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救出

「う……くぅ……!」


 悩ましげな苦鳴が漏れると同時にフィーナは目を覚ました。意識を取り戻したものの、瞼が異様に重く、頭には霞がかかっている。


 再び眠りに沈んでしまいそうだったが、胸の内で警鐘が鳴り響いていたため、必死に目を開け続けた。


 首すら動かすのが億劫だった。全身が鉛のように重く立ちあがることが出来ない。


 礼拝堂。月明かりがステンドグラスに反射してどこか幻想的な光景を作りだしていた。自分はそこの長椅子に座っているようだ。


 そして中央の祭壇で祈りをささげているのは法衣を見に纏った一人の男性。


 女神の像に一身に祈りを捧げるその姿は神聖で聖職者そのものといった様子だった。


 まさかこの神父が何人もの人間を無残に殺した殺人鬼とは誰も思うまい。


 その様をかすむ視界で捉えながらフィーナは現状を把握した。


(そっか、私はあの後、捕まって……)


 教会へと連れ込まれたらしい。何て情けない。標的としていた人物を倒すことも出来ず、その上捕まってしまうなんて。


 私らしくないな……心の中で小さく自嘲する。


 それもこれも全部、あいつのせいだ。頭に浮かんでくるのは男としては少々情けないと思える、優しげな風貌の青年。異世界からやってきたとか信じられないことを言う変わった人。


 私の事を手伝いたいっといったくせに、まったく終始足を引っ張ってくれたものだ。


 だが、不思議と胸の内には怨みや憎しみの感情は欠片も存在していなかった。


 それはあいつと過ごした数日が思ったよりも楽しかったからかもしれない。子供のように無知で何回もやきもきさせられたけど、こうして振り返ってみると思わず笑みがこぼれてしまうような思い出だった。


 数日前、別れたときはもう会うことはないだろうと思っていた。だが、あのお人よしは私のために指名手配されているこの都市に残ってくれた。


 迷惑だと口では言っていたが、心の底では本当に嬉しかった。そんな義理がたい優しい人を怨めるわけがない。


(リック……大丈夫かな?)


 あれからちゃんと逃げられたのだろうか?神父は手を出さないと確約したがフィーナは一切信用していなかった。


 ひょっとしたら今も危険な目に合っているかもしれない。あいつの運は果てしなく悪いんだからありえない話ではない。


 身体を拘束されいつ殺されてもおかしくない状況だったのに、フィーナはひたすら異世界の青年の身だけを案じていた。


 そういえば自分が誰かのことを心配するなんて久しぶりだ。あれから……自分の国が無くなって以来、ずっと一人で生きてきた。


 人との関わりは最小限にとどめ、孤独に旅を続ける。


 父が侵してしまった過ちを是正し、そして大勢の人を犠牲にして生き残っている己の父親を殺す、それのみを生きる目的としてここまで来たのだ。


 だというのに、今は神父の命を奪うことよりもリックを助けることばかりを考えていた。


 何とか体を動かそうと身じろぎするが、指先がわずかに動いただけで自由の一切が奪われていた。それも首に掛けられた魔道具のせいだ。何とか取り外そうとして、身じろぎしたが……


「おや、フィーナ王女、目を覚まされましたか。ご機嫌はいかがですか?」


 神父の質問には答えることはなくフィーナは皮肉な笑みを浮かべた。


「……驚いたわ、邪教の信徒でも何を女神様に祈っていたの?」


「もちろん、世界の平和と人々の心の安寧ですよ。決まっているでしょ?」


 人殺しが何を言っているんだか……まったく笑わせてくれる。


「……女神様が貴方の願い事何か聞き届けてくれると思っているの?黒の教団である貴方の?」


「何をおっしゃってるんですか?私が黒の教団であることと、女神の信徒であることは矛盾していませんよ……なぜなら不死王と女神様は同一人物なのですから!」


 嬉々とした笑みでそう言い放った神父の正気を疑った。


 教会騎士団の前でほざいた日には、残虐な拷問のオンパレードが始まることだろう。


「笑わせてくれるわね、この大陸で広く信仰されている慈悲深き女神様」


「いくら否定しようともこの事実は覆りませんよ。何故ならどちらも命を与えてくれる存在なのですからね!女神様は人間を生み、そして不死王はその命を永遠のものとしてくれる!ほら、非常に似通っているでしょう!」


 教会の中、己だけの理屈で自己完結し、狂ったような笑い声をあげる神父は酷く不気味だった。常人とはもはや思考が大きく乖離してしまっているらしい。 


 これ以上の会話は無駄だとフィーナは判断した。


 それよりも聞かなければならないことがある。


「聞くに堪えない戯言ね……それ、よりも……リックは無事でしょうね……」


 神父独特の教義などでどうでもいい。知りたいのはここにはいない一人の青年の行方だ。神父は何とも不気味な笑顔を浮かべながら口を開く。


「ええ、私は女神に誓って約束したはずですよ、彼には指一本触れてはいませんよ。……まぁ、あそこに置き去りにしたわけですから自警団に捕まったかもしれませんがね」


 フィーナは殺気のこもった視線で神父を貫いた。気の弱い者なら失神してしまうほど鋭い目。だが、神父は飄々と笑みを浮かべるだけだった。


「あな、たは……よくも!」


「おや?私は指一本、リックさんには触れていませんよ……触れられないから置き去りにするしかないわけですけどね」


 身を焦がすかのような殺意が胸中を支配する。自分の身体が自由に動けていたのなら、すぐにでも神父を八つ裂きにしているだろう。


「ですが、安心してください。先ほど街の噂で聞きましたが、どうやら彼はまだ逃げ回っているみたいですね。自警団を総動員させて、そこに冒険者も混ざりましたから都市は祭りみたいな有り様になってますよ」


 喜んでいいのか、どうなのか……まだ無事だということが分かり、ほっと安心した。だが、いずれにせよ、やはりあの間抜けな男は未だに危険の渦中の中にいるらしい。


 ならば、自分が助けなければと使命感のような感情で必死に拘束から抜けだそうとしたが、身体は動いてはくれない。


 必死にその場から立ち上がろうとしている 


「それにしても……自分の身よりもあの青年の心配ですか?まったく優しいというかお人よしというか……?これから自分がどうなるのか、そちらの方を気にするべきではないですか?」


「ふん、聞くまでもないわ、どうせ惨たらしく殺すつもりでしょ?」


「そんな、滅相もない!そんな真似はしませんよ、教団から貴女を見つけたら殺すのではなく捕縛しろっと言われてますからね。それに貴女のお父様、元バグナ―ド王も会いたがっていましたよ。フィーナさんもお父様に会いたくて教団を追っていたわけですから、都合がいいじゃないですか」


 それは……自分も会いたかったが、殺すためなのだ。このように捕まえられて会ったとしても何もできない。よって嬉しくもない。


 悔しげに唇をかむフィーナ。復讐のために全てを捨てたのに、このような無様な姿で、絶対に父とは会いたくなかった。


 何とか拘束から逃れようとするが、どうしても動くことが出来ない。神父はその様を見ながら、何とも複雑な表情を浮かべた。


「ですが……少し心配ですね。この魔道具の拘束から逃れられるわけはないのですが……現にリックさんは捕まることなくグリア―ドを逃げ回っているわけですから……ふむ、念には念を入れますか」


 神父は懐から【咎の杭】と呼ばれる教団愛用のナイフを取り出した。


「……足の腱を斬っておきますか、そうすれば逃げることも戦うことも出来ないでしょうからね」


 夕食の話でもしているかのような何気ない顔で、神父はとんでもないことを呟いた。ぞっと血の気が引く思いがした。


「くう……!や、やめなさ……!」


 わざと見せつけるかのように紫に濁ったナイフの刃をあてがう。無論、フィーナは抵抗をしようとするが、神父の力の方が遥かに強く簡単に封じられてしまった。


 もう駄目だ……あいつを助けにいきたかったが、どうやら無理らしい。

 

 リックには自力で逃げて欲しいと心の中で真摯に祈る。ここは教会だ。神父はこんな男だろうが女神に祈る場所には違いはないだろう。


 だが、ふと思う。仮に自警団達を撒けたとしても素直にグリア―ドから脱出してくれるだろうか?今までも充分にその機会はあったというのにリックはこの都市に残り続けた。


 そう、自分のために……。


 ひょっとしたら私を助けるだなんていう馬鹿な考えを持っているのではないか?


(そんなわけが無いと思うけど……)


 さすがに自警団が総動員され、冒険者にも狙われている中、教会に突っ込んでくるような馬鹿ではないだろう。


 だけど……心の中の不安は消えなかった。


(もし、ここに来たのなら……絶対に許さない、殴ってやるんだから)


 あいつには帰る場所がある、待っている家族もいるのだ。たとえ異世界という途方もない場所かもしれないが来た以上、帰る道だってきっとあるはずだ。


 ならそれを見つけるために全力を尽くすべきだ。


 出会ったばかりの他人を助けるために危険を冒すべきではない。ましてや、自分のような天涯孤独な者のために命を掛けるなど認められるわけがない。


 どうか逃げてくれますように、心の中で何度も祈るフィーナだった。


 だが、どうやらこのような邪教の者が神父を務める教会では女神への祈りは届かないらしい。


 ガタンと扉が強引に開けられたような音が静かな教会に響きわたる。


「おや……これはこれは」


 不躾に荒々しく教会に入り込んできた人物を見つめ、神父の顔が残酷に歪む。


 嫌な予感がする。おそるおそる、扉の方向へと目を向けると……そこにいたのは黒衣を見に纏った一人の青年だった。


 体中が血に汚れ、服には見る影もなくズタボロになっている。

 その様からここに来るまでにどんな激闘が合ったのか、すぐに把握できたほどだった。


 そんな無様な姿をしながらも、目には強い意志の光が灯っていた。静かながらも内には覇気を湛えた眼光で祭壇の前に立つ神父を真っ向から睨んでいる。


 数日前に出会ったあの情けない青年とは思えないほど雄々しく立つその姿に見とれたのは一瞬。 


(あっんの馬鹿ッ!)


 何故、ここに来たんだ。逃げられたのならそのまま都市を離れるべきだったのに!


 何でこうも馬鹿なのよッ!助けてほしいだなんて私は一言も言ってないわよ!


 言いたいことが山ほどあった。なのに、思考が乱れに乱れて言葉がうまく出てこない。


 様々な感情が心の中で暴れ狂う中、結局最後にフィーナの胸の内を満たしたのは……紛れもない歓喜の感情だった。

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