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竜王陛下の逆鱗サマ  作者: しきみ彰
第一部 最弱姫は氷王の心を溶かす
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7.来訪

 瑞英ルェイインが目を覚ましたのはまた、翌日の昼だった。

 ひどい倦怠感に襲われながらも起き上がれば、藍藍ランランが心配そうに寝台の横で座っている。


「瑞英様。お身体の具合がよろしくないのですか……?」


 瑞英は首を傾げた。別段、体調が悪くなるようなことはしていない。むしろ普段より怠惰に過ごしていた。


 食あたりでもしたか、と考えたが、食あたりで倦怠感が出るなどおかしな話だ。真っ先に影響が出る腹の調子も変わらず良好。というより、昨日は何も食していない。

 思い出すと、空腹感に襲われた。腹がくぅ、と鳴る。

 それをきょとりとした顔をして聞いた藍藍は、安心したようにはにかんだ。


「食欲はあるみたいですね。少々お待ちください。何か、消化に良いものをいただいてきますから」


 「絶対に、絶対に動かないでくださいよっ?」「はいはい」というやり取りを経て部屋を出て行く侍女を見送り、瑞英はため息を吐き出した。

 ぺたりと額に手を当ててみるが、変わった様子はない。そして、書庫に行ってから途中の記憶がすっぽりと抜け落ちていることに気づいた。


(あれ。書庫に行って、竜王陛下にお会いして?)


 それで、その後どうしたのだろう。

 考えてはみたものの、寝起きのぼーっとした頭ではまるで思考がまとまらない。

 昨日のことを考えるのは潔く諦め、瑞英は自らの手を見つめ数回握った。


 それからほどなくして、藍藍が帰ってきた。その手には緩やかに湯気を立てる粥の乗った盆が握られている。

 粥は、海老や帆立ほたてなどの魚介を使ったものだった。


 匙を使って口に運べば、温かく出汁の効いた味が広がる。

 盛られていた分すべてを平らげた瑞英に、藍藍はほっと安堵の息をこぼした。


「昨日から何もお召し上がりになられていなかったので、安心しました。しっかり食べられるなら、なんら問題ありませんね」

「一日二日食べなくても、死にはしないわよ。収穫がなかったときは、王族だって食べないこともあるんだから」


 今から十年前、六歳のときに起きた飢饉ききんのことを思い出し、瑞英は苦い顔をする。あのときはひどかった。苦労して耕した畑は稀に見る干ばつで干涸び、収穫などできないことがあった。

 鼠族は、繁殖率が高い獣族だ。つまり食事もかなりの量を必要とする。

 あのときは、王族である瑞英も食べずに動いた。餓死していく仲間たちを見送りながら、泣きながら働いたのだ。


 その際に尽力したのが、鼠族一の知識者である王妃。瑞英の母だ。

 ただがむしゃらに動くことしかできなかった瑞英と違い、母は鼠族に確かな筋道を立ててくれた。そしてその結果、鼠族は見事に復興したのだ。


 瑞英の目標はその日から、母のように賢く強いひとになることとなった。


 その頃から鼠族の領地にいた藍藍は、何も言わずに薄く笑む。思えば藍藍にも、危険なことをしてもらった。森にはびこる下位種を捕まえてもらったことなど、幾度となくあった。瑞英と同い年の藍藍は、その小さな体で多くの下位種を狩ってきてくれたのだ。

 瑞英はそれをさばき、鼠族すべてに回るように調理した。王族として、民を救うために尽くそうとした。

 ふたりは苦しいときを支えあって生き抜いた。


 藍藍は瑞英にとって、唯一無二の親友だ。


「そうですね、あのときに比べたら、ここは楽園のようなものです」

「そうね」


 そこでふと浮かんだのは、夢花モンファから聞いていた竜族の恩恵についてだ。


 仲間が成すすべなく死んでいくのを見続けているよりは、良いのかもしれない。

 ただそれでも、竜族の加護に甘んじているのはどうなのかとも思った。


 藍藍が空になった食器を返しに行っている間、瑞英は身嗜みを整える。凝った衣装や髪型でなければ、ひとりで身支度できるのが鼠族の王族だ。

 まず、服を着替える。しわひとつない衣装に袖を通した瑞英は、鏡の前に腰を下ろした。

 白銀の髪を櫛で梳かし、器用に三つ編みを編んでいく。


 藍藍が帰ってきた頃には、彼女はすっかり身繕いを終えていた。

 藍藍が持ってきた茶と飲もうと、ふたり揃って椅子に腰かけたときだ。こんこんこん、と扉が叩かれる。


 ふたりは顔を見合わせた。来客など、夢花モンファくらいしか思い浮かばない。されど彼女は事前に戸を叩いて、入室許可を取るようなことはしないのだ。中がどんなに大変なことになっていても、彼女は構わず「入りますわよ」の一言で入ってくる。昔からのことなので慣れていたが、最近はさすがにどうなんだ、と思っていた。


 どちらにしても、客は客だ。瑞英は藍藍に頼み、外を確認してきてもらう。彼女もひとつ頷き、ぱたぱたと駆けて行った。


 そうして入ってきたのは。


「失礼いたします、瑞英様」


 目がくらむほどの美貌を持った、竜族の女性だった。

 その後ろには、焦げ茶の髪に垂れ耳をした狗族の娘がふたりいる。珍しいことに双子だった。瓜二つの顔が声を揃えて入ってきたため、瑞英は目を丸くする。

 竜族の女性特有の衣に身を包んだ彼女は、自身を「美雨メイユイ」と名乗った。


「そしてこちらのふたりが、竜宮で侍女を勤めております鈴麗リンリー鈴玉リンユーです」

『よろしくお願いします』


 見事なまで重なって響く挨拶。彼女たちは満面の笑みで頭を下げた。瑞英もつられて笑みを浮かべる。


「それで、ご用件はなんでしょうか?」


 ただごとではないことは分かっているが、いまいち現状が掴めない。

 とりあえず話だけでも聞こうと考えた瑞英は、美雨から発せられる言葉を待った。

 すると美雨は、たおやかに頭を下げる。瑞英の顔がまた引き攣った。


「此度はご婚約、誠におめでとうございます。わたくしはそちらの件で、あなた様の近侍兼教育係を務めるためにやって参りました」

「……教育係、ですか?」

「左様にございます。幸倪シンニーから聞いたところによりますと、瑞英様はどうやら、竜族のことをさほど存じ上げていないように思います。これから竜王陛下の妃となるお方が、それではまずいということになりましたので」

「えーっと、その。……一から説明お願いできますかっ?」


 話が飛躍しすぎて分からない。

 瑞英が真顔で問うと、美雨がそうでした、と手を打つ。


「まず、此度の竜王陛下は、妃候補として鼠族、猫族、狗族、兎族の姫をお選びになりました。理由は言わずもがな、稀代の最強と謳われます我が君の覇気に、少なからず耐え切れたためです」


(……どうしよう。少なからずどころか、覇気を感じることすらなかったんだけどわたし)


 口端がひくつく。そこで彼女は藍藍のことを思い出した。扉のほうに目線を送れば、藍藍がぶっ倒れている。それを、双子の侍女が丁寧に介抱していた。意識はあるらしく目は開けているが、震えている。


 藍藍が倒れるということはつまり、今眼前にいる女性ひとは、それ相応に強い力を持つ竜族だということだ。否が応でも身が震えた。

 それを目敏く見つけたのか、美雨は微笑する。


「それにより、竜王陛下は四方の素質を見極めるために、後宮に残すことを決めました。他の方々には早々に帰宅いただきましたので、瑞英様には私室が与えられることとなります」


 ご移動をお願いいたします、と言われ、瑞英は固まった。そして直ぐに我に返る。


「それは、つまり……わたしは、こちらに本格的に住むことになった、ということでしょうか……?」

「左様にございます。瑞英様は侍女が少ないかと存じましたので、わたくし含め三名の侍女をつけることと相成りました」


 瑞英様は、永住が決まっておりますがね。


 朗らかな顔でとんでもないものを落としてきた美雨の瞳は、確かに竜族のそれをしていた。

 狙った獲物は絶対に逃がさない、捕食者の目。


 そこで改めて理解する。

 二日ほどの猶予は、忘れ去られたわけでなく下準備をするためのものだったのだと。

 たとえ逃げたとしても、瑞英はいとも簡単に絡め取られて捕まってしまうのだろうと。


(あ、これ、詰んだわ)


 賢明な鼠姫はその時点で、逃げることを諦めた。

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