それは置いておきましょうか」
ハルヴァはローテーブルに置かれていた紅茶に口をつけた。ふぅと一息ついて、アリアに向き直る。
「魔剣使いであれば実技試験は特に必要ありませんね。契約紋を見せていただけますか?」
契約紋とは魔剣や魔獣などと契約している者に現れる紋様のことだ。複雑な形をしていて、契約者同士の契約紋を重ねると、一つの紋様になるようになっている。契約を行うためには、お互いにとって価値が等しいものを交換する必要がある。その価値が重いものを差し出せば契約時に受ける恩恵は大きくなるが、命の危険も伴うのだ。
アリアは前髪を軽くよけ、赤い右目を見せた。その瞳をハルヴァがのぞき込む。……なんだか気恥ずかしい。
「はい、では次は煌血さんの契約紋を見せてください」
煌血と呼ばれた異形の青年は、一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐに青い右目を見せた。
「はい、確認できました。あの、咄嗟に煌血さんとお呼びしてしまいましたが、その呼び方であっていますか?アリアさんからは別の名で呼ばれているようですが…」
「ああ、あれは…いや気にしないでくれ。俺のことはなんとでも呼んでくれて構わない」
ハルヴァはアリアと煌血の紋様を特殊な紙を使って写し取った。そしてそれを重ね、契約している事実を確認したようだった。剣先に触れないように慎重に刃渡りを測定し、紙に書きつける。
「では、煌血さんとそのままお呼びしますね。アリアさん、これで登録は終了です。お疲れさまでした」
「今日はこれで終わりですか?」
「そうですね、と言いたいところですが…」
ハルヴァは形のいい眉を八の字にして笑んだ。どうやら今日やっておかなければいけないことがあるようだ。
「適性検査と言って、貴女の得意な術式属性と戦闘力値を測定し、クラス分けを行います。水龍ノ月から本格的に授業が始まる予定ではありますが、出来れば今日中に測定してしまいましょう」
さて、と立ち上がるハルヴァを見上げる。
「もうすぐお昼の鐘がなりますから、昼食休憩としませんか?我が校の食堂は一般の方からも人気なんです。フィアリィさんも誘って、ランチに行きましょう」
言いつつ右のこめかみを二度叩く。横から現れた薄青色の画面を操作して、嬉しそうに微笑んだ。どうやら、シュルーフは快諾してくれたようだ。
「食堂は中央塔にありますから、ご案内しますね」
ハルヴァの後に続いて仕立て室を出ると、ちょうどよく正午を告げる鐘が鳴り響いたのだった。