【温故知新シリーズ】真実の愛を見つけたと言って彼は去っていきました。
私は自分の部屋の窓からしとしとと降り続ける雨を眺めていました。
降り始めてから今日で3日目。
街では雨が降っているにも関わらず一昨日からお祭り騒ぎです。
それもそのはず。今振っている雨は実に2年ぶりにこの国に降った雨なのですから。
私の住むこの国は元々、年中それなりの降水量があり農業国として発展してきました。
しかし2年と2か月前。
世界を恐怖と混乱に陥れていた魔王が我が国出身の勇者によって見事討伐されたのですが、その時に魔王が死に際に掛けた呪いにより、我が国には雨が降らなくなりました。
雨が降らなければ農業は出来ません。
最初の半年こそ湖に残っていた水により僅かながらに生き延びた農家も1年もすれば完全に干上がり、今では飲用水を確保するために地中深くに井戸を掘って何とかしのいでいた状態です。
このままあと1年、雨が降らなければ大勢の人が亡くなっていた事でしょう。
その為、魔王を倒したというのにその勇者は多くの方から恨みを買うかもしれないとのことでどなただったのか一切公表されませんでした。
折角命懸けで魔王を倒したというのに報われない話です。
そう言った経緯もあるからこそ今降っている雨は真実恵みの雨なんです。
これで国は助かるし、その勇者様も報われることでしょう。
でも。
「雨、かぁ。まるで私の心のようね」
本来なら私も皆と一緒に喜ぶべきところなのですが、残念ながらそんな気分ではありません。
「リーリアお嬢様。お加減は如何ですか?」
「メル。ええ、体調は問題ないわ。体調はね」
私が生まれる前から私の屋敷で働いてくれているメイドのメルがそっとお茶を差し出してくれた。
この香りはレモンハーブね。
きっと落ち込んでいる私の気分を少しでも良くしようと考えてくれたのね。
「ねぇ、メル。真実の愛って何かしらねぇ」
私は手の中で空になった薬瓶を転がしながらメルに聞いてみた。
メルは右手を頬に当てて少し考えながら答えた。
「私の夫は生涯私だけを愛してくれるとプロポーズしてくれて、その約束は今も守られ続けています。
私も夫以外を愛したことはないのですが、それが答えになるでしょうか」
「まあ普通そんな感じよね」
でも私の場合、その真実の愛によって裏切られたんです。
それもほんの1週間前に。
~~~~~~
私には5歳の時に親が決めた許嫁が居ました。
代々水の大神殿の神官長を輩出している超エリート貴族の長男のアモーラ・スカイレイン様。
アモーラ様は眉目秀麗、文武両道、義理人情に篤く貴賤に関係なく対等に接する姿に王子以上に国民の人気を獲得するような、そんな凄い方でした。
空色の髪の毛は太陽の光を反射してキラキラと光り、海のように蒼い瞳は見るものを虜にしていきます。
私自身、許嫁にしてくれた両親に心から感謝しました。
私とアモーラ様の関係はとても良好でした。
私はもちろんアモーラ様のことを愛しておりましたし、アモーラ様に見合う自分になる為にと厳しい指導にも耐え、他貴族との交流も妻の務めと積極的にお茶会などにも参加しました。
アモーラ様も学業や政務に忙しい中、私に会いに来てくださっては色々とプレゼントを下さり、面白い話をしてくれて終始楽しそうにされていたから、きっと私の事を好いてくださっていると思っていました。
そんな私達の関係に変化が訪れたのは4年前。
アモーラ様が隣国のデルタミアに留学に行くというのです。
デルタミアというのは私達の国の北に位置し、そして魔王の本拠地とも呼ばれる闇の大地とも隣接している国です。
その為、魔物との戦いが頻発するので我が国よりも兵の練度や軍事力は高いと言われています。
確かに学ぶところは多いのは分かりますが、それでも敢えてそんな危険な国に留学しなくても良いではないですかと引き留めたのですが、将来我が国にも魔物の脅威が来るかもしれないからと言って、私の反対を振り切って行ってしまわれました。
アモーラ様が留学中は手紙のやりとりを行っていましたが、やはり距離があるので1月に1回が精いっぱい。それも忙しくなったらしく半年経った時に『今後は手紙を返せない事を許してほしい』と言われてしまい、その言葉の通り、その後はこちらから手紙を送っても一切返事は返ってきませんでした。
……今思えば、その頃から兆しがあったのかもしれません。
結局次にアモーラ様と連絡を取れたのは留学に行ってから2年後でした。
その2か月前に勇者様が魔王を倒して今後魔物の脅威も下がるはずなので留学も早く切り上げてきても良かったんじゃないかなって思ったりもしましたが、一度始めたことは最後までやり通すのがアモーラ様ですからね。仕方ありません。
ただアモーラ様ったら折角帰ってきたと言うのに、例の魔王の呪いの対策をしないといけないと言って会ってくださったのは帰国直後の1回だけ。
その1回だって時間にすれば30分足らずで最初にそっと抱きしめてくださった以外は何もしてくださいませんでした。
折角この2年間、アモーラ様がいつ帰ってきても良いようにと女を磨いていたというのに。
お母様に相談したら、
「男は仕事に生きるとも言います。
夫がいつ疲れて帰ってきても良いように家を守るのが妻の役目ですよ」
そう諭されました。
確かにお父様も仕事で2か月近く帰ってこない時もありました。
でもそれは熟年夫婦の話じゃないでしょうか。
私達はまだ若いですし、ついこの前まで2年間も離ればなれだったんですよ?
もうちょっとくらい一緒に居ても罰は当たらないと思うんです。
そしてそんなマイナスな思考が体をも悪い方向へと導いたのかもしれません。
私は時折頭痛や発熱に悩まされるようになりました。
普段は元気なのに何の前触れもなくガツンと来ては次の日には回復する病。
お医者様や治癒魔法の使い手に診てもらっても原因は不明。薬も魔法も一切効果がありませんでした。
アモーラ様のご実家の水の大神殿は魔法薬の大家なのですが、そちらのも効果がなく、八方塞がりの状態でした。
半年、一年と少しずつ悪化していく症状。
心寂しくなってアモーラ様に会いに来てほしいと手紙を送っても、断りの手紙が返ってくるばかり。
そうなるといくら私でも薄々勘付いていました。
「きっともうアモーラ様は私の事なんてどうでもいいのでしょうね」
メルにそう愚痴をこぼしてしまったのは2か月ほど前の事です。
それを聞いたメルは顔を真っ青にして、
「そんなことはございません。アモーラ様は心の底からリーリアお嬢様を愛しておいでです」
そう言って慰めてくれたけど、ただの気休めよね。
私同様、メルだってアモーラ様には会って居ないのだから。
そして遂に今から1か月前。
私は血を吐いて倒れてしまいました。
慌てて駆けつけたお医者様はこのまま症状が悪化すればもってあと1年でしょうと余命宣告までされてしまいました。
そっかーあと1年かぁ。などと気楽に考える事など出来ません。
私にはこの世に未練がまだまだあるのですから。
特にこの2年近く会っていないアモーラ様。
留学前から換算すれば4年で1度しかお会いできていないあの方にもう1度会いたい。
会って、私の事を本当はどう思っているのかお聞きしたいのです。
そしてまだ私の事を愛してくださっているのなら、まだ元気なうちに1度で良いから身も心も捧げたいと思うのです。
……4年もほったらかしにされてもやっぱり私はあの方を愛しているのですから。
想いのすべてを注ぎ込んだ手紙をアモーラ様に送りました。
万が一にも読んでもらえないかもと思い、メルに直接アモーラ様に渡すように頼み、そのまま返事をもらってきてもらいました。
『3週間後に我が家で夜会を開くので来てください』
短くそれだけが書かれた手紙。
これでようやくアモーラ様にお会いできると喜んだ私は急ぎドレスを新調しました。
3週間後の夜会の時だけは体調が悪くなりませんようにと祈りながら。
そして夜会の当日。
幸いにして私の体調は元気でした。
ですが会場に入った私を迎えたのはアモーラ様の弟君のクライン様でした。
「アモーラ様は?」
と聞くと
「準備に時間が掛かるそうなので途中から参加されるそうです」
と言われてしまいました。
私はアモーラ様に会うためだけに来たというのに!
夜会はそのままクライン様が進行を務められました。私より2つ下だと言うのにその姿は立派で流石アモーラ様の弟だなと感心したものです。
そして会も中盤に差し掛かったところで遂にアモーラ様がおいでになりました。
でも、なぜかその隣には見慣れない青い髪の女性が寄り添うように立っていたのです。
「アモーラ様!」
急いで駆けつけた私をアモーラ様は驚いたように目を見開いて見ていらっしゃいましたが、すぐに手を挙げて私に近づかないようにと合図をされました。なぜ!?
「リーリア。今日は君に大事なことを伝えないといけないと思ってここに呼んだんだ」
そう言うアモーラ様は真剣な、いえ、苦虫を嚙み潰したような顔をなさっていました。
まるで私を見るのも不快だと言いたげな表情は1度としてみたことはありませんでした。
「リーリア。こんな大勢の居る前でいうのもどうかと思ったが、証人は多い方が良いと思ったのでここで伝えることにするよ。
いいか。私はこのたび真実の愛に目覚めた。ここにいるウンディーネ嬢のお陰でね。
だから今この時をもって君との婚約を破棄させてもらう。
君だってこの4年間、碌に会いにも来なかった男のことなどさっさと忘れて、他に君を愛してくれる男性を探してほしい」
「そんな……まさかっ!?
嘘でしょう!嘘だと言ってください。これはちょっとした余興なのだと!!」
あまりのことに私は思わずアモーラ様の胸に飛び掛かってしまいました。
そんな私をアモーラ様は感情の篭らない目で見ながらそっと押し返してしまったのです。
「残念だが私は本気だ。君とこうして会うのもこれが最後になるだろう」
その言葉を聞いた私は思わずその場にへたり込んでしまい、間の悪い(良い?)事にれいの発作が起きてそのまま意識を失うのでした。
次に私が目を覚ましたのはその2日後。
自分のベッドで目覚めた私は、しかし手足に力が入らず辛うじて動く首を動かして部屋の様子を確認すれば、ずっと看病してくれていたであろうメルがすぐそばに居てくれました。
目覚めた私をみてメルは涙を流していました。もう目を覚まさないかと思いましたって言われてその方が良かったかなと思ってしまったのは秘密です。
メルに夜会での事は夢だったのかなと聞いたらやっぱり首を横に振られました。
そして申し訳なさそうに告げてきた。
「目覚めてすぐで申し訳ないのですが、リーリアお嬢様にお客様がおいでです」
「今は誰とも会いたくないわ」
「それがお嬢様の病気の特効薬をお持ちだそうで、手遅れになる前に至急飲んで頂きたいとのことなのです」
「そ。なら仕方ないわね」
いっそのこと病気で死ねたら楽だったのかもしれないけど、折角用意してくれた薬を飲まないのも悪いと思って、そのお客を通すように伝えた。あ、もちろんその前にメルにお願いして私の身だしなみを整えたのは言うまでもない。
準備が出来て部屋に入ってきたのはなんと、アモーラ様の弟君のクライン様だった。
そうよね。特効薬というのだから水の大神殿が関わっている可能性は高いし、そうすると代表者といえば彼になるのはちょっと考えれば分かったはず。
本当はアモーラ様を思い出すので顔も見たくないけどここで追い返す訳にもいかない。
「ごきげんよう。クライン様。
申し訳ないのですがまだ体調が優れないので手短にお願いします」
「存じております。リーリア様。私の要件は1つだけです。
こちらの薬を今すぐお飲みいただきたいのです」
そう言って差し出したのは女神様の姿を模った薬瓶。
ただしその中身は赤黒くてちょっと不気味な液体で満たされていた。
「それは?」
「【命の水】と呼ばれる水の大神殿に伝わる秘薬です。
作成には非常に手に入りにくい材料が必要だったために遅くなってしまいました」
「そうでしたか。水の大神殿の皆様のご尽力には感謝しかありません。
どうぞ後で飲みますのでメルに渡しておいてください」
そう言った私の言葉にクライン様は首を横に振りました。
「いいえ。今すぐお飲みください。これを飲み終えるのを確認するまでが私の本日の用事です」
「まだ気分も優れないので少し休んでからにしたいのですが」
「そこを押して今すぐお願いします」
「……はぁ。分かりました」
クライン様の強情な様子に仕方なく、メルに背中を支えてもらいながらゆっくりとそれを飲み干しました。
見た目はあれですが味も匂いも思ったより悪くないですね。
そして飲み干した直後、さっきまで満足に動かなかったのが嘘のように全身に力がみなぎるのを感じました。
流石魔法薬の権威である水の大神殿の秘薬と言ったところですね。
「ふぅ。ありがとうございます。だいぶ元気になれたようです」
「それは良かった。では私はこれで失礼しますね」
「あの、この薬瓶は?」
「それは差し上げます。個人的には大事に取っておいて頂けると嬉しいです」
「はぁ」
そうしてクライン様は言葉通りサッと帰って行かれました。
その翌日、2年ぶりになる雨が我が国に降り注ぎました。
まるで私の病気と一緒に魔王の呪いが消え去ったかのように。
~~~~~~
あれから1年。
その間、私の元にはひっきりなしに求婚の手紙が届くようになりました。
私は気が付けば『婚約者から【真実の愛】などという愚かな理由で婚約破棄された可哀そうな女性』『病の縁から奇跡的に生還した女性』などと囁かれ、元々はアモーラ様の為に磨き上げた魅力と社交性も相まって多くの男性の気を惹いているようです。
ですが私は全ての誘いを断っていました。
なぜならどうしても愛というものが信じられなかったし、あれほどこっぴどく振られたというのにどうしてもアモーラ様の事が忘れられなかったからです。
もし本当に【真実の愛】などというものがあるのであれば、アモーラ様以上に心揺れる相手でなくてはならないでしょう。ですがそのような殿方は見つけることは出来なかったのです。
「はぁ」
窓辺の机の上に置いてあった薬瓶を突きながら思い浮かべるのはやっぱりアモーラ様の事。
あの方は今頃どうしているのでしょう。
やはりあの時居たウンディーネという女性と一緒に幸せに暮らしているのでしょうね。
……一度、尋ねてみるのも良いかもしれません。それで私の気持ちも区切りが付けられるかもしれませんし。
「メル。アモーラ様が今、どちらにいらっしゃるか調べてもらえるかしら」
「……お嬢様。1年経った今でもアモーラ様を忘れることは出来ませんか?」
「……そうね」
私の返事にどこか寂しそうに目を伏せるメル。
かと思えば1通の手紙を私に差し出してきた。
「お嬢様、こちらを」
「これは?」
「アモーラ様からお嬢様宛てのお手紙をお預かりしていました」
「それはいつの話?」
「1年前の夜会の前でございます」
それはつまり婚約破棄を言い渡される直前ということですね。
ならその手紙を書いた時には既に婚約破棄をすることは決めていたという事でしょう。
いったいどんな惚気話が書いてあるのか。いっそ読まずに燃やしてしまおうかとも思いましたがメルの様子も変ですし、一応読んでみますか。
『最愛なるリーリアへ』
出だしからして「ちょっと待て。どの口が?」と言いたくなりましたがグッと堪えて続きを読むことにします。
『最愛なるリーリアへ
この手紙を君が読んでいるということは私は賭けに負けたということなのだろう。
私に4年も放置された挙句、一方的に婚約破棄を言い渡された君は私の事などすぐに忘れて別の男、例えば弟のクラインなどに想いを寄せてくれると考えていたのだけど、嬉しいような申し訳ないような複雑な気持ちだ。
さて、君に伝えたいことは沢山あるのだけど、まずは君に沢山の嘘をついていた事を謝りたい。
最初に君ついた大嘘はデルタミアの留学。デルタミアに行ったのは本当だけど留学っていうのは嘘だったんだ。
事の始まりは5年前。魔王軍が我が国の西の山地まで侵攻してきたことがキッカケだった。
リーリアも知っての通り、我が国は農業国で軍事力はそれほど高くない。
もしこのまま魔王軍を放置しておけば遠くない未来、我が国は魔王軍の侵略に遭い甚大な被害を受けることだろう。
だから国王陛下によって私を含む腕に自信のある者が数名選ばれ、デルタミアに向かうことになった。
私達の他にもデルタミアには各国から精鋭部隊が集結して魔王討伐の準備を始めていた。
最初の半年は連携訓練や個々の戦力アップに努めていたんだ。
お陰で君との文通も何とか出来た。
しかし、いざ魔王討伐に向かうとなったらそんな余裕はない。
来る日も来る日も魔物との戦いに明け暮れる日々が続いたよ。
仲間が倒れ、何度絶望しそうになったかも分からない。
私にとっては君からの手紙だけが心の支えだった。
そうしてこちらの戦力も半数以上が重傷を負い後方へと下がっていく中、遂に魔王の居城を捉えることに成功した。
私達はこれが最後の決戦だと決め、全員で突撃を仕掛けた。
しかし当然魔王の本拠地なだけあり、1体1体の魔物も強力で魔王の元に辿り着けたのは私を含め5人だった。
魔王はそれまでの魔物と比べても圧倒的に強かった。
私達は3人が重傷を負いつつも、それでも何とか魔王を追いつめる事に成功したんだ。
しかし魔王はまだ余力があったらしく凶悪な呪いを発動させた。
それはリーリアも知っている我が国から雨を奪った呪いだ。
でも実はその時、魔王はもう一つ呪いを掛けていたんだ。
それは私の最愛の人を死に至らしめる呪いだった。
魔王はこう言っていた。
「私をここまで追い詰めた褒美に私はしばし表舞台から去ることにしよう。
しかしただで去るのは詰まらぬからな。
貴様ら人間は愛するものの為に戦うという。なら貴様の最も愛するものを2つ頂いていくとしよう。
1つは貴様の国だ。むこう10年間、貴様の国には一切の雨が降らぬようにしてやろう。
大地は干上がり生き物の住めない死の大地となるだろう。
もう1つは貴様の伴侶だ。じわじわと体を蝕み5年後に死に至らしめよう。
更に貴様がその伴侶に1度会えば伴侶の寿命が半分になり、2度会えば起き上がれなくなり、3度会えば即死に至るようにしてやろう」
魔王は自分で言った通り、残っていた魔物たちを引き連れて更に北の地へと去っていった。
瀕死の私達と悠々と去っていく魔王たちを比べればどちらが優勢だったかは明白だろう。
私達はただ魔王の気まぐれで助かったに過ぎないんだ。
命からがらデルタミアに戻った私達は傷を癒すことに専念することになった。
私なんて回復に2カ月もかかってしまった。
その間ずっと祖国に居る君の事が心配で仕方なかった。
とは言っても傷だらけで帰っても君を悲しませるだけなのは分かっていたから何とか耐え忍んだけどね。
そして無事に帰国した私は最初、遠目で良いから君の姿を見たいと思った。
流石に魔王の呪いであってもずっと離れたところから一方的に君を見るだけなら呪いが進行することはないだろうからね。
でもダメだった。
君の姿を見た瞬間、君への想いが溢れてしまった。
ダメだと分かっていても君をすぐそばで目に焼き付けずにはいられず、声を聞きたくて笑顔を見たくてそばまで寄ってしまい、そしてあまりの愛おしさに抱きしめずには居られなかった。
なにせ2年ぶりだ。
死闘に明け暮れる日々の中、唯一の希望が君が私の帰りを待っている事だった。
そして2年経って君はあまりにも美しく成長していた。
その姿も、心も。
私は魅了に掛かってしまったように君から離れることが出来なかった。
我に帰ることが出来たのは何とか抱きしめる腕を離して少し話をしようと椅子に座ってすぐの事だ。
楽しそうに笑っていた時に急に君が咳をした。
まるで氷水を浴びせられたような心地だったよ。
魔王の呪いを甘く見ていたわけではない。でもやはり目の前で最愛の人が蝕まれているのを見ると心の底から恐怖を覚えるものだ。
世界は魔王を退けて平和になったと喜んでいたけど私だけはまだ魔王との戦いは続いていたんだ。
私は世間には雨が降らなくなった地域の救済に駆け回っていたことになっていたけど、その実ずっと君に掛けられた呪いを解くために文献を読み漁り、呪いの専門家に教えを請いに行き、秘薬の材料となるものを探していた。
もちろん水の大神殿の総力を挙げてね。
そうして1年半が過ぎた頃にようやく1つだけ呪いを解く方法を見つけたんだ。
まったく笑ってしまう事にその方法は水の大神殿にあったんだ。
世界中を駆け回ったのは実はほとんど無駄だった。あ、いや。他に方法が無いことを確認するという意味では価値があったのかもしれない。
その方法を教えてくれたのは水の大神殿の奥に眠っていた水の大精霊であるウンディーネ様だった。
ウンディーネ様は私を見た瞬間、呪いの本質をすぐに理解し、そして解き方についても教えてくださった。
「魔王はまた随分と悪趣味な呪いを残していったようですね。
その呪いの名は【三贄の秤】。
その名の通り呪いの対象は3つ。この国とあなたの伴侶、そしてあなた自身です。
この呪いを解くには対象の3つの生贄のうち、どれか1つを犠牲にしなければなりません。
呪いの主軸はあなたです。
もしこの国を呪いから解き放ちたいのであれば、あなた自身の手であなたの伴侶の命を奪う必要があります。
またもしあなたの伴侶を救いたいのであれば、この国を捨て、伴侶と共にどこか遠くへと行けばよいでしょう。
ただそれでも国全体に掛けられた呪いと同程度の呪いを人の身で背負わされたのです。
生き永らえても良くて10年でしょう。
そして国も伴侶も救いたいのであれば、自分で自分の心臓を貫けば良いでしょう。
更にその時にあふれ出るあなたの生命力を薬に変えて伴侶に飲ませれば10年と言わず天寿を全う出来るでしょう。
あ、今、なんだ簡単じゃないかと思いましたね?
残念ながらこの方法を取った場合、あなたの魂は魔王に捕らわれ地獄の苦しみを永遠に味わうことになります。
心狂う事も許されず100万回死んでは蘇って、また100万回殺されるのを延々と繰り返されるのです。
あと一応、魔王を倒す事が出来れば、全ての呪いは魔王へと還り彼の者を永遠に闇の底に沈める事が出来るでしょう。
まぁ、それが今のあなた方では不可能なのは実際に魔王に対峙したあなた自身がよく分かっていると思いますが。
いずれにしても猶予はあと2年と言ったところでしょう」
この話を聞いた時、迷わなかったと言ったら嘘になる。
たった10年でも君と一緒に居られるなら国なんて捨ててしまえという悪魔の囁きが何度も聞こえてきた。
でもこれだけは信じて欲しい。
国の為に君を犠牲にするという選択肢だけは初めから無かった。
そして私は、私自身を犠牲にすると決めた。
決断してしまえば、それまでの悩みは一切なくなった。
代わりに、私が居なくなった後、残された君が幸せになるにはどうすれば良いかを考えた。
メルを始め、君の事を知っている人たちからまだ君が私の事を想ってくれているのは聞いていたからね。
出来る事なら死んだ男に操を立てる様な事はしないで欲しい。
そこで思いついたのが婚約破棄劇だ。
馬鹿な理由で一方的に婚約を破棄する。その時私の隣には人外の美しさを持つウンディーネ様に横に居てもらう事で信ぴょう性も増す事だろう。
これで長年碌に会いに来ることも無かった婚約者に愛想を尽かした君は私の事など忘れて別の男と幸せになる。
若干その男に嫉妬してしまいそうだが、君の事を幸せにしてくれるなら目を瞑ろう。
そう、期待していたんだけど。
クラインが「兄上はリーリア様を甘く見過ぎです」なんて言ってたけど、その通りだったな。
あと最後に、私の【命の水】は飲んでくれただろうか。
あれには私の魂以外の全てが籠められていたんだ。
たとえ魂は闇に捕らわれても、私という存在が少しでも君を幸せに出来たらと祈ってやまない。
そして1つ願いが叶うなら、君には幸せになってほしい』
私はそっと手紙を閉じてメルに預けました。私の涙で汚れてしまわないように。
ふと、窓辺に置いてあった薬瓶が目に入りました。
あの婚約破棄の直後。どうしてクライン様があれほど鬼気迫って私にあの【命の水】を飲ませたのか、その理由がようやく分かりました。
この1年。日に日に元気になっていったのは全てアモーラ様のお陰だったのですね。
ありがとうございます。
ですが、やはり私はあなたが居てくれなければ幸せになどなれそうもありません。
今もなおあなたが魔王に苦しめられていると知って呑気に笑ってなどいられません。
ならどうするか。
そんなの決まっています。
「メル。あなたには苦労を掛けることになると思うけど許してちょうだい」
「そんなことお気になさらずに。それで、どうなさるのですか?」
「決まってるじゃない。真実の愛を取り戻しに行くのよ」
待っていてください。アモーラ様。
魔王なんてさっさと蹴散らして、あなたの魂を解放してみせますから。