保護森林区
「え?」
草むらから飛び出してきた二つの影、二体のケベロスを呆然と眺めるリック。
浅い勝利の余韻に浸っていたためか、思考は突然の事態に付いていけずにいた。
何もかもがスローに見える。
感情の一切を失った瞳でただ自分に跳びかかってくるケベロスを映していた。
一秒後、魔物の獰猛な牙によってズタズタのボロ雑巾へと変貌してしまうのは明らかだ。
だが、思考は止まりながらも何故か身体は反射的に動いていた。
【アース・エンブリオ】の中でも奇襲攻撃はあり、その際に培ってきた動作を遺憾なく発揮する。
例えゲームの中であっても経験は経験。
身体は動作を覚えている。
しかし、この瞬間、どんなに早く剣を振るっても仕留めることが出来るのは一体のみ。
二体はほんの僅かだが、前後にずれて襲いかかってきたため、片方を潰したとしても、もう片方の牙の餌食となってしまう。
故に【リック】が使用したのは一つの剣術技。
【アース・エンブリオ】でのみ使えるはずの必殺がこの世界でも発現した。
「二閃クロスエッジッ!」
剣が振られてのはただ一度。だというのに白銀の剣閃が二回、空間を切り裂く。
決して早いのではない、ほぼ同時。
【アース・エンブリオ】において剣術士が初期に覚えるはずの技がケベロスを粉砕する。
『グギ、ギャアッ!?』
二体のケベロスは顔面を鋭利な剣で叩き斬られ、力なく地面へと堕ちていった。
確かに絶命している二体の魔物を見て、今度こそリックの腰が抜けた。
「はぁ、はぁ、死ぬかと……思った」
大して動いてはいないというのに、肺は貪欲に酸素を求めている。
安心したためか、全身から力が抜け、カランと手から剣がこぼれ落ちる。
(良かった、俺生きてるよ……)
今、こうして呼吸を続けていられるのが奇跡のようだった。
最後のは本当に驚いた。
肝を冷やすとはまさにこのことだろう。
あと一瞬、気付くのが遅かったらまず間違いなく自分は魔物の腹に収まっていたはずなのだ。
いくら目の前の敵に勝利をしても決して油断してはいけない。
死という恐怖にさらされながらリックはそれを学んだのだった。
深呼吸を数回し、気を取り直すと震える足に力を入れ立ちあがる。
彼女が、フィーナが教えてくれたおかげでギリギリの所で対応できたのだ。
礼を言おうとして彼女の方へ眼を向けると、フィーナは腰の細剣を抜いた姿勢のまま凍りついていた。
「どうしたんですか?フィーナさん」
「……え?あっ」
リックが声を掛けて、ようやくフィーナは意識を現実へと戻す。
思わず抜いていた剣を手持無沙汰に見つめながら再び納刀した。
「……すいません、油断してました」
「あぁ、うん、そうね……危ないところだったわね……」
歯切れの悪いセリフに首を傾げる。
どうしたんだろう?
油断するんじゃないの!ってメタクソ怒られると思ったのに……何だか拍子抜けだ。
「……ねぇ、最後のは何?剣速が早いとかじゃなくて、まったく同時に二体を斬りつけたように見えたけど……」
「あぁ、あれは剣術技と言ってその……俺の元いた世界で剣士が使う技なんですよ」
ここでも使えたみたいですね、とリックは感心したように呟いた。
アーツ……ジョブのレベルが上がることによって覚えていく一種の必殺技だ。
ゲームにおいて、アーツはあらかじめ決められた所定の動きを行い、そして技名を叫ぶことで発動する。
どちらが欠けても不可能。
動作を合わせた上に言語認識システムを承認させなければ何も起こらない。
ゲームの初心者の何割かはこのシステムに大いに戸惑うという。
そしてリックももれなくその一人であった。
技名を叫ぶというのはやはりどうにも小っ恥ずかしい。
慣れれば何てことはないのだが、それまでにしばらくかかる者もいる。
「そ、そう……凄い技を使うのね、あなたって」
「そうですかね?」
あまり褒められたような気はせず、リックは気の抜けた返事を返した。
今見せた技は所詮、剣術士が最初期に覚えるアーツなのだ。
SPの消費が少なく使い勝手も良いため、長期にわたって使ってきたが、もっと強力な技も【リック】は放つことが出来る。
「で、その……どうでしたか、俺の実力というか、戦いぶりは?」
「そうね……」
フィーナは顎に手を当て、繰り広げられてた戦いを思い返す。
何を、どう伝えるべきか、しばらく悩んだむ様子を見せる。
「……正直、驚いたわ。手助けが必要だと思ったのに私が手を出す前に終わらせるんですもの」
「ほ、ほんとですか!」
「戦う前は顔面蒼白で、死人みたいな顔をしていたから本当に不安だったけど……良い意味で予想を裏切られたわ」
ヨッシャ、思わずガッツポーズを浮かべていた。
戦う前はあれほど身体が重く震えていたというのに、今は身体が軽くてたまらない。
魔物に勝利をした。
大して強くはない魔物かもしれないが、命がけの戦いに勝利することが出来たのだ。
その実感は何物にも代え難かった。
この世界でも自分はやっていけるのではないかという自信が湧いてい来る。
今まで落ち込んできた分、気分が上がり調子だった。
「こらこら、まだ探索は始まったばかりよ!いくら勝ったといえ、気を抜いちゃ駄目よ」
「は、はい、分かりました!」
フィーナの忠告に気を付けをする。
そうだったな、まだ戦いは始まったばかりだというのに、何をもうやりきったような気分でいたのか。
よく言うじゃないか、勝って兜の緒を締めよと。
さっきも勝利の余韻に浸っていたときに、奇襲を受けたのだ。
油断は絶対にしてはいけない。
気を引き締めなければと己に戒め、剣にこべり付いていた血を振り払った。
最初の戦闘を終え、気持ちの高揚も冷めやらぬままに討伐した証としてケベロスの犬歯を引き抜く。
あまりの気持ち悪さに吐き気が込み上げてきたがぐっと我慢。
この程度でへこたれていては冒険者なんてとても続けてはいられない。
討伐数は十体であるため、残りは半分。
出来ることなら次からは一匹ずつ倒していきたいな、というのが本音だった。
五体の死体からすべての犬歯を引き抜いたところで、森のさらに深みへと足を踏み入れる。
目指す先は森の北西、第七区画に分類される薬草の芽生える場所だ。
薬草は清らかな清流の日当たりの良い場所に場所に生えてくる。
進むにつれ重ねられた葉から陽光が漏れ、美しい森の景色が広がってきたが……あいにくリックにそれを堪能する余裕は無い。
いつ魔物が飛び出してくるか分からないため、常に右手には剣が納められている。
戦闘中、油断して死にかけたという恐怖が頭にこびりついているためか酷く切羽詰まった顔をしていた。
「お、おうッ!魔物か!」
頭上の木の葉がすれ合う音にリックは弾かれたように上を見上げた。
枝に止まっていたのはただの鳥。
間抜けな顔を浮かべるリックをつぶらな瞳で見下ろし、すぐにまたどこかへ飛び去って行った。
物音にいちいち馬鹿丁寧なリアクションを取る同行者にフィーナはため息をこぼした。
「ねぇ、リック……油断しろとは言えないけどもう少しリラックス出来ないかしら?」
これで勘違いは何度目だろうか?
「でも、ですね……いつ魔物が襲いかかってくるかと思うと気が気でなくて……」
「そんなに気張っていたらすぐに疲れちゃうわよ。いつでも対応できるようにするのは良いことだけど、だからといって必要以上の警戒は無駄な疲労を蓄積するだけ。こういう探索は体力勝負なんだからね!」
まだ森に入って初戦を終えたばかり。
依頼を成し遂げるまでどれほどかかるか、見当もつかない。
だというのにリックの神経はあれからずっと張りつめたままだ。
これでは一時間もしない内にプツンといってしまう。
「そ・れ・に!今は私という同行者もいる、頼れとまでは言わないけど、もう少し当てにしなさい。はい、じゃあ深呼吸!」
「は、はい!」
言われるがままに森の新鮮な空気を肺一杯に取り込む。
空気を美味いと感じたのはこれが初めてだった。
全身の淀んだ汚れが浄化されるのを感じる。
身体全部に正常な空気が行きわたると無駄な力が抜けていくような気がした。
「こんな綺麗な森の中にいるんだし、景色を楽しまなくちゃ損でしょ」
少女の悪戯っ子のような幼い笑みを見て、ようやくリックの肩から強張りが抜けた。
そうだ、何も自分であらゆる所に気を配る必要は無い。
己よりもずっと腕が立つフィーナがいる。
彼女に頼りきりには無論、するつもりはないが、もう少し余裕を持とう。
そう決意すると、何故だか、木々の深い緑がやたらと鮮明になった。
モノクロになっていた視界が色づき始める。
景色を楽しむ、か……確かにこんな自然が溢れる森なんだ、もったいないよな。
力強く大地に根を張り、そびえる木々。片隅には七色の花が咲き誇って芳しい匂いを放っている。木の上では見慣れぬ鳥たちがコーラスを奏でていた。
それからもリック達は森の探索を続け、様々の魔物とも交戦した。
やたらと胴体の長い異形の猫型の魔物ニャーム。
ダンゴ虫のように丸くなり、攻撃を仕掛けてくると言う特徴がある。ただ前が見えないためか、見当違いの方向へとぶつかっていくため、あっさりと倒すことが出来た。
木に寄生して果実の形を取り、獲物をおびき寄せるダンゴル。
迂闊にも、その匂いに惹かれたリックはダンゴルへと手を伸ばしてしまった。フィーナの注意があと少し遅かったら右手一本まるごと持っていかれただろう。
人の顔ほどもある巨大な蚊、ギ―。
強い、弱い以前に細部まで見えてしまうその大きさ。そのあまりの気持ち悪さからリックは失神しかけた。
どれも変わった形状と攻撃方法をしていたが、どれもケベロスほどの速さも威圧感もなく、リックは例外なく剣の錆へと変えていった。
「はああああッ!」
そして、現在。
口から毒液を吐いてきた巨大な芋虫、エベル・ビードルを一閃の元に斬り伏せる。
顔を斬り飛ばされた魔物は緑色の体液をまき散らしながら絶命した。
「ふぅ……」
大分、問題無く倒せるようにはなったが、肉を切り裂く感触にはまだ慣れない。
ゲームだったらモンスターを斬る感触などは無く、死体もすぐに消えるのだが、ここは現実だ。
血やら死体が消失することなく場に残るため、何とも複雑な気持ちになる。
罪悪感っていうのかな?
いくら生きていくためのとはいえ、現代っ子のリックにとって生き物の命を奪うのは割り切れないものがある。
パチパチっ、不意に背後から拍手の音が聞こえた。
「うん。大分、魔物との戦いに慣れてきたわね上出来じゃない!」
「い、いえいえ、俺なんてまだまだですよ!」
だが、そんな暗い感情は彼女に声を掛けられただけですぐに霧散していった。
まったく男というのは因果な生き物だ。
口とは裏腹ににやけてくる頬を抑えていられない。
「さっきまで震えていたのが嘘みたいね、これならすぐに上のランクにも上がっていけると思うわ」
「上のランクですか?」
「うん、無傷でこの辺りの魔物を倒せるんだもん、きっとD……いえCまでなら躓くことなくいけるわよ!」
あぁ、ランクっていうのはギルドの階級のことか。
「ギルドのランクが上がればより身入りの良い依頼を受けることができるわ、その分、危険度も増してくるけどね」
「うっ……それは御遠慮願いたいですね」
今のところは無傷とはいえ、決して余裕というわけではない。
むしろ、一杯一杯だ。
避けるのを最優先で立ち回り、そして魔物の攻撃パターンも酷く読みやすかったからこその無傷。
正直、自分は痛みに対する耐性が全くない。
キツいのを一発貰ったら泣き叫び、喚き散らす自信が存分にある。
(そう考えたらむやみやたらと上を目指すのも考えものかな……)
お金は必要最小限で構わない。
無駄な危険を招き寄せるのはお断りだ。
「でも!慣れてきたからって油断はしないように!そういう時が一番怖いんだからね」
「はい……」
順調に魔物を倒して先へと進んでいく。
そして日も真上に昇ってたころ、ようやく目的地にたどり着いた。
さらさらと清流が流れる小川。
保護森林区画第七区画。
風光明美な場所としても、知られている森の清流だ。
「綺麗なところですね……」
「そうね……」
観光地の写真にでも出来そうな光景だった。
頭上から漏れてきた日の光が水に反射して宝石のように光っていた。
青々しい緑が広がっており、ここはひときわ空気が清浄な気がする。
ふと小川付近に生えていた紫の花を見つける。
「あれが、薬草ですか?」
「そうよ、この辺りの薬草は綺麗な水で育ったせいか特別、品質が良いって聞くわね。はい、これ!」
手渡されたのは茶色の布で編まれた袋。
「これが一杯になるまで、薬草を詰めてね。ただし、蒼い花の付いた物は駄目よ、紫の花だけ。蒼いのはまだ成長途中だからね」
なるほど、よく見れば所々に蒼みがかった花の付いた薬草もある。
手当たり次第という訳にはいかないか。
二手に分かれて小川付近に生えていた薬草を集めていく。
地味で単純な作業だったが、魔物と戦うよりかは遥かに気楽だった
景色も良いわけだし、こんな風景を楽しめるなら採集依頼も悪くはないな……。
川から出っ張っている岩から岩へと跳び移り、薬草を集めていく。
が、不意にかすかな物音をリックの耳が捉えた。
「ッ!」
慌てて見上げると頭上の崖の上から何かが見下ろしていた。
人ではない……毛むくじゃらで四足歩行の獣だ。
「フィーナさん!魔物です」
「え?……」
剣では届かない。足場も悪いため、ベルトに装着されたナイフを抜きとり、振りかぶる。
フィーナも腰の剣に手を伸ばすが、リックの標的を目に納めたとき、慌てて制止の声を上げた。
「ば、馬鹿!止めなさい!」
だが、戦闘態勢に入ったリックには聞こえない。
放たれたナイフは空を切って、まっすぐ標的へと飛翔する。
だが、足場が悪かったせいか、あと一歩のところで掠めただけだった。
ナイフは木の幹に突き刺さり、それに驚いた魔物は森の奥へと逃げていく。
「クソッ!外したか!」
「外したか、じゃないでしょ!」
怒声を上げながら、フィーナは悔しがっているリックに向けて飛び蹴りをかました。
彼女の足は見事にリックの横腹へと突き刺さり、彼の身体は勢いのまま川へと頭からダイブしたのだった。




