捕縛
気がつけば日が暮れ、星が輝く時間帯になっていた。
昼間は暑さを感じるほどだったのに、太陽が沈むと気温はめっきり下がってくる。
冷たい風が吹き荒み、身体がぶるっと震えた。
もう夜だと言うのに街はとても明るかった。街灯が道を照らし、まだ目に見える範囲の店は開いたままだ。
酒場らしき店からは騒がしい笑い声が響き、酔っぱらった男達がふらふらと中に出入りしている。
「はぁ~……」
道路の隅、物乞い達に紛れるような形でリックは行き交う人々をただ見つめていた。
全身黒ずくめの服装もここでは浮いているせいか、時折目が合う。まぁ、たいてい向こうの方から目を逸らすのだが……
大声で叫び、走り回ったせいか、今は不自然なほど落ち着いていた。
もちろん動揺や混乱もあるが、先ほどのように暴れ回るほどではない。
手の平の傷は、すっかり血が止まり、かさぶたと成りかけていた。
それを見ながらふと思う。
「もう疑いようがないよな……」
どういう原理で、何故こうなったのかは想像もつかないが……認めるしかない。
ここはまぎれもなく現実だ。
この『リック』のPCは生身であり、きっと視界に映る人々もちゃんと生きた人間なのだろう。
どうやら俺は仮想世界からどこか違う世界の現実へと迷い込んでしまったらしい。
信じられないし、信じたくもないが、五感から訴えてくる情報をもう疑うことは出来ない。
匂いも触感も、そして痛みも間違いなく存在する。その生々しさは現実と何一つ変わらなかった。
「これから……どうしよう?」
生身であることを意識し始めたからか、何だかお腹が空いてきた気がする。
身体と心は極度の疲労を訴えて、立ちあがる気力すら湧いてこない。
ったく、一体どういう原理なんだか……
そもそも、今の俺はPC『リック』の姿をしている。
なら現実の身体はどうなっているんだろう?
ほったらかしになっているのか?
いや、家族がきっと見つけてくれるはず。
そして、いつまでゲームをしてるのッ、って定番のセリフで怒鳴って仮想空間へ行くためのヘッドギアのスイッチを切るだろう。
ひょっとしたら、それで戻れるんじゃないか?
……甘い考えだな、もうかなりの時間が経っている。
ヘッドギアのスイッチ一つで帰れるような状況とはとても思えなしな。
(じゃあ、俺の生身はどうなってるんだ?)
…………はぁ~、駄目だ、何も分からない。
視線を起こすと目に映るのは知らない街の風景と知らない人々の群れ。リックの悩みなどまるで知らないように笑ったり、喜んだりしている。
それをただ眺めていると、猛烈な寂しさに襲われた。
「家に、帰りたいな……」
おかしなセリフだと自分でも思う。
ずっと自室でゲームをしていたというのに、何で家が恋しいんだろうな。
だが、いつまでもこうして感傷に浸っている場合じゃない。疲労も空腹も耐えられないほどになってきているのだ。
帰る方法が分からない以上、せめて今日の泊まる場所ぐらいは見つけなければならない。
この世界の通貨は『アース・エンブリオ』の通貨と同じなんだろうか?
そもそも『アース・エンブリオ』は物を買った場合、自動的にお金が減る仕組みになっている。
ここは一応、現実の世界と何も変わらないだろうから、そんな便利機能ないだろう。
そもそもメニューを開けないなら意味がない。
リックは改めて自分の格好と荷物を見た。
まず背中に担いだメインウェポンでもある翡翠の宝剣。
そして腰のベルトには即座に使えるようにセットされた回復ポーションが三個。
他にも麻痺薬、解毒薬、状態異常を直す薬がいくつかある。
まぁ、ベルトの薬類はここでも同じ効果があるかは分からないが。
あとはサブウェポンとして使っていた投げナイフが三本ぐらいか。
アイテムボックスを開けない以上、これだけがリックの持ち物だ。
一体、これで何が出来るって言うんだ?
何だか泣けてくる。
「そういや……あいつらははどうなったんだろう?」
理屈は分からないが、あの次元結晶とかいうアイテムがこの状況の原因となっているのは間違いないと思う。
っていうことは俺と同じようにガレオンとデュークもここに連れてこられたんじゃないだろうか?
目を覚ましたあの森には見当たらなかったけど、ひょっとしたら近くに居るのかも。
メールとかメッセージでも送れば……って、ここではメニューを開けないんだった。
「……打つ手なしだな」
このままのたれ死ぬしかないのか。
いやいや、弱気になるな、俺!
今にも泣きだしそうになるのを堪え、拳を握る。
取りあえずここにじっと座っていては埒が明かない。
ここがどこなのか、どうすれば帰れるのか、この世界について情報を集めようじゃないか。
気合いを入れ直して立ち上がった時、視界の隅で何者かがこちらに駆けてきて来ることに気づいた。
「……憲兵かな?」
ファッション要素のない機能性重視の銀の鎧を身に付けた集団。
他人ごとのように走っている男達をぼーっと見つめていた。
が、兵士達はリックを見つけると、まるで囲むように広がり、腰に付けた剣を引き抜いた。
殺気に満ちた視線に、リックも反射的に剣を構える。
一体、何だこの状況は?
「ようやく見つけたぞッ!この殺人犯め!」
敵意に満ちた怒鳴り声に肩が震えた。
え?サツジンハン?殺人犯ッ!
突然、現れて何を言っているんだ?
善良な一高校生を自負しているリックにとってこの状況は理解できなかった。
「ちょ、ちょっと!いきなり何なんですか!」
兵士達がリックに向けているのはまるで犯罪者を見るかのような侮蔑な視線だ。
初めて向けられた殺意の視線に激しく膝が震えてきた。
「とぼける気かッ!昼間起こった殺人事件、あれは貴様の仕業だろ!」
昼間に起こった殺人……?
リックの頭によぎるのは忌まわしい路地裏の光景だった。
鮮烈な紅い色を思い出し、再び吐き気が襲いかかってきたがぐっと堪える。
今はそれどころじゃない。
(な、何で俺が人殺しになってるんだよ!)
ただ現場を見かけただけで犯人呼ばわりするなんてたまったものではない。
「待って下さいよ!何で俺が犯人なんですか!」
「貴様が殺人現場から不自然に走り去る様子が目撃されてるんだ!そんな奇抜な格好をしているからな、目撃した者は大勢いるぞ!」
そんなの当たり前じゃないか!
あんな無残に切り裂かれた死体を見てしまったんだ!
その場を急いで離れるのは当然だろう。
「そ、そんな理由で犯人扱いですか!あれは死体が、怖くて逃げただけで……俺には関係ありませんよ!」
「黙れッ!さっさと武器を捨て投降しろ!もう逃げられんぞッ!」
何が何だか整理できない内に、兵たちは剣の剣先を向けじりじりと距離を詰めてきている。
星明かりを浴びて銀の光を放つ長剣。
思わずそれが自分の身体に突き刺さるイメージをしてしまい、鳥肌が立った。
ど、どうしよう、マジで冤罪を掛けられている……!
逃げるべきか?だが、周りをすっかり囲まれてしまい不可能だ。
仮にこの兵士達を抜けたとしても、その向こうには騒ぎを見に来た野次馬もいる。
ならば、力づくで兵たちを打ち破り逃げるか?
今の自分はゲームキャラクターであるリックだ。
ならこの剣で戦うということも……
(い、いや……無理だ)
もしゲームの中だったなら、その選択肢もあり得ただろうが、ここは血も出て痛みもある現実だ。
一度も攻撃を受けるわけにはいかないのだ。
一度でもあの剣で斬られてしまったらかつてない激痛が襲いかかってくるだろう。
それを想像すると背筋がぞっと冷えてくる。
そもそもHP表示も無いわけだから、そのまま死んでしまうこともあるわけだし……
そしてリック自身も人殺しになってしまう可能性もあるわけだ。
あの昼間に見た無残な死体。
あれを見てしまった後では、人に剣を向けるというのはどうも躊躇してしまう。
殺すのも殺されるのも御免だ。
僅かな時間で、様々な葛藤が胸の中でせめぎ合う。
どうしようか、一体どう行動するのが正解なんだ?
考える時間は少ししかない。
結局、リックが選んだのは希望的観測に満ちた、甘い選択肢だった。
そもそも自分は殺人なんてやっていないのだから、これはただの冤罪。
少し調べただけで俺が犯人じゃないと分かるに違いない。
そう己に言い聞かせ、手に持った剣をゆっくり地面に落した。
「捕まえろッ!?」
瞬間、即座に兵たちが飛びかかり、地面に押しつぶされていた。
凄まじい圧力に肺から一気に空気が漏れる。
一人の兵士が愛剣を奪いとるように拾い上げ、リックの手の届かない場所へと持ちさる。
いくつもの鎧が上へのしかかり、臓腑を吐き出してしまいそうな衝動に駆られた。
何て乱暴なッ!
暴れてなんかいないのに、こんなのはあんまりだ。
「や、止めて下さい!抵抗なんか、してないでしょッ!」
「黙っていろ、この人殺しめッ!」
兵の一人が足を振り上げ、サッカーボールのように頭を蹴飛ばしてきた。
頬がすり向け、口の中を血の味が占める。
痛みにうめいている間に兵たちは腰のナイフやらを強引にはぎ取っていく。
リックはあまりの暴虐に言葉も無く、地面に自分の血が流れていくのをただ見つめていた。
やがて、兵士の一人が後ろのベルトへ手を伸ばし何かを取り上げた。
「……こ、これは……貴様、やはり教団の信者だったのか!」
「え?」
教団……その言葉が場に浸透すると空気が凍りつき、さらなる重圧が自分の身に押しかかってきたのを感じた。
周りの兵士達の殺気が三倍増しになったような錯覚に陥り、何事かと反射的に痛くなるほど首を曲げていた。
取り押さえていた兵士の一人が何かを掲げながら周りに見せつけている。
それは刃が渦を巻いているように婉曲した、変わった意匠のナイフ。
刃にはぐるぐると布が巻かれ、その布には真紅の液体がべったりと塗りたくされていた。
「ふんっ!やはりこの事件の犯人は教団の信者だったか!この狂信者めッ!」
まるで汚物でも眺めるかのように軽蔑しきった目で、兵たちは倒されているリックを見下ろしていた。
何だ、あのナイフは……あんなもの俺は持っていなかったぞ!
確かに投げナイフはあったが、兵が持っているのとは規格違いだ。
否定しないと不味いことになる、本能のままに震える声をあげた。
「ち、違う、それは俺のじゃないッ!?」
「だったら何故、貴様のベルトに入っていた!もう言い逃れは出来んぞ!」
「なッ!ホントにそんなナイフは知りませんよッ!」
いくら声を振り絞ろうとも周りの兵たちにはまるで届かない。
な、何なんだ?一体、俺の身に何が起こってるんだ?
ただ目撃してしまっただけなのに殺人の容疑を掛けられ、何故か血に染まったナイフがベルトにある。
悪いことが冗談のように重なってきて、まるで悪夢だ。
呆然としているうちに、いつの間にか身体は縄で拘束されていた。
「留置所にぶちこんでやるッ!さぁ、立って歩けッ!」
渾身の力で身体を引かれ、リックは野次馬の前にまで引きずり出された。
「あれが、噂の殺人鬼?」
「普通の青年じゃないか、あいつが人をあんな風にばらばらにして殺したのかよ」
「世も末だな、怖い怖い……」
「くたばれッ、この人殺しが!」
「どうせ、縛り首だろうよ。七人も殺したんじゃあな……」
畏怖、恐怖、憎しみ、そして罵声の声。
突き刺さってくる負の言葉で、心は破裂寸前だった。
もしかしたら俺は取り返しのつかない間違いをしてしまったんじゃないか?
いくら違うと叫んでもだれも聞く耳を持ちはしない。
絶望感がじわじわと精神を侵食し、視界が真っ暗になっていく気がした。
そして、リックはまるで見世物にされるかのように引きづられ、自警団の詰め所へ投げ込まれた。