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小章 とある森

 インジュと体が入れ替わってしまった、元黒い犬を連れ、ヒスイは亡者の森と呼ばれる、大陸の真ん中に広がっている森に逃げ込んだ。

あの場にいては、いけないとそう思っての行動だった。森人と呼ばれる人達の集落の外れにあった、木こりの小屋を借りることができ、ヒスイは、細々と暮らし始めた。

「コラン、日が落ちる、家に入ろう」

薄ら笑みを浮かべて、切り株に腰を下ろしている姿は、精巧に作られた人形にしか見えなかった。それほど、彼に動きがないのだ。ヒスイが体に手を触れると、彼は立ち上がって、何の言葉も発しないまま、ヒスイの導きに従う。まだ、黒犬だった時の方が生きている感じがしていたような気がした。

 インジュは、大丈夫だろうか。インファは?ヒスイは、インジュの体を傷つけないように、注意して生活していた。彼をその名で呼んではいけないだろうと、一応の名をつけてみた。村人には、こんな我々が、親子に見えるらしい。

親子。父と息子――

 黒犬と容赦のない戦闘を繰り広げたインファは、体の入れ替わってしまった息子を、間違えなかった。牙を剥かれていたのに、インファは瞬時に黒犬の方がインジュだと見抜いていた。そして、穢れが酷くて帰れないと言ったインジュを、絶対に離さないと言って、連れていった。

――触れられるなら、掴んでいますよ!

穢れ。犬に触れたインファは、痣のようなものに冒されていた。そして、ヒスイも触ってみたことがあったが、とても触れているとは言い難かった。あの体は、精霊であっても触れることはできないのだ。それでもインファは、変わり果てた息子を、嫌悪することなく失えないと叫んで、連れていった。

あの時、インファが自分だったなら、あんな真似ができただろうか。できはしなかったと、ヒスイは思った。

この体を、取り戻したいだろうに。ヒスイは、インファがすぐにここへ来ると思っていた。だが、彼はまだ来ない。

インジュの状態が思わしくないのだろう。故に動けないのだろうなと、何となくヒスイは察していた。

 インファに弾くなと言われたが、この曲には、彼は僅かだが反応する。

悪いことではないと信じて、ヒスイはバイオリンで、風の奏でる歌を弾いていた。

ヒスイは、風の精霊のことを、村を訪れた魔導士に聞いてみた。魔導士は、快く教えてくれた。

命の導き手。生ある者の守護者。不浄なモノを狩る、世界の刃――

要は、世界を、我々を守ってくれている、ありがたい精霊だと、魔導士は言った。

我々を守ってくれる――。あの時インファは、ヒスイに対しても怒っていた。だが、ヒスイに危険が及ばないように突き放してくれた。そんな彼を、刺してしまった。

『お父さん』その言葉に、インファを敵視してしまった。彼は、息子のために来たようなことを言っていたが、この存在は、ヒスイにとっても危険な存在なのだろう。助けようとしてくれた人を、ヒスイは裏切ってしまった。

ヒスイはあのとき、悪魔の側に落ちてしまった。

ヒスイは未だに、これのことを、自分の子供とは思えなかった。今人の形をしているが、何の反応も示さないそれを、やはりそういう存在には思えなかった。インジュのような綺麗な姿をしていれば、実感が湧くかもしれないと思った事が恥ずかしい。インファは、どんな姿でもインジュはインジュだと、当たり前のように抱きしめていたのに、ヒスイにはそれはできそうになかった。

哀しいことだが、妻の遺したこれを、持て余していた。

インファが来たら、敵対することは絶対にすまい。ヒスイはそう思いながら、これとの生活を続けていた。

これが『お父さん』と、もう囁くことはないだろう。

インファが「インジュの声で、その言葉を口にするな!」と怒っていた。

あの言葉が、自分に向かって、いや、意味をわかっていて発したものでないことは、今ではわかっていた。

ヒスイは、薄ら笑みを浮かべて、椅子に静かに座っている彼を見た。

わたしがここにこうしているのは、この体を預かっているだけ。それでいい。

もう、解放されたい。妻と我が子の死から。


 そして、その時は来た。

しかし、来たのは、インファではなかった。

大地をしっかり踏みしめて現れたのは、靄のオオカミだった。ここにいたときよりも格段に雄々しく、生き生きとして、心は体を表し、体は心を表すようだなと思った。

『来てやりましたよ!雷帝・インファに目をつけるなんて、お目が高い!……じゃなかった、身の程を知ってくださいよ!』

禍々しさはそのままだが、インジュはずいぶん元気だった。あのとき、帰れないと無理にこちらに残ろうとしていた、自暴自棄に似た心細さは感じられなかった。

背後に、インファがいるのだな?そう思った。インファは仲のいい親子ではなかったと言っていたが、彼の揺るぎなさを見れば、そうは思えない。

インファという父なら、これとも親子になれるのだろうか。

『お父さんはあげません!覚悟してください。ボク達が送ってあげます!』

お父さんはあげない?何のことだと、ヒスイが戸惑っていると、背後で、彼が切り株から自ら立ち上がった。

「ボクは、インジュ、お父さん、は、どこですか?」

彼の綺麗な笑みに、ゾッとした。インジュの体に入り込んだあれは、インジュに成り代わろうとしているのだということに、ヒスイはやっと気がついた。


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