第二話
目を開けるとそこは阿鼻叫喚の図だった。
燃えて崩れ落ちていく、見慣れる時間もなかった街並み。仲良くなることもできなかった人々が悲鳴をあげて、逃げ惑っている。たびたび鎧を着て人々に注意と避難を促している人がいるが、声はほとんど届いていない。それらの流れに全て逆らって、担がれ運ばれていく自分の視界は、滲んでぼやけていた。手を振ってくれているはずの父と母の表情を、涙が全てぼやけたものに変えていく。
どうして。私を置いて行かないで。私も連れて行って。そう叫びたいのに、音を取られたみたいに声が出ない。必死に手を伸ばした。しかしその手は届かなかった。
遠くから声が聞こえる。
慌ただしい気配と、自分を包む温かく眩しい光。
「おや、起きたねぇ」
「わっ、あっ…」
アリアはゆっくりと目を開けた。少し霞む目を何度か瞬いて、身を起こして周囲を確認する。
どうやらここは医務室らしい。シンプルなベッドに簡素な衝立が立てられており、傍らには女子生徒と大きなクマのぬいぐるみがいた。
「クマ……?がいる…夢…?」
「夢じゃないよぉ」
クマは音もなく床に着地してこちらを見上げながら、手を振ってくる。アリアはそれに力なく応えながら、女子生徒の方を見た。
「あなたが私の回復を?」
「そ、そうです。気分はどうですか?」
「さっきまでの疲れが嘘みたいだわ。ありがとう」
軽く腕を振って答えると、女子生徒は嬉しそうにはにかんだ。
「よかったです、お力になれて。あ、あのあなたが目覚めたらハルヴァ先生に声をかけなくちゃなので、ちょっと行ってきますね」
鮮やかな青緑色の髪を波うたせ、女子生徒は立ち上がった。
「ここに荷物、置いてあるので…」
「わかったわ」
女子生徒が部屋から出ていくのを確認して、アリアはそこに差し込んでいた剣を引っ張り出した。
「無事?」
「俺ごと投げるとは本当に破天荒なやつだな…!」
いつも冷静な青年の声は怒気が隠しきれていない。どうやら相当怒らせたらしかった。
「だっていけると思ったのよ」
「実際魔力の枯渇寸前で昏倒しているではないか。魔力回路から魔力がなくなると、生命維持にも影響が出るのだ、初めての経験ではないだろう、何度も教えたはずだ、魔力の消費上限の感覚を身につけろとあれほど」
「わーかった!わかってるよごめんねシュライさん!無理して!疲れてたんだもの!早く学校につきたかったの!」
くどくどと続く苦言に被せるように、アリアは声を上げる。
「だからと言ってだな、」
その態度も腑に落ちなかったのか、まだ小言が続きそうな嫌な予感がしたそのとき、医務室のドアがノックされた。
「アリアさん?」
「は、はい!」
咄嗟に返事をすると、からから、とドアが開けられ、薄桃色の髪をした女性が入ってきた。表情からすでに柔和な気配が漂っており、優雅な所作で先ほどの女子生徒を招き入れた。
「初めまして、アリアさん。ハルヴァ養成学院へようこそ。学院長のアルーナ・ヴィッツ・ハルヴァです」
「はじめまして…アリア・シュリンゲンジーフです。突然訪問しお騒がせしてしまい、申し訳ありません」
「ふふ、お気になさらず。確かに驚きはしましたが、怪我人は出ませんでしたもの」
「ありがとうございます…」
女子生徒が白いマグカップを四つ載せたトレーを運んでくる。
「薬草茶ですが、どうぞ」
薬草独特の鼻に抜ける香りと、ほのかな花の香りがするお茶だ。湯気が漂うそれを受け取って、ふうふうと息を吹きかけながら飲んだ。
「おいしい…私が知ってる薬草茶じゃないわ」
「あら、また一段と美味しくなったのではありませんか?フィアリィさん」
「薬草の調合率を見直しました…効果は疲労回復に偏りましたけど、飲みやすくしたかったので…」
一回り小さなマグカップをよたよたと歩くクマのぬいぐるみに持たせる。ぬいぐるみに飲めるのか、という疑問を、アリアはすんでのところで飲み込んだ。
「さてシュリンゲンジーフさん。あなたの真意を伺いたいのですが、お尋ねしても?」
ハルヴァは指を軽く振り、紙とペンを出してきた。そこには大きく『アリア・シュライゲンジーフ』と書かれていて。
「……その前に綴りが違ってます」
「…………あら?ごめんなさい!本当だわ」
ハルヴァが間違っている部分に指を押し当てると、小さく光って正しい文字になった。
「気を取り直して。襲撃まがいのことをして、何か真意があったのかしら?」
「いえ、特には」
アリアの端的な返答に、ハルヴァは目を瞬かせる。
「学校中の視線を一身に集めたのに?」
「強いて言うなら、疲れてたからです…かね?」
えへへ、と片頬を掻きながら、言いにくそうにするが、反省している様子ではない。
「1日歩いて麓のアルフィーネの街から山を登ってきたので…人の気配に気づいてからは無我夢中で」
ハルヴァもフィアリィもアリアの真意を探るような視線で、じっと見つめていたが心の底からの言葉らしかった。怪しさは拭えなかったが。
「……では次の質問に移らせてもらいます。貴女はなぜこの学校に?」
「迷宮へ潜るために必要な資格をとるためです」
「迷宮に挑みたいということですか?」
ハルヴァはメモをとろうとしていた手を止め、アリアの目を見た。
「相当な危険があり、生還するので精一杯という場所へ?」
「はい」
ハルヴァの翡翠色の瞳がアリアをじっと見つめる。どれくらいそうしていたのか、不意にハルヴァは持っていたメモに何かを書きつけ、それをアリアに示した。
「最後に、ここに書いている場所に向かってください。それで質問は終了です」
ハルヴァは薬草茶に細く息を吹きかけた。湯気が収まった薬草茶を飲み干し、席を立つ。
「ではこれで。フィアリィさん、ごちそうさまでした」
最後まで優雅に、ハルヴァは去っていった。
「……え、っと、シュリンゲンジーフさん…?」
フィアリィはそわそわとお茶を入れ直したり、クマのぬいぐるみの動向を見守ってみたりして、ついに意を決したのか、アリアに声をかけた。
「なあに?」
対するアリアの返答も短いものだったが、フィアリィは己の手を膝の上で握った。
「わ、わたし、シュルーフ・フィアリィといいます」
「ええと、はい」
「あ、あのっ学校をご案内したいのですが…、お体の調子は…?」
「学校の案内してくれるの?いいの?」
「は、はい。ご迷惑でなければ…」
フィアリィの窺うような視線にアリアは喰い気味に答える。
「迷惑なわけない!あっでも、待って。先生の最後の課題を終わらせたいから、一緒についてきてくれる?」
「ついて…って、もう場所わかってるんですか?」
「答えがそのまま書いてたんだもの。ただそれがその場所であってるのかが不安で」
「わ、わかりました」
しばらく校内を歩きながら、アリアは見えるもので気になるものがあればすぐにフィアリィに質問した。中央のドーム型の屋根を見上げながら、回廊を進む。アリアたちが先ほどまでいたのは北の塔の一階で、これから行くのは西の塔というらしい。西の塔に近づくほど、回廊沿いの植え込みの花が、その色をグラデーションのように青から黄色へと変化させていく。
そしてフィアリィとの会話はアリアが思っていたより弾んだ。
彼女は医術科の2年生で、アリアより一つ年下の16歳。医術師資格を取るためにこの学院に入ったのだという。さっき入れた薬草茶はアリアがよく知る、あまり美味しくない低木から作ったのだと聞いたとき、アリアはフィアリィを尊敬した。アリアは食に弱かった。
2人は 西の塔に入り、階段を上がっていった。そして、アリアがメモから読み取ったであろう場所に辿り着いた。
「で、ここだと思うんだけど……部屋?」
「せ、正確には、わたしが住んでいる学生寮の部屋ですね…?」
せっかくですしお茶でも、とフィアリィがドアを開ける。するとにこやかに佇むハルヴァがいた。
「お疲れさまでした」
「先生!?」
お邪魔してますよ、と優雅にティーカップを傾けている。
「よくあの文字が読めましたね。都市文字の中でも連合国語で書いたメモは、アリアさんと同学年でも読める人間が限られますよ?」
「師匠が教えてくれました」
「良い師を持ちましたね、アリア・シュリンゲンジーフさん。入学試験は合格です」
ハルヴァが指を振ると、空中に冷たい花火が弾け、きらきらと光を反射しながら溶けて消えていった。
「明日は、入学に関する契約手続きと、制服の採寸と、適正検査、クラス分けですね。本格的な学業開始は水龍ノ月からになりますからそのつもりで。ちなみに、学生寮は二人で一室なので、フィアリィさんと同室でお願いしますね」
「ふぇっ!?」
「ふふっ、明日が楽しみですね。では、おやすみなさい」
にこりと微笑んで、ハルヴァは部屋から出て行った。と思ったら戻ってきた。ひょっこりとドアの隙間から顔を覗かせている。
「ベッドはこれから運び込みますから。ご安心を」
では、と今度は本当に出て行った。後に残ったのは呆然とする2人。
「え、えーと、よろしくね、シュルーフ?」
「は、ひゃい!アリアさん!」
初めてのルームメイトとの夜は、あの薬草茶での乾杯で締めくくられたのだった。
『水龍ノ月』=五月ごろ と考えていただければ。
二年間のカリキュラムの受講と必要単位数さえあれば、こちらの世界でいう三月を越えて何月になろうが、関係なく卒業は可能なので基本的に授業の進め方はのんびりしています。