優しさの鼓動
もう帰る時間。いつものように送ってくれる彼。
ああ、もうそろそろ帰る時間。
もう少し一緒にいたいけど、門限に間に合わない。ここから家までは1時間。街行く人達はみな楽しそうに盛り上がっている金曜の夜。
「送っていくよ」
「うん」
ターミナル、大勢の人が行き交う。
ぼやぼや歩いていると人の波にさらわれてはぐれてしまう。ぎゅっと握る手に力が入る。
川崎さんの家は私の家とは正反対。でも、いつも必ず送ってくれる。
満員電車、ぎゅうぎゅうの車内。
「桜花ちゃん大丈夫?」
「うん、平気」
私はドアに背を向けあなたとの間に立っている。揺れる度に押し寄せる人。思わず目をつぶり身構える私。
あ、あれ? 私の周りだけぎゅうぎゅうじゃない。
見るとあなたは私が押し潰されないように、ドアに手をついて一生懸命私を守ってくれている。
「ありがと」
あなたがニコッと微笑んだその瞬間、電車のカーブに合せてまた押し寄せる波。
ついに力尽きたあなたは、私を抱きしめる形のまま、身動きができなくなっている。
は、恥ずかしい。顔から火が出るってきっとこういうことをいうんだ。高鳴る鼓動。こんなに近くにいるあなたに聞こえてしまわないかと思うと、余計にドキドキする。俯いたまま顔をあげることもできないでいると、
「大丈夫?」
優しく尋ねるあなたに、こくりと頷いた。
するとあなたは、よりいっそう私を抱きしめる。私の左耳はあなたの胸からもドキドキを感じとった。
ああ、あなたもドキドキしているのね。そう思うとなんだか嬉しくなって、思わず笑ってしまった私。
「どうした? にやにやして」
「え?」
どうして?
「ガラスに映ってるよ」
微笑むあなた。
「あ」
私は電車の揺れに合せて、身体の向きをドアの方に向けた。ホント映ってる。
それから駅に着くまでの時間、私達はガラス越しに見つめ合っていた。
勿論、彼の鼓動を背中に感じながら。
ぎゅうぎゅうの車内。いつもなら嫌だけど今日は、今日は心地良い空間。
駅に着いて押し出されるようにホームに降り立つ。ここで乗り換えてあと10分。だんだんと近づく家。だんだんと近づくさよならの時間。
もう着いてしまった。人の波は去って残される2人。いつものようにベンチに座り折り返しを待っている。また今日もこの時間。この寂しい時間。楽しい優しい時間の後に必ずやってくる哀しい時間。
発車のベルが鳴る。
「じゃあね」
川崎さんはそう言うと電車に乗り込もうとした。
「ん? どうした」
「いやだ」
私は川崎さんのジャケットの袖をぎゅっとつまんだ。
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