第一話 始まり
世界の中央に鎮座する、巨大な世界樹。
鬱蒼と茂る葉は下界に大きな影を落とす。
陽を遮り、季節とは真逆の気温になることもある。
そして、その周辺にはまるで世界樹を護るかのように
広大な迷宮が広がっていた。見たこともない文字や紋様が記され、点在する宝箱や財宝の数々は踏み入れた者を引き込んできた。
―――世界樹の天辺には、見たこともない世界がある。
そう謳われる様になってから、世界樹に挑むようになった冒険者は更に増え、相応に命を散らした者の数も増えていった。
迷宮の数も年を経るごとに増加の一途を辿り、世界のあらゆる場所に未踏破の迷宮が出現した。
その現状を憂慮したドリアード協議会は、「冒険者免許に関する規則」を制定。
一定の教育を受けて試験に合格しなければ、迷宮に挑むことは許されないというものだ。
そしてその教育を授けられる機関を学校として設立し、世界に3つある学校の歴史はこうして幕を開けたのである。
「ふぅん…じゃあこの前迷宮に勝手に入ったのはダメだったってこと?」
「そういうことだな」
だからあんなに怒られたのか、と少女は口を尖らせた。
読んでいたのはとある学校案内書の1ページ目。
あの日偶然誘われた冒険者パーティについて行ったら、いきなり未踏破の小さな迷宮に入ることになってしまったのだ。
そして何も知らずに魔物を倒していたら、他のパーティメンバーが全滅してしまっていて、慌てて入口の僧侶に事情を説明したら、蘇生したてのパーティメンバー諸共しこたま怒られてしまった、というのがことの顛末である。
「アリアに何もかもを任せた、あいつらの人選ミスだ。気にしなくていい」
「……それあたしのことちょっと馬鹿にしてるわよね?」
「気のせいだ」
アリアと呼ばれた少女は拗ねた顔をして訊いたが、
青年の声は澄ましていて、アリアは仕方なく歩みを進めた。
「ねぇここどこら辺?まだつかない?」
「言っただろう、まだまだだと。今日の陽が沈んで星が幾つも見えてきたら着く」
「遠いなぁ………」
朝焼けが眩しい時間から歩き始めて、今はもう太陽が真上に来ている。途中で小休止も挟んだが、時間が惜しいので止まっている暇はない。
世界の中央には世界樹があり、その影がちょうど西南北を指す場所に、大きく三つの学校が存在している。
北のハルヴァ養成学院。歴史が最も古く冒険者の基礎的な技能を教え、他の学校への推薦権を持つ。
西のマージェルト騎士学校。まだ歴史は浅いが各国貴族の令嬢や令息が多く通う。
南のオリヴァス魔法学校。先進的な教育を施すことで有名であり、研究機関でもある。
今アリアが向かっているのはハルヴァ養成学院。入学の最低年齢である12の歳を軽く超えた17歳での入学だが、冒険者育成学校は義務教育ではないため、年齢の上限は設定されていない。
「どんなこと教えてくれるのかなー。複雑な術式とか教えてくれるかな!?」
「最初はつまらなく感じると思うぞ」
「えぇー、どうして?」
「俺がある程度教えたからだ」
アリアは下唇を突き出して、こめかみを2度叩いた。すると小さく音を立てて薄青いスクリーンが現れる。アイテム欄を上下にスクロールし、水を選択。ノータイムで水の入ったビンが実体化した。
「……いいのか、あまりないんだろう」
「大丈夫、さっき汲んできたから」
ごきゅっと音を立てて水を飲み切ると、ビンは消えた。
「さーて、あともう少し!」
喉の渇きも潤して、アリアはまた力強く歩み出した。
******
「はぁ……はぁ……ま、まだなの……?」
「あと3分の1だ」
「は……冗談でしょ」
荷物の重さは変わっていないはずなのに、初めの数倍も足が重く感じる。
青年の声は相変わらず涼しげで息が切れた様子もない。
「も、もう少しって言ったよね…!?」
「お前が言ってただけだ」
……思い返してみればそんな気もする。
道中での魔物との戦闘はできるだけ避けてここまできたが、避けて進むのが面倒になって何度か戦闘になった。
もちろんその程度で疲れるような鍛え方はしていないが、LPとMPは回復しているとはいえ疲労感は消えない。
一応申し訳程度に風属性の術式で荷物の重さを軽減してはいるが、それにしたって一歩一歩が重すぎる。
「………ん?」
アリアは不意に足を止めた。どすっと重たい音がして荷物が落下する。
「どうしたアリア」
「声が、聞こえる…!」
「ああ、そうだな。そろそろ魔力も見えてきてる」
「シュライさん!『倍速術式』!!」
アリアは地面の感覚を確かめるように軽く脚踏みをして、
不意に低姿勢になると、一気に加速しあっという間に消えた。
「は、おいアリア。荷物は」
「ああっ!えーとえーと……『転換術』!」
最早魔力の出し惜しみは必要ない。最短で目的地にたどり着けばそれでいい。
アリアは筋力強化を腕と脚にかけ、重い荷物を空中でキャッチ。更に加速して一気に山を駆け上がった。
「見えた!!」
そして学校の門の先端が見えた瞬間、アリアは迷わず荷物をそこに向かって投げた。
「おいっ!!?」
青年の滅多に上げない悲鳴が遠ざかっていく。アリアも一段と速度を上げ、荷物が落下する___その瞬間に落下地点へと滑り込んで、荷物を引っ掴んだ。あわや荷物の襲来を受けるところだった男子生徒が、腰を抜かしてへたり込んでいる。まだまだ息は整わない。
「はっ…はっ…はあっ……あ、あの」
息も切れたままで男子生徒に声をかけると、
「ひ、え…」
心底恐れおののいた顔でアリアを見上げて後ずさった。
「すみません、こちらは「うわああああ!!!」あっ、ちょっと」
最後まで言い切ることができないまま、男子生徒はこちらがびっくりするくらいのスピードで後ずさっていき、遠くに行ってしまった。
アリアは疲労感で立っているのがやっとだ。膝に手をついたまま、あたりを見回す。
「なにごとですか」
すると校舎の入り口から騒動を聞きつけたのか、教師らしき人物が複数現れた。
一人の女性を先頭に二人。緊張した面持ちでアリアの方に向かってくる。
「ごきげんよう、みなさん。なにがあったのです?」
「こ、この人が突然現れて!」
「隣にある大きな武器でレオジーク先輩を潰そうとしたんです!」
「あ、いやそんなつもりじゃ」
先頭の女性教師が腰を下ろして生徒に尋ねると、女子生徒たちはアリアを指さして状況を説明した。
女性教師はアリアの顔をまじまじと見ると右手を頬に当てた。
「あら…赤い瞳と青い瞳…お名前を伺っても?」
「アリア・シュリンげん…」
「あら?」
アリアは名前を言い切れないまま、膝から崩れ落ちた。
「アリアさん?」
「おいっ!しっかりしろ!」
「すぐに治療師を呼んで!」
周囲のあわただしい声はアリアには届かず、わずかに残っていた意識も掻き消えていった。