12
森の中は危険たという真白の忠告に従って、僕は魔女の家に戻った。
家の中がどれほど安全なのかわからないが、外にいるよりはマシだろう。
ドアを開けて中に入る。
まるで待ち構えていたかのように、玄関に魔女がいた。
紫色のエプロン姿だ。もちろん服は着ているけど、スタイルや表情がセクシーに見える。
「おかえり」
「ただいま」
母子のようなやり取りをしつつも、真白との会話を思い出してしまう。
魔女はPKを専門としている『最悪の魔女』なのだろうか。
そう考えると、魔女のセクシーな笑みも裏があるように思えてくる。
「ずっと玄関で待ってたの……?」
「違うわよ。外から帰ってくるのを"視た"の」
「見た?」
「魔法よ」
サラリと踵を返して、リビングの方へ歩いていく。
僕は靴を履いていないことに気づき、足の砂を払ってから家に上がる。
「魔法って、千里眼みたいなもの?」
「もっと強力よ。遠くを視ることもできるし、壁の向こう側を視ることもできるし、アバターの情報を視ることもできるわ」
なんだそれ……。
敵の位置を把握できるし、敵の戦闘力も読み取れるってことか……? だとしたら冒険でも戦闘でも日常生活でも、相当使えるスキルだ。
「凄……」
感嘆の声を漏らすと、魔女は「私を誰だと思ってるのよ」と得意げな顔をした。
ときどき無邪気な表情になるな。やっぱりこうしてみると、悪い人には見えない。
「朝ごはんまだでしょ? 作っておいたわ。手抜きだけどね」
「ありがとう」
テーブルには木の器とスプーンが置いてあった。
座って布巾で手を拭き、「いただきます」と言った。
お茶漬けのようだ。米に似た雑穀類と魚の切り身らしきものが薄緑色のスープに浸っている。葉の香りが心地いい。
思わず器に口をつけて、ズズズ……と啜った。
塩味は控えめ。その分具材のコクが出ていて美味しい。前回のスープは活力が漲ってくるような味だったが、今回のお茶漬けはほっこりする味だ。朝一番の胃に染みわたる。
「美味い……」
感動そのままのトーンで呟いた。
魔女はまた得意げな顔になり、「でしょ?」と笑う。
「ところで、雑黒。初めての戦いはどうだったかしら?」
カマキリとの戦闘も見られていたようだ。いつでもどこでも見られているとなると、本当の母と息子の関係だったら、息子にとってはなかなか難儀だな。
「特に苦戦はしなかったよ。初期魔法が優秀だったおかげでね」
「良かったわ。さすが私とあの人の息子ね」
あの人というのは、父親のことだろうか。
僕がどのようにして生まれたのか、父親は誰なのか、気になる。
しかし自分の母親である魔女に、その辺りのことを聞くのはためらってしまう。際どい話をされたら反応に困るんだよな……。
そんな優柔不断な態度を取っていると、魔女は話を変えた。
「ところで雑黒、トランプは好き?」
「トランプ……?」
「そう、ババ抜きでもポーカーでも、なんでもいいわよ」
突然の話題に戸惑う。
魔女はトランプが好きなのだろうか。
「好きでも嫌いでもないけど……なぜ?」
「トランプで勝負しない? 雑黒が勝ったら何でも願いを叶えてあげるわ。私にできることはけっこうあるわよ」
「っ……!」
これは、チャンスじゃないか?
魔女が勝負を仕掛けてきた理由はわからないが、ゲームに勝てば、正々堂々と父親について質問することができる。僕が魔女の息子として生まれた理由を教えて欲しい……というような曖昧な質問でもいい。どこまで踏み込んでいいかわからないグレーゾーンを明せるかもしれない。
「勝負は三回勝負で、ゲームは雑黒が選んでいいわよ。当然、私は魔法は使わないわ。正々堂々と、実力だけで勝負してあげる」
「おっけー!」
さらに好都合な条件を出されて、即答した。
魔女は唇に指を当てる。
その仕草は色っぽい。賭け事は得意そうな雰囲気だ。
「いいの? まだ最後まで言ってなかったけど、当然、雑黒が負けた場合には罰ゲームがあるわよ」
「いいよ、何?」
『罰ゲームって何?』と聞きたいのは山々だったが、そんな弱気な質問をしたら精神的に負けてしまうので、強気に返した。優しい魔女のことだから、それほどキツい罰ゲームはないだろうという計算もある。
「へぇ、いいのね。そしたらそうね。雑黒が負けたら、これからずっと私のことを"ママ"と呼ぶこと」
「うっ……」
そう来たか……。
魔女に『"お母さん"か"ママ"と呼んでね』と言われていたが、僕はまだ抵抗があったので、あえて呼ばずにやり過ごしてきた。それを見透かされていたのだろう。
罰ゲームをきかっけにして、無理矢理にでも呼ばせようという魂胆か。しかもより恥ずかしい呼び方で。最初からそれが狙いだったのか……。
「マジで……?」
「マジよ。さっきいいって言ったでしょ。男の子なら逃げないわよね?」
「……も、もちろん。逃げないよ」
強気で返事してしまった手前、逃げるわけにはいかない。負けたらとんでもない羞恥プレイが待ってるけど……勝てばいいんだ、勝てば。
「ふふっ、勝負は何にする?」
「じゃあインディアンポーカーで」
インディアンポーカーはポーカーと名がついているものの、シンプルなゲームだ。
互いにトランプを一枚引き、自分引いたカードを相手に見せる。このとき自分のカードは見ない。互いに相手のカードだけを見て、自分の手が相手より強いかどうか予想して戦うのだ。
例えば相手のカードが最弱のAなら、ほぼ百パーセント勝つことができるので、コインをたくさん賭けて勝負に持ち込んだ方が良い。
逆に、相手が最強のキングなら、ほぼ負けるので、勝負から降りた方が良い。
そのような駆け引きを繰り返し、最終的にコインを多く持っていた方が勝者となる。
『インディアンポーカー』というマニアックな名前を聞くと難しそうに感じるけど、様々な役やセオリーを暗記しなければならない普通のポーカーに比べて、インディアンポーカーは運と駆け引きだけで勝負が決まるシンプルなゲームだ。
極端な話、駆け引きが天才的に上手い人だったら、ルールを覚えたその日に世界最強になれるかもしれない。それほど簡単なルールで心理戦を楽しめるのがインディアンポーカーだ。
僕はトランプは得意でも苦手でもないので、技術の不要なゲームを選んだ。さらに、ちょっとマニアックなゲームを選ぶことで、できる奴の雰囲気を醸したつもりだった。
ところが。
「いいわよ。手持ちのチップは30枚、場代は3枚で、手持ちのチップが無くなったら負けでいいかしら?」
「……いいよ」
「エースはジョーカーに勝てるルールでいいのよね」
「もちろん……」
テキパキと準備を進める魔女。
インディアンポーカーを知ってる上、戦い慣れているっぽいな。
これはマズいかもしれない。
脇汗がびっしょりだ。
いや、落ち着け。勝負はやってみなきゃわからない。冷静を装うんだ。ポーカーで大事なのはポーカーフェイス。相手に心理を悟られてはいけない。
魔女は慣れた手つきでリフトシャッフルを四回行った。素人のそれとはスピードが違う。トランプを傷めずカードを綺麗に混ぜている。無駄のない手つきだ。
さらに、真ん中三分の一を引き抜いて山の上に乗せると、全体を半分にして上下を入れ替えた。
これは確か……イカサマ封じのテクニックだ。イカサマは山札の上下真ん中のどこかに仕込まれることが多いので、上下左右真ん中を複雑に入れ替えると、イカサマを封じることができる。魔女はシャッフルした後にこれをすることで、イカサマをしていないとアピールしたのだろう。どれだけガチなんだ。
「はい」
「……」
渡されたトランプは箱から出した直後のように整っている。一体一日何時間トランプに触ってたらこんなに上達するんだ……。
僕はボロが出ないように下手な手つきで少しだけ切った。既に負けた気分だ。
そして数十分後。
……僕はアッサリと三連敗した。
トランプってこんなに差が出るの? ってくらい、圧倒的な大差で負けた。
一戦目は、いいカードを引けていたのに勝負を降りてしまったり、ゴミ手で勝負させられてしまったり、魔女の駆け引きに翻弄されっぱなしだった。僕のビギナーズラックを魔女の駆け引きが完封した形だ。
続く二戦目。駆け引きでは勝てないと思った僕は、記憶力勝負の神経衰弱を選択した。
一本の道を描くようにして札の位置を覚えるという小技を使ってみたが、魔女にはまるで歯が立たなかった。
魔女は『あえて既に捲った札を開いて情報を与えない』『場にある札だけでなくお互いが引いた札まで暗記している』『ゲーム終盤から逆算して、最後の十枚を一気に取る』など、プロっぽい技を多用していた。たぶん、百回やっても勝てないだろう。インディアンポーカー以上に勝てる気がしなかった。
そして最終戦。
この時点で僕は二連敗していたので敗北確定だったが、『次で勝った方が勝者でいいわよ。ただし、負けたら追加の罰ゲームがあるけどね。どうする?』という口車に乗せられて、勝負を引き受けてしまったのだ。
選択したゲームはババ抜き。
二人でやるババ抜きは、ジョーカーさえ引かなければ順調に手札が減っていくクソゲーなのだが、魔女は巧みな話術で僕を動揺させ、ジョーカーの位置をあぶりだし、一度もジョーカーを引くことなく勝利を収めた。
もはやぐぅの音も出ない。
これが実の母子のトランプだったら、子供は号泣するだろう。僕もちょっと泣きそうだ。
「残念だったわね。おしまい。約束は守ってね」
「うッ……」
「ねぇ、雑黒。私に何かお願いがあるんじゃなかったかしら?」
「…………」
最初の罰ゲームは、魔女を"ママ"と呼ぶことだった。しかし追加の条件を飲んでしまったので、もう一つ罰ゲームを受けなければならないのだ。
羞恥で顔が熱くなる。
魔女の目を見れない。
高校生にもなって、こんな羞恥プレイを受けるとは……。
何かが吹っ切れるのを感じながら、罰ゲームの台詞を言う。
「ママ……耳掻きお願い……」
「ふふっ、おいで」
魔女はソファに座り、両手を広げた。
僕はソファに寝転がり、魔女の太ももに頭を乗せる。
「っ…………」
魔女の太ももはマントで覆われていたものの、頬に温かさと弾力が伝わってきた。女性経験のない僕にとっては、初めて触れる女性の体……ということになる。
しかし、魔女はレルガルドーオンラインの世界では、僕の母親ということになっている。女性として見ない方がいいのだろうか。なんだか背徳的な気分になる。
そういえば、もう魔女と呼んではいけないんだったな……。心の中でもママと呼ぶことにしよう。そうしないと、口にするときもっと恥ずかしくなりそうだからな。
ママは異国の子守歌のような歌を歌いながら、耳かき棒を僕の耳に入れた。
カリカリカリ…………。
優しく動き回る繊細な棒が、僕の耳の内側をくすぐる。不覚にも気持ちいい。
これは一体なんのプレイなのだろう……。
そんなことを思っていると、ママは耳元で囁いた。
「雑黒、あなたはきっと強くなるわ」
「え……?」
「私よりも、ずっと強くなれる。トッププレイヤー全員を敵に回しても勝てるくらい……強くなれるはずよ。私は信じてるわ」
優しくも、芯の通った声音だった。
これまで一緒に過ごした短くも濃密な時間は、すべてこの一言の為にあったのだと直感した。
トッププレイヤー全員を敵に回す。そんなことが、僕の身に起こるのだろうか。
なぜプレイヤー同士で戦わなければいけないのだろうか?
ふと、ある考えが頭を過った。
普段なら聞くのを躊躇ってしまうような疑問だったが、ママの耳かきで和んでいたせいか……ふいに口をついてしまう。
「ママはトッププレイヤー達と敵対してるの?」
「ええ、そのほとんどとね」
ママは静かに答えた。
様々な疑問と憶測が頭の中で絡まり、言葉に詰まる。
ふと、耳の中のカリカリという繊細な音が止まった。