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 ママの両親は用事があった為、別行動になった。僕とママだけを乗せた車で高校へ向かう。

 数日振りの学校だ。

 良い思い出なんてほとんどなかったけど、今日でお別れと思うと、少し寂しい気持ちにもなる。


 職員室で担任の岩野先生に退学届けを提出すると、「この年で就職が決まるなんて良かったな」と明るく祝福してくれた。他の先生方とも少し言葉を交わし、温かい気持ちで職員室を出る。退学届けは岩野先生が校長先生へ提出しておいてくれるとのことだ。

 用が済んだので、校舎を出ようとしたそのとき、数人が僕に近付いてきた。


「雑黒、てめぇ…………ふざけやがって…………」


 怪が豚のような顔を歪ませている。左右には取り巻きの紗沙木ささき汰中たなか弥真多やまだもいる。今日で最後の学校だというのに、またこいつらに会うとは……。


 僕はママの家の力を借りて、怪の親に告げ口したり、不良連中を逮捕させたりした。怪の怒りは過去最大だろう。外に出てしまえば僕には迎えの車がいる。この場だけでも乗り切れればいいが……。


「お前、オレのアバターの装備、全部奪いやがったなッ!」

「は? 何の話?」


 予想外の言葉に、僕は間抜けな返事をしてしまった。アバターの装備って何の話だ? てっきり不良連中の話をすると思っていたのに。


「とぼけるなッ! オレがあの後もう一回ログインしたら、素っ裸で野原に放置されてたんだよッ! お前がオレの装備奪ったんだろッ! お前が腹いせにやったとしか思えねぇ! オレ様があの装備を集めるまでに、どれだけ苦労したかわかってんのか!」

「いや、知らないよ……他のプレイヤーに盗られたんじゃない?」


 そんな目に遭っていたのか……怪の課金っぷりを考えると、装備を取られたなら同情の余地もある。けど、怒りに任せて無防備にログアウトしたのが悪い。そもそも、僕を殺しかけておいて真っ先にゲームの話をしてくる辺り、まったく反省してないだろう。たぶん両親からは叱られていないな。相変わらず甘やかされっぱなし……装備が無くなったのは天罰なんじゃないか……?


「しらばっくれんな! オレがどれだけ大変だったかわかってんのかッ!? 全裸で街に服買いに行ったら変なマッチョに絡まれるしッ……! あのクソNPC、許さねぇ……」


 レルガルドーオンラインのNPCは異世界の住人なのだから、全裸の人間が街にいたら声をかけるのは当然だ。もちろんモザイクなどはかからないし、倫理コードも働かない。そういえば、セクハラ対策はどうなってるのだろう。その辺りの話は聞いたことが無かったな。


「黙ってんじゃねぇよッ! ぶっ殺すぞッ!」


 怪の隣にいた汰中たなかが僕の胸倉を掴んできた。百八十センチほどの長身にゴリラのような顔、巨大な拳。怪の手下の中で唯一の武闘派だ。こいつと喧嘩になったら勝ち目はない。レルガルドーオンラインの世界でどれだけ戦闘経験を積んでも、現実世界の僕は運動オンチだ。数発殴られるのは仕方ないか。


「待て」


 怪が汰中を止めた。意外な行動に、僕を含めた全員が怪を見た。


「なんでだよ? 怪だって、雑魚見つけたらぶっ殺すっつってたじゃねぇか」

「いいから手を放せ。オレの命令に従え。ザコはもうお前らが手を出せる相手じゃない」


 汰中は不服そうに怪を見ると、僕を睨みながら手を離した。喉がスッと楽になる。


「ザコ。お前が秀優しゅうゆう家と繋がりを持ってるのは知ってる。どんな手を使ったのか知らないけど、面倒臭えことしやがって……おかげで僕は『雑黒とかいう友達に手を出したら駄目だぞ』って、パパに怒られたんだぞ」


 それは怒られた内に入るのだろうか。お菓子の家より甘い家庭だな。


「だったらもう用はないよね。僕は帰るよ」

「ッ……! これで終わりだと思うなよ、ザコ……。お前はレルガルドーオンラインの中で絶対にぶっ殺してやる。あの後、オレは小遣い全部使って、オークションに流れてるレア武器を買い揃えたんだ。お前を拘束して、指一本ずつ切り落としながら殺してやる」 

「望むところだよ」


 怪の脅し文句は僕の心に響かなかった。僕はレルガルドーオンラインの世界でなら、怪に勝てる自信がある。


 悔しそうな怪に背を向けて、校舎を後にした。怪に対してこれほど優位な気分になったのは初めてだった。それどころか、全校生徒の中で、これほど怪を挑発して生き延びたのは僕が初めてかもしれない。そう考えると少し愉快だった。

 車に戻って、ママの隣に乗る。


「おかえり。お友達にさよならは言えた?」

「ただいま。一応ね。また会うかもしれないけど」

「そう」


 ママは嬉しそうにほほ笑んだ。怪は友達ではないけど。


「ところでママ、初めて僕と会ったときさ。僕らがログアウトした後、怪の装備奪った?」

「あの子豚ちゃんね。ええ、奪ったわ」


 ママは悪気もなさそうに言った。やっぱりママが犯人だったか……。怪の話を聞いたとき、なんとなくそんな気はしていた。


「あの子豚ちゃん、雑黒に『死ねー』って言いながらハンマー振り下ろしてたでしょ? 私と話してたときも、なんだか生意気だったし……」

「ぷっ」


 怪が年下の女子に『生意気』と言われてるのが、なんだか妙に可笑しかった。僕はお腹を抱えて静かに笑う。


「笑うところあったかしら? それでね、子豚ちゃんの装備は奪ったけど、子豚ちゃん自身は生かしておいたわ。雑黒がいつかリベンジしたかったらできるようにね」

「ありがとう」


 喧嘩している男心をこれほど深く理解してくれるとは……。レルガルドーオンラインで日々戦っている魔女ママならではの気遣いに感動してしまう。初めて心の底から、ママが本当の母親みたいだと思った。


「どうしたの? 雑黒、初めて見る顔してるわ」

「なんでもないよ。ただ、僕はママに会えて良かったと思ってる。本当に感謝してる……ありがとう」

「ふふっ、私もよ」


 なんだかバカップルみたいなやり取りだ。意識すると恥ずかしくなる。

 信号が赤になり、車が止まった。

 ふと、運転手のメイドが僕らを振り向き、怪訝そうな顔で僕とママを交互に見た。


「あの、お嬢様と雑黒さんは、恋仲なのでしょうか……? メイドである私がお嬢様のプライバシーに立ち入るなど、失礼と承知しておりますが……それほど堂々と見せつけられてしまうと、聞こえないフリをするのも限界があります……。一応、私はお嬢様の環境の変化について、旦那様に報告する義務もあるのですよ……?」

「っ……」


 迂闊だった。ママ呼びに慣れすぎて、メイドさんにどう思われるのか考えていなかった……。年下のお嬢様をママと呼ぶ執事など、特殊な性癖を持った恋人にしか見えないだろう……。


「その時が来たらちゃんと話すわ。まだ内緒にしておいて」

「えっ!?」

「まぁ!」


 なんだその意味深な返事は……!? まるで恋仲だと認めてるみたいじゃないか。こんなことを言ったら誤解される……。


「かっ! かしこまりましたっ!」


 メイドさんは頬を赤らめ、ホクホク顔になった。自分だけ先にスキャンダルを知って、喜んでいる様子だ。絶対このことを仲のいいメイドに話すだろう……。そして、あっという間に屋敷中のメイドに噂が広まるだろう……。


 賢いママはそんなことくらいわかっていると思うが、なぜかフフンと余裕の表情を浮かべている。

 一体どういうつもりだろう……?

 意図はわからないが、なんとなく嫌な予感がする。


 僕は冷汗をダラダラ垂らしながら、屋敷の人間の前でママ呼びは控えようと心に誓った。



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