小章 とある場所
ヒスイは、上手く形を保てない我が子を前に、途方に暮れていた。
妻が、死の間際告白した言葉が蘇っていた。
『ヒスイ……隠していてごめんね?わたしは、人間じゃないの。花の精霊です。花はとても弱くて、もしかするとと思っていたけれど、やっぱり、出産には耐えられなかった。この子とあなたを残して逝くことを、許して。この子をお願い……』
そして、彼女はこれを産み出して、花びらとなって消えてしまった。妻が、この世界の存在ではなかったことは、その死の瞬間悟った。だが、残されたこれを我が子とは到底思えなかった。
ヒスイの前に残されたのは、何か猫か犬が丸まっているような、そんな物体なのか気体なのか、それすらもよくわからないモノだったからだ。
ヒスイの知っている赤子とはまるで違っていた。
しかし、ヒスイはこれを捨てようとは思わなかった。仕方なく、部屋の隅に置いておいたのだが、これは生きているらしく、ヒスイがバイオリンを弾くと、喜んでいるのか、その黒い靄のような表面に、虹が走った。
「おまえ、音楽が好きなのか?」
ヒスイは、バイオリンの修理工だった。おかげさまで、食べていけるくらいの稼ぎはあった。音楽家にはなれなかったが、今でもこうして趣味のバイオリンを時折弾いている。
「そうか……好きなのか……」
妻も、大好きだった……。今まで実感がなかったが、この黒い靄は、彼女の子供なんだなと思えた。
ヒスイは、痛む心のままバイオリンを弾いた。
哀しげな、泣くようなそんな音色なのに、黒い靄に走る虹色は喜んで見えた。