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 僕らは聖域となりし湖(ロックノックレイク)を使って帰宅した。街に来るときは十時間以上の長旅だったのに、帰宅は一瞬だ。水色の膜を通るとママの家に着くと、懐かしい木の香りがした。


「あら、みんな帰ってきたのね。お疲れ様」

「ただいま」

「ママさん、ただいま~!」

「まー!」


 真白に続いて桃穂が元気に手をあげた。ただいまと言ってるけど、桃穂がこの家に来たの初めてだ。


「あら、新しい仲間が増えたのね」

「ももほだよ」

「桃穂ちゃん、よろしくね。私はソロでプレイしてるからこの世界では名乗ってないけど、ママって呼んでね」

「ん」


 んて。

 桃穂はわかってるのかわかってないのかよくわからない顔をしてる。ママはふふっと楽しそうだ。


「それで、クラブハウスの問題は全部解決したのかしら?」

「うん、したよ」

「せやで。雑黒と桃穂が二人でドラゴン倒してくれたんや。ほんま頼もしいわぁ」

「真白も潜入とか用心棒探しとか頑張ってくれたよ」

「ふふふ、おおきに」


 真白は一人で闘技場の出演者たちに一人ずつ当たって、初老の魔法使いを用心棒として見つけてきてくれた。昔はそれなりに名の通った魔導士だったらしい。桃穂の教会の雰囲気にもピッタリだ。おかげで僕らは安心して家に帰ってくることができた。


「みんな疲れてるでしょう。真白ちゃんと桃穂ちゃん、二人で先にお風呂入ってきたら?」

「ほな、入らせてもらいます!」

「ますっ!」

「はーい」


 二人はきゃっきゃと楽しそうに風呂場に消えていった。木造の家なので、脱衣所の声も少し聞こえる。テンション高いな。


「雑黒、二人がお風呂入ってる間、少しだけログアウトしましょう」

「うん、そうだね」


 現実世界の体も維持しないといけない。僕らは二階に上がり、それぞれの部屋へ向かった。


「じゃあ、また向こうで。おやすみ」

「おやすみ」


 僕は部屋のベッドに寝転んで、目を瞑った。

 戦いが終わった後の疲れがどっと出てきた。あの後何度か休んだはずだけど、やっぱりこの家が落ち着く。

 木の香りに包まれながら、ふかふかのベッドに身を任せる。

 すーっと呼吸が浅くなり、意識が抜けていった。


 ――――。


 ――――――。


 ――――――――。



「ん……戻ってきたか」


 体が重い。腹が減っているし、トイレにも行きたい。

 僕は屋敷の廊下に出て、広々としたトイレで用を足した。少し体が軽くなった気分だ。

 部屋に戻るとママが待っていた。


「雑黒、ご飯食べましょう。今持ってきてくれるわ」

「部屋で食べるの?」

「ええ、本当はリビングで食べるのだけど、執事と娘がリビングで一緒に食べることはできないから」


 僕と一緒に食べる為に気を使ってくれたようだ。確かに屋敷で雇われている"執事"がリビングで食事を取るのはおかしい。メイドたちにもママの両親にも誤解を与えてしまうだろう。


「そっか、ありがとう」

「なんでお礼言うのよ。ふふっ」


 現実世界のママは年下の少女だけど、表情はレルガルドーオンラインの魔女アバターのときとそっくりだ。どこか蠱惑的で大人っぽい。名家のお嬢様は幼少期から大人の世界に接していて、精神年齢が高いのだろう。

 ふと、ドアがノックされた。どこかで聞いたことがあるような、耳に心地よい音だ。


「お嬢様、雑黒さん、お食事をお持ちいたしました」

「ありがとう。入って」

「失礼いたします」


 メイドがケータリングのような台車を引きながら部屋に入ってきた。その人の顔を見て、僕は驚いた。


「ス、ステラさん……!?」


 怪の屋敷で働いていた美人メイドだ。ファンタジー世界のエルフにも引けを取らない美貌、日本人とは思えないほど似合っているサラサラのブロンドヘア、これほどの美女は見間違えるはずない。僕は怪と喧嘩した直後、この人と少し言葉を交わして、励まされたこともある。


「な、なんで……!?」

「あら、ご存じないのですね。転職したのですよ」

「転職……? この屋敷に?」

「ええ」


 ステラさんは簡易的なテーブルに食器を並べていく。スープにライス、野菜炒めに肉のソテー。メニューは定番のものだが、見た目は高級フレンチのようだ。


「王道家のニュースはご覧になっていませんか?」

「うん、見てない。忙しくて」


 怪の家で何かあったのだろうか。あの豪邸を持っていた大金持ちがメイドを手放さなければならないほど、金欠になっているのだろうか。


「きっかけは雑黒さんに暴行を働いたあの不良たちでした」

「え…………」


 嫌なことを思い出してしまった。僕の頭を金属バッドで殴った不良と、その一味。彼らは逮捕されたという話だったはずだ。

 ママも真剣な表情になる。


「彼らは留置場で殺されたのですよ。差し入れに毒が仕込まれていたのか、面会時に毒を渡されて自殺を強要されたのか、現在調査中です」

「なっ…………」


 あの不良一味が殺された……? 一体なぜ……?

 一度接した人間が殺されたという事実を、脳がすぐには理解できない。


「彼らは上の組織に指示されて、雑黒さんに暴行を加えたようです。いわば"使い捨ての駒"だったのでしょう。しかしその結果、不良たちは"秀優(しゅうゆう)家"という大きな家を敵に回し、逮捕されてしまいました。彼らが検察で不用意な発言をすれば、指示を与えていた組織の立場も危うくなります。組織はそれを見越したのでしょう」

「それで、口封じの為に……?」


 ステラさんはコクリと頷いた。まさかトカゲのしっぽ切りのように、不良たちがあっさり殺されてしまうとは……。


「ただし、それが大きな失敗でした。事件を闇に葬ろうとした組織を、秀優(しゅうゆう)家の当主は許さなかったのですよ」

「お父様が……」


 ママが小声でつぶやいた。その表情は驚きではなく、ありのままを受け止めているように見える。

 ママのお父さん―秀優(しゅうゆう)家の当主は、正義感の強い人に見えた。あの人が本当の悪人を許すとは思えない。真犯人を追い詰める為に、一銭の利益にもならないとわかっていながら、その力を振るったのだろう。


秀優(しゅうゆう)家を本気で怒らせた組織が、生き延びられるはずはありません。秀優家が全国から雇った優秀な探偵が裏で警察と協力体制を組み、不良殺害のルートから組織に繋がる証拠を見つけました。組織が一網打尽にされるのは時間の問題でしょう」


 秀優(しゅうゆう)家、なんという力だ……。僕には最下層の不良ですら巨大な敵に思えたのに、その遥か上の組織まで潰しまうのか。

 僕がその秀優家で働いていて、お嬢様と親しくしていると考えると、凄いことに思えるな……。


「組織の幹部の逮捕後、今回の事件の全貌が世に公表され、世論の矛先が事件の当事者である"王道家"に向かったのです」

「それで、怪の家が財政難になってるってことか……」

「株価の暴落からすると、破産もあり得ますね。王道家は市民の生活に根付いた企業ではありません。どちらかといえば、ブランド力を売りにしていた企業でしたから。信頼を失ったことによる損失は計り知れません」


 あれほど大きな家も、崩れるときは一瞬なのか。僕が強大だと思っていた怪の力は、案外その程度のものだったのかもしれない。


「それで、ステラさんは秀優(しゅうゆう)家に来たんだね」

「ええ。秀優家の当主は、王道家のメイドの何人かを引き取ってくださったのです。私は運よく声をかけていただけました」

「よかったね」


 ステラさんは我が儘な怪の世話をしていたほど忍耐力のある人で、根は優しい。秀優家の当主(西洋風イケメンダンディ)が、ステラさんの有能さを見抜いたのは当然だろう。


「それで、怪はどうなったんだろう」

「彼は法的な罪には問われませんが、家の力を失ってしまいましたから、これまでのような我が儘はできないと思います。彼にとっては成長するいい機会かもしれませんね」


 ステラさんにとっては、やっぱり怪はただの子供だったんだな。これほどの事件に巻き込まれて職を失っても、怪の成長を考える余裕があるとは……包容力のある人だ。


「ステラさん、これからよろしくお願いします」

「ステラでいいですよ。雑黒さんはここでは私の先輩ですから」


 ステラさんは微笑み立ち上がると、部屋の扉に向かった。


「ちなみに、私は口は堅いですから、ご安心ください。それでは失礼いたします」

「ん?」


 僕はママと顔を見合わせた。

 ママは心なしか、恥ずかしそうな顔をしている。

 僕ら二人がレルガルドーオンラインという秘密を共有していることに、ステラさんは気づいていたのかもしれない。

 普段は大人びた表情ばかりしているママが、頬を赤らめているのを見て、僕は少し癒された。



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