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池の魔獣

 池から現れた物、それは巨大なタコの形をしていた。


 赤黒い皮膚に四つの眼光、口らしき部分には鋭利な牙が生えている。

 下半身から生えた、ゆらゆらと九本もの触手を漂わせて、リックとフィーナを見下ろしていた。


「な、ななななな、何ですかあれ!」


 池から突如、姿を現した存在に度肝を抜かれた。

 大きい、自分の遥かに高い場所にある顔らしき部位を見上げながら後ずさる。


「……見れば分かるでしょ!魔物よ!大きさから、この池の主といったところかしら。池に近付いた生物を根こそぎ食糧としているみたいね」


 そして、リック達を見下ろす四つの眼光は捕食者の色を帯びている。

 ケベロス三体を胃袋に納めようとも、まだ足りないようで唸り声をあげている。


「ど、どどどうしましょう?」


「どうするも何も向こうはヤル気よ、戦うしかないでしょう!」


「ま、マジですか!」


「えぇ、大マジよ!大丈夫、私も手を貸すし、貴方の腕前ならきっと勝てるわ!自信を持ちなさい」


 か、買いかぶり過ぎだと思うのですけど……!


 だが、女の子にそこまで言われてしまっては逃げるわけにはいかない。

 剣を構え直し、巨大なタコ型モンスターに向き直る。


「気を付けて!来るわよ!」


 言葉と同時、触手の一本が二人に向けて振りかぶられた。

 慌てて左右に散らばる。


 叩きつけられた触手は粉塵をまき散らしながら大地の一部を削り取っていた。


(こ、これはもう……痛いとかじゃないよな……)


 直撃したらまず間違いなく地面の染みになってしまう。


 驚き震えあがるリックだったが、勇猛な少女はすぐに反撃へと移っていた。


「はああああああッ!」


 土煙の中でも果敢に進み、軌跡しか見えない速度で剣を振るう。

 斬り飛ばされた触手は宙へと舞い、獣の悲鳴が周囲に響き渡った。


 二人が単なる餌ではないと悟ったのか、目を血走らせ怒りをあらわにするモンスター。


 フィーナはそれに一切、怯むことは無く、魔物の懐へと飛び込んでいく。


 一本切り飛ばしたとはいえ、まだ触手は八本存在している。

 それらを縦横無尽に振り払い、少女を捕獲しようと蠢くが、当たらない。


 まるで未来でも見えているかのように避けていく。

 そしてまたしても触手を跳ね飛ばし……その様をリックは見惚れたように見ていた。


 これ……俺、いらないんじゃないのか?


 フィーナのあまりの強さに自分が手を出さずとも魔物を倒せるような気がする。


 だが、いくら強かろうとも女の子、一人に戦わせるのは男が廃る。

 というよりも情けなさ過ぎる!


 覚悟を決め、鞭のような触手が暴れ狂う前線へと突っ込んでいった。

 地面を転がりながら避けるため、あまりにも不格好だったがそれでも前へと進んでいく。


 そして前方からなぎ払われるように振られてきた触手を、地に剣を突き立て切断した。

 腕に尋常ではない圧力がかかるが、きつく剣を握りしめ、耐え抜く。


「ふふ、やるじゃない!」


「ど、どうも!」


 軽口を交わしながらも、二人の視線は魔物に向けられたまま。

 激昂し襲いかかってくる魔物の触手を順調に斬り飛ばしていった。

 そして、ついに……


「これで、最後の一本ッ!」


 身体に巻きつこうとした魔物の手を捩じるように断ち切るリック。

 九本あった触手は例外なく二人に斬る飛ばされ、もはや魔物に攻撃の手段は無い。

 これで残すは本体のみ。

 遮るものは何も無い。


 勝てる、そう確信し胴体へと全力で駆けていくリックだったが、不意に視界の隅で何かを捉えた。


「え?……ぐっぼおおッ!」


 直後に腹部に凄まじい衝撃が奔り、踏ん張る余裕もなく背後に転がっていく。

 ほんの一瞬、意識が途絶えていた。


 気がついたのはようやく勢いが止まり、地面に倒れふしていた時。

 すぐに全身がバラバラになったのではないかという痛みが駆け巡った。


「がはぁッ!」


 猛烈な激痛と尋常ではない吐き気。

 腹を抑えるように丸くなりながら、何が起こったのか確認するため、必死に顔を上げる。 

 かすむ目で捉えたのは魔物の触手の一本が泡を吐き出しながら再生している姿。


(こ、こいつ!治癒能力持ちかよ!)


 どうやらその治りかけの触手に払われ、吹き飛ばされたようだ。

 残りの斬り痕からも泡を吹き出しながら、徐々にだが新たな触手が生えてきている。


「リ、リック!大丈夫ッ!生きてるッ!?」


 酷く焦ったような少女の声。立たなければ、と痛みをこらえながら声を絞り出した。


「は、はい、大丈、夫、です!」


 嘘だ、本当は大丈夫なんかじゃない。

 必死にかみ殺しているが、今にも情けなく悲鳴をあげながらのたうち回りたい。


 それでこの痛みから逃れられるとは思わないが、ただそうしないと正気を失ってしまいそうだ。


 だけど……!

 かつてないほど理性を総動員して痛みを抑え付ける。

 顔に、態度に出さぬよう壊れるほど歯を食いしばった。


 まず間違いなくフィーナさんは俺を助けようとする。

 もしそのせいで、あの魔物に負けてしまったらと思うと心が酷く波だった。


 死ぬのはもちろん嫌だったが、フィーナの足を引っ張ってしまうのは文字通り死ぬほど嫌だった。


 喉元からせり上がってきた胃の中身を必死に呑みこみ、地に足を付ける。

 生まれたての仔馬のように膝は震えていたが、何とか立ち上がることが出来た。


 剣を構え、足腰に力を込める。

 大丈夫、俺はまだ戦える!


 フィーナは魔物を牽制しながら後退し、リックを守るかのように隣に立った。


「ちょっと!どう見ても大丈夫じゃないわよ!」


 リックの横顔からは尋常ではない脂汗が吹き出し、頬は吐き気で引きつっている。

 とてもじゃないが、戦える状態じゃない。すぐさま、そう判断した。


「……私が突っ込んで注意を逸らすからその隙に下がって。大丈夫、絶対に手を出させないから」 


「へ、平気ですって、俺はまだ戦えます、たかが腹を強く打たれただけですから……」


「馬鹿!強がりしなくてもいいから……」


「大丈夫です、戦えます!」


 被せるように吐かれた言葉。

 顔面は蒼白で、凄まじい痛みに耐えているのが誰から見ても分かった。

 だというのに、リックの瞳の中には強固な意志が垣間見えて、思わず言葉を失った。


 どうするべきか、迷ったのは一瞬。


「分かったわ……再生能力が備わっている以上、触手をいくら斬り飛ばしても無駄ね。かといって本体を狙おうにも近寄れないと」


「じゃあ、どうします?」 


「……私が魔法であいつを丸ごと丸焼きにするわ。でも、魔法の詠唱中、酷く無防備になるの」


「なるほど、俺はその間、あいつの注意を引けばいいんですか?」


「そうね……出来る?」


 生半可な返答はすることは出来ない。

 失敗すれば己だけでなく、少女の身すら危ないのだから。

 フィーナの碧眼は覚悟を問うている。

 そして、信じていいのかとも……


 だからこそ、リックは迷うことなく彼女の宝石のように美しい目を見つめ返した。


「出来ます、やらせてください!」


 声は痛みのせいで、か細かったが、それでも明晰にフィーナの耳に届いた。


「分かった、任せたわよ!」


 その声を背に受け、リックは前へと進み出た。

 すでに魔物は三本の触手を完全に治し、リック達を測るように見据えていた。


 今まで襲いかかってこなかったのは治癒を最優先したからだろう。

 無論、逃げようとした瞬間、背中に向かって襲いかかってきただろうが……


 腹部から発する激痛を歯を食いしばって耐え抜き、見下ろしてくる鋭い眼光と対峙する。


 正直、言うと今にも逃げ出したい。

 覚悟はしていたが……痛みというのはこんなにも心を押し潰すものだと改めて思う。

 

 まともに喧嘩もしたことなにリックにとって、痛みとは縁の遠い感覚。


 殴られれば痛い、そんなことは当然の知識だったがリックにとっては実感の伴っていないものだった。


 だが、それでも逃げられない、逃げるわけにはいかない。

 それは戦士としても自覚が湧きでてきたわけでもなく、やりかえしてやろうと復讐心に駆られたわけでもない。


 ただ単に男として信じてくれた女の子を裏切れないという単純な思いだった。

 

「もう、自棄だ、こうなりゃやってやる!」


 雄たけびを上げたと同時に戦闘は再開した。

 再び触手を鞭のように振りかぶり、宙へと土砂をまき散らしていく。

 弾丸のような勢いで小石がとびちり、身体に突き刺さってきた。


 それでも決して魔物から目を離さず、暴れ狂う触手を避けていく。

 そんな中、爆音の中からも背後から詠唱が聞こえる。 


 それを心の支えとして、リックは恐怖と痛みを抑えつけた。


 一本、またも触手を斬っていくがどんどん再生していくためキリが無いない。

 かといって後ろに下がればフィーナが狙われる。


 一秒が永遠に感じられるような激闘に身を置きながら、リックはただ待っていた。

 まき散らされた土砂が顔にぶち当たる。

 思わず視界を奪われたその隙に、触手の一本が頭上から振り落とされた。


「がはぁッ!」


 地面に叩きつけられ、鼻と頭から血が噴き出してきたが、無視。

 すぐさま立ちあがり、次の攻撃へと備えた。


 そんな中、リックは思考の片隅で自分自身に驚いていた。


 いつもの自分なら痛みに耐えきれず泣きわめいているか、とうの昔に諦めているかのどっちかのはずだ。


 それがこんな風に凄まじい化け物にも向かっていける熱い一面があるなんて……


 左右から地面をなぞるように振られた鞭を跳びあがって避けながら、リックはほくそ笑む。


 何故だが、分からないがあの少女が見ているかと思ったらどんなことでも出来そうな気がしたのだ。


(あっ、ヤバいな、俺……やっぱフィーナさんのこと……)


 不意に思考の片隅で行きついた考えを慌てて振り払う。

 おいおい、それは間違っても戦闘中に考えることじゃないだろ。


 そんな場違いな事を考えながら、ひたすら剣を振るっているとようやく……


「リック!下がって!」


 フィーナの声が頭蓋を揺らした。

 半ば反射的に後ろへと転がり、彼女の辺りまで後退した時に


「火の精霊たるサラマンデルに希う。さかる紅蓮の火矢を持ってして塞ぐ羅刹を滅したまえ!来たれ、火神の洸槍(サーマル・ランス)!」

 

 刹那生じた熱風にリックは思わず顔を覆った。

 フィーナの前方の空間に燃え盛る炎が具現し、辺りを赤い光で照らしあげる。


 猛烈な熱気は地の草花を燃え上がらせているというのに、少女の掲げられた手には一切の傷は無かった。


 やがて業火は槍の形へと変貌し、凄まじい勢いで魔物に向かって疾走する。

 触手を掲げ炎の槍を食い止めようとするが、まるで意味がない。


 真っ直ぐ焔槍は魔物の胴体へと突き刺さり、爆散、熱をまき散らした。

 おそらくだが、その瞬間、魔物は絶命したはずだ。


 だというのに、炎は魂すら滅却するかのように魔物の身体を媒介とし燃え盛っている。


 やがて、ゆっくりと池の中に死体は沈んでいくが、何故だか水に入っても火は轟いているような気がした。

 やがて、爆発で四散した魔物の破片がぷかぷかと湧きあがってくる。


「す、凄い……!」


 一度フィーナの魔法を見たことはあるが、今回もまた凄かった。

 あの大きさの魔物をただ一撃で殺しつくすなんて……。

 身を引き裂くような痛みも忘れ、ただその光景に目を奪われる。 


「やりましたね、フィーナさん!」

 

 少女の金な髪をかき上げ、リックに向き直る。

 汗一つかいていない静謐なその横顔に思わず見惚れていた。


「えぇ、そうね……リック、貴方のおかげよ」


「そ、そんな!俺はただ走り回っていただけで、何もしてませんよ」


 首を振るフィーナ。その瞳は酷く優しい光を湛えていた。


「ううん、そんなことは無いわ。勝てたのは貴方がいてくれたから」


 その言葉がとてつもなく照れ臭く、リックは顔に熱が上がってくるのを感じた。

 胸を占めているのは喜びの感情。

 ついさっき死ぬような思いをしたというのに、リックは小躍りしたくなるような気分になった。


「怪我は大丈夫?すぐに手当てをするから、そのまま座っていて」

  

 そう言うとポーチから何やら塗り薬を取りだしリックに視線を合わせる。

 顔や腕、所々に付いた傷跡にその薬を塗っていく。

 そのひやりとした感触に背中がぞわりとした。


 先ほどは戦女神のような勇猛な戦いぶりを見せていたのに、こうして手当てしてくれるその表情は心配げな一人の少女のものであり、そのギャップが何とも魅力的だった。


「お腹の方も見せてみなさい」

「え?あ、いや、そっちは大丈夫です……」

「いいから、見せなさい!」


 強引に上着を押し上げ、腹をじろじろと見られる。

 何とも気恥ずかしく思わず顔を背けていた。


「こっちも痣になっているから軽く塗っておくね」


 マジかよ……!否定の言葉を言う前にフィーナの白く細い指が腹に触れる。


 優しく触れる少女の手。

 白いジェルのようなものを丁寧に塗りつけていく。

 その動作にそこはかとないエロスを感じ、リックは身悶えた。


(おいおい、何だこの御褒美は!)


 フィーナは真剣になって自分の身を案じてくれているのに、頭はおかしな妄想で溢れていた。

 痛みなどまるで気にならない。


「ごめんね、私が治癒魔法を使えたら良かったんだけど」


「そんな……薬で充分ですって!」


 いや違う……塗り薬が良いのだ。

 もし治癒魔法なんて便利な物があったならこの感触を味わえないじゃないか!

 

 まあ、そんな変態じみたこと口には出さないが……


「よし!これで一応は治療は終わったけど、まだ酷く痛むところはある?」


「無いですね。薬のおかげか、全然痛くないです」


「そ、そんなわけないでしょ……そんな早くは効いてこないわよ」


 そうなのか、だとしたら彼女の指のお陰だろう。

 フィーナの触れた感触がまだ残っており、その部分が仄かな熱を放ち痛みを緩和している。

 凄いな、美少女の指には治癒能力があるのか~。

 

 まぁ、それも変態的だから言う訳ないが……


「でも、驚いたわね。池にあんな魔物が潜んでいたなんて……私も油断していたわ」


「びっくりしましたね……ケベロス達は食べられちまうし、はぁ~、また探さなくちゃ駄目なのか」


 ようやく討伐対象を見つけたと言うのに、また探し直しだ。


 正直、うんざりする。

 あのような強力な魔物と戦った後に、また森の探索に戻るのは気が進まなかったのだ。


 しかし、放棄するわけにも行かず、覚悟を決めて立ち上がると、フィーナが隣で笑みを浮かべていた。


「ふふん、案外、大丈夫だったりするかもしれないわよ」


 そう言うと、池の方まで歩いていく。

 軽く水へと足を付け、魔物の残骸をあさっていく。


 やがて残骸の中から何かを見つけた少女は、それを手に取り戻ってきた。


「はい、やっぱりまだあったわ」


 手の平にポンと置かれたのは、ケベロスの牙三本と……蒼い光を反射させる結晶だった。


 これは何だろう?

 宝石のような蒼い光を湛えて、何とも美しい。


「あの、こっちの水晶?みたいなのは何ですか?」


「それはね、魔石っていう魔力が結晶化した石よ。魔物を食う魔物、つまり大型の魔物が身に秘めているものね、せっかく倒したんだし貰っておかなきゃ損でしょ」

 

 へぇ~、これがあの気味の悪いモンスターの中にね……。


「それをギルドへ持って行きなさい。そうすればそこそこの額で換金してもらえるわ」


「え?……だとしたらこれはフィーナさんが持っていくべきじゃ?とどめを刺したのはフィーナさんだし……」


「い~え、それは貴方の物。だってリックがいなければ勝てなかったもの。」


 彼女はそう告げるが、それには納得できかねる。

 彼女ならきっとあの魔物ぐらい一人で倒せたはずなのだから。

 むしろ、俺一人だったら確実に負けていた。


 まるでおこぼれを貰ったみたいで、複雑な表情を浮かべるリック。

 そんな彼にフィーナは背中をバンと叩く。


「私に魔物を近づけまいと戦っている貴方の姿、少し格好良かったわよ。だから、それはそのお礼!」


 格好良かった、その言葉は魔石を貰ったことよりも遥かにリックを高揚させた。

 女の子にそんなことを言われたのは初めてだ。

 

「グふ、ぐふふふ……」


 とてもじゃないが笑みを堪え切れない。

 格好良い、そうか俺は格好よかったのか!


 頑張って良かったっと心の底から思える。ひたすら不気味な笑いを浮かべるリック、その様をフィーナは苦笑いを浮かべながら見ていたのだった。

 

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