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「ちょうど今シチューを作ってたところなの。こっちに降りてきて」

「はい」


 木でできたレトロな階段を降りて、キッチンへ行く。

 そこにいたのはやはり先日の魔女だった。

 はっきりした目鼻立ち、やや厚ぼったいセクシーな唇。高身長にピッタリな紫色のロングマント。黒いエプロンも似合っている。


 僕が会いたくてたまらなかった女性が、目の前でエプロン姿で料理をしている。幸せな光景だ。

 僕はほんとうに死んで、天国に来たのかもしれない。


 ほっぺたをつねってみたら、わずかな感触があった。ゲーム世界特有のダメージ軽減システムが働いたのか。夢ではなさそうだ。


「できたわ。そっちのテーブルに持っていくから、座ってて」

「僕も手伝います」


 魔女はフフッと笑うと、杖を握った。


物体トレオ浮遊フェルラ移動スイフト


 魔女が唱えると、シチューをよそった皿が宙へ浮かび、テーブルに移動した。

 コトン、コトン、カチャ……。小気味のいい音をたてながら、料理が準備されていく。

 不思議な空間だ。魔法の世界に来たみたいだ。


「手抜き魔法は得意よ。ほら、座って」


 魔女に促されて僕は席に着く。

 具だくさんのクリームシチューだった。真っ白な霧のような湯気が立っている。具材は見たことのない山菜のような葉と、白い木の実、微かに獣臭のする赤身肉だった。

 魔女もエプロンを外して対面に座る。


「いただきます」

「……いただきます」


 魔女が一口食べるのを見てから、僕も木のスプーンを手に取った。

 獣肉ごとシチューを掬い、息を吹きかける。

 口に入れると、荒々しい肉の味と温かいシチューのとろみが、全身を火照らせた。


「美味しい」


 思わず声が出るほどに、美味い。近代的なシチューとは違う、素材そのものの温かみを感じる。

 濃厚なミルク、新鮮な肉、無加工の木の実、それらのざっくばらんな風味が食欲を刺激する。

 スプーンを動かす手が止まらない。


 こんなに温かい食事を取るのはどれくらいぶりだろう。

 誰かと一緒に飯を食うのは何日ぶりだろう。

 温かい熱が、喉を通って、腹に下りて、全身に広がり、指先にまで届く。

 生まれて初めて、食べることで生きていることを実感した。


「フフッ、喜んでくれてよかったわ」

「本当に美味しいです。ありがとうございます」

「そんな他人行儀な口調じゃなくていいわ、母子なんだから」


 魔女がそうして欲しいと願っていることが、口調からも、シチューの味からも伝わってきた。

 適度に緊張がほぐれていた僕は、勇気を出して言う。


「ホントに美味しいよ。ありがとう」

「どういたしまして」


 魔女は嬉しそうにほほ笑むと、パンを手に取った。

 たっぷりのバターが入った瓶にナイフを入れ、パンに塗る。

 ハフッと可愛らしい声を上げて、それを頬張る。


 魔女と卓を挟んで食事しているのは、冷静に考えてみると、不思議な光景だ。

 魔女は赤の他人で、変わった服を着ていて、僕と会うのは二回目。

 それなのに、これが当たり前の光景のように、しっくりくる。


 彼女は何者なのだろう。このゲームの母子とはどのような関係なのだろう。よく考えると、聞きたいことがたくさんあった。


「あの、僕は野宿していたはずなのに、なぜこの家にいるんですか?」

「敬語は禁止!」


 魔女に言われて、僕は照れながら「うん」と返事をする。

 魔女は「よろしい」と満足げに頷いた。


「雑黒君こそ、なんであんなところでログアウトしたの? いくら平和な村だといっても、あんなところで寝てたら他のプレイヤーに襲われてもおかしくないでしょう」

「それは……友達と喧嘩して、動揺して……そんな余裕もなかったというか……」

「そうなの?」


 あのときはそもそも、このゲームに再度ログインできるとも思っていなかった。だから、僕のアバターが死んでも仕方ないと思っていた。


「私はあの後一仕事あったんだけど、終わってから君のことを確認したの。そしたら野原で寝てたからびっくりして、この家に連れてきたのよ」

「ごめんなさい、ご迷惑おかけしました」


 頭を下げると、魔女は「固いっ」と僕の謝罪を一蹴した。

 どうやら距離感の近い人らしい。


「それで、お友達とは仲直りしたの?」

「いや……」


 少し迷ったが、僕は正直に言う。


「殺されそうになったよ」


 この人の前で嘘はつきたくない。

 それに、現実世界で、僕はもうすぐ死ぬかもしれないんだ。死ぬ前に偽物の時間を送るのは嫌だ。


「どういうこと?」


 魔女は食べるのをやめて、落ち着いた口調で言った。

 どう答えるか迷っている間も、急かさずに待っていてくれる。本当の母親のような包容力を感じる。


「実は……あのときの豚アバターの奴とは、友達なんかじゃないんだ。あいつは金持ちの息子で、権力があって、街の不良を従えていて……」


 口をついて話し始めると、止まらなくなった。

 魔女は僕の話を静かに聞いてくれている。

 そういえば、怪への不満を誰かに話したのは初めてだったかもしれない。


 僕は愚痴を言えるほど素直な性格じゃなかった。これまで誰にも相談しなかったし、SOSを投げることもしなかった。それは弱い者である僕が守ってきたわずかなプライドだった。


 けど、圧倒的強者である魔女の前では、そんなプライドは必要ない気がした。

 僕はまるで他人事のように状況を説明した。


 学校での出来事、怪のゲーム企画のこと、僕がレアアイテムを引いたこと、僕が怪に歯向かったこと、怪の兵隊に金属バットで頭を殴られたこと、華藻芽姉さんに頼み込んでリアーチャルを買い、この世界に戻ってきたこと。

 すべてを話し終えると、魔女はすべてを受け止めたように真っすぐ僕を見ると、静かに言った。


「一つ、私も話さないといけないことがあるわ。本当はもっと先に伝えるつもりだったんだけど……この世界の重大な秘密」

「世界の秘密……?」


 子作りのシステムの話だろうか。なぜこのタイミングで……?

 そう思ったが、違った。


「この世界は、厳密にはゲーム世界じゃないの。パラレルワールドのようなものよ」

「パラレルワールド……? 何を言い出すの……突然……」


 意味が分からない。パラレルワールドとは、別世界のことだろう。

 たしかにこの世界はゲームとは思えないほどリアルで、細かな草木の繊維まで完璧に再現されている。本物の世界と見分けがつかない。

 けど、僕が本などで読んだパラレルワールドとは異なる。


「パラレルワールドって、並行世界のことだよね? 現実世界と同じ人間が"レルガルドーオンライン"にいるの?」

「いるじゃない。雑黒君は現実世界にも、ゲーム世界にもいるでしょ?」

「まぁ……確かにそうだけど……」


 確かに、僕は両方の世界を行き来しているので、どちらの世界にも存在すると言えるかもしれない。

 けれど、同時に存在しているわけではない。ゲームからログアウトしている間、僕は現実世界にいる。これをパラレルワールドと呼ぶなら、全てのゲームがパラレルワールドだ。


 いや……でも……。

 そこまで考えて、僕はある考えに思い至った。


「そういえば、このゲームはログアウトしている間も、アバターが消失しないんだっけ……」

「へー、賢いのね。いいところに気づいたわ」


 アバターが消失しないということは、一応、僕は現実世界とレルガルドーオンラインで同時に存在していることになる。これは普通のゲームとはやや異なる。


「この世界は人が作り出した世界なのか、それとも元々存在していた並行世界なのか、はっきりしたことはわからないわ。……でも、この世界は現実世界と同等の価値があるの。命は一つだけよ。死んだらやり直しはできないの」


 つまり、ゲームをゲームと思わず、真剣に取り組めという話だろうか。

 そんな僕の考えを見透かしたかのように魔女がニヤリと笑う。


「ちなみにこれは例え話でも、ゲームの教訓の話でもないわよ」


 魔女は立ち上がり、杖を手に取った。

 棚に向けて呪文を唱える。

 その呪文は通常の呪文とは異なり、聞いたことのない言語だった。


 まるで、テレビで話した放送禁止用語にピーッと音が被さるような……あるいは、匿名の人の声が低音に加工されているような……不思議な音だ。

 耳を澄ませると頭が痛くなってきそうだったので、僕は聞くのを止めた。


「ああ、ごめんね。気味悪かったかしら? これは暗号呪文というものよ。真似されたくない秘伝の呪文や、鍵の役割をする呪文に使用するの。その分、詠唱に時間がかかるんだけどね」

「便利そうだね」


 この世界の魔法の多くは詠唱がトリガーとなっているようなので、それを聞き取れないようにできるのは面白そうだ。現代世界の指紋認証やパスワードよりも高度なロックをかけられるかもしれない。


 そんなことを考えている間に棚のロックが解除されたようだ。どうやったのかよく見えなかったが、普通の開き方とは少し違う方向へ棚が開いた。不思議なギミックだ。

 魔女が取り出したのは、瓶に入った水色の液体だった。


「この世界には三種類のプレイヤーがいるの」 

「突然、なんの話?」

「さっきの話の続きよ」


 魔女は瓶を大切そうにテーブルに置くと、再び席に座る。


「一種類目は、この世界に元々存在していたプレイヤー。通常のゲームではNPCと呼ばれる存在ね。彼らはプログラムなのか、本物の生物なのかわからないわ。でもね、私を含め、トッププレイヤ―の多くは、彼らを本物の生物だと思ってるの。プログラムではない、命ある存在」

「…………」


 なんだか不気味な話になってきた。

 紫色の服を着た魔女のいでたちが、急に奇妙に思えてくる。


 ゲームのキャラクターが本物の生物なのかどうか。そんなことは考えたこともなかった。

 けれど、もしもゲームキャラが人間と全く同じように動き、考え、反応するとしたら……その中身がプログラムなのかどうか、僕らに知るすべはない。


「二種類目は、普通のプレイヤー。今の雑黒君を含め、大半のプレイヤーはここに該当するわね。この世界で生きているけど、本体は現実世界で生きているの。だから現実世界にいる間、ゲームの世界では寝てしまうわ。そして、ゲームの世界で死んでも、現実世界では生き続けられるの」

「当然でしょう」


 ゲームの世界で死んだとき、現実世界でも死ぬのだとしたら、そんな危険なゲームは誰もプレイしたがらないだろう。


「そして三種類目」


 三種類目……?

 これ以上、プレイヤーの種類があるだろうか。


 通常のプレイヤーとNPC、この二つだけですべてのゲームは構成されているはずだ。

 魔女は瓶を手に取り、そこへ挑発的なキスをした。


「現実世界からゲーム世界に、命を移したプレイヤー。通称―転移者(トランスポーター)。彼らは現実世界に戻ることもできるけど、この世界で生きているの。レルガルドーオンラインで寝ているときに大きな物音がしたり、体を揺らされたりしたら、ちゃんと目覚めることができるわ。そして、現実世界で死んでも、この世界で生き続けることができるの」

「は……」


 あまりにも奇妙な話に、理解が追い付かない。

 現実世界で死んでも、ゲーム世界で生き続ける……?


「つまり、魂があるとしたら、現実世界からゲームの世界へ、魂を移せるってこと……?」

「そうね。だから私はこの世界を"現実と同等の価値がある"と言ったの。私は既にレルガルド―オンラインで生きているわ。だから、例え現実世界で死んでも、この世界では生き続けられるの。逆に……この世界で死んだら、現実世界の私も死ぬわ」

「…………」


 常識的に考えれば、魔女の発言は非現実的だ。命をゲーム世界に移すなんてできるはずがない。

 でも、魔女は本気で言ってるように見えるし、僕は魔女を信じたい気持ちもある。証拠があるのなら、すぐに信じるつもりだ。


「その瓶の中身が、現実世界からゲーム世界に魂を移す薬ってこと?」


 僕が尋ねると、魔女は目を輝かせた。


「鋭いね、君は。その通りよ。この魔法薬は人の命を、現実世界からレルガルド―オンラインへ移すことができるの。これを雑黒君に飲ませてあげるわ」

「僕に拒否権はないの?」

「ないわね」


 魔女は即答した。

 なぜだ……? 何を企んでいるんだ……?


 この薬が偽物だった場合、僕に薬を飲ませた上で、僕を殺して魔法の材料にするとか……眠らせて奴隷として売るとか、いくつか選択肢が考えられる。

 この薬が本物だった場合、魔女が僕に薬を飲ませるメリットはない。


「だって、雑黒君は現実世界で死にそうなんでしょ?」

「あ……」


 なるほど……それがメリットか。

 魔女の話が本当なら、僕が今ここで薬を飲めば、万が一現実世界で死んだとしても、レルガルドーオンラインで生き続けることができる。


 現実世界の僕は、頭を金属バットで殴られ、流血し、病院にもいかず部屋に横たわっている。いつ死んでもおかしくない状態だ。実際、僕は死ぬ覚悟をしてこの世界に来た。

 どちらにしても死ぬ運命なら、この薬をイチかバチかで飲むべきだろう。


「正直、まだ半信半疑だけど……もし今の話が本当なら、その薬はレアリティの高いものじゃないの? 僕にくれていいの?」

「当然でしょ! 何言ってるのよ!」


 魔女は初めて怒りの表情を見せた。

 予想外の反応に、僕は気おされる。


「雑黒君、キミは私の息子なの。死なせるわけないでしょう。嫌がっても、お尻から注射して飲ませるからね」

「……」


 魔女が本気で言っているのが、自然と伝わってきた。これは嘘ではないだろう。

 言葉から、表情から、温かみを感じる。


「ありがとう」


 僕は魔女から瓶を受け取った。

 蓋を開き、口を付ける。


 トロリとした冷たい液体。

 体の中に入ると、頭が熱くなった。

 ぼんやりと、熱が出たような状態になる。


「効き目が出るまで時間がかかるわ。それまではベッドで寝てて。いま運んであげるから」


 魔女が何かの呪文を唱えた。

 僕の体は宙に浮かび、フワフワと二階のベッドへ移動する。


「それともう一つ、次に目が覚めたら、私のことはちゃんとお母さんかママと呼びなさい。他人行儀な呼び方はダメよ?」


 そんな魔女の声を聴きながら、僕は目を閉じた。

 体はリラックスして眠っているようで、心臓はドクドクと物凄い勢いで鼓動している。

 不思議な高揚感に満たされながら、僕は眠りについた。


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