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三メートルほどの巨大な氷に閉じ込められた高野は、ヘラヘラした笑顔で固まっている。
氷結系の魔法か……。
魔法を発するまでのスピードが怪とは比べ物にならない。コンマ一秒程度。まるで格ゲーの世界だ。ボタン操作のゲームならまだしも、リアル速度のゲームであの攻撃は反則だろう。あんなの回避できるのか……?
僕は密かに手首をタップし、ウィンドウを表示した。
マップを開くと、三つの▽アイコンと一つの△アイコンが表示されている。△が自分、▽が生きている他プレイヤーだとすれば、高野は既に死んでいる。
氷漬けはバッドステータスのようにも見えるが、攻撃の残存オブジェクトということか。
先ほどの魔女の攻撃速度と、高野が今日ログインしたばかりの初心者であることを考えれば、一撃即死でも不思議はない。
「最悪最悪って、うるさいのよ」
魔女が怪に向き直る。
怪は顔に恐怖をにじませ、手から武器を落とした。
さらにその場に膝をつき、自ら土下座した。
「ご、ごめんなさいッ……! 許して下さいッ……! オレはまだこれからなんだ! これから世界を支配する男なんだ……! たった一か月で最強のアイテムを手に入れた! オレには才能がある! オレをここで死なせたら、あんたは神に恨まれるぞッッッ!」
「ぷっ」
怪の命乞いに、魔女が吹き出した。
無理もない。これほど自己評価の高い豚は他にいないだろう。僕はもう慣れてるから何とも思わないけど、初見だったら笑うと思う。
「ん、じゃー面白いから子豚ちゃんは許してあげる。そもそも、私の目的は君じゃないしね」
「ありがとうございますッ!」
魔女は怪に背を向け、僕の方へ振り向いた。
まさか、目的は僕なのか……? なぜ……?
魔女が僕を殺そうとしているなら、僕の生存率はゼロパーセントだ。先ほどの攻撃を見れば実力差は明らか。仮に僕と怪と宮陀が三人で戦ったとしても、瞬殺されるだろう。
今この場において、魔女は絶対的な戦闘力を誇るプレイヤーだ。高野が殺されたように残り三人も、魔女の機嫌一つで殺される可能性がある。
倫理観のないゲーム世界で、圧倒的な力を持ったプレイヤーは、神にも等しい。
その魔女が僕に杖を向けた。
「君、さっき子豚ちゃんに負けてたでしょう?」
「ま……負けたけど……。それが何か……?」
「帰ったらお尻ペンペンの刑ね」
「は……?」
意味が分からず、間抜けな反応をしてしまう。
僕が怪との喧嘩に負けたとしても、魔女には関係ないだろう。そもそも僕は今日ログインしたばかりの初心者なんだから、経験者に負けるのは自然なことだ。なぜ魔女に罰を与えられなきゃいけないんだ。
「というのは冗談としても、君はもっと強いはずよ。私の息子なんだから」
「………………へ?」
先ほどより間抜けな反応をしてしまう。
僕の母親はこんな口調じゃないし、ゲームもしない人だ。今はパートの仕事をしている。そもそも僕の家にこのゲームはない。
となると……ゲーム世界で親子関係を築くシステムがあるのだろうか。
「あの……人違いじゃないですか? 僕があなたに遭ったのは今日が初めてですよ」
「そうね。初めまして。でも人違いじゃないわ。ちゃんと”視た”もの。君は私の息子よ。この世界では、私がお母さんで、君は息子なの」
「ちょっと待って……急にそんなことを言われても……」
このゲームでは、アバターを産むことができるのか……? 結婚のシステムが存在するのは知っているけど、子作りまで実装しているのか……? だとしたら生々しい。
いや、待てよ……。
「まさか、NPC……?」
ノンプレイヤーキャラクター。通称NPCは、あらかじめゲームのシステムで用意されたキャラクターのことだ。魔女がNPCだとしたら、この会話はゲーム内のイベントということになる。
「ふふっ……似たようなものかもしれないわね。だからこそ本物のプレイヤーなのだけど」
魔女は微笑んだまま、曖昧な答えを返した。
どういうことだ……? NPCなのか……?
いや、どちらにしても……ゲーム内で僕はこの魔女の息子という設定なのか……。
ということは……。
「僕は……あなたの血を継いでるんですか? ひょっとして、この世界では、僕はあなたみたいに強くなれるんですか……?」
「当たり前でしょう。そうじゃなくちゃ困るわ」
魔女は平然と答えた。
それが世界の常識とでもいうように、僕を肯定した。
鼓動が高鳴ったのがわかる。
顔が熱い。
ドクドクと血液が全身を巡っている。
僕が……この魔女の息子。
高野を瞬殺するプレイヤー。怪が土下座して命乞いするほどのプレイヤー。それが、僕の母親。
そして僕は本来なら、特殊なアイテムまで手に入れようとしていた。
この世界では、僕は生まれながらにして”何者か”だった。
僕は将来強くなると、この魔女が認めてくれた。
「っ……」
言葉が出なかった。
胸の中が猛烈に熱い。
僕は生まれて初めて、特別な存在になれた気がした。
「何よその反応は? もっと喜びなさい。私の息子よ?」
魔女は僕の頭をくしゃくしゃと撫でた。
黙っていた僕の反応をイマイチと受け取ったらしい。
でも、僕はこれ以上ないほど喜んでいる。言葉にしたら声が震えてしまいそうだ。
「なんでザコがっ……何かの間違えだろ」
僕の感動に水を差してきたのは怪だった。
顔を真っ赤にして、僕と魔女を睨みつけている。
「ザコの雑黒だぞ!? トッププレイヤーの血を引くわけがないだろ! そんなヤツがいるとしたらオレだ! きっと何かの間違いだ。お前の息子はオレだろう!」
自分が選ばれし者だと信じて疑わない。怪はそれほど、これまでの人生を勝ち続けきたのだろう。
強プレイヤーが自分の見下していた奴を褒めているので、単純に気に食わないのかもしれない。
しかし、魔女は表情一つ変えなかった。
「何? オレオレ詐欺? 残念だけど、私の息子はこの子だけよ。そもそも子豚ちゃんは種族が違うでしょ?」
「っ……」
これ以上ないシンプルな証拠を突き付けられて、怪が黙った。
その理屈でいくと僕は魔法使いなのだろうか。
「俺も納得がいかないな。ザコがどうこうじゃなく、今日ログインしたばかりの人間が誰かの息子ってのは、どういう理屈だ? そんなシステムがあるのか」
静かに口を挟んだのは宮陀だった。紫色のトカゲアバターが冷静な疑問を口にする。
「君は友達のお母さんに子供の作り方を聞くの? それってセクハラじゃないかしら」
「このババァ……」
はぐらかすように言った魔女に、宮陀が悪態をついた。魔女はふふんと余裕の表情だ。ババア扱いされても気にした様子はない。どこからどう見ても美女だしな……。
これ以上問い詰めても無駄だと悟ったのか、宮陀は黙った。子作りは上級プレイヤーにしか知られていないシステムなのだろうか。
静かになった一同の中で、魔女が僕を見る。
「で、私の息子……雑黒君だっけ。今から私のところに来れる?」
「いや……今日は……」
怪にゲームに誘われた理由は、初期アイテムを怪に渡す為だ。ゲームを楽しむ為じゃない。
だから、僕はもう二度とこのゲームをプレイすることはない。
「そう。じゃあまた迎えに来るわ」
魔女は少し残念そうにしたが、踵を返して、杖をクルリと上下逆さまにした。
「いつでも好きな時にログインして。私はほとんどいつもこの世界にいるから」
言葉が出なかった。
初めて手に入れた特別な自分と、自分を特別にしてくれた人。
その両方と別れなければいけないことを思い出し、胸が締め付けられた。
何を黙ってるんだ、僕は……。
言わなきゃ……。
ありがとうでも、さようならでもいい。どんな陳腐な言葉でもいいから、伝えないと。
僕はもう二度とこの人に会うことはないのだと。
「じゃあ、またね」
魔女は杖の丸い部分を地面に付けた。
「空気転移」
あっという間に、瞬きする間もなく、魔女は消えた。




