11 ウサギアバター
軽い音だ。
ハムスターが一匹、木の上から落ちたような音。
そう思ったからこそ、
「自分、ほんま意味わからんのやけど、なんなん?」
背後から人の声で話しかけられて、飛び跳ねそうになった。
振り向くと、小柄な少女が立っていた。
上半身はほぼ人型。足はウサギやカンガルーのような形をしている。耳もウサギかカンガルーのそれだろうか。身長は百五十センチ程度……落下音から想像していたより大分大きい。普通の人間と変わらないサイズだ。木の上から落ちてきたのだとしたら、よほど身のこなしが上手いのだろう。年齢は十七歳前後、快活な雰囲気で声も明るい。顔はかなり可愛い。不意に背後から近づかれたとはいえ、敵意は無さそうに見える。戦闘になったとしても、この体格差なら勝てるだろうか。
そんなことを考えているうちに、少女はまた口を開いた。
「なぁ、自分、カマキリ一撃で倒してたやんか。せやけど、なんであんな時間かけて戦ってたん? あんたの実力やったら瞬殺できたやろ。戦闘中にウィンドウ開いてたのもイミフやわ。モンスター相手に舐めプしてたん? せやったらド変態やで」
「いや、君に変態扱いされる覚えはないよ……君こそ何者なんだよ」
「ウサギやで。見ればわかるやろ。この耳でウサギやなかったらなんやねん」
「カンガルーとか……?」
「アホか。こんなチャーミングなカンガルーおらんで」
頬を膨らませ、耳をパタパタさせるウサギ少女。
チャーミングといえばチャーミングなのだが、いかんせん話し方のトーンがおしゃべりな関西人のそれだ。あまりキュンとくるようなタイプではない。
「何ウチのこと見つめて黙っとんねん? 惚れたんか? 惚れても構へんけど質問無視したらあかんで」
このウサギ、めっちゃしゃべるじゃん。
人生であまり接したことのないタイプだ。正直返答に困る。
しかし、ここまでガンガン話されると緊張感は無い。女子と話すのが苦手な僕も、男と話すようなテンションを維持できている。
質問の答え……質問は『なぜ非効率な方法でモンスターを倒したのか』だったな。
「それは僕が初戦闘だったからだよ」
「……ん、意味わからん。カマキリと戦うん初めてやったとしても、もっとはよ攻撃できたやろ。ほんでウィンドウ開いてたのも意味わからんしやな。一分くらい見とったで? あれはなんやねん。戦闘中にニュースでも見とったんか」
「いや、カマキリと戦うのが初めてじゃない」
「は? あんた言うてることむちゃくちゃ」
「戦闘自体が初めてだったんだよ」
ウサギ少女の言葉を遮った。
普段なら人の話を遮るなんてしない僕だけど、このウサギ少女に対しては気遣いは不要だと感じていた。ウサギ少女本人も気にした様子はない。ただ、不可解な表情をしている。
「ほんまなん?」
「本当だよ。こんなこと嘘ついて何になる?」
「ウチへのアピールかもしれんやん。自分、天才アピールしたくて嘘ついとんちゃう?」
「嘘じゃないよ。それに、君にアピールする意味もないし」
「なんやそれ、失礼なやっちゃな。でも自分、ほんま初心者やったら天才やで? 初心者でカマキリ殺せるアバーターなんて、ドラゴンくらいしかおらんやん」
「そうなの……?」
「いや、初戦闘やったらドラゴンでもむつかしいんちゃう。レベル1やろ? ドラゴン不器用やねんから、いきなり魔法使えへんで」
ウサギ少女のヒントから、この世界における自分の戦闘力がわかってきた。
初心者の手に余る強さのカマキリを倒せたということは、僕はすでに脱初心者レベルにいるということだ。僕は魔女の血を引いている為、レベル1の時点で魔法を使うことができたのだろう。それはレルガルドーオンラインにおいて特別なことだったようだ。さらに現在の15というレベルは、カマキリ一体を倒した経験値でレベル1から一気に14アップしたことを示している。一般的なゲームに照らし合わせて考えると、おそらく僕のアバターは相当強いのだろう。
やっぱり僕は魔女の息子なんだな。
心の底から信じることができた。
僕はあの人の血を引いている。そして、魔法の才能を受け継いでいる。
安堵すると同時に、嬉しさがこみあげてきた。
初めて味わう強烈な自己肯定感。
これが強者に生まれた者の感覚か。
だとしたら……僕は、怪のようにはならない。
強さに胡坐をかいて、他人を蹂躙するような人間にはならない。
具体的な目標はまだ見つからないが、僕はこの強さに相応しい人間になりたい。
……と、前向きな決意を固めたとき、ふと気づいた。
ウサギ少女が生ぬるいお茶でも飲んだような顔をしている。
「自分……ウチが黙っとったら、すぐ自分の世界入りよんな。ニヤついたり、キリっとしたり、どっちかにせいや。キモいで」
「放っておいてくれよ。君には関係ないだろ」
ぶっきらぼうに返しながらも、顔が赤くなるのを感じる。
僕は考えていることがそのまま表情に出るのか……。指摘されたのは初めてだ。地味に恥ずかしい。
「まあ、その反応見るに、嘘はついてへんみたいやけど。あんま調子に乗らん方がええで。あんたより強いんはゴロゴロおるからな。特に、この辺りには『最悪の魔女』がおんねん」
その言葉を聞いた瞬間、背筋が冷たくなった。
そういえば、初めて魔女に会ったとき、怪と高野がその名前を口にしていた。
『最悪の魔女』
その人物は、魔女アバターの有名なトッププレイヤーらしい。
さらに、高野は殺される直前、こう言っていた。
『お前、本当に最悪の魔女なの? 見た目全身紫って、噂通りだよね。思ったより美人だけどさ、本当にお前、PKマニアで全プレイヤーから追われてる最悪の』
魔女はこの質問に答えなかった。その為、彼女の正体はうやむやになっていた。
しかし、彼女が『最悪の魔女』である可能性は高い。
高野を躊躇なく瞬殺し、トッププレイヤーらしき実力を見せていた。さらにウサギが今、最悪の魔女はこの近辺にいると言った。
これらのヒントから考えて……この世界における僕の母親は、最悪の魔女なのではないか……?
信じたくないが、証拠が揃い過ぎている。彼女はPKマニア……プレイヤー殺しを専門とする魔女なのか……?
PKとは本来モンスターと戦うゲーム等において、攻撃が他プレイヤーに当たる性質を悪用し、同じプレイヤーを殺す行為だ。目的は愉悦の為だったり、他のプレイヤーから装備やアイテムを奪う為だったりする。当然、ほめられた行為ではない。
魔女がそのような悪どいプレイヤーとは信じがたい。どちらかといえば温かい人の印象だった。
しかし、彼女は僕の目の前で高野を殺している。PKを躊躇う様子はなかった。
彼女の本質は、どのようなものなのだろう。
身内の人間には優しく、他人には冷たいのだろうか。
「今度はニヤニヤせんのやな。めっちゃ考え込んで、なんや? 最悪の魔女のこと知っとるんか?」
「……まあ、噂くらいは聞いたことがあるよ」
「自分、嘘つくの下手やな。その反応、絶対なんかあるやん。言うてみ?」
華藻芽姉さんにも言われたけど、僕は嘘をつくのが下手らしい。声のトーンとか考えてないからな……。今度から気を付けよう。
「悪いけど、見ず知らずの君に話せることは何もないよ」
「ま、そらそやろな。ほんならこれだけは言うとくわ。あんた天才やねんから、死んだらもったいないで。一刻も早くこの森から立ち去った方がええ」
「最悪の魔女がいるから?」
「ちゃう。ここは狩場やからや」
「狩場……?」
「PK専門の奴はぎょうさんおんねん。最悪の魔女以外にもな。何が目的か知らんねんけど、そいつらはプレイヤー殺すことに異常な執念燃やしとんねん。ほんま、なんでやろな」
「なんでやろって、僕に聞かれても……」
「今のは質問ちゃうで。ただの語尾みたいなもんや。語尾ちゃうけどな。まあほんで、この辺りはあんたの手に負えんPKマニアがおるから、すぐ森出た方がええゆーとんねん」
ウサギ少女の口調は軽いが、その表情は真剣だ。
おそらく、この子は嘘はついていないだろう。この森にはPKを専門とするプレイヤーがいる。早く安全地帯に避難した方が良さそうだ。
「君は逃げないの?」
「ウチはええねん。足速いからな。PKマニアに見つかってもすぐ逃げられんで」
「そっか。忠告ありがとう。君も気を付けて」
「真白や」
ウサギ少女は目をクリクリさせた。
真白……彼女の名前か。
コミュニケーション能力の低い僕でも、名乗るべきだと察する。
「雑黒だよ。じゃ、また」
「呼ばへんのかい。まあええわ。ほならまたな、雑黒」
そうか、名前を教えてもらったら「またな、真白」と返すのが正解だったのか。
気づいたときには、真白は僕に背を向けてスタスタ歩き始めていた。
なんでもズバズバ言う子だったけど、悪い子ではなかったな。むしろ裏表がなくて、好感を持てた。おかげで女子との会話経験値ゼロに等しい僕が、これほどの長時間、普通に会話することができた。
ゲーム世界に来てから、新しい体験ばかりしているな。
そんなことを思いながら、僕も真白に背を向けた。