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竜王陛下の逆鱗サマ  作者: しきみ彰
第一部 最弱姫は氷王の心を溶かす
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8.後宮

 後宮では、前代未聞ぜんだいみもんの大移動が行われていた。


 まず、大多数の姫君が鉄の箱に詰められ帰郷することとなる。ずらずらとありのように立ち去っていく姿を、瑞英ルェイインは羨ましいなぁ、という眼差しで見送った。普通ならば自分もあそこで一緒に帰れていたはずなのだが、と思うが、入っていないのだから仕方ない。

 と言ってもこれは、残っていた姫が少なかったため、さほど労せずに終わったのだが。

 この話の一番の問題は、残されることになった四姫についてだった。


 後宮でどのように住まわせるかで、議論になったのだ。


 なんせ、前代未聞の四姫揃えての召し上げだ。短期間のみ暮らすならまだしも、召し上げられた時点でここに永住することは決まっている。むしろそこから加護をもらうために、どの獣族もしのぎを削っていると言ってもいい。


 竜族が出した通達に、普段から中立的な立場を取っていた鼠族も逆らえない様子で、瑞英は送られてきた文に目を通してから苦笑した。父が書いた文と母が書いた文に、あまりにも温度差があったためだ。王はなかなかの馬鹿親なため、瑞英が嫁に行くことが未だに信じられないのだろう。かなり狼狽えた文字をしていた。


 一方の母はさすがというべきか、とても冷静だった。『花嫁道具はこちらで一式揃えるから、安心しなさい』と綴られていた。必要なものがあれば出来る限り用意するとも書いてある。そんな中にも慈愛を言葉の端々に感じ取り、瑞英は思わず表情を緩めた。

 わざわざ紙にしたためたのは、王族としての矜持と竜族に対する礼儀の表れだろう。


 そんな現実逃避はさておき。

 結論としては、後宮を四分割にしてそれぞれの区分を決めることでことなきを得たのだが、その場所決めがまた難儀だった。

 猫族の姫である夢花モンファが、「兎族と隣接することだけは嫌だ」とただをこねたのだ。

 そこに正論を返したのが、狗族の姫だ。彼女は「竜族領でそのような文句を言うのはいかがなものか」と意見した。


 そこから、兎族の姫を交えての女同士の口論が始まった。


 竜族の者が止めに入るまで、口論はさらに白熱。瑞英は揉みくちゃにされる形で無言を通していた。むしろ触れたら爆発しそうな勢いだったのだ。最弱は最弱らしく、陰のように生きるのが賢い選択である。

 しかしその議論に想像以上に時間がかかってしまったため、移動するまでに二日ほどかかってしまった。


「……死にそうだ」


 初っ端から多難な日を終えた瑞英は、与えられた住居にようやく落ち着くことができた。

 絞り出した声は、瑞英のまごうことなき本音である。

 長椅子カウチに深く腰掛けた彼女は、自らがこれから住まうことになった部屋を見つめ溜息を吐き出した。


 瑞英が住むことになったのは、竜宮にほど近い位置にある区分である。

 そこから時計回りに兎族、狗族、猫族、ということになった。夢花の願いは、問題なく叶ったわけだ。そのために仕切りのように挟まれた瑞英と狗族の姫は、たいそう迷惑を被ったのだが、そんなこと当の本人たちにとってはどうでも良いことだろう。「中立的な立場って面倒臭い」と彼女はまたぼやいた。


 瑞英の位置に若干以上の疑問を覚えなくもないが、そこは深く考えるときりがない。彼女は潔く「書庫が近いなー嬉しいなー」と空元気を振るうだけにとどめる。


 そして引っ越してきたのは良いのだが。

 ぐるりと室内を見回し、彼女は呻く。


「広すぎて、違和感しかない」


 瑞英は頭を抱えた。

 そこは、つい先ほどまで暮らしていた部屋とは打って変わり、広々とした場所だったのだ。

 鼠族はその習性上、狭く暗いところを好む。されど、その部屋は彼女がひとりで暮らすには広すぎるほどゆったりとしていた。


 身の丈に合わないとはこのことである。唯一の救いは、華美な装飾がなく清潔感に溢れた内装であったことだ。色は瑞英が好んで着る服と同じ、緑系統で統一されている。どうやら存外、見られているらしい。


 その色に少しばかり落ち着いた瑞英は、きょろきょろと視線を彷徨わせてから窓へと近寄った。ゆっくりと押し開ければ、風が戯れに髪を揺らす。

 におやかな緑を肺いっぱいに溜めた彼女は、その香りがいつも雅文ヤーウェンからするものだということに気づき、頬を赤らめた。


(なんでここで気づくの、わたし……!)


 ぶんぶんと首を左右に振り、顔から熱を逃す。

 そのとき、目の前を薄紅色の何かが横切った。


 首を傾げて床に視線を落とすと、そこには小さな花びらが揺れている。指先でそっとつまむと、瑞英は瞳を輝かせた。


「もしかしてこれ、桜?」


 桜とは、十三支国において不可侵領域とされる狐族の領地のみで群生している花木だ。瑞英は文献の絵でしか見たことがない。が、彼女の勘が正しければ、それは桜であろう。

 竜族には献上品として、桜の枝が贈られたと聞く。庭に桜の木があっても不思議ではない。

 そして瑞英は、庭に出たことがなかった。好奇心に身を任せて探索することを拒んだのだ。

 その理由は、すぐ帰るのにもかかわらず庭にそんな感情を持つと、辛いだけだと思ったからだ。


 しかし瑞英は今回、永住することが決定している。これは竜族側の決定事項だ。残念なことに、彼女に拒否権はない。

 そんな事実が、彼女の好奇心に火をつけた。


(庭に出ても、良いんじゃないか?)


 見たこともない景色、嗅いだこともない匂い。そして、聞いたことのない音。

 未知のものを知りたい。

 拳をぐっと握り締めたときだった。


「瑞英様。美雨メイユイです。入ってもよろしいでしょうか?」


 扉の向こう側で、そんな声がした。

 身を跳ね上げた瑞英は、窓を閉めると慌てて長椅子に座りなおす。髪を手櫛で整えると、声を張り上げた。


「ど、どうぞ!」


 ひとつ間を置いて、美雨が入室する。その後ろには藍藍ランランを含めた侍女たちがいた。

 藍藍は顔を青くしているが、気丈に立っている。どうやらこの数日で、美雨の覇気に慣れたらしい。鼠族の図太さでも移ったのかな、と瑞英はなんとなく困った。そんな考えを浮かばせている中でも、彼女は微動だにしない。

 いっそ怪しいほど身をピンっと張る瑞英に、美雨が首をかしげる。


「どうかなさいましたか?」

「い、いえ」


 外に出ることを望むのは、いけないこと。

 幼少よりそんな認識を刷り込まれていた瑞英は、自身の考えを恥じていた。そしてそれを他人に知られることを、恐れたのだ。


 美雨は目を瞬かせたが、直ぐになんらかの変化に気づく。窓辺に、数枚の花びらが落ちていたのだ。


「庭を見ていらしたのですね。今はどの庭も、桜が満開ですよ。直ぐに散ってしまう花ですので、本日、散策でもいかがでしょうか?」


 気を回しての提案に、今度は瑞英が驚く番だった。目を丸々と見開いた次の瞬間、パッと表情を綻ばせる。


「に、庭を散策しても、よろしいのでしょうかっ?」


 周りに花を散らしながら紅潮させる鼠姫に、美雨はたじろぎながらも頷く。


「もちろんです。それでしたら、昼餉ひるげを済ませた後にでも向かいましょうか」

「是非!」


 あれだけおとなしかった鼠姫の変わり具合に、藍藍を除く全員が驚きをあらわにする。

 ただひとり藍藍だけが、困惑した、それでいて嬉しそうな、複雑な表情とともに微笑んでいた。



 ***



 素早く昼餉を食べ終えた瑞英は、竜宮に来て以来最もはしゃいでいた。

 美雨による日焼けの気遣いにより瑞英の服装は、肌が露出しないものとなっている。頭まですっぽりと布をかぶった彼女は、ぱたぱたと尻尾を揺らしていた。傍目から見ても、機嫌が良く見える。見た目相応の反応に、提案をした美雨はとても喜んでいた。とはいうものの、瑞英は既に十六。獣族としては、成人を迎えているのだが。


 そんな視線を向けられていることすら知らず。鼠姫が侍女を伴って向かったのは、竜宮の敷地内にある桜の森だ。先ほど窓から入ってきたのは、近くに生えている一本桜らしい。

 狐族から献上された枝を挿し木をし、大きくなった木から得た枝をさらに挿し木にして、を繰り返して増えたその木々は、優に千本あるのだと美雨が語った。


「桜の森は、二代前の竜王陛下であられる、翠王すいおう様が愛された場所なのですよ!」

「そうなのです。氷王ひょうおう陛下も、この場所には良くいらっしゃるのです!」

「そうなんですね。わたしはまず、花を見る機会が少なかったので、道中だけでもとても楽しいです」


 鈴麗リンリー鈴玉リンユーの声は鈴が転がるように軽快で、瑞英も思わず笑みが浮かぶ。だからこそ、美雨が眉を寄せたことを知らなかった。

 そしてその言葉通り、瑞英の視線は先ほどから庭に咲き誇る草木へと向いていた。


(陛下も、こちらに来ていらっしゃるんだなぁ)


 頭の片隅でそんなことが浮かび、そこでようやく雅文から漂う匂いの理由に辿り着く。よく来るからこそ、匂いが移ったのだろう。綺麗に整えられた庭は確かに、入り浸りたくなるほど美しい。

 少しだけ彼に近づけたような気がして、瑞英はそっとかぶり布で顔を覆った。


 というよりなぜか、先ほどから気にかかるのが雅文についてである。いつからこんなに、自分は恋する乙女のようになったのだろうか。瑞英は首をかしげざる得なかった。


 そうこうしていると、森の入り口にたどり着く。

 その眺めを見て、瑞英はあんぐりと口を開いた。


 眼前には、満開に花開く薄紅色の木々が立ち並んでいたのだ。


 ほのかに香るのは、今まで一度も嗅いだことがない甘い匂いだ。されどきついわけではなく、瑞英の好むしとやかな香りだった。

 花は枝を飾るように咲き誇り、ひらひらと花びらを舞わせている。それが千本もあるのだから、気分が上がらないわけがなかった。


 かぶり布からでも分かるほど、瞳を爛々と輝かせる姫に、美雨は笑む。


「お気に召しましたか?」

「はい! このように美しい光景は、初めて見ました!」


 感極まる瑞英を見て、美雨たちの表情も自然と綻ぶ。自身たちが懇切丁寧に整えている庭をそのように褒められて、嬉しくない者などいないのだ。

 森の中を歩くと、どこを見ても桜の花が咲いている。瑞英がかぶっている布にも花びらが降り、彼女は桜まみれになっていた。


 童心に返ったように、ぱたぱたと駆ける瑞英。

 それを数歩後ろから、侍女たちが見つめている。


 先へ先へと向かう瑞英を、ふと、侍女たちが追わなくなった。藍藍が追おうと歩を進めるが、双子に両腕を掴まれ制される。美雨が、首を横に振った。


「ここから先は、お二人だけの時間を過ごさせて差し上げましょう」


 いってらっしゃいませ、瑞英様。


 すっかり見えなくなった姫君に向けて、美雨は寂しそうに笑みこうべを垂れた。

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