お母様は家出しました
誤字報告ありがとうございますー
「貴女みたいなお母様いらないわ」
思春期なお年頃の女の子が忌々しそうに顔を歪めて呟く。
…お払い箱ね?いいのね?
その女の子、まあ自分がお腹を痛めて産んだ子なんだけれどね。
プライドの高い貴族らしい令嬢に育った娘にとって、貴族オーラのない母親は目障りらしい。
「…そうね。ではお父様に次の『お母様』は素敵な人をと注文しておきなさいな。」
いつもの気弱で曖昧な微笑みをやめ、表情をなくした顔で娘に告げて部屋を後にした。
思春期めんどくさいなー。
母親が嫌なら距離をおけばいいのにね。
ちびちゃんの頃はお母様大好きっ娘で可愛かったのになぁ。
自室で隠してあった質素なドレスに着替えながらため息をつく。
髪をひっつめて伊達メガネをかける。
うん。いい感じ。
テーブルに離縁届と手紙を置き魔法を唱える。
『転移』
転移先はこぢんまりとした居室。
窓からは外の喧騒が漏れ聞こえてくる。
堅苦しい貴族暮らしの息抜き用に用意してあったものだ。
娘が私という母親を必要としないなら、あそこに留まる理由はもう何一つないのだ。
貴族の家に生まれ、表情も感情も読めない旦那様と政略結婚して、高位貴族らしい社交もしたし、子供も産んだ。
そして育てた。
もうお暇させてもらいましょう。
部屋を出て階段を降りると、そこは王都の魔道具屋だ。
「あら、店主様!いらっしゃってたんですか。」
「こんな時間に珍しいですね!」
この子達はエラとサラ。
田舎から姉妹で出稼ぎに出てきたところを悪い奴らに騙されて無一文になっていたのを拾ったの。
私の経営するこのお店を切り盛りしてもらっているのよ。
「うふふ。家出してきたの。今日からここに住むからよろしくね。」
さらりと伝えると、二人とも目を見開いて驚いてる。
目が落っこちそうね。
魔道具屋の二階は宿屋っぽい個室にしてあるので、エラとサラもそこに住んでいる。部屋でも簡単な料理ならできるけど、ちゃんと作りたいなら一階に普通のキッチンもあるのよ。
同居というかシェアハウスっぽいかしらね?
望まぬ出産やDV被害の女性用の緊急避難場所にしようと思ってるの。貴族から逃げる私の、せめてもの矜持ね。
ああ、それにしても、この解放感!
やっと息ができる!
私の家出に気づくのは夕食の頃かしら?
「呼ぶまで放っておいて」と伝えて部屋にこもったから、2~3日気づかないこともありうるわ。
あの屋敷の空気に徹してたからね!
自分の存在感が希薄すぎて、呼吸すら止まりそうなくらいだったもの。
私が高等魔法の転移ができるなんて誰も知らないし、気づいた頃には痕跡も消えてるわね。
「ねえ!今日は美味しいものいっぱい買ってくるから一緒に食べましょう!」
今日はしがらみ解放記念日だわ。
実際、夫人の不在に気づいたのは翌日の夜だった。
「おい。入るぞ。」
ここ数日顔を合わせていない妻に、連絡事項があったのだ。
部屋に入った夫が見つけたものは、離縁届と「跡形もなく消えましたので探す必要はございません。実家も既に従兄が跡を継ぎほぼ縁が切れているので連絡は不要です。死亡届でも離縁届でも都合のよい方を提出してください。お世話になりました。」と書いてある手紙だけだった。
部屋の宝石やドレス等を持ち出した形跡もなく、馬車や馬などで外出した様子もなかった。
言葉通り「蒸発」してしまったようだった。
カタン
どのくらい茫然と佇んでいたのか、物音に振り返ると娘が不安そうに立っていた。
「お父様…お母様はどちらに…?」
「…消えた。」
「え?」
「亡くなったことにするのと、離縁したことにするののどちらがいいのか…。ああ、どちらにしても、しばらくは病気療養ということにしよう。」
茫然としながらも事務的に後始末をつけていく。
―――
妻が消えた。
いつ家を出たのかも、どうしてなのかも分かる者はいない。
専任の侍女もおらず、誰からも気遣われてなかったのだ。
夫婦の会話も必要な情報の交換や連絡事項の伝達以外は全くなかったので、妻が何を思っていたかなど分かりようもなかった。
ただ、自分が関心を示さなかったから、使用人達も女主人を軽んじたのであろうことは察せられた。
関心ももたなかったし、大事にもしなかった。
贈り物どころか、労いの言葉をかけたことすらなかった。
それでもそこに居て当たり前であった存在が忽然と消えたことで、「捨てられた」とショックを受ける自分に驚いた。
―――
お母様が消えた。馬鹿みたい。
私がいらないって言ったから消えたの?
当てつけがましくて腹が立つわ。
いつもいつまでも、私を小さい子供のように構ってきて、貴族らしくなくて嫌だった。
存在感が薄く、使用人達にも軽んじられてる母が恥ずかしかった。
お母様はいつ消えたの?どうして誰も気づかなかったの?
どうしていつでも何を言っても、そこにいると思っていたの?
馬鹿みたい。馬鹿みたい。
―――
家出から半年。私もとうとう30歳。
結婚から出産、子育てまで終えているので、気分はご隠居だけれど、まだまだ働き盛りでバリバリ魔道具開発しちゃうわよ!
孤独な結婚生活の息抜きのはずだった魔道具作りに、すっかりはまってしまったのよね。
昔むかーしの知識を使って新しい物を作り出すのがまた楽しくて、お店まで出しちゃったもの。
家の者に気づかれないようにやるのもまたスリルがあって楽しかったわ。
エラとサラという素敵な協力者もいたしね。
なにより家出に最適な居場所と収入源になったもの。
そんな事を考えながら店番をしているとチリンチリンと来客を告げるベルが鳴った。
「いらっしゃいませー!どういったものをお探しですか?」
営業スマイルで振り向くと、半年前まで婚姻関係にあった男が立っていた。
内心、驚愕で2mくらい飛び上がったけれど、そこは元高位貴族。
表情には出さずになんとか平静を保った。
髪はよくある栗毛色だし、ひっつめてメガネかけてるし、そもそも顔も声もたいして覚えてないだろうし問題ないはず。
最近、貴族のお客様も増えたから、お化粧の雰囲気も変えてありますしね!
「人気のオルゴールがあると聞いたんだが。」
ほらね。全然気づかない。
「はい!こちらの蓋を開けると立体化した絵姿が音楽に合わせて回るものですね。」
営業スマイルで見本をいくつか見せる。
そういえば、この人に笑顔を向けるなんていつぶりかしら。
「ではそれをもらおう。」
「絵姿はいかがなさいますか?」
「これが妻の絵姿だ。これで頼む。」
まあ、きっと再婚相手ね。熱々ですこと。
そんな熱量をもてたのね、この人。
「拝見させていただきますね」
少し心にモヤモヤしたものがあるのを見ないふりをして、布で大事そうに包まれた絵姿を取り出した。
「!?これは…少々古いもの…ですね」
びっくりした。私の絵姿じゃない。
しかもあれだ。婚約前に実家が送ったのだ。
懐かしい!若い!
元夫は相変わらずの無表情で、
「これしかなくてな…」と呟いた。
今さら私の絵姿でオルゴール作ってどうするのかしら?
遺体替わりにお墓に埋めるのかしら?
20分ほど待つか、自宅にお届けにあがるか訪ねたところ、待つというのでエラにお茶出しを頼んで工房にひっこんだ。
絵姿からホログラムを作り、オルゴールに定着させる。
あら、いけない。オルゴールの曲を聞き忘れてしまったわ。
動揺しすぎよね。落ち着かなくちゃ。
ふー。故人を偲ぶ曲でいいかしら。
んー、でも自分を偲ぶオルゴール作るのも微妙な気分。
あの家での私らしく、静かで存在感のない曲にしておきましょう。あとで確認はとるけどね。
そしてとっととお帰り願いましょう。
曲はそれでいいとのことで代金を支払い、元夫は帰っていった。
尊大で他者への配慮が皆無だった人の背中が、少し小さくなった気がした。
―――
妻の足取りは驚くほど追えなかった。
それでも時間をかけて、なんとか見つけることができた。
最近人気の魔道具店だという。
無理矢理連れ帰るのか、説得するのか…
ひとまず様子を見に行くことにした。
流行りだというオルゴールを妻の絵姿で作ろうとして、その絵姿がないことに愕然とした。
本当に自分は妻になんの敬意も配慮もしなかったんだと感心するくらいだ。なんとか探しだしたのが、婚約前に送られてきた10代の頃のものだった。
対応した女性が妻だとは思うものの確証がもてず話を切り出せなかった。
こんな夫じゃ、消えて当然だなと自嘲した。
―――
誕生日の朝、自室の机の上が少し光った気がした。
去年の誕生日にお母様からもらった宝石箱が光ったの?
恐る恐る蓋を開けてみると、いれた覚えのない手紙が入っていた。
『14歳の愛する娘へ
お誕生日おめでとう!
ふふ、驚いた?この宝石箱は魔道具なの。
毎年あなたのお誕生日に手紙が届くわ。
未来のあなたを想像して書いているから、的はずれだったらごめんなさいね。
もう背はぬかされたかしらね?
今年はデビュタントの衣装を作らなくてはね。
素敵なレディのあなたは、私の自慢の娘よ。
どこにいてもあなたを見守っているわ。
愛してる。
お母様より』
手紙は毎年の誕生日と、それ以外でもたまに届いた。
学園生活で悩んでいる時や、婚約者とケンカした時、結婚に不安を感じている時など。
そして娘は気づいた。
この手紙がリアルタイムで書かれてるであろうことに。
宝石箱を開けて語りかけた。
これは最初の手紙が宝石箱に届いてからすっかり癖になってしまったことだった。
「ひどいこと言ってごめんなさい。私のお母様は、お母様だけです。大好きよ。」
宝石箱が光ってメッセージカードが届いた。
『お母様も貴女が大好きよー!』
「もう!やっぱり聞いてるんじゃない!そういうところよ!」
でも、このくらいの距離がちょうどいいのかもしれないわ。
―――
オルゴールを購入してから月に数回ほど、ふらりとあの魔道具屋を訪れるようになった。
魔道具を買いお茶を飲み、彼女と少し会話を楽しんで帰るのだ。
難しい年頃の娘のことや、庭の薔薇が咲いたことなど、取り留めのないことをポツポツと話す。
彼女はそっけなくはあるものの、きちんと聞いて相づちを打ったりアドバイスをくれたりするのだ。
こんな穏やかな関係があるなんて知らなかった。
この先、10年、20年と通い続けよう。
そして彼女の誕生日にはプレゼントと花を贈るのだ。
自室のオルゴールを開けて語りかける。
「いつか戻ってきておくれ…」
物に語りかける系の父と娘。
娘の宝石箱はお母様に繋がってるけど、夫のオルゴールは繋がってないの…