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好きと嫌いと無関心。

作者: 安孫子太郎

好きの反対は嫌いでなくて無関心。嫌いの感情があるうちは、まだ相手に少しは関心を持っている。無関心になったときに、相手はその人の心から完全に消えてしまう。わたしは基本的に無関心であり、他人を自分の心のうちに入れることが少ない。極端な表現をしてしまえば、好きな人以外はすべて生死が気にならないと言えよう。もし仮に命を何かの弾みで落としたとしても、その人のために泣くことはしないだろう。ただ視界に入る人間の数が1人減っただけという気持ちになるんじゃないだろうか。みんな友だちとかそういうのはいらない。ただそこにいる人間に過ぎない。そのような感覚を持ちながら生活していると、周囲から自分がどのように見られようとも気にならなくなってくる。たとえ、悪い印象を抱かれようとも、「それがなんだというのだろう。別にいいではないか」こう考える。逆に、わたしのほうも他人が何をしても「あの人にはあの人なりの考えや意識があって、ああしたのだから別に構わない」と割り切ってしまう。割り切るというか、ただ目の前で起きたことを傍観しているだけという感じである。他人に強く興味をもつ人の気持ちがあまり分からない。どうしてそんなに真剣に誰かを責めたり、噂を立てたり、距離をつよく詰めたりできるのだろうか。わたしは好きの感情以外では動かされることがない。苦手とか嫌だというマイナスの意識が出たときには、距離を取るようにしている。その人の話が一切耳に届かないようにする。視界からも消すようにしている。目と耳に入ってこなければ、その人物はこの自分の世界に存在しないことになるのだから。どうして戦ったり、激しく憎むのだろうか。そのエネルギー源はどこから来るの? そんなことで自分の心とか身体とかをイジメることから逃げたい。逃げ続けたい。




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