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「あははははははははは! やったぞ! やった! オレがこのゲームの支配者だ! 戦略を駆使して最強のアイテムを手に入れたぞ! これがオレの力だ! やっぱりオレは世界を支配する男だ!」
怪はまるで自分の力で何かを成し遂げたかのようなテンションで騒いでいる。
いつものことだ。こいつは自分の力を過大評価している勘違い野郎なんだ。凡人が努力とすら呼ばないような姑息な手を、戦略だの何だのと表現し、自分の能力による手柄と誇張する。そんなバカでどうしようもないやつだ。
普段なら何とも思わなかった。
でも、そんな怪の態度が、僕は無性に腹立たしかった。
フェアな状態でプレイしていれば、あのアイテムを手に入れたのは僕だ。怪があれほど騒ぐのだから、最上級のアイテムなのだろう。それこそ、リアルでオークションに出して、何百万円の値がつくようなアイテム……あるいは、それ以上のものかもしれない。金で買える物なら怪はいくらでも手に入れられる。きっと金を積んでも手に入らないアイテムだ。
現実世界に置き換えるのなら、スポーツの才能や、ルックス、閃きといった、凡人がどれだけ欲しても手に入らない類の物なのだろう。
僕がどれほど欲しても、手に入らなかった物なのだろう。
この世界では、僕は神に選ばれていたはずだった。
生まれながらにして、”何者か”になることを約束されていたのかもしれない。
そんな可能性を……怪は自分のものにした。
僕のささやかな幸福を奪った。
せめてゲームの世界でくらい、僕が選ばれたっていいじゃないか。
「怪、いい加減にしろ」
気づけば僕は、怪の胸ぐらを掴んでいた。
恐竜のような手がミチミチと音を鳴らし、怪の首元に食い込む。
豚型アバターの怪は、驚くほど軽かった。
怪がブヒッと鼻を鳴らした。
「何してるんだ……ザコ」
「ザコじゃない。僕は雑黒だ! 二度と間違えるな」
「お前……ザコの癖に……何調子に乗ってんだよ…………」
怪が苦しそうに呻く。
ジタバタともがいているけど、僕の手から抜け出せないでいる。
「馬鹿力のアバター……モンスター系か……勘違いするなよザコ」
手に力を籠める。それでも、怪は僕を憎たらしい目で見下し、言葉を続ける。
「アイテム獲得はランダムだ。お前の手柄じゃない。ザコがたまたま引いただけだ。でもな、お前らを使ってアイテムを集める……この戦略を考えたのはオレだ」
怪の言葉はちぐはぐだった。余裕がないのが見て取れる。それでも、何かを主張しようとしている。
「そもそも、そのアバターがザコなんだよ。そいつはモンスターじゃないぞ。たぶん……人間とモンスターのハーフだろ。中途半端な力と中途半端な魔力……お前はそのアバターを引いた時点でザコ決定なんだよ。たまたまいいアイテム引いたからって、偉そうにするな」
このアバターに思い入れはない。このゲームにも思い入れはない。そもそも、僕はこのゲームのハードを持っていないのだから、もう二度とログインすることはないだろう。
僕が半獣だろうと、ザコだろうと、レアリティの高いアイテムをゲットしようと、なんの意味もない。
ただ……悔しかっただけだ。
現実世界ではぶつけられない悔しさを、ゲームの世界だから……少し強くなった気になって、怪にぶつけているだけだ。
「そのアイテムを怪が手に入れるのはいい。僕のアバターが弱くたっていい。でも、この世界に選ばれたのは僕だ。怪じゃない」
「ふざけるなッ! 貧乏人が!」
怪は手に持っていたハンマーを短く持ち替え、振りかぶった。
その手つきは素早い。現実世界で何の努力もしていないように見える怪だが、ことゲームにおいては別だ。プレイ時間が人並みなら、少なくとも中の上くらいの技術は得ていると考えるべきだろう。
避けないと。
そう悟ったときには既に、僕の肩口に黄金のハンマーが降り降ろされていた。
重い衝撃。僕は怪の手を放して、後方へ下がった。
「くっ…………そ」
「この世界の神になるのはオレ様だ。お前はそもそもゲームに挑戦する権利すら持たないザコなんだよ。調子に乗った罰として、ここで殺してやる」
怪はまだやる気だ。
反撃……攻撃手段……いや、回避が先か。
僕はまだレベル1の初心者で、怪は一か月以上プレイしている経験者。装備もレベルも差は歴然だ。自分から喧嘩を売ったのに、勝つ算段はない。
僕は一体何をしているのだろう。ボコボコにされて、アイテムを奪われるだけだとわかっているのに。大人しく従うことを拒んで、殺されて、ちっぽけなプライドを守るつもりなのだろうか。
「レベル1の割に固いな」
怪が呟いて、ハンマーを長く持ち直した。
そのまま突進してくる。
まともに食らったら即死かもしれない。それほどのレベル差があると考えるべきだろう。デスペナルティは……このゲームを二度とプレイできないんだったな。
せめて一矢報いたい。普段はこんなリアルなゲームをプレイする機会はないんだ。最初で最後の戦いで、怪に一撃くらいは食らわせたい。
「おらぁッ! おらッ! おらッ! おらぁッ!」
怪が連続攻撃を繰り出す。ブヒブヒと見苦しい姿だが、ハンマーの軌道は八の字を描いていて無駄がない。
最初の数発は躱したが、残りの三発が腕や足にヒットした。幸い致命傷にはなっていないようだが、HPがどれくらい減っているのかは見当もつかない。あと何発で死ぬのだろう。
「おらっしゃぁぁぁあッ!」
怪がしゃがみ込み、クルリと回転しながらハンマーを横なぎに振り回した。
僕の足にヒットし、両足が宙に舞う。
ズダンッ……。
柔道で投げられた人のように、綺麗に横転させられてしまった。立ち上がる間もなく、怪が突進してくる。
駄目だ……スキルもレベルもアイテムも、何もかも次元が違う。せめて戦闘経験があれば違ったかもしれないが、チュートリアル直後の初心者と経験者とでは、戦闘力に天と地ほどの差がある。
怪が僕を見下ろし、ハンマーを振りかぶった。
「洞窟堀りの手抜き工事ッッ!」
怪のハンマーが膨らみ、直径十メートルほどの巨大サイズになった。
材質は金属だったはずなのに、どういう原理で膨らんでいるんだ。めちゃくちゃじゃないか。
そんなことを考えても仕方がない。所詮はゲームだ。
あまりの理不尽な攻撃範囲に、避ける気力は失せた。
潰されるのを覚悟して、惰性で両手を胸の前でクロスさせる。
「死ねぇええええええ! ザコぉおおおおおおおおおおおおお!」
巨大なハンマーが降り降ろされる。
太陽光が遮られ、視界が暗くなる。
死ぬときは暗いものなのだろう。
僕は現実世界でも、こんな風に、強者に押しつぶされて死ぬのだろうか。
死んだらゲーム世界でも血が出るのだろうか。
そんなことを考えたら、怖くなって、僕は目をつぶった。
…………。
……………………。
何秒間経過しただろう。
いつまで経ってもハンマーが降り降ろされない。
もう死んだのだろうか。
おそるおそる目を開けた。
ハンマーは僕の鼻先で止まっていた。
よく見ると、水色のバリヤーのようなものが、怪のハンマーを受け止めている。
僕は何もしていない。第三者によるスキルか?
「な……なんだお前……誰だよ……。関係ないだろ……! 手を出すなッ……!」
怪が動揺した様子で、誰かに怒鳴っている。
乱入者か?
ハンマーに遮られて、姿は見えない。
「あらら、私のこと知らないの? 一応名の知れたプレイヤ―なんだけど。子豚ちゃんまだ初心者なのかしら? 装備は豪華なのに」
女性アバターのようだ。
艶やかな声……アバターの年齢は三十過ぎくらいか。
しゃべり方はあっけらかんとしている。まるで緊張感がない。怪のことを敵として認識していないのだろうか。あるいは、怪など足元にも及ばないような強いプレイヤーなのだろうか。
「魔女アバターのトッププレイヤーなんて……最悪の魔女くらいしかいないだろ。こんな経験値もイベントもない田舎町にいる無名の魔女が、偉そうにすんなッ!」
「ふふっ、魔女は植物じゃないんだから、いろんな街へ移動するのよ」
怪は女に向かってハンマーを振ったようだ。
視界が開けて、乱入者の姿が目に入る。
紫色の……魔女だ。
天辺の折れ曲がった帽子に、全身を覆う紫のマント。手には氷柱のような杖を持っている。顔は近代的な美女。鼻が高くて唇が厚い。露出度は低いものの、セクシー系のアバターに見える。
その魔女は、怪の背後にいた。怪のハンマーは空振りしている。まるで、怪が何もないところへハンマーを振ったような状態だ。魔女は詠唱もなく、エフェクトもなく、瞬間移動でもしたのだろうか……。
後方にいた宮陀と高野は目を見開いている。
怪は顔に恐怖をにじませ、横目で魔女を見た。
「誰だよお前……こんな町に、こんなハイレベルの魔女がいたのかよ……。やめろよ……殺すなよ……。ふざけんなよ……」
「あらら、強い魔女が田舎でのんびりしちゃいけないの?」
魔女は首を傾げた。若作りして失敗しているような、微妙なポージングだった。
魔女の意図はわからないが、僕をピンチから救ってくれたのはありがたい。二度とやらないゲームの世界とは言え、死を経験せずに済んだ。この場をしのげばログアウトできる。
そんなことを考えていると、唐突に高野が立ち上がった。魔女の方へスタスタと歩いていく。
「ねぇねぇ、お前、本当に最悪の魔女なの? 見た目全身紫って、噂通りだよね。思ったより美人だけどさ、本当にお前がPKマニアで全プレイヤーから追われてる最悪の」
「うるさい」
一瞬、何が起きたのかわからなかった。
魔女が高野の方を向いた直後、高野が氷漬けになっていた。




