恋い焦がれし瞳
突然、ゴリッという音とともに視線は落ちる。こんな右も左も曇ったガラス窓に挟まれて、住宅街の裏路地のような代わり映えもない道をひたすら歩く。先に何があるのかと前を見ようとしたのだから、気もそれて段差くらい挫いてしまうじゃないか。
「あぁ〜もう捻挫のクセが戻っちゃうよ……。」
と言い終えたか否かの刹那……
「だまれぇーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!!」
(((ミシミシミシッガギンッガッシャーーーーン)))
そこらじゅうの窓でも割れたかと錯覚するほどの怒鳴り声が狭く続くどこまでもこだました。
おそるおそるくぼみになっているところを覗き込むと、なんとも麗しく大きな瞳にポンポコリンの大きな身体。それはいつか古書で見たゴリラだ。
「どうなさったんですか。苦しいのですか。」
「だぁーーかーーらぁ!お前の声は何故そんなにうるさい!耳にキンキン響くんだ。お願いだからもう喋ったりしないでくれ!」
「でも……、ーーここを通るにはあの大きな足をどかしてもらわないとーー」
「あ"あ"ー!もういいわかった!オレの願いを叶えたら、ここを通してやろう。どうせお前はオレの足様を越えられなくて困っているのだろう?」
私はさっきから何もしゃべらせてくれないというのに、あのでかいゴリラは私の考えを見えすいているように言いたい放題だ。でも私だって正直あのつっけんどんな口調には参っているのだ。ここは潔く言う通りにしておいた方が、ことを大きくせずに済みそうだ。
「あの、先ほどのお願いというのはどういったことなのでしょう。」
そう、できるだけ声を小さく小さく表情をうかがう。
「たいした覚悟だ。よいぞ。我はそこの扉の向こうの魔女に恋をしている。それはもう、女神のように美しく優雅なのだ。」
腰が抜けるかと思った。大層にひねくれた注文でもされるものかと思えば、我様が恋?少し恋い焦がれた瞳と見つめ合った後、この者も純粋なのだな。他者を馬鹿にするものではないし。と思い、耳を傾ける。
「だが我が声をかけようとも相手にしてはくれない。つらいので扉を閉じてみたはものの、こうして今でも想いは募るばかりなのじゃ。」
ふたたび扉である方を振り返れば、一度や二度ではない、確と閉ざされた壁があった。私は180度向き直り彼を見て、
「では、私はどうすればよいでしょう。」
と相談を受け入れた。
「おうなんだ。お前はポーッと抜けているように見えて、いきなり扉に向かって行くほど馬鹿ではないのだな。」
なんだかこの恋するゴリラはわざとなのかいちいちカンに障るようなことを言ってくる。
「では時間もあることだし、茶でも出そうではないか。まあてきとうに座るといい。」
私はくるりと周囲を見渡して、あまり座り心地がいいとは思えない石畳みのような場所へ腰をおろす。するとどこからともなく子分ザルのような者が飛び出してきて、デニッシュにティータイムとはかけ離れたゴツゴツとしたマグカップに"茶"を注ぐ。とてもいい香りだ。唾液腺も本能のまま刺激され、ゴクリと唾を飲むワケとなったそれは……
「あの、失礼申し上げますが、こちらはお茶ではなくコーンポタージュではありませんか。」
「なんだ?クルトンとやらも欲しいのか。もてなされる側としてはよく言えたものだ。」
えーっと、そうではない。けれどこんなことで問答している気力なんてない。ううぅ……
フワッ
「ん!?」なにか今、スカートの裾がヒラリと不自然な風を受けた感覚があった。嫌な気分はしていたが、振り返るとそこにはニンマリと満足そうな笑みを浮かべたサルの姿がある。思わずバッと立ち上がり、威嚇体勢に入る。
「気にするな。そいつぁここらでもトップ級の変態。いわゆるスケベで、スケベであることに高揚感さえ感じている。お前じゃ何も仕返しできんよ。」
はぁ……。心から深くため息をついた。過剰に反応してしまった自分を馬鹿馬鹿しくさえ感じる。
「おうお前。何を立ち尽くしている。扉は開かれた。頼んだぞ。」
「あっすみません。ここ、ですか。」
「そうだ。少し変わったところかもしれんが、いい場所だ。その分だと身体も温まっていい具合だろう。」
「コーンポタージュ……クルトン…………。」
「何をぼやいている!早く行ってこんか!!」
そして少女は不思議な光のさす階段を、
ゆっくりと踏みしめ上り、歩く