第1章〜死後のデスマーチ〜
目を覚ますとそこには扉があった。清潔感はあるもののどこか綻びを隠しきれていない、死後の世界と呼ぶにはあまりにも親近感が有り余る光景だ。
見渡せば、ここはどうやら一本の廊下らしい。薄暗い道中には誰の気配もない部屋のドアが並んでおり、突き当たりには喧騒が漏れ出すドアがある。きっとそこに行けば何かが分かるだろう。
そう思い部屋に向かうや否や、いきなり視線の先にあるドアが勢いよく開かれた。そして中からスーツ姿の女性がズカズカと歩み寄ってくる。
「あなた新入り!? 早速手伝って!」
「へっ!? 何のこと……うわっ!」
何も分からぬまま腕を掴まれ、有無を言わせず光の漏れる部屋へと連行される。
喧騒の中に連れられると、そこにはただのオフィスがあった。スーツ姿の者が男も女も問わずパソコンを前に格闘し、電話に応対し、書類とにらめっこする、忙しさ溢れるオフィスだ。
「よし、あんた名前は?」
「へっ? 与野翔馬です」
「よし、よのっしーな。私は神崎彩香。
とりあえずこれコピーして、5部」
「は、はい!?」
不意に10枚程度の両面刷りの書類を手渡され「これ使って」と壁際に鎮座するコピー機を指される。言動から察するに、書類をコピーしろということらしい。
現状の確認を含め色々を尋ねようとするも、指示した本人はすぐにパソコンに向き直り表計算ソフトを弄っている。流されるままコピー機に書類を投入した。
シャカシャカとコピー機が紙を吐き出す間も、オフィスは忙しなく動いていた。ふと端を見やれば、そこにはカウンターがあり、スーツ姿の男女が数人窓口応対と思しき業務を行っている。その後ろには無数のスーツ姿が各々の仕事をこなしている。
と、不意にコピー機が異音を発した。最初はガタガタと不規則な揺れを始めるも、すぐに動きは止まりピーと耳を刺すような警告音を響かせた。
「あー!? よのっしー何してんの!?」
慌てて先程のOLが駆け寄る。
「し、知らないですよ!」
「どいて!」と跳ね除けられる。モニターを見るとそこには『エラー:紙詰まり』と記載されていた。
「あー、また詰まった! もっとゆっくり丁寧に扱ってよね!」
と言うと、彼女はトレーを「ゆっくり丁寧」の「ゆ」の字も無いほど乱雑に開閉し、トドメとばかりに強烈な張り手をコピー機に食らわせた。
「ちょっと、そんなに乱暴にしたら壊れますよ!?」
「いいの、叩けば直る!」
言葉通りに、コピー機は再び印刷を始めた。鼻息一つ鳴らし彼女はデスクに戻ろうとするが、今度は吐き出される紙に目を付ける。
「ちょっとよのっしー!? これ片面印刷になってる!」
「えっ!? あ、す、すいません!」
「もう現世でどんな教育受けてきたのよ!」
「大学では経済学部で……」
「学歴は聞いてない!」
怒り心頭の彼女は大きな溜息をこぼす。
「もういい、印刷はこっちでやっとくからこれでエナドリ買ってきて」
ポケットから紙幣を差し出される。
「どこで買ってくれば……?」
「廊下の奥に自販機があるから! 早く!」
俺は逃げるようにオフィスを抜け出した。
何かがおかしい。異世界転生の気配が微塵も感じられない。それどころか社畜一年目に成り下がっている予感さえする。
自販機で適当なエナジードリンクを買って息をこぼした。
五体は満足、羽や角などのオプションもない至って普通な健常体だ。そして今いる世界は現世と比較しても何もおかしいところが感じられない。ファンタジーらしさが微塵もない。
これは異世界転生に何かしらの不具合が生じたとしか考えられない。
とはいえ、何かこの世界を知る手掛かりを探ろうにも身の回りにはおよそ話を聞けそうな時間のある者が一人もいない。誰もが口を開けば怒号が嘆きを発しそうな働く屍たちだ。まともな情報が得られるとも思えない。
逃げるには情報が欠けすぎて不安がよぎる。こうなれば手段は終業まで働くしかないらしい。そもそもこの労働に終わりがあるかも怪しいが、終わらない労働はないはずだ。
再びオフィスへ身を投じようとドアに手を掛ける、その手前、ふとドアの上に掲げられた看板が目に入った。
【天国・異世界転生課】の文字が。
「ちょっと!? 異世界転生課って何ですかここ!?」
オフィスに飛び込んだ俺は一目散に唯一の顔見知りの神崎に尋ねた。
「てかここ天国なんですか!? どういうことだこれ!?」
「うるさいわね! てかそんなことも知らずに来たの!?」
「いや、連れてきたのあんたでしょ!?」
「確かに廊下からここまで引っ張ってきたのはあたしよ。でもあんた今日からの新人とかじゃないの!? もしかして死にたてホヤホヤなの!?」
「死んだらいきなり廊下に立っててそしたらこの部屋に連れてこられたよ!」
必死の証言に彼女は眉間に皺を寄せて長考を始めた。
「え、もしかしてゆきぴょん本当に適当な人連れてきた? それも死んだばかりの人間?」
不穏な空気がデスクを包む。
「マジでそんなことする?」
「いや知らないですけど」
不意に立ち上がった彼女はウロウロとデスクの周りを徘徊し始める。
「さっきさ、あまりにも仕事に耐えきれなくて「誰か連れてきて!」って叫んでたらうちの二年目の子が「適当な人でいいですよね!?」とかいうからさ、こんな時に冗談言うなよって思ってたんだけどマジで連れてきた?」
思考が混雑してきたらしい神崎は噂のゆきぴょんとやらのデスクへと向かった。それを遠巻きに眺めていると、やがて二人が揃ってやって来る。
「ゆきぴょん、こいつに見覚えある?」
ゆきぴょんはマジマジと俺の顔を見つめ、
「さっき三途の川流れてたの掴んだ気がします」
「え、マジで? 冗談だと思ってた」
「私は本気で人手を確保してほしいんだと思ってました」
大きな溜息が吐き出される。
「最近の若い子はマジで何するかわからんわ……」
やがてゆきぴょんは「とりあえずこっちで解決するから仕事戻ってて」と言われ帰された。重たい空気のデスクに二人が頭を抱えている。
「ごめん、本当にごめん。うちの二年目がごめんなさい。勘違いしてたわ」
つまるところ、俺は異世界転生課の二年目の女子に引っ張られ、正しい手続きを踏まないまま天国に入ったらしい。そこを神崎が勘違いして俺は今まで働かされたようだ。
「いや、誤解が解けたらいいんだけど。それより今から異世界転生って……」
最後まで言葉を作ることなく、俺の台詞は不意の音に中断された。それは隣のデスクだった。
「ごぶふぁ!」
言語から逸脱した音を発し、不意に男が血を吐きながら倒れたのだ。
「田中くん!? 大丈夫!?」「おいどうした田中!」
神崎を始め周囲のデスクから心配そうに仲間が駆け寄る。しかし田中の口からはとくとくと血が流れて止まらない。
「ごめんなさい、ここ数日一睡もしてなくてヤバいです……。まだ仕事あるのに……」
「死なないで田中くん! いや既に死んでるけどさ」
現世にいれば間違いなく過労死認定される病状だった。田中の身体はぐったりとし、遂に目も開かなくなった。
「やばい、これ以上欠員出たら仕事が回らなくなる」
焦燥混じりにボヤいた神崎は首でこちらに向き直る。
「二年目のやつが連れてきて悪いんだけど、うちのオフィスご覧の有様だからマジで手伝ってくれない? とりあえず医務に田中くん運ぶところから」
死屍累々とした惨状を見せつけられ、NOと首を横に降る選択肢は口が裂けても選べなかった。
「なぁ、なんでこんなに異世界転生課は忙しいんだ? てか何するところなの?」
すっかり目を閉じて冷たくなった田中の上半身を持ち上げながら俺は神崎に尋ねた。過酷なデスマーチを余儀なくされる以上はこの世界や仕事について知る権利があるだろう。
田中の下半身を支える彼女もそれを説明する義務があると認めたのだろう。「ええと」から始まり説明を続けた。
「まずここは天国の異世界転生課。それは知ってるわよね?」
「ああ、入口の掛け看板で見た」
「で、その異世界転生課なんだけど、ここは不慮の事故や不幸な殺人によって死ぬことになった人達に異世界転生サービスを提供するところなの」
異世界転生。それは正しく俺が待ち望んでいた単語だった。
「異世界転生をするには死んだ後48時間以内に異世界転生課で諸々の手続きを受けないとダメなの。で、手続きを受けると晴れて異世界に行くことができる、と」
俺も本来はカウンターを隔てた向こう側で役所手続きを受け、異世界へと旅立てたはずだ。それが不意のヘルプ要請に駆り出され今は労働者に転生。これこそが最も不幸な事故だろう。
「俺も異世界転生受けたかったのに……。アニメで見てから夢だったんだよ」
「そう、それよ!」
不意に神崎が語気を強めて叫んだ。そのせいで田中が不安定になるのを立て直す。
「最近は現世で異世界転生もののアニメやらラノベやらが人気じゃない? そのせいで異世界にチート能力携えて転生して無双したいとか美少女とキャッキャウフフしたいって要望が特にオタクから増えてるのよ!」
それはよく察せられた。かくいう俺もその一人だからだ。
「実際はチート能力とかそんなの持たせられないに決まってるじゃん! 手続きが面倒になるし費用はかさむし、まず普通は無理なのよ! でもそれを知らない馬鹿が次々と問い合わせに来るからもう異世界転生課はパンク寸前!」
異世界転生の現状を知らなかった俺には返す言葉がない。ただ「――ごめんなさい」と神崎に聞こえない程度に謝るのが精一杯だ。
神崎の愚痴にも似た解説を聞きながら田中を運んでいるとようやく医務室に着いた。彼をベッドに寝かせながらも話は続く。
「ということで異世界転生課は身体壊したり心壊したりする奴が続出して人手が足りないのよ。しばらくしたら輪廻転生課からも応援が来るはずなんだけど、それも待たずして死にかけなんであんたに助けてほしいってわけ」
「なるほど、現状は理解できた。
その上で働くにあたって一つだけ条件がある」
「な、何よ急に。無茶はさせないでよ」
俺は人差し指を立てて示した。
「俺からの要望はこの一つだけだ。異世界転生課が落ち着いたらチート能力を携えて異世界に転生させること。それだけだ」
もしこの要望が通れば俺は遠回りをしても確実に念願の異世界転生が約束される。そのためなら多少の労働は惜しくない。
神崎は苦虫を噛み潰したような表情で言葉を返すのに苦しんでいる。
「とは言われても私みたいな平に約束できるか……」
「ではここで辞めさせてもらい……」
「分かった分かった! なんとかする、なんとかするから! だから本当に助けて!」
慌てて引き留められる。しかし言質は得られた。
俺はここで異世界転生への鍵を手に入れたのだ。まだ道は続いている。